君を忘れるための春。


結月は腰に手を当てて、不満げに眉をひそめた。

「ほら見ぃ、急にあんたが来るから糸ちゃん、またびっくりして固まってるやんか! っていうか、クラス違うのに何しにわざわざ二組まで来たんさ!」

「はぁ? そんなん決まってるやろ」

響矢は心外だとばかりに肩をすくめ、前髪をひょいとかき上げながら、糸の目を真っ直ぐに見つめた。

「俺は土曜日に、糸ちゃんという最高に運命的な出会いを果たしたんや! 会いにきて何が悪いねん!」

「え、ええっ……!?」

糸を真ん中に挟んで、二人の間で目まぐるしく交わされるマシンガントーク。
何よりも、響矢の口からサラリと飛び出した『運命的な出会い』という強烈なワードに、糸の胸の奥はドキリと激しく跳ね上がった。

(東雲くんって、なんか……すごくストレートだな……)

東京にいた頃の恭弥は、面倒見こそ良かったけれど、自分の本当の気持ちにはどこか臆病で不器用な人だった。
だからこそ、自分の感情をこれでもかと直球にぶつけてくる響矢の言葉が、糸にとっては気恥ずかしくて、どうしようもなく歯痒い。

「はぁ!? あんた、本気で糸ちゃん狙いなん!? そんなん親友の私が絶対に認めへんで! 糸ちゃんは私の戦友なんやから!」

「なんや結月、お前は俺の姑か!」

結月がぷんぷんと怒る方向がどこかズレていくのを見ながら、糸はふと、土曜日からずっと胸の奥で気になっていた疑問を口にしてみることにした。

「あの……そういえば、二人って、その……付き合ってる、の?」

ちょっとした興味からの、ほんの些細な質問のつもりだった。
しかし、その瞬間。

ピキッ、と教室の一角の時間が止まった。
それまで言い合っていた結月と響矢が完全に固まり、ロボットのような動きで、ばっと同時に糸の方を振り返る。

(あ……! 私、なんて場違いなこと聞いちゃったんだろっ……!)

自分の失言に気づき、糸は慌てて両手で口を塞いだ。東京のあのドロドロとした『幼馴染の三角関係』のトラウマが、無意識にこんな質問をさせてしまったのかもしれない。
焦る糸の目の前で、二人は顔を見合わせ、同時に激しく首を横に振った。

「「はぁ?!そんなわけ無いやろ!!」」

「ないない、地球がひっくり返っても絶対ないわ! 響矢とは親繋がりのただの遠い"親戚"なんやから!」

結月が本気で嫌そうな顔をして全力で否定する。
今度は糸がポカンと口を開けて、驚く番だった。

「…えっ!? 親戚……? そうだったの!?」

「んー?そやで?」

響矢は糸の驚く顔がたまらなく愛おしいといった様子で、一歩距離を詰めると、ニカッと眩しい太陽のような笑顔を浮かべた。

「だから何の心配もいらんで、糸ちゃん! 安心して、俺のこと好きになったらええよ!」

バチッと、綺麗なウインクが糸の目の前で弾ける。

「っ――!?」

急に至近距離になった響矢の端正な顔と、恭弥にそっくりなはずなのに全く違う甘い破壊力に、糸の頬は一瞬にしてじわじわと赤く染まっていく。

(……えええ、何言ってるのこの人……っ!)と、頭の中が混乱してぐるぐるしてしまう。

「あほか! 予鈴鳴るわ、さっさと自分の教室戻らんかい!」

真っ赤になってフリーズした糸を庇うように、結月が響矢の背中に容赦ない体当たりを食らわせ、そのままドカドカと廊下へ押し出していく。

「痛ったいなぁ! 分かった、分かったから押すな結月! ――ほな糸ちゃん、また昼休みになー!」

廊下の向こうへ消えていく響矢は、最後まで賑やかに手を振っていた。
ふと気づけば、教室の他の生徒たちも、朝から繰り広げられた三人の騒がしいやり取りをチラチラと興味深そうに眺めている。

「うぅ……」

糸は恥ずかしさのあまりカバンで顔を隠し、いたたまれない気持ちでその場にしがみつくように座り込んだ。

東京での切ない失恋を忘れるためにやってきた京都。なのに、この直球すぎる響矢のせいで、糸の毎日は想像以上に目まぐるしく、そして甘く色づき始めようとしていた。