王太子様は甘い言葉が囁けない!


数日後。

宮廷図書館。

本を整理しながらも、リリアは落ち着かなかった。

(アルベール様の縁談……。)

(結局いつなんだろう。)

気になって仕方がない。

その時だった。

「リリア・アシュフォード様。」

聞き覚えのある声に振り返る。

「あっ。」

そこには、以前何度も迎えに来た王宮の侍従が立っていた。

(また……!?)

◇ ◇ ◇

王宮へ到着したリリアは、いつものように王妃の部屋へ案内されるのかと思っていた。

しかし案内されたのは、見覚えのない一室。

中には数人の侍女が待っていた。

「お待ちしておりました、リリア様。」

「え?」

「あの……これは?」

返事の代わりに、侍女たちは慣れた手つきでリリアの上着を脱がせ始める。

「きゃっ!」

「え!?ちょ、ちょっと待ってください!」

「失礼いたします。」

そのまま浴室へ。

湯浴みを終えると、高級な香水。

美しい刺繍が施された淡い水色のドレス。

丁寧に結い上げられる髪。

最後に小さな宝石の髪飾りが添えられた。

「完成でございます。」

「え……。」

鏡に映る自分は、司書補佐ではなく、まるで本物の貴族令嬢だった。

そこへ勢いよく扉が開く。

「まぁ!」

王妃エレノアが目を輝かせた。

「なんて素敵なの!」

「可愛いわ、リリアちゃん!」

ぎゅうっ。

「お、王妃様!」

「苦しいです!」

「あら、ごめんなさい。」

名残惜しそうに腕を離すエレノア。

「でも本当に可愛いわ。」

「……あの。」

リリアは恐る恐る尋ねる。

「これは一体……?」

「リリアちゃんの指南のおかげで、アルベールもだいぶ変わったでしょう?」

「はい……。」

「だから今日は、一度実践テストをすることにしたの!」

「実践……テスト?」

「そう!」

王妃は嬉しそうに頷く。

「本物のお茶会形式でね。」

「それで、どうして私がこんな格好なんですか?」

「だってテストだもの。」

王妃はさらりと言う。

「本物のご令嬢を呼んだら、テストじゃなくなっちゃうでしょう?」

「だから今日は、リリアちゃんに令嬢役をお願いするの。」

「もちろん、採点もよろしくね!」

「……。」

リリアは困ったように俯いた。

「でも……。」

「私、アルベール様から『しばらく来ないでくれ』と言われています。」

「そんな私が、こんな役をするのは……。」

「関係ないわ。」

王妃はきっぱりと言い切る。

「これは、この国の未来と存亡がかかった実践テストなのよ!」

(重すぎる……。)

「……わかりました。」

「よろしい!」

王妃は満足そうに微笑む。

「では参りましょう。」

歩き出しかけたリリアは、小さく立ち止まる。

「あの……王妃様。」

「なあに?」

「このテストが終わったら……。」

少しだけ胸が痛んだ。

「アルベール様は、本当に縁談が控えているんですよね?」

王妃は一瞬だけ黙る。

そして。

にやり、と意味深に笑った。

「そうね。」

「アルベールには、ご令嬢不足のこの時代でも求婚状が何通も届くもの。」

「もたもたしていたら……。」

「誰かに先を越されてしまうかもしれないわね。」

「……?」

リリアはその意味を理解できず、小さく首を傾げた。

◇◇◇

その頃。

アルベールはいつものように窓の外を眺めていた。

「ずっと空見てて、よく飽きないな。」

シグルドが呆れたように声を掛ける。

「……。」

返事はない。

「無視かよ。」

肩をすくめる。

「そういえば、お前今日縁談なんだってな。」

「今度は上手くいくといいな。」

「っ!?」

アルベールが勢いよく振り返る。

「そんな話、聞いてない。」

「そうなの?」

シグルドは首を傾げた。

「俺は王妃様から聞いたけど?」

「母上が……?」

アルベールは顔色を変える。

「今から行って断ってくる。」

「なんで?」

「?」

「今まで十三人とも嫌がらず会ってたじゃん。」

「なんで今回は嫌なんだ?」

アルベールは答えられない。

「それは……。」

「なぁ。」

シグルドは少しだけ真面目な顔になる。

「今、誰かの顔が浮かんだ?」

「っ……。」

アルベールは息を呑む。

頭に浮かんだのは。

笑顔で笛を吹く少女。

「今日は『あぁ』は禁止です!」

そう笑っていたリリアだった。

「その子のこと。」

シグルドは静かに尋ねる。

「お前、どう思ってる?」

「……。」

答えられない。

けれど。

その顔が浮かんだ瞬間。

胸が締め付けられた。

「母上に会ってくる。」

それだけ言い残し、アルベールは部屋を飛び出した。

◇◇◇

一方その頃。

王妃はリリアとともに応接室へ向かっていた。

「あっ、そうだ!」

思い出したように王妃が振り返る。

「リリアちゃん?」

「はい?」

「今日は実践形式だから、アルベールにはテストだって言わないでね。」

「え?」

「では何と言えば……?」

王妃は少し考えてから、にっこり笑った。

「そうね。」

「十四人目の婚約者候補です、って言ってちょうだい。」

「え?」

(テストって言わずに……?)

(そんなこと言ったら……。)

(それって……。)

リリアが困惑している、その時だった。

「母上!」

廊下の向こうから、アルベールが駆け足でやって来る。

「今日、私の縁談を入れたというのは本当ですか!?」

「ええ、本当よ。」

王妃は落ち着いた様子で答える。

「聞いていません!」

「今すぐ断ってください!」

「無理よ。」

王妃はさらりと言った。

「もうこちらにいらっしゃるんだもの。」

「っ!」

アルベールは慌てて振り返る。

「君、すまないが本日は――」

そこまで言って、言葉が止まった。

目の前には。

見慣れた栗色の髪。

けれど今日は、美しいドレスに身を包み、少しだけ恥ずかしそうに立つ少女。

「……リリア?」

「……あ。」

二人の視線が重なる。

その瞬間。

アルベールの心臓が、今までにないほど大きく高鳴った。