第五話 はじめての課外授業
王太子の恋愛指南を始めて一週間半。
その日、宮廷図書館では司書たちがどこか浮き足立っていた。
「ようやく内装工事ね。」
「二日も休めるなんて久しぶり!」
その言葉に、リリアも思わず笑みを浮かべる。
(そうだ! 二日もお休みだ!)
(前から探していた恋愛小説の初版本……少し遠い街の本屋さんなら置いてあるかもしれない!)
頭の中はすっかり本のことでいっぱいになる。
ところが。
「リリア。」
上司の司書が不思議そうに首を傾げた。
「あなたは休めないでしょ?」
「……え?」
「王太子様の指南があるじゃない。」
「…………」
(あ。)
(忘れてたーーーっ!!)
◇◇◇
その日の午後。
リリアは恐る恐るアルベールの私室を訪れた。
「殿下。」
「どうした。」
「図書館が内装工事のため二日間使用できなくなるんです。」
「あぁ。」
「その間……私もお休みをいただいてもよろしいでしょうか?」
アルベールは首を傾げる。
「用事があるのか?」
「用事というか……」
リリアは苦笑した。
「用事を作りたいというか……」
「どういうことだ?」
(あれ?)
(今日の殿下、返事が早い。)
(いつもこのくらいのテンポなら会話しやすいのに。)
「リリア?」
「あ、すみません!」
慌てて話を戻す。
「実は欲しい本がありまして。せっかく二日もお休みなら、少し遠い街まで探しに行こうと思っていたんです。」
「一人で……か?」
「はい。」
少し照れくさそうに笑う。
「私には付いて来てくれる侍女も護衛もいませんから。」
短い沈黙。
そして。
「……私が行く。」
「え?」
「私が一緒に行く。」
「えぇ!?」
リリアは勢いよく首を振った。
「無理です! 無理無理無理です!」
「結構です!」
「この前、庭で指南を受けた。」
「はい?」
「……同じだ。」
「違いますよ!」
「……課外授業だ。」
「だから違いますってば!」
必死に否定するリリアを見つめたまま、アルベールは静かに尋ねた。
「……嫌か?」
「え?」
(これはきっと。)
(『私と出掛けるのは嫌か?』って意味……。)
「嫌とか、そういうわけじゃ……」
アルベールはほんの少しだけ表情を緩めた。
「……よかった。」
「だからって、一緒に行くことを許可したわけではありませんからね!」
「……」
「殿下? 聞いてますか?」
返事はなかった。
その沈黙が何よりも嫌な予感しかしなかった。
◇◇◇
そして迎えた内装工事当日。
リリアの家の前。
「お嬢様ーー!!」
使用人のマルタが大慌てで駆け込んできた。
「大変です!!」
「どうしたの?」
「王太子殿下がお迎えに……!」
「なんでーーーっ!?」
家の前には王家の紋章が入った豪華な馬車が止まっていた。
リリアは頭を抱える。
(本当に来たぁぁぁ!!)
◇◇◇
馬車は街へ向かって走り出す。
「…………」
「…………」
気まずい。
あまりにも気まずい。
(これ……どういう状況!?)
(王太子様と二人きりでお出掛けって……。)
沈黙が続いたあと、アルベールが口を開いた。
「リリア。」
「はい?」
「今日はないのか?」
「え?」
「指南。」
「あぁ!」
そこでようやく気付く。
「殿下は……もしかして指南を受けたくて、一緒に来られたんですか?」
「……あぁ。」
リリアははっと息を呑んだ。
(そうだ。)
(殿下は最初から一度も嫌な顔をせず、私の話を真剣に聞いてくれていた。)
(それなのに私は、自分だけ休みを楽しもうとして……。)
胸が少し痛くなる。
「殿下。」
思わずアルベールの両手をぎゅっと握る。
「お気持ち、よく分かりました!」
アルベールが目を丸くする。
「殿下が世の中のすべての令嬢を虜にできるくらい、女心が分かる甘い言葉を囁ける人になれるよう、私も全力で頑張ります!」
「なので今日も一緒に頑張りましょう!」
「……あぁ。」
その返事とともに、アルベールは小さく笑った。
(え……。)
(笑った。)
その穏やかな笑顔に見とれた次の瞬間。
(あっ!!)
自分がアルベールの手を握ったままだと気付く。
「す、すみません!」
慌てて手を離そうとする。
「私、殿下に触れるなんて……!」
ところが。
離れかけた手を、アルベールがそっと握り返した。
「大丈夫だ。」
「……!」
(ちょっと待ってください!!)
(何が大丈夫なんですか!?)
(私の心臓が全然大丈夫じゃないんですが!?)
リリアは真っ赤になりながら、必死に平静を装えと自分に言い聞かせた。
◇◇◇
街へ到着すると、リリアは一直線に目的の本屋へ向かった。
「わぁ……!」
店いっぱいに並ぶ本。
高く積まれた新刊。
古書の独特な香り。
「すごい!」
「あっ、これ読みたかったやつ!」
「こっちも!」
目を輝かせながら棚を見て回るリリアを、アルベールは静かに見つめていた。
「……楽しそうだ。」
ぽつりと呟く。
「はっ!」
我に返ったリリアは慌てて振り向く。
「アルベール様も、せっかく来たんですから、お好きな本を探してください!」
「好きな本か……。」
「歴史書がお好きなんですよね?」
アルベールが不思議そうに首を傾げた。
「……なぜ知っている?」
「あ。」
(しまった。)
(これって……。)
(最初に図書館で会話を添削した時に知ったんだった!)
「え、えっと……」
「アルベール様は歴史書がお好きそうだなって……。」
「勘です!」
数秒の沈黙。
そして。
「ふふ。」
「……!」
(笑った!!)
(いや、もしかして笑われてる?)
アルベールは肩を揺らしながら言う。
「添削したこと。」
「隠そうとしているね?」
「えぇっ!?」
「知ってたんですか!?」
「あぁ。」
楽しそうに頷く。
「母上が、リリアの指南の話をしに来た時に聞いた。」
「そんな最初から……。」
恥ずかしさのあまり、リリアは顔を両手で覆った。
「うぅ……。」
「穴があったら入りたいです……。」
そんなリリアを見て、アルベールはまた少しだけ笑う。
「でも。」
「?」
「ありがとう。」
「君のおかげで。」
言葉を探すように少し考え、
「話すことが、前より少しだけ楽しくなった。」
その一言に、リリアはゆっくり微笑んだ。
「それなら……今日の課外授業は大成功ですね。」
本の香りに包まれた店内で、二人は自然と笑みを交わした。
それは恋愛指南が始まって以来、初めて肩の力を抜いて過ごせた、穏やかな一日だった。
王太子の恋愛指南を始めて一週間半。
その日、宮廷図書館では司書たちがどこか浮き足立っていた。
「ようやく内装工事ね。」
「二日も休めるなんて久しぶり!」
その言葉に、リリアも思わず笑みを浮かべる。
(そうだ! 二日もお休みだ!)
(前から探していた恋愛小説の初版本……少し遠い街の本屋さんなら置いてあるかもしれない!)
頭の中はすっかり本のことでいっぱいになる。
ところが。
「リリア。」
上司の司書が不思議そうに首を傾げた。
「あなたは休めないでしょ?」
「……え?」
「王太子様の指南があるじゃない。」
「…………」
(あ。)
(忘れてたーーーっ!!)
◇◇◇
その日の午後。
リリアは恐る恐るアルベールの私室を訪れた。
「殿下。」
「どうした。」
「図書館が内装工事のため二日間使用できなくなるんです。」
「あぁ。」
「その間……私もお休みをいただいてもよろしいでしょうか?」
アルベールは首を傾げる。
「用事があるのか?」
「用事というか……」
リリアは苦笑した。
「用事を作りたいというか……」
「どういうことだ?」
(あれ?)
(今日の殿下、返事が早い。)
(いつもこのくらいのテンポなら会話しやすいのに。)
「リリア?」
「あ、すみません!」
慌てて話を戻す。
「実は欲しい本がありまして。せっかく二日もお休みなら、少し遠い街まで探しに行こうと思っていたんです。」
「一人で……か?」
「はい。」
少し照れくさそうに笑う。
「私には付いて来てくれる侍女も護衛もいませんから。」
短い沈黙。
そして。
「……私が行く。」
「え?」
「私が一緒に行く。」
「えぇ!?」
リリアは勢いよく首を振った。
「無理です! 無理無理無理です!」
「結構です!」
「この前、庭で指南を受けた。」
「はい?」
「……同じだ。」
「違いますよ!」
「……課外授業だ。」
「だから違いますってば!」
必死に否定するリリアを見つめたまま、アルベールは静かに尋ねた。
「……嫌か?」
「え?」
(これはきっと。)
(『私と出掛けるのは嫌か?』って意味……。)
「嫌とか、そういうわけじゃ……」
アルベールはほんの少しだけ表情を緩めた。
「……よかった。」
「だからって、一緒に行くことを許可したわけではありませんからね!」
「……」
「殿下? 聞いてますか?」
返事はなかった。
その沈黙が何よりも嫌な予感しかしなかった。
◇◇◇
そして迎えた内装工事当日。
リリアの家の前。
「お嬢様ーー!!」
使用人のマルタが大慌てで駆け込んできた。
「大変です!!」
「どうしたの?」
「王太子殿下がお迎えに……!」
「なんでーーーっ!?」
家の前には王家の紋章が入った豪華な馬車が止まっていた。
リリアは頭を抱える。
(本当に来たぁぁぁ!!)
◇◇◇
馬車は街へ向かって走り出す。
「…………」
「…………」
気まずい。
あまりにも気まずい。
(これ……どういう状況!?)
(王太子様と二人きりでお出掛けって……。)
沈黙が続いたあと、アルベールが口を開いた。
「リリア。」
「はい?」
「今日はないのか?」
「え?」
「指南。」
「あぁ!」
そこでようやく気付く。
「殿下は……もしかして指南を受けたくて、一緒に来られたんですか?」
「……あぁ。」
リリアははっと息を呑んだ。
(そうだ。)
(殿下は最初から一度も嫌な顔をせず、私の話を真剣に聞いてくれていた。)
(それなのに私は、自分だけ休みを楽しもうとして……。)
胸が少し痛くなる。
「殿下。」
思わずアルベールの両手をぎゅっと握る。
「お気持ち、よく分かりました!」
アルベールが目を丸くする。
「殿下が世の中のすべての令嬢を虜にできるくらい、女心が分かる甘い言葉を囁ける人になれるよう、私も全力で頑張ります!」
「なので今日も一緒に頑張りましょう!」
「……あぁ。」
その返事とともに、アルベールは小さく笑った。
(え……。)
(笑った。)
その穏やかな笑顔に見とれた次の瞬間。
(あっ!!)
自分がアルベールの手を握ったままだと気付く。
「す、すみません!」
慌てて手を離そうとする。
「私、殿下に触れるなんて……!」
ところが。
離れかけた手を、アルベールがそっと握り返した。
「大丈夫だ。」
「……!」
(ちょっと待ってください!!)
(何が大丈夫なんですか!?)
(私の心臓が全然大丈夫じゃないんですが!?)
リリアは真っ赤になりながら、必死に平静を装えと自分に言い聞かせた。
◇◇◇
街へ到着すると、リリアは一直線に目的の本屋へ向かった。
「わぁ……!」
店いっぱいに並ぶ本。
高く積まれた新刊。
古書の独特な香り。
「すごい!」
「あっ、これ読みたかったやつ!」
「こっちも!」
目を輝かせながら棚を見て回るリリアを、アルベールは静かに見つめていた。
「……楽しそうだ。」
ぽつりと呟く。
「はっ!」
我に返ったリリアは慌てて振り向く。
「アルベール様も、せっかく来たんですから、お好きな本を探してください!」
「好きな本か……。」
「歴史書がお好きなんですよね?」
アルベールが不思議そうに首を傾げた。
「……なぜ知っている?」
「あ。」
(しまった。)
(これって……。)
(最初に図書館で会話を添削した時に知ったんだった!)
「え、えっと……」
「アルベール様は歴史書がお好きそうだなって……。」
「勘です!」
数秒の沈黙。
そして。
「ふふ。」
「……!」
(笑った!!)
(いや、もしかして笑われてる?)
アルベールは肩を揺らしながら言う。
「添削したこと。」
「隠そうとしているね?」
「えぇっ!?」
「知ってたんですか!?」
「あぁ。」
楽しそうに頷く。
「母上が、リリアの指南の話をしに来た時に聞いた。」
「そんな最初から……。」
恥ずかしさのあまり、リリアは顔を両手で覆った。
「うぅ……。」
「穴があったら入りたいです……。」
そんなリリアを見て、アルベールはまた少しだけ笑う。
「でも。」
「?」
「ありがとう。」
「君のおかげで。」
言葉を探すように少し考え、
「話すことが、前より少しだけ楽しくなった。」
その一言に、リリアはゆっくり微笑んだ。
「それなら……今日の課外授業は大成功ですね。」
本の香りに包まれた店内で、二人は自然と笑みを交わした。
それは恋愛指南が始まって以来、初めて肩の力を抜いて過ごせた、穏やかな一日だった。

