Dear Darling

柔らかな朝日が、カーテンの隙間から部屋へ差し込んでいた。

 ひまりはゆっくりと目を開ける。

 見慣れない天井。

 一瞬、自分がどこにいるのかわからず、ぼんやりと瞬きを繰り返した。

 昨日の出来事が、少しずつ頭の中でつながっていく。

 事故。

 病院。

 そして――。

『今日はここを使って。』

 蓮の声がよみがえる。

 静かな部屋を見回し、ひまりは小さく息を吐いた。

「……そうだった。」

 ベッドから降りると、床の冷たさが素足に伝わる。

 洗面所で顔を洗い、鏡を見る。

 鏡の中に映るのは、十七歳だと思っていた自分ではなく、大人になった自分だった。

 まだ少しだけ、その姿に違和感がある。

 タオルで顔を拭き、身支度を整えて部屋を出た。

 廊下は静かだった。

 昨夜より少しだけ緊張が和らいでいる自分に気づく。

 階段を下りようとした、そのときだった。

 シャーッという、水の流れる音が聞こえた。

 音のする方へ目を向ける。

 大きな窓の向こうには、朝日に照らされた庭が広がっていた。

 芝生にはスプリンクラーが規則正しく水を撒いている。

 その奥で、蓮がホースを手に庭木へ水をやっていた。

 白いシャツの袖を軽くまくり、静かに花や木々へ水を送っている。

 その姿は、どこか穏やかだった。

 ふと蓮が顔を上げる。

 窓辺に立つひまりに気づき、小さく微笑んだ。

「おはよう。」

 その一言に、ひまりは少し驚く。

 まるで毎朝そうしてきたかのような、自然な挨拶だった。

「……お、おはようございます。」

 ぎこちなく返すと、蓮は軽く頷き、ホースの水を止めて家の中へ入ってきた。

「朝ごはんにしよう。」

「……はい。」

 二人はダイニングへ向かった。

 テーブルの上には、朝食が並んでいた。

 炊きたてのご飯。

 味噌汁。

 焼き魚。

 卵焼き。

 飾り気はないけれど、どこか温かさを感じる食卓だった。

 ひまりは思わず蓮を見る。

「作ったんですか?」

「うん。」

 それだけ答えると、蓮はご飯茶碗をひまりの前へ置いた。

「口に合うといいけど。」

 ひまりは小さく頭を下げる。

「ありがとうございます。」

 二人で「いただきます」と手を合わせる。

 静かな朝だった。

 食器の触れ合う音だけが、部屋に優しく響いている。

 嫌な沈黙ではない。

 けれど、何を話せばいいのかわからない。

 ひまりは味噌汁を一口飲み、少しだけ肩の力を抜いた。

「あの……。」

 蓮が顔を上げる。

「仕事って……どうなってるんですか?」

「会社には事情を話してある。」

 蓮は落ち着いた声で続けた。

「今は休職中。」

「焦って戻る必要はないって言ってもらってる。」

「……そうなんですね。」

 ひまりはゆっくり頷く。

 二十四歳の自分には、仕事がある。

 それもまた、知らない自分だった。

 少し黙ったあと、ひまりはぽつりと口を開いた。

「友達……。」

「みんなどうしてるんだろう。」

 十七歳だった昨日まで、毎日のように会っていた人たち。

 なのに今は、七年という時間が流れている。

 その間に何があったのか、何も知らない。

 蓮は少しだけ考えてから言った。

「焦らなくていい。」

 その声は穏やかだった。

「会いたい人ができたら、一緒に会いに行こう。」

 ひまりは蓮を見つめる。

 優しい言葉だった。

 でも、それ以上何かを言うことはなかった。

 思い出せとも、頑張れとも言わない。

 ただ、隣にいてくれる。

「……はい。」

 ひまりは静かに頷いた。

 窓の外では、水を浴びた庭木が朝日にきらめいていた。

 朝食を終え、自分の部屋へ戻る。

 窓から見えた庭も気になる。

 二階の奥には、まだ見ていない部屋もある。

 昨日は緊張していて、周りを見る余裕なんてなかった。

 でも今日は少し違う。

 この家には、どんな毎日が流れていたんだろう。

 十七歳の自分なら、きっと家の中を探検して歩いていた。

 そのことを思うと、自然と笑みがこぼれる。

「……あとで、探検してみようかな。」

 知らない家。

 知らない毎日。

 それでも昨日より、ほんの少しだけ楽しみだと思えた。