清泉学園の寄宿舎の朝は早い。午前6時。
伍は、まだ誰も起きていない静まり返った廊下を、バスタオルと着替えを抱えて足早に歩いていた。
(よし、狙い通りだ。この時間なら、大浴場には誰もいないはず……!)
全寮制の女子校において、最も男の正体がバレる危険性が高い場所――それが風呂だ。
夜は混み合うため、伍は毎朝、他の生徒たちが起き出す前のこの時間を狙って、一人で素早く朝風呂を済ませるのが日課だった。
湯気が立ち込める広大な大浴場。伍はウィッグを外し、自前の短い黒髪を開放して、広々とした湯船に浸かった。
「ふぅぅ……。最高だ……」
地声の低いトーンで、極上のため息を漏らす。
男の身体を丸出しにできるこの15分間だけが、伍にとって唯一の安息の時間だった。
カラスの行水のごとく急いで身体を洗い、脱衣所に戻ると、大急ぎで補正下着を装着し、ウィッグを完璧にセッティングする。鏡の前で「可憐なお嬢様・有栖川紬葵」を完璧に完成させ、伍はホッと胸を撫でおろした。
「よし、今日も完璧だ。部屋に戻るか――」
ガラガラッ。
「――あら。有栖川様、お早いのですわね?」
突然、脱衣所の引き戸が開き、バスタオルを一枚だけ胸元に巻いた西園寺麗華が、湯気と共に姿を現した。
「ひゃうっ!? さ、西園寺様……!?」
伍は思わず裏声で叫び、その場に硬直した。
麗華は風呂上がりなのか、それとも今から入るのか、長い黒髪をアップにまとめており、白いバスタオルから伸びる四肢は、相変わらず息を飲むほど美しかった。
だが、次の瞬間、伍の視線は、麗華の胸元へと釘付けになった。
(……え?)
バスタオルの上から見える麗華の胸元は、いつも制服の上から見ている抜群のプロポーションとは異なり、驚くほど真っ平らで、おまけに女子にしては薄っすらと筋肉の筋(が浮き上がって見えた。
(待て。平ら……? いや、いくらなんでも、平らすぎないか……!?)
伍の脳内に、ものすごいスピードで冷や汗が吹き出す。
目の前の美少女・西園寺麗華は、いつもドレスの上から見事な膨らみを見せていたはずだ。
しかし今の彼女の胸元には、女性特有のふくらみが一切存在しなかった。まるで、男の胸板のような――。
その時――。
西園寺麗華――本名、西園寺奏汰<かなた>の脳内でも、人生最大の非常警報が限界突破の爆音で鳴り響いていた。
(しまっ、たあああああああ!!!!)
奏汰は、朝一番の寝惚けた頭で、誰もいないと思って大浴場にやってきてしまった。
いつもブラジャーの中に仕込んでいる「特製シリコン」を、部屋のトランクの中に忘れてきてしまったのだ。
(有栖川さんがこっちの胸をガン見してる……っ! バレる! 僕が男だってバレたら、一発で通報されて人生が終わる……っ!!)
奏汰は恐怖のあまり心臓が破裂しそうだったが、そこは血の滲むようなお嬢様特訓を経てきた身だ。
極限のパニックの中、喉の奥の筋肉を死に物狂いで絞り、完璧なソプラノお嬢様ボイスをひねり出した。
「ま、まぁ……有栖川様。私のこの『哀れな身体』を、そんなに見つめないでくださいまし……。恥ずかしいわ」
麗華は両手で自分の平らな胸元を隠すように抱きしめ、お嬢様らしく、か弱そうに視線を伏せてみせた。
「え……? 恥ずかしい、事情……ですか?」
伍が呆然と尋ねる。
「ええ……。実は私……いつもは、その、お洋服の下に『大変な補正(シリコンパッド)』をいくつも仕込んで、お嬢様としての見栄を張っていますの……。本当の私は、このように……な、なだらかな平野のようで、女性としての魅力が全くないのですわ……!」
麗華は涙目でそう言うと、恥ずかしさに耐えかねたように、顔を真っ赤にして俯いた。
(読者解説:もちろん、これは麗華(奏汰)が男の胸板を誤魔化すための、必死の嘘である)
しかし、その言葉を聞いた伍の脳内では、全く別の爆弾が爆発していた。
(そ、そうだったのか……っ!!!)
伍は猛烈な罪悪感と、深い納得感に襲われた。
思えば、これまでの数々の違和感――お嬢様にしては高すぎる身長、ナイトテーブルを片手で持ち上げる驚異の怪力、そして時折見せる少年のような男前な身のこなし。
(すべて繋がった……! 西園寺さんは、お嬢様としての完璧なスタイルを保つために、
裏で血の滲むような努力(筋トレ)をしてたんだ! だからあんなに筋肉質で、怪力だったんだな……!
女子なのに胸がないことを、こんなに1人で悩んで、パッドで隠して強がってたんだ……!)
伍は、目の前の可憐なお嬢様(※中身は男子)の「切ない秘密」を知ってしまったと思い込み、胸が締め付けられるような愛おしさを感じていた。
「西園寺様……!」
伍は一歩踏み出すと、恥ずかしそうに震える麗華の(実際は男の)手を、両手で優しく包み込んだ。
「そんなこと、全く気に病む必要はありませんわ! わたくし、麗華様のその……引き締まった、
カッコいいお身体、とっても素敵だと思います! 胸の大きさなんて、西園寺様の美しさに比べたら、些細なことですわ!」
伍のまっすぐな(裏声の)言葉に、麗華(奏汰)は呆然と目を丸くした。
(え……? 騙されてくれた……!? というか、僕のこの男の骨格を、カッコいいって言ってくれた……?)
「有栖川様……。あなたって、どこまでお優しい方なのかしら……」
麗華(奏汰)の頬が、今度は演技ではなく、本当の熱を持ってぽっと赤く染まる。
目の前の清楚で可憐な有栖川紬葵(※中身は男子)が、自分の秘密(※本当の秘密ではない)
を受け入れてくれたことが、嬉しくてたまらなかった。
「ありがとう、有栖川様。……あなたにそう言っていただけて、救われましたわ」
麗華は愛おしそうに微笑むと、包まれた伍の手を、今度はぎゅっと握り返した。
その手のひらは、やっぱり少し大きくて、お嬢様にしては力強い。
(あ、またドキドキしてきた……。ダメだ俺、西園寺さんの秘密を知ったら、ますます女の子として意識しちまうじゃねえか……!)
お互いに「自分の男の身体」を守り抜き、相手を「最高に愛おしい女の子」だと誤解したまま、2人の絆(とすれ違い)はさらに深く、甘く、加速していくのだった。
伍は、まだ誰も起きていない静まり返った廊下を、バスタオルと着替えを抱えて足早に歩いていた。
(よし、狙い通りだ。この時間なら、大浴場には誰もいないはず……!)
全寮制の女子校において、最も男の正体がバレる危険性が高い場所――それが風呂だ。
夜は混み合うため、伍は毎朝、他の生徒たちが起き出す前のこの時間を狙って、一人で素早く朝風呂を済ませるのが日課だった。
湯気が立ち込める広大な大浴場。伍はウィッグを外し、自前の短い黒髪を開放して、広々とした湯船に浸かった。
「ふぅぅ……。最高だ……」
地声の低いトーンで、極上のため息を漏らす。
男の身体を丸出しにできるこの15分間だけが、伍にとって唯一の安息の時間だった。
カラスの行水のごとく急いで身体を洗い、脱衣所に戻ると、大急ぎで補正下着を装着し、ウィッグを完璧にセッティングする。鏡の前で「可憐なお嬢様・有栖川紬葵」を完璧に完成させ、伍はホッと胸を撫でおろした。
「よし、今日も完璧だ。部屋に戻るか――」
ガラガラッ。
「――あら。有栖川様、お早いのですわね?」
突然、脱衣所の引き戸が開き、バスタオルを一枚だけ胸元に巻いた西園寺麗華が、湯気と共に姿を現した。
「ひゃうっ!? さ、西園寺様……!?」
伍は思わず裏声で叫び、その場に硬直した。
麗華は風呂上がりなのか、それとも今から入るのか、長い黒髪をアップにまとめており、白いバスタオルから伸びる四肢は、相変わらず息を飲むほど美しかった。
だが、次の瞬間、伍の視線は、麗華の胸元へと釘付けになった。
(……え?)
バスタオルの上から見える麗華の胸元は、いつも制服の上から見ている抜群のプロポーションとは異なり、驚くほど真っ平らで、おまけに女子にしては薄っすらと筋肉の筋(が浮き上がって見えた。
(待て。平ら……? いや、いくらなんでも、平らすぎないか……!?)
伍の脳内に、ものすごいスピードで冷や汗が吹き出す。
目の前の美少女・西園寺麗華は、いつもドレスの上から見事な膨らみを見せていたはずだ。
しかし今の彼女の胸元には、女性特有のふくらみが一切存在しなかった。まるで、男の胸板のような――。
その時――。
西園寺麗華――本名、西園寺奏汰<かなた>の脳内でも、人生最大の非常警報が限界突破の爆音で鳴り響いていた。
(しまっ、たあああああああ!!!!)
奏汰は、朝一番の寝惚けた頭で、誰もいないと思って大浴場にやってきてしまった。
いつもブラジャーの中に仕込んでいる「特製シリコン」を、部屋のトランクの中に忘れてきてしまったのだ。
(有栖川さんがこっちの胸をガン見してる……っ! バレる! 僕が男だってバレたら、一発で通報されて人生が終わる……っ!!)
奏汰は恐怖のあまり心臓が破裂しそうだったが、そこは血の滲むようなお嬢様特訓を経てきた身だ。
極限のパニックの中、喉の奥の筋肉を死に物狂いで絞り、完璧なソプラノお嬢様ボイスをひねり出した。
「ま、まぁ……有栖川様。私のこの『哀れな身体』を、そんなに見つめないでくださいまし……。恥ずかしいわ」
麗華は両手で自分の平らな胸元を隠すように抱きしめ、お嬢様らしく、か弱そうに視線を伏せてみせた。
「え……? 恥ずかしい、事情……ですか?」
伍が呆然と尋ねる。
「ええ……。実は私……いつもは、その、お洋服の下に『大変な補正(シリコンパッド)』をいくつも仕込んで、お嬢様としての見栄を張っていますの……。本当の私は、このように……な、なだらかな平野のようで、女性としての魅力が全くないのですわ……!」
麗華は涙目でそう言うと、恥ずかしさに耐えかねたように、顔を真っ赤にして俯いた。
(読者解説:もちろん、これは麗華(奏汰)が男の胸板を誤魔化すための、必死の嘘である)
しかし、その言葉を聞いた伍の脳内では、全く別の爆弾が爆発していた。
(そ、そうだったのか……っ!!!)
伍は猛烈な罪悪感と、深い納得感に襲われた。
思えば、これまでの数々の違和感――お嬢様にしては高すぎる身長、ナイトテーブルを片手で持ち上げる驚異の怪力、そして時折見せる少年のような男前な身のこなし。
(すべて繋がった……! 西園寺さんは、お嬢様としての完璧なスタイルを保つために、
裏で血の滲むような努力(筋トレ)をしてたんだ! だからあんなに筋肉質で、怪力だったんだな……!
女子なのに胸がないことを、こんなに1人で悩んで、パッドで隠して強がってたんだ……!)
伍は、目の前の可憐なお嬢様(※中身は男子)の「切ない秘密」を知ってしまったと思い込み、胸が締め付けられるような愛おしさを感じていた。
「西園寺様……!」
伍は一歩踏み出すと、恥ずかしそうに震える麗華の(実際は男の)手を、両手で優しく包み込んだ。
「そんなこと、全く気に病む必要はありませんわ! わたくし、麗華様のその……引き締まった、
カッコいいお身体、とっても素敵だと思います! 胸の大きさなんて、西園寺様の美しさに比べたら、些細なことですわ!」
伍のまっすぐな(裏声の)言葉に、麗華(奏汰)は呆然と目を丸くした。
(え……? 騙されてくれた……!? というか、僕のこの男の骨格を、カッコいいって言ってくれた……?)
「有栖川様……。あなたって、どこまでお優しい方なのかしら……」
麗華(奏汰)の頬が、今度は演技ではなく、本当の熱を持ってぽっと赤く染まる。
目の前の清楚で可憐な有栖川紬葵(※中身は男子)が、自分の秘密(※本当の秘密ではない)
を受け入れてくれたことが、嬉しくてたまらなかった。
「ありがとう、有栖川様。……あなたにそう言っていただけて、救われましたわ」
麗華は愛おしそうに微笑むと、包まれた伍の手を、今度はぎゅっと握り返した。
その手のひらは、やっぱり少し大きくて、お嬢様にしては力強い。
(あ、またドキドキしてきた……。ダメだ俺、西園寺さんの秘密を知ったら、ますます女の子として意識しちまうじゃねえか……!)
お互いに「自分の男の身体」を守り抜き、相手を「最高に愛おしい女の子」だと誤解したまま、2人の絆(とすれ違い)はさらに深く、甘く、加速していくのだった。

