定期試験も無事に終わり(麗華のノートのおかげで伍は赤点を奇跡的に回避した)、清泉学園には再び穏やかな日常が戻ってきた。
……はずだった。
「(……いや、絶対に何かおかしい)」
放課後の夕暮れ、生徒会室の奥にある狭い資料準備室。
皇会長の「職権乱用」によって、学園祭実行委員に任命された有栖川紬葵こと伍は、段ボール箱から資料を出しながら、隣で作業する西園寺麗華こと奏汰を横目でじっと盗み見ていた。
これまでの数々のハプニングが、伍の脳内で最悪の形で繋がり始めていた。
ナイトテーブルを片手で持ち上げる怪力。ナンパ男を威嚇した時の、あの地を這うような低い声。
温室で押し倒された時の、硬く逞しい胸板の感触。そして何より、雨の日の相合い傘で自分を抱きすくめた時の、あの圧倒的な『男の肉食獣』のような眼差し。
(西園寺さん……いくら筋トレをしてるからって、女子のレベルを超えてるだろ。
というか、あれは……男の身体、男の力、男の声だ。まさか、あいつも俺と同じ『女装男子』……なのか!?)
伍の背中に、今までとは全く違う質の冷や汗が流れる。もしそれが本当なら、自分はとんでもない修羅場にいることになる。
だが、伍の脳内を本当に狂わせているのは、「正体がバレる恐怖」ではなかった。
(もし、西園寺さんが男だとして……。じゃあ、俺がこれまでに感じてきた、あの心臓が破裂しそうなときめきは、一体何なんだよ……!?)
女の子だと思っていたから、ドキドキしていたはずだった。
なのに、「あいつが男かもしれない」と疑い始めてもなお、麗華の長い睫毛や、すっと通った鼻筋、そして自分を優しく見つめる大きな瞳を前にすると、胸の奥がギュッと締め付けられるように熱くなってしまうのだ。
(俺は……あいつが女子でも男でも、もう関係なく、西園寺麗華っていう一人の人間に……惚れちまってるのか……!?)
その頃、隣で資料をめくっていた麗華こと奏汰の脳内でも、全く同じ『地獄のパラドックス』が絶賛開催中だった。
(……おかしい。やっぱり、何かが決定的におかしい)
奏汰は、自分の完璧なお嬢様スマイルの裏で、パニックで白目を剥きかけていた。
温室で押し倒した時、咄嗟に漏れ聞こえた紬葵(伍)の悲鳴は、女子のソプラノではなく、完全に低く野太い「男の悲鳴」だった。
それに、いくら人見知りだからと言って、自分と肌が触れ合うたびに、あそこまで顔を真っ赤にして茹でダコのように硬直するのは、純粋培養のお嬢様にしては過剰すぎる、
(紬葵ちゃん……もしかして、彼女も僕と同じ『男』なのか……!?)
もしそうなら、今すぐこの女装をやめて逃げ出すべきだ。
しかし、奏汰の胸の奥にある「男としての本能」は、別の答えを出していた。
(もし彼女が男だとしても……僕は、あの時ロッカーで抱きしめた時の、彼女の……いや、彼の、甘い匂いや、触れ合って暴れる心臓の音が忘れられない。男だと疑えば疑うほど、ますます彼をこの腕に閉じ込めて、僕だけのものにしたくなるなんて……僕の理性は、もう完全に狂ってしまったのか……!?)
お互いに「相手が男かもしれない」と気づき、お互いに
「それでも、あいつが好きだ」
という臨界点を突破しかけている、究極のすれ違い空間。
ハプニングは、2人が同時に、同じ段ボール箱の底にある資料へ手を伸ばした時に起きた。ピトッ、と、お互いの手の甲が重なり合う。
「あ――」
2人は同時に息を呑み、弾かれたように顔を見合わせた。
夕暮れのオレンジ色の光が、狭い準備室に差し込み、2人の顔を至近距離で照らし出す。
いつもなら、すぐに手を引っ込めて「失礼いたしましたわ」とお嬢様の演技をするはずだった。
だが、今の2人は違った。お互いの瞳の奥にある、誤魔化しようのない『一人の男としての熱い視線』が、真っ直ぐにぶつかり合う。
(西園寺さん……お前、本当に女子なのか……?)
(紬葵ちゃん……君は本当に、女の子なのか……?)
言葉にできない疑問が、視線を通じて交錯する。それでも、重なった手は離せなかった。
離したくなかった。気づけば、麗華(奏汰)の手のひらが、ゆっくりと反転し、伍(紬葵)のゴツゴツとした、
だが愛おしい手を、指を、吸い付くように強く、深く絡ませていく。
「……紬葵」
麗華の口から漏れたのは、もうソプラノの裏声ではなかった。
低く、切なく、熱を持った、完全な『少年の地声』。
「……麗華」
紬葵もまた、お嬢様の演技を忘れ、少し低い、だが震える『本物の地声』でその名前を呼び返した。
お互いが男の声を出し、お互いが男の手で、恋人同士のように強く指を絡め合う。
自分が男であることも、相手が男であるかもしれないことも、すべてが夕暮れの光の中に溶けていく。
ただ、この手を離したくないという本能だけが、2人の身体を支配していた。
2人の顔が、吸い寄せられるように、ゆっくりと近づいていく。
男としての、本気の、熱い唇が重なり合おうとした――その瞬間。
バササササササササッッッ!!!
「――っひゃあああああああああああああああああああ!!!!!!!」
準備室のすりガラスの向こうから、人間とは思えない、限界突破した怪鳥のような絶叫と、激しい鼻血を拭うような物音が響き渡った。
ハッと我に返った2人は、大慌てで手を離し、お互いに顔を真っ赤にして飛び退いた。
「あ、あの! 紬葵! ほ、放課後の作業はここまでにいたしましょう! ごきげんようっ!」
「え、ええ! そうですわね、麗華! わたくしも戻りますわ!」
慌ててソプラノのお嬢様ボイスに戻し、逃げるように準備室を飛び出す2人。
その頃、生徒会室の机の上では、すりガラス越しに「男同士のガチの恋の始まり」
を目撃してしまった生徒会長・皇凛々様が、注射器で輸血が必要なレベルで床に崩れ落ち、歓喜の涙を流していた。
「……ああ……ああああ……ッ! なんということでしょう……! 『最高品質の百合』だと思っていたお二方が、今、完全に『最高峰のBL』の波動を放ちましたわ……! ハイブリッド……! 尊さのハイブリッドが私を殺しにきていますわ……!!私はもう、一生あの準備室の鍵を閉め切りにして差し上げますわよ……ッ!!」
お互いの正体に気づき始めながらも、芽生えた本気の恋心(ノンストップ)に抗えない男2人。
そして、それを職権乱用でさらに煽ろうとする最強のオタク・凛々様。
清泉学園の歴史を揺るがす「間違いだらけの恋」は、ついに引き返せない加速装置を踏み込んでしまうのだった。
……はずだった。
「(……いや、絶対に何かおかしい)」
放課後の夕暮れ、生徒会室の奥にある狭い資料準備室。
皇会長の「職権乱用」によって、学園祭実行委員に任命された有栖川紬葵こと伍は、段ボール箱から資料を出しながら、隣で作業する西園寺麗華こと奏汰を横目でじっと盗み見ていた。
これまでの数々のハプニングが、伍の脳内で最悪の形で繋がり始めていた。
ナイトテーブルを片手で持ち上げる怪力。ナンパ男を威嚇した時の、あの地を這うような低い声。
温室で押し倒された時の、硬く逞しい胸板の感触。そして何より、雨の日の相合い傘で自分を抱きすくめた時の、あの圧倒的な『男の肉食獣』のような眼差し。
(西園寺さん……いくら筋トレをしてるからって、女子のレベルを超えてるだろ。
というか、あれは……男の身体、男の力、男の声だ。まさか、あいつも俺と同じ『女装男子』……なのか!?)
伍の背中に、今までとは全く違う質の冷や汗が流れる。もしそれが本当なら、自分はとんでもない修羅場にいることになる。
だが、伍の脳内を本当に狂わせているのは、「正体がバレる恐怖」ではなかった。
(もし、西園寺さんが男だとして……。じゃあ、俺がこれまでに感じてきた、あの心臓が破裂しそうなときめきは、一体何なんだよ……!?)
女の子だと思っていたから、ドキドキしていたはずだった。
なのに、「あいつが男かもしれない」と疑い始めてもなお、麗華の長い睫毛や、すっと通った鼻筋、そして自分を優しく見つめる大きな瞳を前にすると、胸の奥がギュッと締め付けられるように熱くなってしまうのだ。
(俺は……あいつが女子でも男でも、もう関係なく、西園寺麗華っていう一人の人間に……惚れちまってるのか……!?)
その頃、隣で資料をめくっていた麗華こと奏汰の脳内でも、全く同じ『地獄のパラドックス』が絶賛開催中だった。
(……おかしい。やっぱり、何かが決定的におかしい)
奏汰は、自分の完璧なお嬢様スマイルの裏で、パニックで白目を剥きかけていた。
温室で押し倒した時、咄嗟に漏れ聞こえた紬葵(伍)の悲鳴は、女子のソプラノではなく、完全に低く野太い「男の悲鳴」だった。
それに、いくら人見知りだからと言って、自分と肌が触れ合うたびに、あそこまで顔を真っ赤にして茹でダコのように硬直するのは、純粋培養のお嬢様にしては過剰すぎる、
(紬葵ちゃん……もしかして、彼女も僕と同じ『男』なのか……!?)
もしそうなら、今すぐこの女装をやめて逃げ出すべきだ。
しかし、奏汰の胸の奥にある「男としての本能」は、別の答えを出していた。
(もし彼女が男だとしても……僕は、あの時ロッカーで抱きしめた時の、彼女の……いや、彼の、甘い匂いや、触れ合って暴れる心臓の音が忘れられない。男だと疑えば疑うほど、ますます彼をこの腕に閉じ込めて、僕だけのものにしたくなるなんて……僕の理性は、もう完全に狂ってしまったのか……!?)
お互いに「相手が男かもしれない」と気づき、お互いに
「それでも、あいつが好きだ」
という臨界点を突破しかけている、究極のすれ違い空間。
ハプニングは、2人が同時に、同じ段ボール箱の底にある資料へ手を伸ばした時に起きた。ピトッ、と、お互いの手の甲が重なり合う。
「あ――」
2人は同時に息を呑み、弾かれたように顔を見合わせた。
夕暮れのオレンジ色の光が、狭い準備室に差し込み、2人の顔を至近距離で照らし出す。
いつもなら、すぐに手を引っ込めて「失礼いたしましたわ」とお嬢様の演技をするはずだった。
だが、今の2人は違った。お互いの瞳の奥にある、誤魔化しようのない『一人の男としての熱い視線』が、真っ直ぐにぶつかり合う。
(西園寺さん……お前、本当に女子なのか……?)
(紬葵ちゃん……君は本当に、女の子なのか……?)
言葉にできない疑問が、視線を通じて交錯する。それでも、重なった手は離せなかった。
離したくなかった。気づけば、麗華(奏汰)の手のひらが、ゆっくりと反転し、伍(紬葵)のゴツゴツとした、
だが愛おしい手を、指を、吸い付くように強く、深く絡ませていく。
「……紬葵」
麗華の口から漏れたのは、もうソプラノの裏声ではなかった。
低く、切なく、熱を持った、完全な『少年の地声』。
「……麗華」
紬葵もまた、お嬢様の演技を忘れ、少し低い、だが震える『本物の地声』でその名前を呼び返した。
お互いが男の声を出し、お互いが男の手で、恋人同士のように強く指を絡め合う。
自分が男であることも、相手が男であるかもしれないことも、すべてが夕暮れの光の中に溶けていく。
ただ、この手を離したくないという本能だけが、2人の身体を支配していた。
2人の顔が、吸い寄せられるように、ゆっくりと近づいていく。
男としての、本気の、熱い唇が重なり合おうとした――その瞬間。
バササササササササッッッ!!!
「――っひゃあああああああああああああああああああ!!!!!!!」
準備室のすりガラスの向こうから、人間とは思えない、限界突破した怪鳥のような絶叫と、激しい鼻血を拭うような物音が響き渡った。
ハッと我に返った2人は、大慌てで手を離し、お互いに顔を真っ赤にして飛び退いた。
「あ、あの! 紬葵! ほ、放課後の作業はここまでにいたしましょう! ごきげんようっ!」
「え、ええ! そうですわね、麗華! わたくしも戻りますわ!」
慌ててソプラノのお嬢様ボイスに戻し、逃げるように準備室を飛び出す2人。
その頃、生徒会室の机の上では、すりガラス越しに「男同士のガチの恋の始まり」
を目撃してしまった生徒会長・皇凛々様が、注射器で輸血が必要なレベルで床に崩れ落ち、歓喜の涙を流していた。
「……ああ……ああああ……ッ! なんということでしょう……! 『最高品質の百合』だと思っていたお二方が、今、完全に『最高峰のBL』の波動を放ちましたわ……! ハイブリッド……! 尊さのハイブリッドが私を殺しにきていますわ……!!私はもう、一生あの準備室の鍵を閉め切りにして差し上げますわよ……ッ!!」
お互いの正体に気づき始めながらも、芽生えた本気の恋心(ノンストップ)に抗えない男2人。
そして、それを職権乱用でさらに煽ろうとする最強のオタク・凛々様。
清泉学園の歴史を揺るがす「間違いだらけの恋」は、ついに引き返せない加速装置を踏み込んでしまうのだった。

