昼休みが終わり、廊下を歩いていると、萌恵が振り返った。

「千春、写真部って知ってる?」

「写真部?」

「うん。今日、部室開いてると思うねん。和がおるで」

 和の名前に、私は少しだけ足を止めた。

「見に行くだけでもええし」

「……うん」

 放課後。

 萌恵に案内され、特別棟の二階へ向かう。

 古い木の階段を上ると、小さなプレートが目に入った。

 **写真部**

 扉は半分だけ開いていた。

「おじゃましまーす」

 萌恵が顔を覗かせる。

「お、萌恵」

 部屋の奥から和が顔を上げた。

 机には何枚もの写真が並び、窓際には一台のカメラが置かれている。

「転校生連れてきた」

「知ってる」

 和は少し笑って立ち上がった。

「……佐藤さんやんな」

「うん」

「ようこそ、写真部へ」

「いや、入部ちゃうから」

 萌恵がすかさず笑う。

 部室の空気は、教室よりずっと静かだった。

 窓から春の風が吹き込み、カーテンがゆっくり揺れる。

 壁には桜や夕焼け、淀川、京阪電車、雨上がりの商店街の写真が飾られていた。

 どの写真にも人の姿はほとんどない。

 あるのは、風景だけだった。

「全部、和が撮ったん?」

 萌恵が写真を眺めながら聞く。

「全部ちゃうけどな」

 和は一枚の写真を手に取った。

 夕暮れの淀川。

 川面が夕日に染まり、その向こうを京阪電車が走っている。

「きれい……」

 思わず声が漏れた。

「ありがとう」

 照れたように笑う和は、それ以上何も言わなかった。

 静かな沈黙が流れる。

 その空気が、不思議と心地よかった。

 私は何気なく窓の方を向く。

 春風がカーテンを揺らし、柔らかな光が部屋へ差し込んでいた。

 その時だった。

「……」

 和がカメラを手に取る。

 ファインダーを覗いたまま、少しだけ動きを止めた。

 いつもなら景色を撮る。

 人ではなく、季節や光を残す。

 それが和の写真だった。

 けれど今日は、なぜか指がシャッターから離れなかった。

 窓辺に立つ千春。

 風に揺れる黒髪。

 春の光。

 その全部が、一枚の景色のように見えた。

 理由は、自分でも分からなかった。

 ただ――。

 今、この瞬間だけは残しておきたいと思った。

 **カシャ。**

 静かなシャッター音が部室に響く。

 私は驚いて振り返った。

「……撮ったん?」

「うん」

「なんで?」

 和は少し困ったように笑った。

「分からへん」

 その答えに、私は目を丸くする。

 和は照れ隠しのように後頭部をかいた。

「でもな」

 一度、窓の外へ目を向ける。

「……今の景色、残しときたい思うてん」

 それだけ言うと、カメラを静かに下ろした。

 私も窓の外を見る。

 桜が風に揺れている。

 その景色の中に、自分もいたのだと思うと、少しだけ照れくさくなった。

 帰り際。

「また暇やったら遊びにおいで」

 和はカメラを首に掛けながら言った。

 私は小さく頷く。

「……うん」

 部室を出ると、夕暮れの廊下がやわらかな茜色に染まっていた。

 さっき聞いたシャッター音が、まだ耳の奥に残っていた。

 その音の意味を知るのは、もう少し先のことだった。