祖母の家へ来てからも、毎日のように雨が降っていた。
屋根を叩く雨音で目を覚まし、窓の外を見れば山は白く霞んでいる。湿気のせいで、むっとするような蒸し暑さが辺りを包んでいた。
母は仕事を探したり、市役所へ手続きに行ったりと毎日忙しくしていた。その間、大樹は祖母と過ごす時間が増えた。
祖母は優しかった。
けれど、一つだけ何度も口にすることがある。
「大樹。山には行ったらいけんよ」
「どうして?」
「迷うけぇ」
祖母はそれ以上、理由を話そうとはしなかった。
山は家のすぐ裏にある。
木々が生い茂り、昼間でも少し薄暗い。でも、だからと言って家とこんなに近い山でそうそう迷うとは思えなかった。
だから大樹は少し不思議に思ったけれど、「分かった」と頷いた。
祖母はそんな大樹を見て安心したように微笑んだ。
ここへ来て初めて雨が上がった日の夕方――。
縁側で祖母と二人、よく冷えたスイカを食べていると、不意に視線を感じた。
庭先で一匹の白い猫が、じっとこちらを見ていた。
「わあ……」
思わず声が漏れる。
真っ白な毛並み。左右違う色の瞳。
右は澄んだ青で、左は深い緑。その瞳が夕暮れの光を受けて、宝石みたいにきらりと輝いた。
「きれい……」
猫は逃げない。
ただ、大樹を静かに見つめている。
その時だった。
「大樹!」
祖母の鋭い声が響いた。
声の方を見ると、祖母が青ざめた顔をしていた。
視線は白猫から一瞬たりとも離れていない。
「あの猫はいけん!」
祖母は大樹の腕を掴むと、そのまま家の中へ引き寄せた。
勢いよく雨戸を閉め、震える手で鍵を掛ける。
それから神棚の前へ座ると、懸命に手を合わせた。
そのことを、帰宅してきた母へ話すと首をかしげた。
「野良猫だったからじゃない? 病気でも持ってたら大変だもの」
母の推察に、祖母は頷かなかった。大樹にも、それは違うような気がした。
翌日はまた雨で、白猫の姿はなかった。
けれど雨が止むと、どこからともなく現れ、庭へ座る。
白猫は、梅雨の晴れ間になるたび姿を見せた。
朝には畑の端で。
夕方には縁側の前で。
いつも静かに、大樹を見つめている。
「懐かれちゃったのかしらね」
美しい白猫を見て、母は笑った。
けれど祖母は、一度も笑わなかった。それどころかどんどん憔悴していくように見えて、大樹は心配でたまらなかった。
その日も、朝から降っていた雨が昼には止んでいた。
昼寝をしている祖母を起こさないよう、そっと縁側へ出る。
白猫は今日も同じ場所にいた。
「おいで」
大樹が一歩近付くと、猫は逃げる代わりに、一歩だけ後ろへ下がった。
そして振り返る。
まるで、
〝ついておいで〟
そう言っているみたいだった。
大樹がもう一歩踏み出しかけた、その時。
「大樹!」
祖母が駆け寄ってきた。
ぎゅっと抱き締められる。
いつも優しい祖母とは思えないほど強い力だった。
その身体は、小さく震えていた。
その夜。
布団へ入った大樹は、なんとなく窓の外を見た。
雨はすっかり上がり、雲の切れ間から月が顔を覗かせている。
庭先には、あの白い猫が座っていた。
青と緑。左右で違う瞳だけが、闇の中で静かに光っている。
猫は鳴かなかった。
動きもしない。
ただ雨が降り始めるまでずっと……、大樹を見つめ続けていた。
屋根を叩く雨音で目を覚まし、窓の外を見れば山は白く霞んでいる。湿気のせいで、むっとするような蒸し暑さが辺りを包んでいた。
母は仕事を探したり、市役所へ手続きに行ったりと毎日忙しくしていた。その間、大樹は祖母と過ごす時間が増えた。
祖母は優しかった。
けれど、一つだけ何度も口にすることがある。
「大樹。山には行ったらいけんよ」
「どうして?」
「迷うけぇ」
祖母はそれ以上、理由を話そうとはしなかった。
山は家のすぐ裏にある。
木々が生い茂り、昼間でも少し薄暗い。でも、だからと言って家とこんなに近い山でそうそう迷うとは思えなかった。
だから大樹は少し不思議に思ったけれど、「分かった」と頷いた。
祖母はそんな大樹を見て安心したように微笑んだ。
ここへ来て初めて雨が上がった日の夕方――。
縁側で祖母と二人、よく冷えたスイカを食べていると、不意に視線を感じた。
庭先で一匹の白い猫が、じっとこちらを見ていた。
「わあ……」
思わず声が漏れる。
真っ白な毛並み。左右違う色の瞳。
右は澄んだ青で、左は深い緑。その瞳が夕暮れの光を受けて、宝石みたいにきらりと輝いた。
「きれい……」
猫は逃げない。
ただ、大樹を静かに見つめている。
その時だった。
「大樹!」
祖母の鋭い声が響いた。
声の方を見ると、祖母が青ざめた顔をしていた。
視線は白猫から一瞬たりとも離れていない。
「あの猫はいけん!」
祖母は大樹の腕を掴むと、そのまま家の中へ引き寄せた。
勢いよく雨戸を閉め、震える手で鍵を掛ける。
それから神棚の前へ座ると、懸命に手を合わせた。
そのことを、帰宅してきた母へ話すと首をかしげた。
「野良猫だったからじゃない? 病気でも持ってたら大変だもの」
母の推察に、祖母は頷かなかった。大樹にも、それは違うような気がした。
翌日はまた雨で、白猫の姿はなかった。
けれど雨が止むと、どこからともなく現れ、庭へ座る。
白猫は、梅雨の晴れ間になるたび姿を見せた。
朝には畑の端で。
夕方には縁側の前で。
いつも静かに、大樹を見つめている。
「懐かれちゃったのかしらね」
美しい白猫を見て、母は笑った。
けれど祖母は、一度も笑わなかった。それどころかどんどん憔悴していくように見えて、大樹は心配でたまらなかった。
その日も、朝から降っていた雨が昼には止んでいた。
昼寝をしている祖母を起こさないよう、そっと縁側へ出る。
白猫は今日も同じ場所にいた。
「おいで」
大樹が一歩近付くと、猫は逃げる代わりに、一歩だけ後ろへ下がった。
そして振り返る。
まるで、
〝ついておいで〟
そう言っているみたいだった。
大樹がもう一歩踏み出しかけた、その時。
「大樹!」
祖母が駆け寄ってきた。
ぎゅっと抱き締められる。
いつも優しい祖母とは思えないほど強い力だった。
その身体は、小さく震えていた。
その夜。
布団へ入った大樹は、なんとなく窓の外を見た。
雨はすっかり上がり、雲の切れ間から月が顔を覗かせている。
庭先には、あの白い猫が座っていた。
青と緑。左右で違う瞳だけが、闇の中で静かに光っている。
猫は鳴かなかった。
動きもしない。
ただ雨が降り始めるまでずっと……、大樹を見つめ続けていた。



