お父さんが帰ってきてすぐだけど、わたしは今日から一週間家にいない。
今日は七月二十五日。強化合宿当日だ。
終業式が終わったら、ジャージに着替えてから積み込みをして、早めのお昼ご飯。今日は高等部と大学の食堂が開放されているから、A組のみんなで食べた。
お昼を食べ終わったら、時間までに班ごとに指定されたバスに乗る。
用意されたバスは四台だったから、十人いるクラスメイトのうちの誰かとは同じバスで近い座席になれるかなって思ってたけど、わたしは一番後ろの席。
同じバスになった桐谷くんの近くだといいな。あ、桐谷くんっていうのは同じクラスの男の子。桐谷悠人くん。なんと超売れっ子の芸能人なんだ。
学生たるもの遊ぶべしっていうのが事務所の方針だから、学校にいる時間は長いんだけどね。
その桐谷くんは乗り物酔いするから一番前。他は皆違うバス。
なんて不運……。
救いだったのは同じ班の一人、日野さんも乗り物酔い体質だったこと。
永塚さんが残ったもう一人の前田さんと二人席に座ったからわたしに無関心な、別の班の子と隣同士になれたことだった。
その子はイタリア語の実践会話についてヘッドホンをしながら勉強してた。英語じゃないってことは趣味か、留学とか考えてるのかな。
音漏れもしてこないから、わたしも配信者さんがやってる英語ラジオを聴きながら自分の勉強をして過ごした。
もうずっとバスの中でいいかも……と思ってしまったけど、合宿所は山の方とはいえ隣の県。サービスエリアでの休憩をはさんでも、三時過ぎには到着してしまった。
ここから宿舎に荷物を置いて、貴重品を持った状態で四時に広場集合。そこからバーベキューの予定だったはず。
バーベキューは班ごとのテーブルが用意されてないから誰と食べるかは自由だったかな。
永塚さんたち三人の可愛いキャリーケースの横に、お父さんからゆずってもらったスーツケースを置く。
「ねえ、ちょっと近くに置かないでよ」
「メイたちのまでおじさん臭くなるじゃない」
「これだから地味子と相部屋はイヤなのよね」
あ……。
「ご、ごめんなさい……」
これはお父さんが初めて海外でお仕事をしたときに買ったもの。当時お父さんは大学生だったから、二十年近く前のものだった。
キャスターは新しいものに変えてはいるけど、せいじ色ベースでジッパーがたまご色のスーツケースはよく言えばレトロ、はっきり言ってすごく古そう。
色あせているし、小さな傷に入り込んだ汚れも目立つ。
わたしはちょっと古い感じが好きで使ってたんだけど、やっぱり抵抗あるよね……。
少し離した位置に置いて、バスで使ったブランケットで軽く目隠し。
先に行ってしまった永塚さんたちを追いかけて、貴重品カバン片手に部屋を飛び出した。
広場は時間まで二十分以上あるのに、生徒でいっぱいになっていた。
A組のみんなはどこかな……。
「空」
キョロキョロ辺りを見回していると、秦くんがわたしを見つけてくれた。桐谷くんと斎藤くん、知らない男子生徒が三人。
「一人?」
「うん。みんなには先に行ってもらってたんだ。わたしとは食べないと思うしね」
余計な心配をかけたくないから置いていかれた、とは言わなかった。
もし待ってもらって一緒に向かったとしても、わたしにとって居心地のいい場所にはならなかっただろうし……。
「班の人と一緒に食べないなら、俺のとこおいでよ。俺の班員もいるけど、椋と悠人もいるから」
「斎藤くんと桐谷くんも? わたしが割り込んじゃって大丈夫?」
「ぼくは平気だよ」
「僕も構いません。バスでの様子を見たところ、あまり班員と上手くいっていないのでしょう?」
えっと……桐谷くん、今その話をするのは……。
「悠人、その話くわしく聞かせて」
秦くんは優しいからこうなっちゃうの……! 大事じゃないのに大事になっちゃうよ……。
「だ、大丈夫だよ。今回は違うクラスの人と交流するのが目的でもあるし、頑張れるから」
「……上手くいっていないことは、否定しないのですね」
「うっ……」
「空。前にも言ったけど、俺はいつでも空の味方でいたいんだ。なにもわからなければ、どうしようもできない。話したくないなら無理に聞かないけど、まだ頑張れるって自分に言い聞かせるくらいなら俺を頼ってほしい。いい?」
「う、うん」
秦くんを頼る……。
簡単なようで、すごく難しそうだ。
秦くんを信じられないとかじゃなくて、こんな小さなことで迷惑をかけるのは申し訳ないというか……。
優しい秦くんはきっと迷惑とは思わない。逆の立場でも、わたしは秦くんを迷惑とは思わない。
だけど、下がってしまった自己肯定感がどうしても頼ることを怖がってしまうのだ。なにかあってからじゃ遅いとわかってはいるんだけど……。
「さ、早く行こう。はじの席取られちゃう」
しゅん、となってしまったわたしの手を取って、切り替えるように秦くんが言った。
こんな人を困らせてしまうなんて、わたしはなんてダメな子なんだ
「ろっ……!」
手を引かれながらネガティブな気持ちになっていると、後頭部に思いっきりチョップが飛んできた。
「え……?」
「悠人、今なにした?」
混乱するわたしと、犯行現場を見ていないのに桐谷くんを犯人と断言する秦くん。
キョトンとしたように瞬きをした桐谷くんは、悪びれる様子なく「チョップですが」と答えた。
「今日の朝食は?」「パンです」みたいなテンション感で。
「理由によっては絶交二ヶ月の刑」
「……恋人といるのにネガる方がいけないのです」
お人形さんみたいにきれいな顔を惜しみなく歪めて、桐谷くんがわたしを指差した。
なんか責められてるんだろうけど、単語の意味がわからなくて全く理解できない……。
「ねがる……? って、なに?」
「ネガティブ思考になってますよってことです」
ああ〜、なるほど。
……うん?
「な、ななななんっ」
なんでわかったの!? 桐谷くんわたしの後ろにいたよね!?
「いいですか牧野さん。自分を卑下するということは、自分を好いてくれている宗介や友人を侮辱しているということです。反省は人を成長させますが、自分をダメだと思い込むことは精神を病ませます。わかったら返事、はい」
「は、はい……!」
肩が砕けるんじゃないかってくらい強くつかまれて、静かにすごまれる。
敬語なのにとてつもない圧を感じる。いや、敬語だからこそなのかな。
わたしは引きつる口角を無理やり上げてブンブンと首を縦に振ることしかできない。
「絶交二ヶ月は見送るよ。だけど、空に触れる権利はあげてないから」
「見送り?」
「撤回!」
絶交二ヶ月の刑を撤回してもらって、満足そうに頷く桐谷くん。前にツンデレだって聞いたけど、こうやって見るとデレが八割くらいを占めてる気がするな。
チョップされて、頭の中でぐるぐるしていたネガティブな気持ちが薄くなった。
バーベキューが終わったら今の状況と、自分がどう対処したいのか秦くんに話してみよう。

