「……という訳で、今に至ります。」
「…………」
黒縁眼鏡の奥で目を見開き、無言で話を聞いてくれた彰良へと葵は苦笑を向ける。
「要するに、黒木さんにとって私は賭けの対象でしかないんです。
彼にとって重要なのは、三ヶ月以内に私とセックス出来るかで……」
「どうして怒らないんですか?」
「え……?」
無言を貫いていた彰良の言葉に、葵は一瞬だけ戸惑う。
「…………アイツ、殴ってやれば良かった……」
「え、あの……犬飼君?」
眉を寄せて不快感を顕にボソリと呟かれた彰良の言葉は、葵には聞き取れなかった。
「はぁ……立花先輩、危機感はありますか?
推測ですが、先輩の話からするとそろそろ三ヶ月が経つのでは?」
「そうですね。
ちょうど明後日の金曜日で三ヶ月らしいですよ。」
「……待ってください。
その日は兼子さんが幹事で、総務と営業の若手を集めて親睦会とか言ってませんでしたか?」
まさか参加しませんよね?、と目線だけで問い掛ける彰良へ葵はニッコリと笑顔を返す。
「バッチリ参加する予定です。」
「そうですよね、流石に参加しません……は?」
「参加しますよ。」
「っ……自分から罠に飛び込んでどうするんですか?!」
ガタリと音を立てて立ち上がった彰良に、葵は苦笑してしまう。
「他人の気持ちを弄ぶ真似をする下衆共ですよ?
黒木(アイツ)だけじゃなくて周囲も先輩の味方ではない可能性の方が高いのに、無謀な真似はやめるべきです!」
「(ゴールデンレトリバーが飼い主に危害を加えられて怒ってる……。
なんか……意外だなぁ。
犬飼君って、もっと他人に興味がない人種だと思ってた……。)」
自分をもっと大切にしてください、と頭を抱える彰良を見て、葵はぼんやりと考える。
「……本当に……何でそこまで馬鹿にされて怒らないんですか……?
自分が先輩の立場なら、怒りに任せてぶん殴るくらいしますよ……」
怒りも悲しみも出さず、感情を表に出さない葵を見て、彰良は脱力して椅子に座り込む。
「……泣いても、怒っても、相手を楽しませるだけですから。
感情を見せた方が、面白がられる……。」
過去の経験が葵に語り掛ける。
「現実なんて……そんなものですよ。
綺麗に整えられたお伽噺みたいに、都合のいい王子様や魔法使いなんて現れない。」
傷付いた心を抱えて泣いて、苦しんで……葵が閉じこもっていても、現実は変わらなかった。
アイツラは嗤って今を楽しんでいた。
「だから……強くなるしかないのよ。
何があっても、笑って吹き飛ばせるように。」
この先の未来を自分の足で立って歩けるように。
「私はシンデレラのガラスの靴はいらないわ。
自分の未来くらい自分で掴むって決めたから。」
強くなると決めても……血をにじませ、痛む心を抱き締めて。
「あんなヤツらに負けたくないの。」
「……っ……」
晴れやかとは言えない。
痛みを引きずってなお、強く立とうと微笑む葵の姿に魅了され、彰良は頬を微かに染めて言葉を失う。
「なんて、格好良く言ってみたけどダメダメなんですけどね。」
彰良へと誤魔化すように微笑む。
葵は自分のデスクの上にあった書類の束へと手を伸ばす。
「……つまらない話に付き合わせて、ごめんなさい。
もう一時間くらい付き合って貰ってますし、そろそろ犬飼君も帰った方が……」
「最後までお付き合いさせて下さい。
……あんな話を聞かされて、一人になんて出来ませんから。」
華乃が残していった書類のチェックを始めた葵の横で、彰良がチェックの終わった書類をまとめ始める。
「あと、自分も金曜日の親睦会には参加しますので。」
「…………ありがとう」
不器用な彰良の優しさを感じ、葵は素直に微笑むのだった。
