美桜の住むマンションの下。
恭司はその場をまだ動かずにじっと階上を見上げていた。
「あいつ、ちゃんと社長命令は聞くよな?」
――うっかり外に放り出して、もう二度と自分の元へ帰って来なくなったら困る。
だから、本心では自分のマンションから帰したくなかったのだが、美桜から嫌われるのは避けたかったので、ちゃんと彼女の願い通りに従ったのだ。
親に従順に育ったタイプだと話していたし、流されやすくはあるものの、ここぞという時は、しっかり意思表明はしてくれる。ふわふわしながらも、芯のある大人の女性へと花開こうとしているのが、恭司の目には眩しく映った。
(それにしたって、あいつもそんなに幸せな家庭では育ってなさそうだったな)
だからこそ、彼女は「幸せな家庭」への憧れがあるのだろうか?
美桜が黒猫ミオとじゃれている姿を思い浮かべると――なんだか胸が苦しくなってくる。
彼女のそばで過ごせたら、きっと幸せになれるかもしれない。
黒猫ミオだって、いつかできる彼女の子どもだって、幸せになれるだろう。
――それに恭司自身も。
「ガラじゃないし、向いてないのは分かっているが……」
ドクン。
唐突に過去の出来事が脳裏を過る。
『恭司、あんたは父親にそっくりや、可愛ない』
白猫を抱いた女性。
けれども――。
すぐに、黒猫ミオを抱いている美桜の姿に塗り替えられる。
『恭司さんも一緒に頑張りましょうね』
同じ猫を抱いている女性なのに――なんて心の綺麗な女性なのだろうか?
自分も美桜やミオが群れている中に入れたら……。
そこまで考えて、恭司は頭を振った。
「本当に、らしくないな」
だけど。
自分らしくないと思うのに。
どうして、こんなにも、まだ色んなことに希望が持てた少年のような心を抱いてしまうのだろうか?
「さすがにそろそろ帰るか」
マンションの住人たちが通りがかって、恭司のことをチラチラ見ていた。
建物から離れると、少しだけ歩く。
大通りへと出ようとした時。
一瞬だけ、見知った人物の姿が横切った気がした。
恭司は勢いよく振り返る。
「順一?」
だが、誰もいなかった。
「気のせいか」
こんな場所に順一がいるはずがない。
婚約者と破談になったらしい異母弟――新宮順一。
「そういえば、あいつと同じ会社だったな」
新宮傘下の会社とは関わりたくはない。
だが――美桜に関しておかしな噂を流した相手のことが、正直なところ気になっている。
「調べてみるか」
――美桜の憂いは払ってやりたい。
恭司はスマホを取りした。
「そういやあ、あいつの連絡先を聞いてなかったな」
明日、また一緒に食事をとった時にでも尋ねてみよう。
恭司は自然と頬が緩んでいる自分に、まだ気付けていないのだった。


