しばらく経って、顔から火が噴き出るぐらい恥ずかしくなってしまった。慌てて両手を左右に振って誤魔化しながら早口で返す。
「いいえ。気になさらず。その、自殺志願者じゃなくて良かったです! それでは」
ひとまずその場をUターンして逃げ帰ろうとしたのだが……。
ガシリ。
「ひえっ……?」
突然、細い手首を大きな手でがっしりと掴まれてしまった。
おそるおそる背後を振り返る。
その場を立ち去りたかったのだが、まさか美青年に手をがっちりと掴まれて、引き留められてしまっているではないか。
彼の漆黒の瞳がこちらをじっと見下ろしてきていて、なんだか居心地も悪かった。
「あ、あの……」
少しだけ肩を動かせば、厚い胸板に触れそうなぐらいの至近距離に美青年が立っている。
彼から握られた手首が熱くて仕方がない。
異性にこんな風に距離を詰められたことなど皆無に等しい。
美桜はなんだか恥ずかしくなって顔が真っ赤になってしまった。
目に穴があきそうなぐらいに、ジッと見つめられてしまっている。しかも、モデルもかくやといった雰囲気の美青年なのだ。
(なんでこの人、こんなに私のことを見てくるの? それに、すごく距離が近くて恥ずかしい)
いよいよ心臓がドキドキして落ち着かなくて、はち切れんばかりだ。
カラカラに渇いた唇をなんとか開く。
「何か御用でしょうか?」
ドキドキしながら相手の反応を待った。
すると。
美青年が砕けた口調で話しかけてくる。
「俺を見て自殺志願者に見えるとは――変わった女だな」
「へ?」
「なあ、あんた、見たところ、海外旅行に慣れてないと見える」
「え?」
「しかも、どうやら世間知らずのようだ」
「はい?」
思いがけない発言の連続だったので、美桜は目を真ん丸に見開いてしまった。
同じ日本人相手に嘘を吐いたところで一緒だろう。美桜は正直に答えることにした。
「それはそうですね。海外旅行は初めてなので」
すると、美青年が唇の端をゆるりと吊り上げた。イタズラを思いついた少年を思い起こさせる表情だ。
「ふうん、やっぱりそうか」
品定めでもしているのだろうか?
美青年から頭の上から足先までジロジロと眺められると、美桜は冷や汗をかいてしまった。
「な、なんですか?」
同じアジア系の人物だからと油断してしまったかもしれない。
怖い人に話しかけてしまったのだろうか?
(どうしよう、麻薬の密売人とか臓器を売る人とかだったら……)
急に不安が押し寄せてくる。
逃げないといけない。
けれども、手首を掴んでくる美青年が手の力を緩めてくる様子はない。
そうして。美青年が首を傾げてきた。サラリと黒髪が揺れ動く。
「なあ、あんた、俺を泣かした責任とってくれよ」
「え?」
美桜の真ん丸な瞳の中には――美青年の傲岸不遜な笑みが映った。
ちょうどその時。
――にゃお。
一匹の猫が橋の欄干の上に飛び乗ると、二人のそばを横切る。
まさかこの時の名も知らぬ美青年――御影恭司との出会いが――自分の運命を大きく変えることになるなんて、この時の美桜は思ってもみなかったのだった。


