咲夏の前を去り、自分の教室へと向かってひとり静かな廊下を歩いていた怜は、ふと足を止めた。
窓から差し込む初夏の眩しい光のなか、脳裏に鮮烈に浮かび上がってくるのは、先ほどまで目の前にいた彼女の姿だった。
「……馬のしっぽみてぇ」
ぽつり、と。
ぶっきらぼうな呟きが口からこぼれ落ちる。
いつもはお洒落に巻き上げられているピンクベージュの髪を、今日は体育祭のために、高い位置できゅっと結い上げていた咲夏。
その新鮮すぎるポニーテール姿が、そして自分に向かって無防備に、濁りのない瞳で「ありがとう」と笑いかけてきたあの顔が、どうしても頭から離れなかった。
怜は自分の前髪を乱暴にかき上げると、誰もいない廊下の壁に小さくおでこを打ち付けた。
「俺……ちゃんと、"いつも通り"だったよな……?」
中庭でのあの通り雨のあの日から、何かがおかしい。
あいつは親友の冬弥が誰よりも一途に恋い焦がれている相手で、自分はただの『共犯者』みたいなもので、アドバイザーなのだ。
それなのに、咲夏の笑顔を見るだけで胸の奥がざわざわと波立ち、先ほど彼女の顔を覗き込んだときなんて、心臓がバカみたいな音を立てていた。
自分の不器用すぎる変化に戸惑うように、怜のちらりと髪から顔を出す耳元は、じわじわとゆっくり赤色に染まっていく。
冬弥のためにと、からかうようなセリフで必死に隠した、誰にも言えない小さな、けれど確かな恋心。
「バッカじゃねーの…」
廊下に切なく響く、怜の独り言は窓から吹いた生温い初夏の風が包み込んでさらっていく。
――けれど、そんな怜の切ない呟きに、咲夏が気づくはずもなかった。
「あーもう、ご飯ちゃんと食べてるかな、なんて……!冬弥くん、本当に私のこと心配してくれてたんだ……っ」
廊下の窓際、咲夏は未だに熱を持った自分の両頬をパタパタと仰ぎながら、完全に冬弥のことで頭がいっぱいになっていた。
怜が少しだけ耳を赤くして去っていった理由なんて、中身が純情陰キャな咲夏にはこれっぽっちも伝わっていない。
ただただ、怜が届けてくれた『冬弥の裏話』の甘すぎる威力に、脳内がノックアウトされているだけだ。
カバンの中の恋愛成就お守りが揺れ、そして繋がれた手のひらの残像。
親友の怜が、自分のポニーテール姿に胸を焦がし始めていることなんて露知らず、咲夏は大好きな冬弥へと向かう一途な恋心をさらに自覚させ、体育祭という恋の最大の大舞台へと、真っ直ぐに突き進んでいくのだった。



