あの階段での心臓が爆発しそうな特大ハプニングから、一夜が明けた。
咲夏は朝から授業中もずっと、自分の身体を優しく、けれど力強く抱きとめてくれた冬弥の腕の感触を思い出しては、顔を赤らめて悶絶していた。
(あーもう、本当にどうしよう……。これじゃあ、まともに冬弥くんの顔みれないよぉ……っ)
そんな風に2時間目の休み時間、廊下の窓際でひとり頭を抱えていた咲夏の前に、ザッ、と大きな影がすとんと落ちてきた。
「お前、昨日冬弥に助けられたらしいじゃん」
不意に降ってきた、低くて気怠げな、けれど最高に聞き覚えのある毒舌のトーン。
咲夏が驚いて顔を上げると、そこにはポケットに両手を突っ込んだまま、口元を「ニヤリ」とこれ以上ないほど意地悪く歪めた怜が立っていた。
「あ、佐藤くん……っ!」
咲夏は一瞬だけ、身体をこわばらせた。
京都のあの雨の竹林で、冬弥に強引に連れ去られて以来、怜とはこれが初めてのまともな会話だったからだ。
あの時、怜が自分の髪を耳にかけてくれたあの少し切なげな空気感のせいで、もしかしたらすごく気まずい関係になってしまったのではないかと、咲夏は内心ずっとハラハラと心配していたのだ。
けれど、目の前にいる怜の表情には、そんな気まずさなんて微塵も存在しなかった。
今はただただ、咲夏をからかうことを全力で楽しんでいる、いつもの「ツンデレな共犯者」の顔がそこにあった。
「……何よ、そのニヤニヤ顔。佐藤くんには関係ないでしょっ」
咲夏がぷっと頬を膨らませて抗議すると、怜はさらに楽しそうに鼻で笑う。
「は?大いに関係あるね。アイツ、部活の部室に戻ってくるなりさぁ、『安達さん、まじで軽すぎて驚いた。ちゃんとご飯食べてるのかな……』って、お前がちゃんと飯食ってるか本気で心配してたぞ?」
「ええっ!? と、冬弥くんが……そんなことを……っ!?」
不意打ちで届けられた冬弥からの過保護なメッセージに、咲夏の脳内パニックメーターは早くも限界を突破しかけた。
今日も可愛いく丁寧に仕上げたメイクの上からでもハッキリと分かるくらい、一瞬にして顔が真っ赤っ赤に染まっていく。
「あはは!分かりやす。本当お前、昨日からずっと顔がりんごみたいに赤いんだけど」
怜は長身を少しだけ屈め、耳まで真っ赤にしている咲夏の顔を覗き込んで呆れたように笑う。
「めでてーギャル。……まぁ、気にしてんなら今度、お前の好きそうな甘いジュースでもアイツに奢らせるこったな」
ぶっきらぼうにそれだけを言い残し、怜は「じゃーな」とひらひら手を振って、だるそうな足取りで自分の教室の方へと去っていった。
廊下にひとり残された咲夏は、熱を持った自分の頬を両手でパタパタと仰ぎながら、ふっと心の底からホッとしたような優しい笑みをこぼしていた。
(よかった……。佐藤くん、京都のあとの事、全然気にしてないみたい……!)
心配しなくてよさそうな怜のいつもの雰囲気に、咲夏は心底安心していた。
それどころか、冬弥が裏で自分のことをどれだけ大切に、そして真剣に心配してくれていたのかを、こうして不器用ながらに教えてくれる。
なんて最高で心強い味方を持ってしまったのだろう。
カバンの中の恋愛成就お守り、そして怜が教えてくれた、冬弥の優しい『咲夏への心配』。
体育祭本番に向けて、ネガティブだった咲夏の胸の内には、いつの間にか、青空のようにどこまでも眩しくて熱いきらきらとした勇気が、もう一度満ちあふれようとしていた。



