「だって……そんなこと言われたら……っ」
咲夏が真っ赤な顔でなんとか言葉を続けようとした、まさにその瞬間だった。
階段の上から、部活動の大きな荷物を抱えた他クラスの生徒が、足元を狂わせてバランスを崩しながら降りてきた。
その身体が、コーンを抱えて立ち止まっていた咲夏の肩へと軽くぶつかる。
「え……っ!?」
不意の衝撃に、咲夏の身体がふわりと宙に浮いた。
後ろは、何段もある硬い階段。
バランスを完全に失い、咲夏の視界がゆっくりと、まるでスローモーションのように大きく揺れながら後ろへと傾いていく。
「安達さんっっっ!!!!」
鼓膜を裂くような、必死の形相を浮かべた冬弥の叫び声が聞こえた。
咲夏はあまりの恐怖にギュッと目を瞑り、これから訪れるであろう激しい衝撃に身を強張らせた――。
――だけど。
いつまで経っても、硬い地面に叩きつけられるような痛みはやってこなかった。
代わりに咲夏の身体を包み込んだのは、驚くほど強くて、温かい、誰かの大きな身体の感触だった。
おそるおそる咲夏が目を開けると、すぐ目の前に、息が触れ合いそうなほどの至近距離で冬弥の真っ直ぐな瞳があった。
冬弥はとっさに片方の手で階段の手すりをがっしりと掴み、もう片方の逞しい腕で、咲夏の身体を壊れ物を扱うかのようにギュッと強く抱きとめていたのだ。
カラーーーン、カラン……。
咲夏の手からこぼれ落ちた赤いコーンが、階段の下へと転がり落ち、静かにゆらゆらと揺れる音だけが響き渡る。
冬弥は激しく肩を揺らしながら、腕の中にいる咲夏を少しだけ心配そうに覗き込んだ。
「……っ、大丈夫?」
「あ……、え……っ」
咲夏はあまりの衝撃に頭の理解が全く追いつかず、ただただ目を丸くして固まることしかできない。
(えええええええええっ!?!?わ、私、いま、冬弥くんに……抱きとめられてるぅぅうううっ!?!?)
中身が純情陰キャな咲夏の脳内パニックメーターは、一瞬にして測定不能の爆発を起こした。
冬弥のTシャツ越しに伝わってくる、ドクドクと速い鼓動。
それが彼のものなのか自分のものなのかすら分からない。
「あ、あのっ!本当にすみませんっ、前が見えなくて……っ!すみませんでしたぁぁあ!」
ぶつかってきたのは1年生の男子生徒だったらしく、青ざめた顔で何度も頭を下げながら大急ぎで去っていった。
冬弥はそれを見届けたあと、手すりから手を離し、ゆっくりと咲夏の身体を床へと立たせてくれた。
「ふぅ……危なかった。本当に……無事で良かったぁ……」
冬弥は心底安心したように大きく息を吐き、いつもの優しい笑みを浮かべる。
咲夏は冬弥の服越しに伝わる広い胸板にまだ自分の両手が触れていることに気づき、慌てて手を引っ込めながら、顔から火が出るほどの羞恥心に溺れた。
「あ、あ、ありがと……っ」
「全然!いや、まじで一瞬心臓止まるかと思ったわ」
冬弥はケラケラと爽快に笑ってみせるが、その額には微かに冷や汗がにじんでいる。
本当に自分のことを必死に助けてくれたのだ。
咲夏は恥ずかしさから少しだけ冬弥から距離を置くと、モジモジしながらピンクベージュのポニーテールを揺らした。
「ご、ごめんね……。私、重たかったでしょ……っ?」
「いや、全く。むしろ軽すぎて驚いたわ。安達さん、ちゃんとメシ食べてる?」
どこまでも自然体でおかしそうに笑う冬弥。
けれど、今の咲夏には、これ以上彼の眩しすぎる笑顔を見つめ続けるだけの気力は残されていなかった。
お揃いの桃サイダーのときよりも、竹林のときよりも、今のが一番距離が近くて、一番心臓に悪かった。
「あ、あのっ!私、まだこれからコーン運ばなきゃだからっ! ごめんね、またねっっっ!」
咲夏は真っ赤な顔を隠すようにして、階段の下に転がっていたコーンをものすごい勢いでひっつかんだ。
そして、冬弥の返事を待つこともなく、脱兎のごとく廊下の向こうへと走り去ってしまった。
「え!?あ、安達さん……っ?」
太陽が傾きかける階段の踊り場で。
ひとり置いてけぼりになった冬弥は、小さくなって遠ざかっていく咲夏の後ろ姿を驚いたように見送り、そして抱きとめていた手をどこか名残惜しそうにゆっくりと見つめるのだった。



