冬弥は咲夏の手を強い力で握りしめたまま、通り雨に濡れる竹林の小道を、ただひたすらに早足で戻っていった。
普段の彼からは想像もつかない強引な足取りに、咲夏は目が回りそうなパニックを覚えながら、必死に声をかける。
「冬弥くんっ……!?待って、待って……っ!」
後ろをただ付いていくことしかできず、息を弾ませながら懇願した。
「冬弥くん!?ちょっと歩くの早いよっ……!」
「――っ」
咲夏の必死な声に、冬弥ははっと我に返ったように急に足を止めた。
ゆっくりと振り返った彼のジャージの肩は、雨の雫で少しだけ色を濃くしている。
冬弥は咲夏の手を握ったまま、申し訳なさそうに眉を下げた。
「あっ……ごめん。痛かった?」
「ううん、大丈夫……」
咲夏は首を横に振ると、冬弥の友情にこれ以上ヒビが入るのを防ぎたくて、一気に言葉をまくしたてた。
「あの、戻るのが遅くなって本当にごめんね!でもね、佐藤くんは全然悪くないの!私が、私のわがままに佐藤くんが付き合ってくれただけで……」
「なんで?」
言い訳を重ねる咲夏の言葉を、冬弥の低く冷ややかな声が容赦なく遮った。
咲夏は驚いて、喉の奥の言葉を引っ込めて完全に固まってしまう。
「なんで……、そんなに怜を庇うの?」
冬弥の瞳には、これまでに見たこともないほどの深い『切なさ』と焦燥が滲んでいた。
大好きな人が見せたことのない、泣き出しそうなほど真剣な表情。
咲夏は「えっと……」と言葉に詰まり、真っ赤になっていく顔を隠すようにして、思わず視線を斜め下へと落としてしまう。
視線の先、いまだに冬弥の大きな手のひらが、自分の右手をぎゅっと包み込んでいるのが嫌でも目に入った。
繋がれた場所が熱くて、恥ずかしさで頭がどうにかなりそうになる。
咲夏はなんとか声を絞り出した。
「あの……、冬弥くん……。手、……」
「離さないよ」
一秒の躊躇も、一切の迷いもない即答。
冬弥は咲夏の手をさらにきゅっと握り直すと、逃げることを許さないような真剣な顔で、彼女の瞳をじっと見つめ続けた。
「離さない。……だって、離したら、またどこか行っちゃうでしょ」
「でも……っ、誰かに、見られるかも……っ!」
校外学習の班行動中だ。
知華や那智、新がいつこの小道の奥から現れるかも分からない。
パニックで泣きそうになる咲夏に対し、冬弥は真っ直ぐに彼女の顔を覗き込んだ。
「関係ないよ、そんなの。誰に見られたっていい」
「……っ!」
関係ない、なんて。
そのあまりに男らしくて直球すぎる独占欲に、咲夏は言葉を失い、顔を真っ赤に染め上げたままで冬弥を見つめ返すことしかできない。
呼吸の仕方さえ忘れてしまうほどの静寂。
すると、冬弥は繋いだ手に微かに力を込め、胸の奥に隠していた一番聞きたかった、一番恐れていた質問を静かに口にした。
「安達さんは……、怜のことが好きなの?」
ハラハラと、ふたりの頭上を濡らしていた通り雨が、嘘のようにゆっくりと上がり始める。
雲の隙間から、初夏の柔らかなきらきらとした光が差し込み、風が優しく青々とした竹林をサラサラと揺らした。
時間が完全に止まってしまったかのように、咲夏は限界まで目を見開いたままフリーズする。
(どうして……?どうして冬弥くんは、そんなことを聞くんだろう……?)
硬直している短い時間のなか、咲夏の頭の片隅で、そんな淡い疑問がシュワシュワと微炭酸のように弾けた。
みんなに平等に優しいはずの、学校一の爽やか王子。
その彼が、どうして自分の恋愛事情に、ここまで必死に、こんなに傷ついたような顔をして踏み込んでくるのか。
――けれど、次の瞬間。
咲夏はさっと現実に引き戻された。
ここで曖昧な返事をしたら、取り返しのつかない大誤解に発展してしまう。
中身が純情陰キャな咲夏は、全身の力を振り絞って、はっきりと、真っ直ぐに冬弥の瞳を見つめて答えた。
「え!?違う違う!!全然違うよっ!佐藤くんとは、ただのクラスメイトで……友達だよっ!」
京都の美しい竹林の真ん中、雨上がりの光に照らされて。
咲夏の全力の否定を聞いた冬弥の瞳に、ほんの少しだけ、張り詰めていた緊張が融けていくような光が灯る。
ふたりの繋がれた手は、まだ温かい熱を持ったまま、離れることなく結ばれている。



