「――冬弥でいいよ」
白桃タピオカのカップを持ったまま、不意に咲夏の方をちらりと向いて、彼は何でもないことのようにさらりと笑った。
「えっ……!?」
あまりに突然の不意打ちに、咲夏の思考は完全に停止する。
冬弥は少しだけ視線を泳がせながら、照れ隠しのように自分の首の後ろを軽くかいた。
「まぁー、せっかく同じクラスになったんだしさ。いつまでも名字で『観月くん』ってのも、なんか呼びにくいっしょ?」
「あ、う……」
名字で呼ぶのが、呼びにくい。
そんな彼の言葉が脳内で再生された瞬間、咲夏の心の中は最大級のパニックの嵐に見舞われていた。
(えええええええええっ!?!?き、急に名前呼びの提案キターーーーッ!?!?ちょっと待って、さすがにハードル高すぎるんですけどぉおおおおお!!)
見た目はイケイケの白ギャル?しかし、男子を下の名前で呼んだ経験など人生で一度もない、生粋の純情陰キャ女子である。
心臓がこれまでにない猛スピードでドラムを叩き始める。 けれど、ここで断るなんて選択肢、あるわけがなかった。
咲夏は沸騰しそうなほど赤くなっていく顔を必死に伏せながら、消え入りそうな声で絞り出した。
「あ、えっと……じゃあ、、、トウヤ、クン、で……」
「はは!なにそれ、めっちゃカタコトじゃん~!」
緊張のあまりロボットのようになってしまった咲夏がおかしいのか、冬弥は目元を細めて楽しそうに声をあげた。
そんな咲夏の初々しい反応に、さらに拍車をかけるように、冬弥は少しだけ声を弾ませて続ける。
「じゃあ、俺も安達さんのこと、下の名前で呼ん――」
「ダメダメダメ、ダメーーーッ!!」
冬弥が『咲夏』と言いかけるよりも早く、咲夏は全身全霊の力でその言葉を遮った。
下の名前で、あの冬弥に呼ばれる。想像しただけで、とんでもない。心臓が物理的に破裂する。
命がいくつあっても足りないし、その場で消滅してしまう。
「無理無理無理……っ!」
咲夏はぶんぶんと、千切れんばかりに首を横に振った。 すると、冬弥は一瞬きょとんとした後、少しだけ残念そうに眉を下げてクスリと笑う。
「あはは、そっか。フラれちゃったなー!……じゃ、もう少し仲良くなってからだね!」
(……もう少し、仲良くなってから……、なってから……、なってから……)
冬弥が放ったその甘すぎるフレーズが、咲夏の頭の中で特大のエコーとなって何度もリフレインする。
これ、本当に現実なのだろうか。
自分は実は、自販機の前で倒れて幸せな夢でも見ているのではないか。
「……うん、また今度、ね……」
耳まで真っ赤に染め上げた咲夏は、蚊の鳴くような声でやっとの思いでそう返した。
知華が隣で「キャーッ!」と声を殺して悶絶しているのも、今の咲夏には入ってこない。
甘酸っぱい、微炭酸の弾けるような放課後の空気。
しかし、そのすぐ近くで、冬弥の友人である怜が、ポケットに手を突っ込んだまま、二人を訝しげに鋭く睨みつけているとは知らずに。
そしてその冷ややかな瞳の奥に、危うい光が灯っていることに、恋に溺れる咲夏はまだ、これっぽっちも気づいていなかった。



