三浦真白という人間を、私は一生忘れない。
あの夏の熱も、放課後の廊下に差し込む光も、もう少しずつ薄れていくのに、彼女の声だけは今でもはっきり思い出せる。
たった一度、名前を呼ばれただけで、教室のざわめきが遠のいて、耳の奥が熱くなったことも。
たった一つの言葉で、見慣れた机と黒板の並ぶ景色が、まるで別の場所みたいに見えたことも。
あの日からずっと、私の中には三浦真白がいる。
三浦真白は、変わり者。
それがクラスみんなの彼女への認識だった。
去年の夏に東京からこの島に越してきた転校生。
容姿端麗で一人を好み、誰かと群れるのを極端に嫌う。休み時間はいつも窓際で本を読み、必要以上に誰かと話そうとしない。笑うことも少なく何を考えているのか分からない。
男子からは高嶺の花で女子からは妬みの的。
昼休みに机を寄せて弁当を広げる輪の外で、彼女だけは窓のそばで姿勢正しく座っている。
ページをめくる指先は静かで、誰かが話しかけても、顔を上げるのは一拍遅れる。返事は短く、視線はすぐ本に戻る。
そんな様子を見て、みんな勝手に彼女を決めつけた。
冷たい人。
近寄りがたい人。
何でもできる完璧な人。
変な人。
でも、私は知っている。
三浦真白は、そんな言葉で片づけられる人じゃなかった。人に興味がないんじゃない。ただ、距離の取り方を知りすぎていただけだ。
誰かが笑っていても、その笑い声の端に混じる無理を彼女は拾い上げる。廊下ですれ違ったクラスメイトが、いつもより肩を落としているのを見て、何も言わずに自分に出来ることをする。
言葉にできない痛みも、机に伏せたまま動かない背中も、彼女は驚くほどよく見抜いた。なのに、自分のことになると彼女はひどく鈍かった。
自分の名前が呼ばれたあと、相手がどんな顔で見ているのかも。
自分の隣に誰かが残っていることも。
自分の存在が、誰かの帰り道を少しだけ軽くしていることも。
あの人は結局最後まで気づかなかった。
私は最初、彼女の前でうまく息ができなかった。
整った顔立ちに、まっすぐな姿勢。教室の後ろで誰かがひそひそと「三浦さんってさ、別格だよね」と皮肉を込めて呟いても彼女は振り向きもしない。
黒板の前に立っても、先生に指されても、声の調子ひとつ変えずに答える。
私とは正反対な人だった。
私は、周りの顔色を見てから笑う癖がついていた。誰かが冗談を言えば一拍遅れて口元を上げ、嫌だと思っても「大丈夫」と言ってしまう。好きなものを好きだと言う前に、相手の反応を探してしまう。そんな自分の指先を、私はいつも机の下で握りしめていた。だから、三浦真白が教室の空気に流されず、まっすぐ前を見ている横顔が、まぶしく見えた。
誰に何を言われても、彼女は椅子の背にもたれず、視線を逸らさず、ただ自分のペースでそこに立っていたから。
でも、本当は違った。
彼女は何も感じない人なんかじゃない。
傷つかない人でもない。
ただ、傷ついたことを見せる必要がないと思っていただけだった。
私がそれを知るのは、だいぶ後のことになる。
そんな彼女との会話は委員会が同じになった時。それだけの、ごくありふれた出会いだった。
最初は、本当にそれだけ。
「漆原さん」
初めて名前を呼ばれた時のことを、今でも覚えている。資料を配っていた手が止まり、顔を上げると、窓から入った光が彼女の頬に薄く落ちていた。たったそれだけなのに、胸の奥がふっと浮いたみたいに軽くなった。
三浦真白は、誰かを特別扱いするような人じゃなかったから。
だから私は知らなかった。
あの出会いが、私たちの人生を変えてしまうことも。
彼女の言葉が、ずっと私の中に残り続けることも。
そして最後に見せたあの微笑みを、私は一生忘れられないことも。
出席番号27番、三浦真白。
それが、私が初めて本当の意味で出会った人の名前だった。
あの夏の熱も、放課後の廊下に差し込む光も、もう少しずつ薄れていくのに、彼女の声だけは今でもはっきり思い出せる。
たった一度、名前を呼ばれただけで、教室のざわめきが遠のいて、耳の奥が熱くなったことも。
たった一つの言葉で、見慣れた机と黒板の並ぶ景色が、まるで別の場所みたいに見えたことも。
あの日からずっと、私の中には三浦真白がいる。
三浦真白は、変わり者。
それがクラスみんなの彼女への認識だった。
去年の夏に東京からこの島に越してきた転校生。
容姿端麗で一人を好み、誰かと群れるのを極端に嫌う。休み時間はいつも窓際で本を読み、必要以上に誰かと話そうとしない。笑うことも少なく何を考えているのか分からない。
男子からは高嶺の花で女子からは妬みの的。
昼休みに机を寄せて弁当を広げる輪の外で、彼女だけは窓のそばで姿勢正しく座っている。
ページをめくる指先は静かで、誰かが話しかけても、顔を上げるのは一拍遅れる。返事は短く、視線はすぐ本に戻る。
そんな様子を見て、みんな勝手に彼女を決めつけた。
冷たい人。
近寄りがたい人。
何でもできる完璧な人。
変な人。
でも、私は知っている。
三浦真白は、そんな言葉で片づけられる人じゃなかった。人に興味がないんじゃない。ただ、距離の取り方を知りすぎていただけだ。
誰かが笑っていても、その笑い声の端に混じる無理を彼女は拾い上げる。廊下ですれ違ったクラスメイトが、いつもより肩を落としているのを見て、何も言わずに自分に出来ることをする。
言葉にできない痛みも、机に伏せたまま動かない背中も、彼女は驚くほどよく見抜いた。なのに、自分のことになると彼女はひどく鈍かった。
自分の名前が呼ばれたあと、相手がどんな顔で見ているのかも。
自分の隣に誰かが残っていることも。
自分の存在が、誰かの帰り道を少しだけ軽くしていることも。
あの人は結局最後まで気づかなかった。
私は最初、彼女の前でうまく息ができなかった。
整った顔立ちに、まっすぐな姿勢。教室の後ろで誰かがひそひそと「三浦さんってさ、別格だよね」と皮肉を込めて呟いても彼女は振り向きもしない。
黒板の前に立っても、先生に指されても、声の調子ひとつ変えずに答える。
私とは正反対な人だった。
私は、周りの顔色を見てから笑う癖がついていた。誰かが冗談を言えば一拍遅れて口元を上げ、嫌だと思っても「大丈夫」と言ってしまう。好きなものを好きだと言う前に、相手の反応を探してしまう。そんな自分の指先を、私はいつも机の下で握りしめていた。だから、三浦真白が教室の空気に流されず、まっすぐ前を見ている横顔が、まぶしく見えた。
誰に何を言われても、彼女は椅子の背にもたれず、視線を逸らさず、ただ自分のペースでそこに立っていたから。
でも、本当は違った。
彼女は何も感じない人なんかじゃない。
傷つかない人でもない。
ただ、傷ついたことを見せる必要がないと思っていただけだった。
私がそれを知るのは、だいぶ後のことになる。
そんな彼女との会話は委員会が同じになった時。それだけの、ごくありふれた出会いだった。
最初は、本当にそれだけ。
「漆原さん」
初めて名前を呼ばれた時のことを、今でも覚えている。資料を配っていた手が止まり、顔を上げると、窓から入った光が彼女の頬に薄く落ちていた。たったそれだけなのに、胸の奥がふっと浮いたみたいに軽くなった。
三浦真白は、誰かを特別扱いするような人じゃなかったから。
だから私は知らなかった。
あの出会いが、私たちの人生を変えてしまうことも。
彼女の言葉が、ずっと私の中に残り続けることも。
そして最後に見せたあの微笑みを、私は一生忘れられないことも。
出席番号27番、三浦真白。
それが、私が初めて本当の意味で出会った人の名前だった。
