あと三ヶ月もすれば年末です。
今年も素敵なロマンスができませんでしたわ。
何が足りなかったのでしょう。
日が落ちるのが早くなりましたね。
夕空も好きです。
でもロマンチックなのは月夜でしょう。
もうすぐお月様のお出ましです。
美しい月光の元、甘い恋の調べ。
⸻月が、綺麗ですね。
あ!
そうですわ!
コンコン
「はい」
「わたくしです」
「お嬢さん?どうされました?こんな時間に」
「こちらへいらして」
「は?」
お上りさんが逃げないように、手をよくつかんでおかなければ。
「お、お嬢さん!」
「静かになさって」
「僕は2階へは…」
お上りさんの手に力が入りましたわ。
ふふ。
「お嬢さん!寝室に男を入れてはいけません!」
「素敵な音楽を聴くだけです。でも、わたくしだけでは足りませんの」
まあ、お上りさん、手に汗をかかれてますわ。
緊張されていますのね。
「この椅子に座ってらして」
そうです。
足りないのは、ロマンスの相手役ですわ。
お上りさんでも、椅子に座っていてくだされば雰囲気が出るかも知れません。
あら?
お上りさん、動かなくなってしまいましたわ。
まあ、針を落とせば変わるでしょう。
「ムーン・ライト・セレナーデ。素敵な曲ですのよ」
◇ ◇ ◇
ん?下宿人様のお部屋が少し開いてる。
いつもピタっとお閉めになるのに。
外出されるとも聞いていない。
コンコン。
「失礼いたします」
……。
「すみません」
……。
申し訳ありません。
あれ?いらっしゃらない。
「……」
「おじょうさまー!」
⸻どうか、ご無事で!
◇ ◇ ◇
ドンドンドン!
バタン!
「はあ、はあ、ご無事ですか」
女中さんはお上りさんを椅子から立たせました。
「僕は…」
「ええ、分かっております。今は、何もおっしゃられないでください」
◇ ◇ ◇
「お父様!わたくしは、お上りさんに素敵な曲を聴いて頂こうと」
「ならば食堂のレコードを使いなさいと言っているだろう!」
「あれで、この曲を聴いてはならないと決めたのは、お父様ですわ!」
はあー。
「今日は駄目だ。こちらへ来なさい」
「え、嫌です。助けてー!お上りさん!」
ドン!
…ガチャ。
……。
「どうも申し訳ありませんでした。この件に関しましては、わたくしから、原因は娘の軽率な行動のみであるとご実家にお手紙を、責任を持ちまして送りますので」
「奥様!」女中さんが支えた。
「お嬢さんは僕にレコードを聴いて欲しかっただけのご様子でしたし、実際何もありませんでしたので、そこまでして頂かなくても構いません」
「…そうですか。大変申し訳ありませんでした」
「では、失礼いたします」
俺がいつまでも夫人のそばにいては、逆に気を遣わせてしまう。
「奥様!」
「ああ…。まさか我が娘が男性を寝室に入れるとは」
…下宿がこの家で、よかった。
◇ ◇ ◇
お約束日がやって参りました。
ふふ。
もう玄関にいらっしゃる。
「お上りさん。今日はわたくしが、ご案内してもらう側になりますわ」
殿方のエスコート。
ロマンスですわ。
……歴史散歩になりそうですが。
「お嬢さん」
「どちらにご案内していただけますの?」
「両国橋へ参りましょう」
◇ ◇ ◇
ふふ。
「東京にお住まいでしたら、ご説明不要でしょう」
「ええ。江戸の東西を結ぶ大橋でした。関東大震災で消失してしまい、今のものは十数年ほどしか経過しておりませんの」
「はい、そうです」
「ふふ。追加のご説明は?」
「それは次の場所で」
ここも大丈夫ですわ。
「回向院。明暦の大火、鼠小僧の墓などがございます。明暦の大火犠牲者を弔うために建てられたお寺ですわ」
「はい、そうです」
……何も解説がない。
不安ですわ。
「では、こちらへ」
供養碑ですね。
「鼠小僧次郎吉之墓。お父様とお母様と歌舞伎で鑑賞しましたわ。義賊として貧しい人たちを助けた、と」
「はい。それは歌舞伎の作話でして、本当の鼠小僧は義賊ではなく、本当の盗賊でした」
「え!そうでしたの!」
「はい。江戸後期に実在した次郎吉という鳶職です。高所作業が生業であったため、屋根から屋根へ。塀から塀へ。なかなか捕まらないうえ、狙うのは大名屋敷。100件以上の被害があったと言われています」
「まあ!そうでしたの。大名屋敷を狙ったのは、ただ貧しい方はお金がないのと、部屋数も少ないですから、すぐバレてしまいますものね。屋根や塀がもろいと、足音で見つかってしまいますわ」
あら?
お上りさん、笑ってらっしゃる?
「…お嬢様」
ま!
わたくしの幼い頃のイタズラがバレてしまったのですわ。
「お、おほん。では、どうして捕まってしまいましたの?」
「お嬢さんはどう思われますか?」
「そうですね。大名屋敷の構造に詳しくないと、そもそも侵入は困難ですわ。鳶職の方が疑われてしまうのはやむを得ませんね。鼠小僧も、鼠ではなく人ですからね、侵入経路や手口から法則性が見つかり、うっかり捕まってしまったのかもしれませんわ」
あら、またお上りさんが笑って。
「…お嬢様」
ま!
嵌められた、という言葉はこういう時に使いますのね!
「実は完全には分かっていないのです」
お上りさん、いじわるですわ!
「その後はどうなりましたの?」
「……え、ええと。少々酷い箇所がありますが」
「は、な、し、て、ください!」
「1832年に逮捕され、多くの盗みを自白。盗んだ金品は遊興費、酒、女性、生活費に使ったそうです。浪費癖があったのでしょう。そして…」
「そして?」
「市中引き回しのうえ獄門に処されました」
「まあ?それはどんな処罰ですの?」
まあ!お上りさんは目をそらして。
「は、な、し、て、ください!」
「江戸市中引き回され、斬首。首を晒される最も重い刑罰の一つです」
「そして建てられたのが、この供養碑」
「はい。この供養墓そのものは明治9年に、歌舞伎俳優の 市川團升が、鼠小僧を題材にした芝居の大当たりを記念して供養料とともに建立したものと考えられています。削られているのは、運にあやかろうとして、持ち帰る人が多かったからだそうです」
「分かりましたわ。次にご案内してください」
◇ ◇ ◇
以前来た時より、皆さんお元気ないですわね。
配給も減りました。
お母様も慈善事業で忙しく活動されていますが、これが現実ですのね。
「お嬢さん。本所といえば、本所七不思議です」
「あら?わたくし、こわいお話は大丈夫ですわよ」
「置いていけ堀はご存知ですか?」
「置いて……、ですわ。江戸時代の方々は信心深いのですね。置いていかなくてもよいと思いますの」
「そうですね。今ほど技術が発達しておりません。夜道は相当暗かったはずです。鼠小僧ではないですが、いるのは幽霊か人か、分からないわけですから」
それもそうですわね。
「では、次へ参りましょう」
◇ ◇ ◇
秋風が心地良いですわ。
永代橋。
隅田川を行き交う船。
⸻お上りさんは、やはり。
「ねえ、お上りさん」
「はい」
「東京にいらしたの、下宿が初めてではないのでしょ?」
「…はい」
「半年以上ご一緒に東京を歩いて、やっと分かりましたの」
裕福な家柄。
服装と礼儀作法。
わたくしたち男爵家に引けを取らない。
「申し訳ありません、ずっと隠したままに」
「いえ。お上りさんを責めているわけではありませんの。理由を探していますの」
「…理由」
お上りさん自体はいつもと同じ。
メガネをかけて。
でも毎回違うお洋服を着ていらっしゃる。
それは、お上りさんの性格に合っておりませんわ。
⸻わたくしのため。
「お上りさん、深川めしが食べたくなりましたわ」
「では、お昼にしましょうか」
完璧なだけではありません。
作法が染み付いているのですわ。
「ありがとうございました!」
「こちらこそ、ごちそうさまでした」
家柄。
聞いたらきっと答えてくださる。
お上りさんはそういうお方。
しかし。
「お嬢さん?」
「富岡八幡宮は後日にしましょう。少し疲れてしまいましたわ」
「も、申し訳ありません。歩かせ過ぎてしまいまして」
「市電までは歩けますから」
⸻お上りさんのため。
今年も素敵なロマンスができませんでしたわ。
何が足りなかったのでしょう。
日が落ちるのが早くなりましたね。
夕空も好きです。
でもロマンチックなのは月夜でしょう。
もうすぐお月様のお出ましです。
美しい月光の元、甘い恋の調べ。
⸻月が、綺麗ですね。
あ!
そうですわ!
コンコン
「はい」
「わたくしです」
「お嬢さん?どうされました?こんな時間に」
「こちらへいらして」
「は?」
お上りさんが逃げないように、手をよくつかんでおかなければ。
「お、お嬢さん!」
「静かになさって」
「僕は2階へは…」
お上りさんの手に力が入りましたわ。
ふふ。
「お嬢さん!寝室に男を入れてはいけません!」
「素敵な音楽を聴くだけです。でも、わたくしだけでは足りませんの」
まあ、お上りさん、手に汗をかかれてますわ。
緊張されていますのね。
「この椅子に座ってらして」
そうです。
足りないのは、ロマンスの相手役ですわ。
お上りさんでも、椅子に座っていてくだされば雰囲気が出るかも知れません。
あら?
お上りさん、動かなくなってしまいましたわ。
まあ、針を落とせば変わるでしょう。
「ムーン・ライト・セレナーデ。素敵な曲ですのよ」
◇ ◇ ◇
ん?下宿人様のお部屋が少し開いてる。
いつもピタっとお閉めになるのに。
外出されるとも聞いていない。
コンコン。
「失礼いたします」
……。
「すみません」
……。
申し訳ありません。
あれ?いらっしゃらない。
「……」
「おじょうさまー!」
⸻どうか、ご無事で!
◇ ◇ ◇
ドンドンドン!
バタン!
「はあ、はあ、ご無事ですか」
女中さんはお上りさんを椅子から立たせました。
「僕は…」
「ええ、分かっております。今は、何もおっしゃられないでください」
◇ ◇ ◇
「お父様!わたくしは、お上りさんに素敵な曲を聴いて頂こうと」
「ならば食堂のレコードを使いなさいと言っているだろう!」
「あれで、この曲を聴いてはならないと決めたのは、お父様ですわ!」
はあー。
「今日は駄目だ。こちらへ来なさい」
「え、嫌です。助けてー!お上りさん!」
ドン!
…ガチャ。
……。
「どうも申し訳ありませんでした。この件に関しましては、わたくしから、原因は娘の軽率な行動のみであるとご実家にお手紙を、責任を持ちまして送りますので」
「奥様!」女中さんが支えた。
「お嬢さんは僕にレコードを聴いて欲しかっただけのご様子でしたし、実際何もありませんでしたので、そこまでして頂かなくても構いません」
「…そうですか。大変申し訳ありませんでした」
「では、失礼いたします」
俺がいつまでも夫人のそばにいては、逆に気を遣わせてしまう。
「奥様!」
「ああ…。まさか我が娘が男性を寝室に入れるとは」
…下宿がこの家で、よかった。
◇ ◇ ◇
お約束日がやって参りました。
ふふ。
もう玄関にいらっしゃる。
「お上りさん。今日はわたくしが、ご案内してもらう側になりますわ」
殿方のエスコート。
ロマンスですわ。
……歴史散歩になりそうですが。
「お嬢さん」
「どちらにご案内していただけますの?」
「両国橋へ参りましょう」
◇ ◇ ◇
ふふ。
「東京にお住まいでしたら、ご説明不要でしょう」
「ええ。江戸の東西を結ぶ大橋でした。関東大震災で消失してしまい、今のものは十数年ほどしか経過しておりませんの」
「はい、そうです」
「ふふ。追加のご説明は?」
「それは次の場所で」
ここも大丈夫ですわ。
「回向院。明暦の大火、鼠小僧の墓などがございます。明暦の大火犠牲者を弔うために建てられたお寺ですわ」
「はい、そうです」
……何も解説がない。
不安ですわ。
「では、こちらへ」
供養碑ですね。
「鼠小僧次郎吉之墓。お父様とお母様と歌舞伎で鑑賞しましたわ。義賊として貧しい人たちを助けた、と」
「はい。それは歌舞伎の作話でして、本当の鼠小僧は義賊ではなく、本当の盗賊でした」
「え!そうでしたの!」
「はい。江戸後期に実在した次郎吉という鳶職です。高所作業が生業であったため、屋根から屋根へ。塀から塀へ。なかなか捕まらないうえ、狙うのは大名屋敷。100件以上の被害があったと言われています」
「まあ!そうでしたの。大名屋敷を狙ったのは、ただ貧しい方はお金がないのと、部屋数も少ないですから、すぐバレてしまいますものね。屋根や塀がもろいと、足音で見つかってしまいますわ」
あら?
お上りさん、笑ってらっしゃる?
「…お嬢様」
ま!
わたくしの幼い頃のイタズラがバレてしまったのですわ。
「お、おほん。では、どうして捕まってしまいましたの?」
「お嬢さんはどう思われますか?」
「そうですね。大名屋敷の構造に詳しくないと、そもそも侵入は困難ですわ。鳶職の方が疑われてしまうのはやむを得ませんね。鼠小僧も、鼠ではなく人ですからね、侵入経路や手口から法則性が見つかり、うっかり捕まってしまったのかもしれませんわ」
あら、またお上りさんが笑って。
「…お嬢様」
ま!
嵌められた、という言葉はこういう時に使いますのね!
「実は完全には分かっていないのです」
お上りさん、いじわるですわ!
「その後はどうなりましたの?」
「……え、ええと。少々酷い箇所がありますが」
「は、な、し、て、ください!」
「1832年に逮捕され、多くの盗みを自白。盗んだ金品は遊興費、酒、女性、生活費に使ったそうです。浪費癖があったのでしょう。そして…」
「そして?」
「市中引き回しのうえ獄門に処されました」
「まあ?それはどんな処罰ですの?」
まあ!お上りさんは目をそらして。
「は、な、し、て、ください!」
「江戸市中引き回され、斬首。首を晒される最も重い刑罰の一つです」
「そして建てられたのが、この供養碑」
「はい。この供養墓そのものは明治9年に、歌舞伎俳優の 市川團升が、鼠小僧を題材にした芝居の大当たりを記念して供養料とともに建立したものと考えられています。削られているのは、運にあやかろうとして、持ち帰る人が多かったからだそうです」
「分かりましたわ。次にご案内してください」
◇ ◇ ◇
以前来た時より、皆さんお元気ないですわね。
配給も減りました。
お母様も慈善事業で忙しく活動されていますが、これが現実ですのね。
「お嬢さん。本所といえば、本所七不思議です」
「あら?わたくし、こわいお話は大丈夫ですわよ」
「置いていけ堀はご存知ですか?」
「置いて……、ですわ。江戸時代の方々は信心深いのですね。置いていかなくてもよいと思いますの」
「そうですね。今ほど技術が発達しておりません。夜道は相当暗かったはずです。鼠小僧ではないですが、いるのは幽霊か人か、分からないわけですから」
それもそうですわね。
「では、次へ参りましょう」
◇ ◇ ◇
秋風が心地良いですわ。
永代橋。
隅田川を行き交う船。
⸻お上りさんは、やはり。
「ねえ、お上りさん」
「はい」
「東京にいらしたの、下宿が初めてではないのでしょ?」
「…はい」
「半年以上ご一緒に東京を歩いて、やっと分かりましたの」
裕福な家柄。
服装と礼儀作法。
わたくしたち男爵家に引けを取らない。
「申し訳ありません、ずっと隠したままに」
「いえ。お上りさんを責めているわけではありませんの。理由を探していますの」
「…理由」
お上りさん自体はいつもと同じ。
メガネをかけて。
でも毎回違うお洋服を着ていらっしゃる。
それは、お上りさんの性格に合っておりませんわ。
⸻わたくしのため。
「お上りさん、深川めしが食べたくなりましたわ」
「では、お昼にしましょうか」
完璧なだけではありません。
作法が染み付いているのですわ。
「ありがとうございました!」
「こちらこそ、ごちそうさまでした」
家柄。
聞いたらきっと答えてくださる。
お上りさんはそういうお方。
しかし。
「お嬢さん?」
「富岡八幡宮は後日にしましょう。少し疲れてしまいましたわ」
「も、申し訳ありません。歩かせ過ぎてしまいまして」
「市電までは歩けますから」
⸻お上りさんのため。
