またあなたに会えるなら、この花が咲く庭で。

ビルマ方面において戦果拡大。
学徒志願相次ぐ。

俺は新聞をたたんで通学カバンにしまった。

「行って参ります」
「行ってらっしゃいませ」

お嬢さんが屋敷の前にいらっしゃった。
 
「ではお上りさん、また」

お嬢さん。

「勉強頑張ってください」

市電は使わずあるいて大学へ行く。
お兄さんと弟に比べたら、身のこなしは悪く、運動が足らん。

⸻意識しているわけではない。

⸻俺は…。

開戦前より国民服の者が増えているな。

どうみても品が足りていない。

相次ぐ戦果、か。

⸻帰りに図書室に寄ろう。


あるかもしれない。

◇ ◇ ◇

一限は大教室だったな。

「あいつが噂の一族の」
「予科は伯爵邸、本科は男爵邸。しかもご令嬢付き、だそうだ」
「生まれる前から全てがある。俺たちとは住む世界が違うのさ」


教室はまだ数名ほどだった。

「おい」

ん?あいつか。

「昼休み、いつもの場所にいるか?」
「…ああ」

◇ ◇ ◇

桜は、散った。


しかし新緑はまた咲かそう息づく。

頼もしいものだ。

「すまん、待ったか」
「いや」
「うちの田舎ではな、また徴兵があったと手紙にあった。君の家は?」
「本家の者は志願して出兵していると聞いている」
「…そうなるか」

やつは一度後ろを見た。

「戦果拡大、どうにも解せん。君の意見が聞きたいが場所がなあ」
「…男爵様に伺ってみよう」
「ご迷惑にならないか!」
「下宿人が学友を呼ぶのを、止める方ではない」
「そうか。返事を待つ」


「すまなかったな。読書の邪魔をした」


ビルマ。


日本は資源の乏しい。

だから海外から調達するほかない。

欧米列強は今、南方を植民地としている。
我々はその支配から脱却するため戦っているのだ。

ビルマは雨季になると猛烈な雨が降る。
トラもいるとあったなあ。

⸻俺の足では、とてもトラから逃げられんな。

◇ ◇ ◇

「おかえりなさい、お上りさん」
お嬢さん。
「ただいま戻りました」
「明日のご予定は?」
「特に」
「では、増上寺に参りましょう!新緑が見頃ですわ」
お嬢さんはステップ混じりで帰られた。


◇ ◇ ◇


まあ!

「お上りさん!増上寺は徳川将軍家霊廟がありますが、そこまで改まったお洋服でなくても大丈夫ですよ」

わたくしとしたことが。

事前にご説明しておくべきでしたわ。

ダークスーツに白いポケットチーフ、黒革靴。


わたくしは淡い緑色のワンピースに、クリーム色のニットカーディガン。ワンピースと同じ色のトークハット、それに巻いた白のリボン。

これではまるで。

お墓参りをする若者と男爵令嬢ですわ。

ああ…。

「そ、そうでしたね」

お上りさんも気まずそうです。

あら、車が来ましたわ。

「お上りさん、料理人さんとはお話しされたことはありますか?本日、付き添いと運転手をお願いいたしましたの」

「はい。以前は日本橋のレストランで働いていらしたと。いつも美味しく召し上がっています」

「滅相もございません。あなた様にそのようにおっしゃって頂けて光栄でございます。お嬢様、こちらへどうぞ」

わたくしは運転席の後ろへ。

「あなた様もこちらへ」

あら?助手席の後ろ?

「い、いや僕は助手席で構いません…」

「そんな!あなた様にそのような扱いは!」

あなた様?

料理人さんはなぜ慌てているの?

助手席の後ろはお客様の席です。

「……え?」

どういうことですの。

お見送りの女中さんが笑っていますわ。

「ふふ。緊張されているのですよ。お嬢様のお隣ですもの」

まあ!


料理人さんも気が付かれていなかったのですね。

慌てて助手席へご案内しています。

「では、参りましょう」

◇ ◇ ◇

金箔がきらめいています。

極彩色、でしたわね。将軍家の方々も華やな物がお好きだったのでしょう。

きんきんキラキラ。

ふふ。

さらさら揺れる新緑も水々しいですわ。

「きれいですわね、お上りさん」

「そ、そうですね」

今日は普段と違いますのね。

そうです!

こういう時にこそ、知的な会話で場を盛り上げるのが、都会の女。

余裕のある豊かな眼差し。

指先まで意識して。

スッ。

「お上りさん、問題です。増上寺の創建者は誰でしょう」

「……」

ふふ。

眉を寄せて悩んでおられます。

そうでしょう。今回の問題は簡単ではございませんの。

わたくしが図書室に行って調べてきましたの。

何度も暗唱して、練習しましたわ。

「……と、徳川家康」

そう思うでしょう。

「正解は、酉誉聖聰上人(ゆうよしょうそうしょうにん)。創建1393年ですわ!」

言えましたわ!

難しい問題ばかりではつまらないですから、最後は簡単な問題がいいでしょう。

「では次。霊廟におられる最後の将軍の名は?」
「14代将軍、徳川家茂公、昭徳院ですね。若くして将軍に就任されて幕末の混乱の中、和宮様をお迎えになりました。和宮様、静寛院宮も増上寺で眠っておられます」

「え?」
「え?」

「15代将軍、徳川慶喜では?」
「と、徳川慶喜は1913年、77歳で亡くなり、し、神式で谷中霊園に埋葬されました」

まあ!

「あなた!創建者もご存知で、わざと間違えたのでしょう!」

「……はい」

「わたくしはご機嫌取りをして欲しかったのではありません。楽しくお話しがしたかったのです」

「…申し訳ありません」

「あなたがこんな無粋な人だとは思いませんでした。今日はもう帰ります!」

わたくしを無知だと思っていらしたのね。

ご令嬢の機嫌を損ねては、お父様への印象が悪くなるとお思いになったのでしょう。

ふん!


◇ ◇ ◇


急いでお父様に。

「あら、おかえりなさい」
「ただいま戻りました」
「廊下を走ってはいけませんよ!」

今はそれどころではありませんの!

コンコン。

「はい」
「わたくしです」
「入りなさい」

「どうしたんだ。ずいぶん慌てて」

「本日はお上りさんとご一緒に、増上寺へ新緑を見に参りましたの。わたくし、場を盛り上げようと問題を出しただけなのに、あの方、わざと間違えた解答をして、わたくしのご機嫌取りをなさったのです」

「そんなことがあったのか!」

「ええ」

よかったですわ。
お父様は分かってくださいました。

「すぐ彼を呼んで来なさい」
「はい」


コンコン
「はい」
「わたくしです」
「お上りさん。お父様がお呼びですわ」
「…はい」

お父様にお説教されてください。


…着替えましょう。

せっかく新緑に合わせた装いでしたのに。

「お嬢様」

「お着替えのお手伝いをいたしましょうか?」

「お願いいたしますわ」

◇ ◇ ◇

「まあ、そのようなことが」
「ええ。きっとわたくしのご機嫌取りをして、お父様への印象をよくしたかったのでしょう」

女中さんはクローゼットを開けました。

どのお洋服にしましょう。

「お嬢様。あの方は大学に通われております。増上寺の創建者と将軍家の霊廟も、授業でご存知だったのでは?」
「本で読んだのかもしれません。…どこから得た知識が問題ではありませんの」
「ひけらかすようで、ためらわれたのでは?」

え?

「お嬢様。殿方の中には、器用でない方もおられます。あの方はお嬢様を利用して、旦那様に取り入るようには、思えないのです。旦那様がそれを良しとするとも」

確かにそうですわ。

お父様ならすぐ気付かれます。

「…あの真紅のワンピースにしましょう。レースの襟が大きく編み込みが繊細で、大きなリボン。室内着にはもったいない、素敵なお洋服ですの」

「はい、お嬢様」


お上りさんがお父様の部屋から出て来ましたわ。

「…お嬢さん」

「…お上りさんは大学に通われているのですもの。知識があっても不思議ではありませんでしたわね。頭が冷えました」

わたくしらしい笑みで。

「これで仲直りしましょう、お上りさん」

「はい」

ぎこちない微笑みですわ、お上りさん。