またあなたに会えるなら、この花が咲く庭で。

漢字(かんじ)青い空。

満開の桜。

今日を逃してはなりません。

お上りさんは絶対お部屋ですわ。

コンコン
「はい」

ほら。お休みの日は読書か散歩ですもの。

「お嬢さん」

ま!それだけですの!?

「今日のご予定はございますか?」

「いいえ」

「では、日本橋と上野に参りましょう。桜が満開ですわ。さあ、お支度をなさってね」



「すみません、女中さんいらっしゃいます?」

2階から慌てて下りてこられました。

お忙しかったのですわね。

「どうされました?お嬢様。」

「これからお上りさんと日本橋と上野に参りますの。ご同行をお願いできますか?」

「かしこまりました。お嬢様」

「お願いいたしますわ」



どのお洋服にしましょう。

ヨーロッパ風など着ていきましたら、憲兵さんとご一緒することになりますわ。

室内着にするのはもったいないですけど、仕方ありません。

鮮やかな色も慎まねばなりませんし。


忘れていました!


ご一緒するのは、お上りさんです。

向かうのは、日本橋と上野。

上質なお洋服。

もしかしたら初日の食事会の一着だけ?

……


この丸襟の灰色のワンピースにいたしましょう。

帽子とカバンも合わせて購入したものに。

お上りさんに恥をかかせてはいけませんものね。

◇ ◇ ◇

まあ!とてもいいお天気。

上野はお花見で人があふれていますわね。

「おまたせしましたわ」

あら?

お上りさんのお洋服が、あの時と違いますわ。

メガネは一緒ですが。

灰色の背広は細かな艶のある上質な羊毛。

ズボンの折り目も鋭い。

黒革の靴も品のある艶。

でも。

「どうしていつもメガネをかけてしらっしゃるの?」

「視力が悪いからです」
 
まっ!

「そうではなくて!」


⸻あなたのお顔がよく見たかったからです⸻

いえ。

慌ててはいけません。

ロマンスはこれからです。

都会の女は、殿方と知的な会話ができるもの。

そうです!場を盛り上げることも必要ですわ。


「おーい!」

あら、この声は。

「坊ちゃん!」

「こら!お嬢様に向かってなんて言葉を使うんだい!お嬢様ね、これからお出かけをなさるんだ、だいたいお前いつも⸻」

⸻ふふ。

「…お嬢さん、この子は?」

「この子は女中さんのうちの坊ちゃんです。女中さんに会いたくて、我が家まで来るようになってしまいましたの。可哀想に思ったお母様が、お父様にお願いしまして、時間と場所を守れば、我が家に入れても良い、とちゃんと許可が出ていますわ」

女中さんが深々と頭を下げ、

「大変お見苦しいところをお見せして、申し訳ありませんでした」

「ほっほっ、いつものことでしょう」

「僕は気にしていません」

坊ちゃんは姿勢を正して、

「お嬢様、行ってらっしゃいませ」

とお辞儀。

とてもお上手になりましたね。

「はい!行って参ります」

◇ ◇ ◇

「あ!お上りさん、ちょうど市電が来ましたわ」

田舎に市電はないでしょう。

この都会の女が、お手本を見せる時ですわ。


お上りさんは。 

……

ふふ。見ていますわね。


「お上りさん。これは東京市が運営している電車。通称、市電」

「まず車掌さんにお金をお支払いになって⸻」

……

スッ。

普通に乗車された?

「え?」

「上京の折に、使っておりますので」

「…ご存知ならそうおっしゃって」

「すみません」

◇ ◇ ◇

桜が満開ですわ。

「どうですか?お上りさん。初めての上野の桜は」

「はい。とてもきれいです」

「不忍池の方も参りましょう」

「はい」

お洋服が地味過ぎはしないか心配でした。

しかしここの主役は桜です。

桜は年に一度。

わたくしにはその次もあるのですから。


それにしても。

下宿人さんとは、皆様このように無口なのでしょうか。

「夏目漱石先生の不忍池が舞台の小説はなんでしたかしら」

「三四郎ですね。上京して美禰子に惹かれるのですが、結局踏み込めないまま終わる話です」

「ふふ。三四郎もお上りさんだったのですね」

「美禰子は含みを持たせていたのですよ」

まあ!

「なぜ三四郎は行動できなかったのですか?」

せっかくのロマンスを。

女性からの素敵なお誘いを。

「照れ臭いのでしょう」

漱石先生にもそういう年頃があったのでしょうか。

殿方とはそういうものなのでしょうか。



いいえ。



わたくしは、風と共に去りぬで知りましたの。

共通の詩や曲で、想いを通わせる2人。

アシュレイとメラニー。

社交会の華やかなダンスパーティー。

そして。

ああ、ロマンスですわ。


あら?

「女中さん、お上りさん。何をお話しされてますの?日本橋に参りますわよ」


都会の女として、知的な会話でご案内いたしますわ。


◇ ◇ ◇


日本橋三越本店。

まさに東京。

そして都会。

ここで知的な会話が出来るのが都会の女。

でも、お上りさんはあまり驚いていらっしゃらないような。

そうでしたわ。

いつもこのような表情でしたわね。

「ここが日本橋三越本店ですわ。私はいつもこちらでお洋服を選んでおりますのよ」

……

「…そちらのお洋服もこちらで?」

「このお洋服は」

はっ!わたくしとしたことが!


「み、三越本店ではありませんの。本日の主役は桜ですから、控えましたの」

うまく誤魔化せましたわね。

背筋を伸ばし。

少しだけ足先を前。

手は胸元で。

指先を。

スッ。

「では、お上りさん。日本橋の銘菓で、小豆を四角く焼いたものはご存知ですか?」

榮太棲總本店(えいたろうそうほんてん)金鍔(きんつば)ですね」

「え!?正解です。よくお店の名前まで」

「お嬢様、今は贈答用としても有名でございますからねぇ」

「そうでしたわ!」

わたくしとしたことが!

遠くにいるお友達に、東京の銘菓として、送っていたではありませんか。

あっ!都会の女はいつも余裕です。

口角を少し上げ。

スッ。

「浅草で売られている銘菓はご存知ですか?」

お上りさんの表情が変わらない…。

いつものことですが。

どちらですの!

「…存じ上げません」

「正解は、人形焼というお菓子ですの」

「お嬢様。あれは下町でも有名な品ですが、地方出身の方には難しゅうございますよ」

まあ!

ふふ。

わたくしの前で格好をつけようと。

だから。

「これは難し過ぎましたわね。そろそろお昼にいたしましょう」

あら。

また女中さんとお上りさんが、並んであるいていますわ。

そうでしたわ!

お上りさんは東京が分からないのです。

わたくしの後を女中さんと歩くしかないのですわ。

ふふ。

お昼はいつも行きつけの高級和食料理屋さんにいたしましょう。

◇ ◇ ◇

「こちらですわ」

味も然る事ながら、景色も絶品。

評判の名店ですのよ。

⸻お上りさんは。

いつもとお変わりなくても、不思議ありませんわね。

「いらっしゃいませ」

あら?

仲居さんがお上りさんをご覧に。

女中さんが少し前へ。
「麻布の男爵邸の者でございます。こちらは先日、下宿にお越しになられた方でございます」

「左様でございましたか。では、こちらへどうぞ」

そうでしたわ。

いつもはお父様とお母様と参りますもの。

男爵令嬢、謎の殿方とご来店。

そう思われていたのですね。

今度学校で、お友達にお話ししましょう。


「こちらでございます」

あら?

こちらでも作法に迷いがございませんのね。

そうです!

外食にも備えて練習されてきたのですわ。

ふふ。

お上りさんも、わたくしと同じ。

「お上りさん、どうですか?日本橋は」

「ええ。江戸の風情と近代の建物とが見事に調和されています。この店も、先の大地震で崩壊し、江戸様式を意識して再建されたのでしょう。この部屋は日本の間取りですが、そこにヨーロッパのテーブルや椅子を置いた華族専用として、明治以来の様式はそのまま、家具を新調したようですね」

「……え、ええ。そうですわね」

歴史の授業でしたわ。

「失礼いたします」

「はい」

お料理がきましたわ。

以前に比べて品数も量も減りました。

戦争中です、仕方ありませんが。

あ、お食事が冷めてしまいますわね。

……

そわそわしますわ。

圧がある、といいますか。

緊張?

このわたくしが?

お上りさんに?

……

あ!

わたくしとしたことが!

緊張されているのは、お上りさんです!

良い店を、と考え過ぎてしまいました。

だからわたくしにも緊張が伝わってしまったのですね。

ふふ。

次は気をつけましょう。

◇ ◇ ◇

「では、お上りさん。そろそろ、あっ!」

女中さんを立たせたままでした!

お父様、いつもどうされていましたの?

どうしましょう…。

「お気になさらず」と目配せされても、そうも参りませんでしょう。

「お嬢さん」

お上りさん?

「甘い物が食べたくなりました。ここらに良い甘味処はございませんか?」

「はい!ございますよ!ご案内いたしますね」

⸻ありがとうございます。お上りさん。

◇ ◇ ◇

日本橋川前のこのお店でしたら。


「お上りさん!ありましたわ」

緋毛氈を掛けた縁台が外にあったはずです。

「甘いものでございますね。ただいま伺って参ります」

女中さんはすぐ戻られて。

「お稲荷さんはございますが、戦時下の品不足で砂糖がなく、甘い物はない、とのことでございます」

「そうですか…」

ここでわたくしが。

「わたくしはお稲荷さんにいたしますわ」

「かしこまりました、お嬢様」

わたくし、女中さん、お上りさん。

この順で並んで座れば、女中さんはお勤めをしながら軽食がとれますものね。

「お待たせいたしました」

わたくしにお茶とお団子。
女中さんとお上りさんにはお茶だけ。

スッ。

⸻ごめんない。

⸻滅相もありません、お嬢様。

「頂きます」

とっさの使用人への気遣い。
お上りさんは優しい方ですのね。

見慣れた日本橋川のお船も、今日は一服の絵ですわ。

まあ!もう召し上がられましたの!

次回はゆっくり召し上がられるよう、考えておきましょう。



「通いでいらっしゃると伺いました。お住まいはどちらに?」

ふふ。お上りさんと女中さんは仲良しですのね。

「深川でございます。生まれも育ちも、そして嫁ぎ先もこの地です」

「では市電で45分ほどでしょうか」

「はい。そのようなものは下町にはたくさんおりますゆえ、苦とも思っておりません。わたくしは幸せ者でございます。旦那様や奥様、お嬢様には息子共々良くしてくださり、感謝の言葉もございません」

わたくしは小首を傾げ。

⸻もう、歩けますか?

⸻はい、お嬢様。

「では、帰りましょう」

◇ ◇ ◇

あら、お母様がお戻りでしたわ。

とてもニコニコされて。

「おかえりなさい。今日はお二人で日本橋と上野にお花見に行った、と料理人さんから伝言を聞きました」

そうですわ!

お母様はわたくしがしっかり、お上りさんをご案内できたか知りたいのでしょう。

「はい。この都会の女の、わたくしが、初めての日本橋と上野をご案内いたしましたの」

あら?お母様の眉が。

「⸻大変ご迷惑をおかけしました」

「いえ。良い花見が出来ました」

そうでしたわ!

女中さんのお昼の件は、わたくしの失態です。

お上りさんのご配慮がなければ、乗り切れませんでしたわ。

⸻まだまだ、ですわね。