またあなたに会えるなら、この花が咲く庭で。

月夜のないジャングルの道。
聞いたこともない獣の声。
呻き声が響く。

ドサッ!

「しっかりして下さい!」

あいつの声だ。

「……や、休んでから行きます、先に」
「よっと!」

あの人は。

「せめてお天道様の下で休もうや」
「あ、ありがとう、ございます」
「さあ、お前も頑張れよ」
「はい!」

あの人は、いつもそうやってみんなを励まし、慕われている。

俺も隊の妬みをかってしまった時、助けてくれたのがあの先輩兵だった。

兄さん、か。

あいつはあれ以来、「兄さん」と言うことすら無くなった。

まるで記憶から無くなったように。

その代わりにするのが、白いワンピースの女の子の話。

幻覚が助けるなんて、ありうるのか?

いや。

しかしあいつが地下倉庫を自力で見つけたようには…。

いかん。眠たくて、思考が朦朧としているのだ。

俺は集落に着いたら交渉の役目がある。

失敗すれば、隊はこの怪我人をまた連れて歩くことになる。


⸻そういえば、最近ウェルテルを読んでいなかったな。

◇ ◇ ◇

「大丈夫です。滞在許可がおりました」

あちこちから安堵の息が漏れる。

夜間歩き続けたのだから。

「おい、おい!」

あの先輩兵とあいつだ。

「こいつ意識がない!衛生兵来れるか聞いて来い!」
「はい!」

あいつはまだまだ大丈夫そうだな。

「俺が反対側を持ちますので、横にできる場所に運びましょう」
「頼むぜ。お前も、隊に慣れたみたいだな御曹司」

カラカラと笑う。

自分も疲れているはずなのに、この人は、誰かを励ますんだ。

「よして下さい。過ぎたことです。……呼吸はありますが、弱いですね」
「ああ、急いで運ぶぞ」


衛生兵は首を横に振った。

意識がないのが、せめてもの救いなのか。

「お前たちもお疲れさんだったな。とりあえず、休もうぜ」

「ゲーテ、俺はあっちの丸太がある方に行くから」

幻の女の子とおしゃべりか。


休むべきか。

いや。

自分の荷物を持って、小屋に入る。
荷物を枕に、ウェルテルを開いた。


⸻お嬢さん。


僕はあなたの想いに気付いていました。

それでもこの選択をしたことを、あなたは許してくださいますか?

片想いのお上りさん。

それなら僕が死んでも、あなたの傷はまだ浅いでしょう。

しかし僕には、本当のことを伝えたら、プンプン怒るあなたが見えます。

『まあ!どうしてお話ししてくださらなかったの!』と。

僕は知っていました。

別れの時が来ることを。

また、あなたに会えるなら、伝えたい。

では。




本を閉じてしまう。


あいつに見つからない場所に。

◇ ◇ ◇

あれ?

夕焼け?

「あっ、ゲーテ。今起きたのか?」
「俺はずっと寝てたのか」
「そうに決まってるだろ?今起きたんだから。らしくないな、寝ぼけてるぞ」

飯を食い損ねた。

「ほら、君の分だ」
「……お前の分を、半分にしたんじゃないだろうな」
「そんなことするわけないだろ」
「あの先輩兵に、君が疲れて寝たままだから、食べ物を取りに行けないって相談したら、持って来てくれたんだ」
「…人ばかり当てにして。まあ、助かったぞ」

「俺は礼を行ってくる」

……。

ん?

「あ、ああ。分かった」

気のせいか。

◇ ◇ ◇

寝場所にはいないから、こっちじゃないか、と聞いたが。

暗い場所はメガネがあってもなくてもよく見えない。

ん?

「よう!休めたか?」

「食事の取り置き、ありがとうございます!」

「まあ、座れよ」

「失礼いたします」

「お前、本当に御曹司だな」

「いえ、祖父の代から分家ですので」

「そう言う意味じゃねーよ。体の芯まで礼儀作法と教養が染み付いてて、鼻につくやつがいるのさ。そういや、武家の一族って聞いたな」

「はい。歴史を遡ると」

「い、いや、待て。そこまででいい。士族は廃止されたが、昭和の現在まで続いているなんざあ、大したもんだ。……ところでよ、あいつの言う『白いワンピースの女の子』、御曹司はどう思うよ?」

「先日のゲリラ奇襲の際、俺たちがいた場所には、住民ですら忘れているような地下倉庫があり、助かりました。それを発見したのは、あいつが言うには、その幻覚だそうです。しかし、あり得ない話です」

「……そうか。俺はな、案外本当なんじゃないか、って思うんだ。俺には学はねーが、あいつが神経やられちまったのは分かる。でも完全におかしくなったわけじゃないだろ?」

そこは確かに。

「あいつはずっと傷病兵を励ましながら、あのジャングルを歩いてきた。もしかしたら、いるのかもな」

クックックと笑っている。

「じゃなあ、お前もゆっくり休めよ」
「はい、ありがとうございました」


さっきまで寝ていたから、寝られる自信がない。


⸻こいつ、本当にどこでも眠れるんだな。


◇ ◇ ◇

結局、寝たり起きたり。

ん?

外がざわついている。



「……亡くなったんですか」

周りの兵が嗚咽を漏らしている。

先輩兵は本当に眠っているようにしか見えない。

「どうしたんだ、ゲーテ。…え」

「朝、同室の兵が揺すっても起きないから、冗談混じりで心肺を確認したら、亡くなっていた、と」

「みんな、泣いてる。そうだよな、みんなの兄さんだった人だ」

…そうか。