背中合わせのラブレター

「桐生さん、もう八時過ぎてますよ」

総務部の榎本(えのもと)さんに声をかけられてハッと顔を上げる。
またこんな時間になってしまった。
事務所には私と榎本さんしか残っていなかった。いつもの職場の光景だ。

榎本さんは私が入社した年とほとんど同じタイミングで入ってきた。
職場の中では一番信頼しあっている存在だ。
二人で一緒に職場を出る。乗る地下鉄の線は別だけど駅までの道のりは一緒だ。

「畠中さん、どんな感じですか?」

突然、畠中君の名前が出てきてドキッと心臓が躍る。

「どんな感じって?」
まさか、榎本さんは私の気持ちに気づいているのかな。

「入社して半年、所属は桐生さんのチームだからさ」

なんだ、そういうことか。
榎本さんは単純に畠中君のことを新入社員として気にしていただけだ。

「所属は同じだけど、仕事の関わりはほとんどないからな」
「関わりないって、同じチームでしょ」
「そうだけど、私よりも榎本さんと話している回数の方が多いんじゃないかな」

言いながら虚しくなってきた。
事実、本当にその可能性はある。

畠中君の案件で画像を送ってから、それに関係することで何度かメールがきた。
それがきっかけで前よりは畠中君とメールのやり取りが増えた。
一応、私と畠中君は同じ部署の所属だから仕事で接点があっても何もおかしいことじゃない。
でも私と畠中君の仕事での関わりはその程度。

「でも頑張ってくれているとは思うよ。私にも確認のメールとか増えてきたし」

意地でもはるように接点があることを強調する。
自分からほとんど関わりがないなんて言ったのに、なんだかバカみたいだ。

「でも、あんまり私がガツガツ言うのも怖がれるかもしれないから」

私と畠中君は十歳も離れている。
年上の上司から色々と言われて萎縮しちゃう人もいるとか聞くもんね。

「今は何でもハラスメントなんて言われますからね」

総務部だけあって榎本さんは昨今のそういう社会事情には詳しいのだろう。

「コミュニケーション取るのも難しいよね。こっちはそんなつもりなくても誤解されたら終わりだもんな」
「相手が何を考えているかわからないですからね」
「畠中君や長沼さんから見たら、私たちはおばさんだもんな」

上司と部下、十の歳の差。
私と畠中君の間を隔てている溝はあまりも深い。

畠中君からきたメールを思い出す。
明朝体で書かれているのに読むとなぜか手書きのあの美しい文字に頭の中で勝手に変換されてしまう。
あんなに美しい文字を書けるのにメールで送るなんて本当にもったいないくらい。
畠中君からの連絡なら全部手書きでもらってもいいのにな。
 
……って私ったら何を考えているのだろう。

「遠くに何かあるの?」
「いや、何もないけど。ごめんまたボーッとしてた」

いけない、いけない。
畠中君の文字を思い浮かべると、ついつい心がどこかに飛んでいってしまう。

「桐生さん、最近ボーッとすること増えたよね」
「ええ、そうかな」

そう言われてドキッとする。

むむっと榎本さんが顎に手を当てて考える仕草をする。
まずい、私の気持ちがバレた?

「桐生さん、少々お疲れみたいですね。今週はなるべく早く帰ってください」

張り詰めていた心がふわりと緩む。
その反動で一センチくらい浮いたかと思った。

「それ、私のこと心配して言っている?」
「もちろん、桐生さんのことを心配してますよ。それに総務的にもね」
「はいはい、気をつけますよ」

改札口で榎本さんと別れて、とぼとぼと駅のホームに向かって進む。
駅名こそ榎本さんと同じではあるけれど私が乗る線は改札から一番遠くにある。

部活帰りらしい高校生や社会人らしいカップルが行き交っている。
その光景を横目に一人歩く自分の姿を想像してため息をつきそうになる。

改札口での別れ際、榎本さんが小さく手を振った。
その左手がちらりと光ったのが見えた。
揺れる手の動きに合わせて、その光を目で追いかける。
家に帰れば榎本さんには旦那さんが待っているんだよね。
誰かが私のことを待ってくれているってどんな気持ちなんだろう。

もう何年も私は恋をしていない。
恋がどんな感じだったのかも今では思い出せない。

電車がホームに進入する。
さらりと巻き起こった風が私を包み込んだ。