背中合わせのラブレター

「おはようございます」

畠中君の声が聞こえる。
それだけでピクっと体が反応して背筋がシャッキっと伸びる。

他の人たちの声に紛れるように「おはようございます」と私の声を滑り込ませる。

畠中君がゆっくりと近づいてくるのが背中越しでもわかる。
私がいるから来るんじゃない。ただ自分のデスクに向かっているだけだ。

畠中君とこんなに距離が近いのに、私たちは顔を合わせることすらほとんどない。
背後で椅子が動く音がする。畠中君が動いたに違いない。

「すいません。今、話しかけてもいいですか?」

そして畠中君は私、ではなく私の隣に座る長沼(ながぬま)さんに声をかける。

そうだよね、わかっている。
畠中君が私に声をかけるタイミングなんてほとんどない。

畠中君と長沼さんの楽しそうに話す声が聞こえてくる。
長沼さんは今年で入社二年目の二十五歳。畠中君とは同じ年だ。

聞こえてくる声のトーンで二人の親密度はだいたいわかる。
雰囲気も似ているし、まるで昔からの幼馴染みたい。

手書きのメモを見るまで、畠中君のことを意識したことがなかったのに。
たったそれだけのことで後ろのことが気になるなんて変だ。
まずは仕事に集中しないと。

「桐生さん、すいません」

長沼さんに名前を呼ばれて、キーボードを触っていた手を止める。

「何かあった?」

何も怒ることなんてないのになぜか尖った声が出てしまう。
私の声にビクッとしたのか「いや、急ぎではないんですけど」と長沼さんが遠慮がちな声を出した。

「大丈夫だよ、話してみて」

さっきの棘を放り投げるようにやわらかい声を意識する。
意識しすぎてちょっと変なトーンに聞こえたかもしれない。

「さっき、畠中さんからお話あったんですけど」

長沼さんの口から畠中君の名前が聞こえて思わずドキッとする。
どうやら畠中君の業務で使う商品画像のことで長沼さんに相談したみたいだ。

「これ私が決めちゃってもいいですかね」

どこかに載せる画像なら、わざわざ私が選ぶことではない。
長沼さんなら変な画像を選んだりする心配はほとんどないからね。

「うーん、そうだね……」

長沼さんに任せるよ。
その一言を口に出すまでに、一息分間が生まれる。
そして、その言葉を私は声にすることはなかった。

「これ、桐生さんに聞いた方がよかったですかね」

畠中君が椅子を回転させて私の方を向く。
普段は背中合わせの私たちが今は顔を向き合っている。

「桐生さん、忙しそうだから。余計な仕事頼まない方がいいと思ったんですけど」
「私のことは気にしないで。畠中君は自分の仕事をちゃんとやってくれているだけだから」

声がいつもより上ずっているんじゃないかと心配になる。
ただ文字を見て気になっただけなのに。
私が惹かれたのは畠中君が書いた文字のはずなのに。
どうして畠中君の顔を見て話すだけでこんな気分になるんだろう。

「わかった。私が見て、後で畠中君にメールしておくね」
「すいません、ありがとうございます」

そう言って畠中君はすぐにくるっと座席を自分のデスクに向けた。
ほんの一瞬でいつものポジションに戻ってしまう。
畠中君が入社してからの半年間で、こんな風に話したことは何度あっただろう?

「畠中さんへのメールとか、私がやりますよ」

長沼さんが私の様子を伺うように聞いてくる。
きっと私に余計な仕事をさせたくない、親切で言ってくれているのだろう。
それとも長沼さんも畠中君にメールを送りたいのかな?
いやいや、何考えているんだ。
メールも、この会話も全部ただの仕事だ。

「大丈夫、この案件は私の方で巻き取るから。長沼さんは自分の業務に集中して」
「ありがとうございます」

ぺこりと長沼さんが頭を下げる。その角度もなんだか長沼さんがすると愛嬌がある。

「チームリーダーなんだから、これくらい私がやるよ」

口に出すことで自分自身にチームリーダーであることを言い聞かせる。
そう、これはただの仕事で私はこの二人からしたらチームリーダー。
二十代の二人からしたら三十五歳はお姉さんよりもおばさんだよね。

畠中君と背中合わせになってからおよそ五分。
私は選んだ画像をメールに添付して、畠中君に送付した。

メールを送ってほっと一息ついている間にリアクションが一件ついた。
畠中君がすぐに私のメールに気づいてくれたんだ。

背中合わせのまま、パソコンの画面で私たちはやり取りをする。
言葉も手書きの文字もない。
だけど私は畠中君と繋がりを感じて、それだけで心が満たされるような気がした。