「川上、お前、いい加減にしろよ」
ものすごく低い声が耳に届く。
万葉はハッとして顔を上げる。
(あ……)
見れば、一臣が和泉の背後に立ち、振り上げた手首を掴んで制していた。
「百歩譲って、お前が俺の元恋人だって嘘ついて回ってるところまでは多めに見てやる。だがな……万葉に手を出すようなら許すつもりはない」
長身の一臣に見下ろされて、和泉は顔面蒼白になっていた。
一臣がこんなに怒っているところを見たのは初めてで、万葉も驚いて言葉も出ない。
それに、今日の一臣はいつもと違った。
「そもそもだ。万葉のことは、教授の娘だから選んだんじゃない。俺はお前と出会う前から……医学部時代から万葉のことがずっと好きだったんだからな」
万葉は驚きに目を見張った。
そんなの初耳である。
「万葉はどんな境遇の女性でも差別したりしない、正直で心の綺麗な女性なんだ。俺はお前みたいに簡単に嘘ついたり、一般の人たちを見下しているような医者に診てもらう患者が可哀そうだと思うよ」
「……っ」
和泉は悔しそうに唇を噛むと、その場を脱兎のごとく逃げ出した。
万葉は彼女の背をしばらく黙って眺めた。
「ごめんね、川上は同期なんだけど、あんな感じで出会ったばかりの頃から一方的に言い寄られてて、結婚式にも呼ばなかったんだ。それを良いことに、元恋人だって噂を流されててさ……」
一臣が心底申し訳なさそうに謝罪してくる。
だがしかし、万葉は違うことが気になっていた。
「ん? あれ? 万葉さん、呆れてモノも言えない感じ? って、まさか……」
一臣が慌てて耳にかかったマスクを口に戻そうとしたけれど、残念ながら風に吹かれて落ちて行く。
そうして、一臣が耳まで赤くして嘆き出した。
「情けないな……徹夜明けで……髭も伸び放題だし……万葉さんの前では綺麗な男の人に見えるように頑張ってたのにな」
当直続きで忙しすぎたのだろう。
綺麗な顔立ちでいつも清潔にしている一臣だったが……。


