お見合い妻はエリート外科医の溺愛に気付かない




 ドクン。
 女性の声がして振り返る。
 立っていたのは、綺麗な黒髪をポニーテールにした白衣の女性だった。
 名札に“心臓血管外科”と記載されていて、一臣と同じ医局所属の女医だということが分かる。
 そうして、万葉は女性の名前を見て目を見開いた。

 ――川上和泉。

 一臣の元恋人という女性だ。
 万葉と違って美人で頭もすごく良さそうな雰囲気を漂わせている。
 ドクンドクンドクン。
 どっと汗が噴き出してきた。
 結婚式の悪夢を思い出す。
 もしも知らなければ――今頃、一臣と幸せに過ごせていたかもしれないのに。
 万葉は喉元まで嫌な何かが込み上げてくるのを、なんとか唾を飲み込んで耐える。

(もしかして、一臣さんは川上さんが正面玄関付近にいるって気づいてたから、危険だって言ってたの?)

 妻と元恋人が一緒に出くわすのは危険だと思ったのだろうか?
 川上和泉が憮然とした表情で尋ねてくる。

「何しに来たんですか?」

「一臣さんに書類を届けに……」

「一臣が頼んだの?」

 夫の名前を呼び捨てにしていて正直不快だ。
 倒れそうだけどなんとか踏みとどまって、万葉は返す。

「私が勝手に……持ってきただけです」

「だったら、私が持っていってさしあげましょうか?」

「いいえ、一臣さんが来る……はずだから……」

 だけど、SNSメールの内容だと「取りに来る」とは言ってなかった。

「先ほどからしばらく立っていたみたいですけど、一臣は全然来ないじゃないですか? 押し掛けられて迷惑だと思われているんじゃ? そもそも日中も夜も私と一緒にいますしね、一臣は」

 万葉はぐっと言葉に詰まった。
 和泉が両肩をすくめながら返す。

「有名な教授の娘で旦那も医者で、昼間は仕事をせずに過ごせて、暇みたいで本当に羨ましいわ。教授の娘さんだから選ばれただけの存在なのに……」

 そうして、和泉がふふんと笑った。

「そもそも医療の知識も何も持たない一般人のくせに、一臣と対等に立とうだなんて許せないんだから。それとも、所詮は一臣もその程度の男だったってことかしら?」
 
 万葉はぐっと相手を睨む。
 ちょうど昼過ぎで患者の出入りも少ない時間で良かった。
 守衛も少しだけ遠くて我々の会話だって聞こえていないだろう。
 毅然とした調子で返した。

「私を悪く言うのは良いですが、一臣さんのことを馬鹿にするのは止めてください」

 まさか何か返されるとは思っていなかったのだろう。
 和泉がみるみる鬼のような形相へと変わっていく。
 そうして、勢いよく手を振り上げた。

「なんですって……!」

 打たれる……!
 咄嗟に覚悟を決めた、その時。