「ピエモンテ州を代表するワインは、アスティとガヴィと…」
ワインセラーの前でワインを選んでいる圭太は、言葉に詰まった。
「なんだっけ。思い出せない」
そうひとり言を呟いた直後、後ろから声をかけられる。
「カルーゾ、ロエロもだよ」
笹井マネージャーだ。
「そう、そうでした!ありがとうございます!」
圭太のコン・ブリオでの勤務経験が3年を過ぎたので、ソムリエの受験資格が得られた。お酒が飲めるようになって5年。ワインもいくらか飲むけれど、まだその世界に馴染んではいない。
「せっかくいい教材がお店にあるんだから、どんどん見て触れて勉強するといいよ。」
勝手に飲んだら怒られるけどね、とからかわれながら笹井マネージャーに教えてもらったワインの銘柄のメモを取る。
来年の試験で受かるかどうか、自信なんてないけれど、とにかく勉強するのみだ。言われるがままにワインを注ぐだけでなくて、提案したり説明したりして、楽しませたい。
誰って?もちろんお客様を、だって。
そのときふと、先日一人で来店してワイングラスを傾けていた智香の横顔が圭太の頭に浮かんだ。グラスの中のルビーレッドを見つめる穏やかな笑顔。穏やかで満たされているはずなのに、独りぼっちだと、どこか寂しそうにも見える。
お客様ももちろんだけど、1人の女の子を笑顔にしてあげられる術が、圭太はひとつでも多く欲しかった。
なんていうんだろう、こういうの。好きなんていうのはおこがましい。知りたい、近づきたいって思うこと。
「恋だね」
「ヒィィ!」
いなくなったと思った笹井マネージャーが背後からいきなり圭太にそう言ったので、つい悲鳴を上げてしまった。心の中を読まれたのかと思ったのだ。
「なんですか、いきなり!事務室に戻ったんじゃなかったんですか!」
「いや、内田君、最近いろいろ頑張っているから気になって。」
頑張っている。他の誰かからそう見えることが、嬉しいような、恥ずかしいような、それでも見てくれている人がいるのはありがたいことに思えた。
「恋をしているんだなと思って。」
次の瞬間の笹井マネージャーの言葉に、圭太はやめてくださいよ、と交わしてまたワインのチェックを始めた。在庫数も確認しておかなければならなかったのだ。に、し、ろく、とボトルの数を数える。その横で、笹井マネージャーがぽつりと言った。
「ソムリエは、きちんと勉強すれば受かるよ。大丈夫」
圭太は思わず視線をそちらに向けた。
「でも恋の努力は、必ずしも実るわけじゃないからね。大変なことだね。」
言われなくてもわかっている、そんなことは。
だからおじさんの独り言、ということにしようと思って圭太はまた手を動かし始める。そうだ、報われる保証なんかない。それでも自分を動かすエネルギーになってしまうもの。そうでもしないと持て余してしまう。この感情。
「でも、素敵なことだね」
続けてそう言った笹井マネージャーの目つきは、こういうときちょっといやらしい感じもしていたが、今日はただ優しかった。
「僕、何も言ってないんですけど」
「ははは。歳をとると色々なものがよく見えるんだよ。君によく似た人が前にもいたからね」
「そうなんですか?」
「うん、見た目にはいつも通りだったけどね。ちょっとだけど、わかっていたんだ。忙しさは増しているのに、嬉しそうっていうかね。ただ一人の人を自分の手で笑顔にしてあげたいっていうのがすごく感じられたね」
その言葉に、圭太はよく似た人というのが近くにいる人なのだと思った。似ている、なんておこがましい、とも。
「僕は、笹井マネージャーのようになりたくないです」
「なんてこと言うんだ、内田君」
だって、いろんなことが見えすぎたら、それも困る気がしたから。
受かるかわからない試験だから頑張れるみたいに。たとえうまくいかなくても、それでも無駄じゃないはずだ。
ワインセラーの前でワインを選んでいる圭太は、言葉に詰まった。
「なんだっけ。思い出せない」
そうひとり言を呟いた直後、後ろから声をかけられる。
「カルーゾ、ロエロもだよ」
笹井マネージャーだ。
「そう、そうでした!ありがとうございます!」
圭太のコン・ブリオでの勤務経験が3年を過ぎたので、ソムリエの受験資格が得られた。お酒が飲めるようになって5年。ワインもいくらか飲むけれど、まだその世界に馴染んではいない。
「せっかくいい教材がお店にあるんだから、どんどん見て触れて勉強するといいよ。」
勝手に飲んだら怒られるけどね、とからかわれながら笹井マネージャーに教えてもらったワインの銘柄のメモを取る。
来年の試験で受かるかどうか、自信なんてないけれど、とにかく勉強するのみだ。言われるがままにワインを注ぐだけでなくて、提案したり説明したりして、楽しませたい。
誰って?もちろんお客様を、だって。
そのときふと、先日一人で来店してワイングラスを傾けていた智香の横顔が圭太の頭に浮かんだ。グラスの中のルビーレッドを見つめる穏やかな笑顔。穏やかで満たされているはずなのに、独りぼっちだと、どこか寂しそうにも見える。
お客様ももちろんだけど、1人の女の子を笑顔にしてあげられる術が、圭太はひとつでも多く欲しかった。
なんていうんだろう、こういうの。好きなんていうのはおこがましい。知りたい、近づきたいって思うこと。
「恋だね」
「ヒィィ!」
いなくなったと思った笹井マネージャーが背後からいきなり圭太にそう言ったので、つい悲鳴を上げてしまった。心の中を読まれたのかと思ったのだ。
「なんですか、いきなり!事務室に戻ったんじゃなかったんですか!」
「いや、内田君、最近いろいろ頑張っているから気になって。」
頑張っている。他の誰かからそう見えることが、嬉しいような、恥ずかしいような、それでも見てくれている人がいるのはありがたいことに思えた。
「恋をしているんだなと思って。」
次の瞬間の笹井マネージャーの言葉に、圭太はやめてくださいよ、と交わしてまたワインのチェックを始めた。在庫数も確認しておかなければならなかったのだ。に、し、ろく、とボトルの数を数える。その横で、笹井マネージャーがぽつりと言った。
「ソムリエは、きちんと勉強すれば受かるよ。大丈夫」
圭太は思わず視線をそちらに向けた。
「でも恋の努力は、必ずしも実るわけじゃないからね。大変なことだね。」
言われなくてもわかっている、そんなことは。
だからおじさんの独り言、ということにしようと思って圭太はまた手を動かし始める。そうだ、報われる保証なんかない。それでも自分を動かすエネルギーになってしまうもの。そうでもしないと持て余してしまう。この感情。
「でも、素敵なことだね」
続けてそう言った笹井マネージャーの目つきは、こういうときちょっといやらしい感じもしていたが、今日はただ優しかった。
「僕、何も言ってないんですけど」
「ははは。歳をとると色々なものがよく見えるんだよ。君によく似た人が前にもいたからね」
「そうなんですか?」
「うん、見た目にはいつも通りだったけどね。ちょっとだけど、わかっていたんだ。忙しさは増しているのに、嬉しそうっていうかね。ただ一人の人を自分の手で笑顔にしてあげたいっていうのがすごく感じられたね」
その言葉に、圭太はよく似た人というのが近くにいる人なのだと思った。似ている、なんておこがましい、とも。
「僕は、笹井マネージャーのようになりたくないです」
「なんてこと言うんだ、内田君」
だって、いろんなことが見えすぎたら、それも困る気がしたから。
受かるかわからない試験だから頑張れるみたいに。たとえうまくいかなくても、それでも無駄じゃないはずだ。



