ニュースの目玉の大型台風は温帯低気圧に変わり、大雨を西日本一帯に降らせた。
東京もその影響か、曇り空が続いていた。
2週間ぶりのまともな休日。
今日はコン・ブリオに行く予定だった。その薄暗い空の影響(と、智香は信じている)で、ついうっかり二度寝をしたためにランチタイムを逃した智香は、いつでもいいというオーナーシェフの言葉に甘えて、夜にコン・ブリオへ向かった。
仕事や仕事の後で行くならジーンズでも気にしないが、家から行くとなれば、少しはきちんとしようと思う。紺色のジャケットに、ベージュのワイドパンツ。それから、久しぶりにアクセサリーも付けた。金色の時計に合う同じゴールドのフープのピアス。雑貨屋で買うようなものよりは、ちょっとだけいいやつ。お化粧もいつもみたいに眉毛を書くだけでなく、珍しく目にも唇にも色を塗った。去年買ったちょっと落ち着いたレッドの口紅。大人っぽい色に憧れて手にしたその色は、少しは似合うようになっただろうか。
ジャケットの内側は安価なブラウスではあったけれど、できる範囲でも整えて行きたい気持ちだった。
同志、と言ってもらえた一流シェフのお店が似合う自分で行きたい、と思ったから。
「ようこそ、コン・ブリオへ」
店のドアを開けた智香に、笹井マネージャーは他の客と同じように笑顔と丁寧な会釈で出迎えてくれた。
こういうとき、驚いたり、からかったりすることなく、他の人と同じように接してくれるマネージャーはさすが一流と感じさせる。
「すみません、今日は取材じゃなくて、あの。」
「伺っております。こちらへ」
そう言って案内されたのは、一番奥の、一番眺めのいい席。夜景が見えるとか、そういうのじゃない。L字型の中央にあたる。道路側も、小さな庭に面したテラス席も見渡せる、特等席だ。
そこからは、すべてのスタッフの動きが見えた。ナイフとフォークを置いた瞬間を見計らって即座に動くスタッフ、それから厨房から掛け声とともに差し出された料理を今だといわんばかりのタイミングでテーブルに運ぶスタッフ。
それは、アートでもあり、アミューズメントでもある。そう感じずにはいられないテンポと、心地よさ。人々のおしゃべりも笑い声も、少しもうるさくない。心地よいBGMとなって智香の耳を喜ばせる。
こうしてその中に身を沈めて、レストランという一つの空間には雑多な感情が溢れていることを改めて知る。家族だったり、友人だったり、恋人だったり。楽しい話も決してそうではない話も、それでも、大切な会話があり、意味のある時間があり、そしてそこにはだれかの想いをのせた料理があった。
それらを飲みこむように智香が最初の一杯目のスプマンテを喉に通した。グラスはクリアになって、世界をはっきりと映す。見える範囲の世界。限られた世界。それでもとても美しい世界。



