「ん~~絶品!サバがこんなにおいしくなるなんて!天才じゃないですか!」
頬に手を当てて智香は感激したように料理を口に入れた。
「よかったな、粕谷くん」
哲也にそう声をかけてもらって、厨房の若手スタッフ粕谷は少しだけ照れたように笑顔をみせて頭をかいた。
コン・ブリオのまかないは若手スタッフ数人が日替わりで担当している。担当者は残った食材だったり、市場で思いがけず手に入れたものだったり、メーカーからもらったサンプルだったり、とにかくありあわせでスタッフ全員分のお腹と心を満たさなければならない。
しかし、これがまたいい修行でもあるのだ。哲也や他の先輩シェフからアドバイスをもらえる貴重な場でもある。
脂ののったサバをさっぱりとレモンでイタリア風マリネにした料理は、どうやら智香の胃袋をガッチリ掴んだらしい。
「ああ、粕谷くんと一緒に暮らしてこの料理を毎日食べたいです~」
智香が最後の一口を名残惜しそうに口に入れつつ、そう口にした瞬間だった。
「ダメです!」
一同が言葉の主に視線を向ける。そう言ったのは圭太だった。
自分で言いつつ圭太は動揺して、しどろもどろに言う。
「や、その。粕谷くんには、彼女がいるので」
「そうなの?」
智香が聞くと、粕谷はまた照れながら頭をかいて答えた。
「高校の同級生なんですけど。ずっと付き合ってて。」
「え~いいなあ、彼女さんが羨ましいです!」
「智香ちゃんの彼氏になるなら胃袋を掴まないとなんだな」
料理目当ての智香に石崎シェフが言うと、一同は笑った。みんなと一緒に笑いながら圭太は少しだけぎこちない笑みを作る。冷や汗をかいているようにも見えるし安堵しているようにも見えるかもしれない。
なぜなら自分の秘めた想い(と言っても笹井マネージャーにはすでにばれている)に気づかれなくてほっとしたのと、胃袋を掴まなければいけないという課題を見つけたからだ。
「内田くんも家では料理するんだよね」
話題を振ってきたのは笹井マネージャー。いつも穏やかな微笑みを見せる初老の男性が、いつになく楽しそうに笑顔をみせた。
「あ、えっと。そうですね。まあ、一人暮らしも5年目ですし!ちょっとしたものならそれなりに!」
言いながら、圭太はまた冷や汗をかいていた。動揺をかき消すように立ち上がると人数分のコーヒーカップを用意する。
嘘、ではない。市販のルウを使ったカレーやシチューなら問題なし。目玉焼きも作れる。マヨネーズを入れて作るスクランブルエッグは前の彼女に褒めてもらったことだってある。これらがちょっとしたものの一部であるが、ごく普通の私立文系大学を出た圭太料理を学んだことなどもちろんない。基本的にコン・ブリオのまかないで栄養をとっているので自炊の必要がないのだ。
圭太は「どうぞ」とマシン頼みのおいしいコーヒーをスタッフたちに差し出した。それを受け取る調理スタッフの手の傷の多さに、自分の手がやけにきれいに見えた。彼らの手は、水や包丁を扱う仕事でいつだって勇敢な男の手をしていた。
きれいな手、というのが恥ずかしくも思えてしまうこの職場。
そんな圭太の考えていることなど、何も知らない智香は嬉しそうに熱をもったコーヒーカップを受け取る。
「やっぱり飲食関係の人はみんな料理ができるんですねえ」
関心したように智香は言いながら淹れてもらったばかりの熱いコーヒーを啜った。
「智香ちゃんは?」
「綾乃さんとおんなじですよ。食べる専門です!」
そんな智香の言葉に一同は声をあげて笑いつつ、石崎シェフがクスっと微笑んで言った。
「恋をすると変わるかもね。綾乃が最近、夜食を作って待っていてくれるんだ。おにぎりとか、味噌汁とか、あれがうまくてさ。」
「ノロケですか。いいですねえ、新婚さんは」
笹井マネージャーにぽつりとからかわれるように言われて石崎シェフは幸せそうにまた微笑んだ。
恋をすると変わる。
その言葉を聞くまでもなく、変わりたい、と圭太は思っていた。少しずつだけど行動も起こし始めているつもりだ。店に出る前の身だしなみとか、気になる資格の資料を取り寄せることだとか。
そんな自分をもっと見て欲しい。知って欲しい。
そんな下心を誤魔化すように、圭太は静かにコーヒーカップを口元に運んで、顔の半分を隠した。
頬に手を当てて智香は感激したように料理を口に入れた。
「よかったな、粕谷くん」
哲也にそう声をかけてもらって、厨房の若手スタッフ粕谷は少しだけ照れたように笑顔をみせて頭をかいた。
コン・ブリオのまかないは若手スタッフ数人が日替わりで担当している。担当者は残った食材だったり、市場で思いがけず手に入れたものだったり、メーカーからもらったサンプルだったり、とにかくありあわせでスタッフ全員分のお腹と心を満たさなければならない。
しかし、これがまたいい修行でもあるのだ。哲也や他の先輩シェフからアドバイスをもらえる貴重な場でもある。
脂ののったサバをさっぱりとレモンでイタリア風マリネにした料理は、どうやら智香の胃袋をガッチリ掴んだらしい。
「ああ、粕谷くんと一緒に暮らしてこの料理を毎日食べたいです~」
智香が最後の一口を名残惜しそうに口に入れつつ、そう口にした瞬間だった。
「ダメです!」
一同が言葉の主に視線を向ける。そう言ったのは圭太だった。
自分で言いつつ圭太は動揺して、しどろもどろに言う。
「や、その。粕谷くんには、彼女がいるので」
「そうなの?」
智香が聞くと、粕谷はまた照れながら頭をかいて答えた。
「高校の同級生なんですけど。ずっと付き合ってて。」
「え~いいなあ、彼女さんが羨ましいです!」
「智香ちゃんの彼氏になるなら胃袋を掴まないとなんだな」
料理目当ての智香に石崎シェフが言うと、一同は笑った。みんなと一緒に笑いながら圭太は少しだけぎこちない笑みを作る。冷や汗をかいているようにも見えるし安堵しているようにも見えるかもしれない。
なぜなら自分の秘めた想い(と言っても笹井マネージャーにはすでにばれている)に気づかれなくてほっとしたのと、胃袋を掴まなければいけないという課題を見つけたからだ。
「内田くんも家では料理するんだよね」
話題を振ってきたのは笹井マネージャー。いつも穏やかな微笑みを見せる初老の男性が、いつになく楽しそうに笑顔をみせた。
「あ、えっと。そうですね。まあ、一人暮らしも5年目ですし!ちょっとしたものならそれなりに!」
言いながら、圭太はまた冷や汗をかいていた。動揺をかき消すように立ち上がると人数分のコーヒーカップを用意する。
嘘、ではない。市販のルウを使ったカレーやシチューなら問題なし。目玉焼きも作れる。マヨネーズを入れて作るスクランブルエッグは前の彼女に褒めてもらったことだってある。これらがちょっとしたものの一部であるが、ごく普通の私立文系大学を出た圭太料理を学んだことなどもちろんない。基本的にコン・ブリオのまかないで栄養をとっているので自炊の必要がないのだ。
圭太は「どうぞ」とマシン頼みのおいしいコーヒーをスタッフたちに差し出した。それを受け取る調理スタッフの手の傷の多さに、自分の手がやけにきれいに見えた。彼らの手は、水や包丁を扱う仕事でいつだって勇敢な男の手をしていた。
きれいな手、というのが恥ずかしくも思えてしまうこの職場。
そんな圭太の考えていることなど、何も知らない智香は嬉しそうに熱をもったコーヒーカップを受け取る。
「やっぱり飲食関係の人はみんな料理ができるんですねえ」
関心したように智香は言いながら淹れてもらったばかりの熱いコーヒーを啜った。
「智香ちゃんは?」
「綾乃さんとおんなじですよ。食べる専門です!」
そんな智香の言葉に一同は声をあげて笑いつつ、石崎シェフがクスっと微笑んで言った。
「恋をすると変わるかもね。綾乃が最近、夜食を作って待っていてくれるんだ。おにぎりとか、味噌汁とか、あれがうまくてさ。」
「ノロケですか。いいですねえ、新婚さんは」
笹井マネージャーにぽつりとからかわれるように言われて石崎シェフは幸せそうにまた微笑んだ。
恋をすると変わる。
その言葉を聞くまでもなく、変わりたい、と圭太は思っていた。少しずつだけど行動も起こし始めているつもりだ。店に出る前の身だしなみとか、気になる資格の資料を取り寄せることだとか。
そんな自分をもっと見て欲しい。知って欲しい。
そんな下心を誤魔化すように、圭太は静かにコーヒーカップを口元に運んで、顔の半分を隠した。



