未完成のティラミス

地下鉄に乗り込むと、あと一駅、というところで信号トラブルだとかで停車する。
どうしてこういう時に限って、ハプニングが起きるのだろう。圭太はいてもたってもいられず走ることにした。

都会の一駅はたいした距離じゃない、と思って駆け出してみたものの、傘を差しても容赦なく雨は自分に降り注ぐ。それでも走る。仕事用の靴は店のロッカーに入っているし、濡れたってかまわない。強風で傘が役に立たなくなり、当然朝整えたはずの髪型もぐしゃぐしゃ。水もしたたるいい男だ、なんていつになく強気で交差点を走り抜けると、ようやく着いたテレビ局の回転式ドアをくぐって受付に行く。

受付の女性に事情を話すと、5分程して智香が駆け足でロビーまでやってきた。

「圭太君、どうして?ちょっと、タオル持ってくる!」

びしょ濡れの圭太を心配してタオルを取りに戻ろうとした智香を、圭太は腕をつかんで引き留めた。あの時掴めなかった手を、今日は掴むことができた。

「待って、これを!」

用意しておいた手帳とスマートフォンを袋に包んだまま差し出すと、智香は目を丸くした。

「これ!やっぱりコン・ブリオにあったんだ!それで持ってきてくれたんだね。雨の中なのに」

嬉しそうな表情をしつつも、すぐに智香は申し訳なさそうに圭太に視線を向ける。

「どっちも中身、見てませんから!」
「そんなこと疑うわけないじゃん!圭太君が、そんなことするなんて」

言いながら、智香の動揺はやっと静まってくる。

「大丈夫でしたか?なんかすごい鳴っていたみたいなので」

必要なものをちゃんと届けられたのか、確認したかった。大丈夫だったよ、という一言を待つ圭太に対し、智香は言いづらそうに口を開いた。
「まあ、いろいろあったけど、なんとか…仕方ないというか、上司には怒られたけど…こっちは大丈夫!でも、こんなふうに届けてくれると思わなくて」

笑顔を見せながらも、反省しているだろうし、いくらか落ち込んでいるだろう。はっきりしたことを言わない智香に、やはり距離は感じる。結局自分ができることなんて大したことではいのだ。

「ありがとう。嬉しかった」

そこには徹夜明けと思われる疲れとおそらくは説教を受けたであろう落ち込んだ顔色を見せながらも、見慣れた智香の明るい笑顔が見えた。
その表情に圭太はやっと安心できる。それを聞いただけで、走ってよかった、と思った。

そしてようやく汗なのか雨なのかわからない水滴をぬぐう。智香はどこからか持ってきたタオルを圭太に渡して、もう一度お礼を言った。

「気を付けて戻ってね。それからコン・ブリオのみなさんにも謝っておいて。圭太君抜けて、大変だっただろうから」

智香が持ってきてくれたタオルを抱えながら、圭太はまた大雨の中を戻った。どんな嵐の中でも、まだまだ走れそうだった。