溺れるほど、きみが好き~国民的アイドルと初恋の幼馴染に奪い合われて、困ってます~

「いってきまーす!」

 太陽と一緒に家を出ると、朝のひんやりした空気が頬をなでた。

「じゃあ、姉ちゃん、気をつけて」

「あんたもね」

 どこか呆れ顔の弟に笑い返し、私は自転車にまたがる。
 ペダルをひと踏みすると、タイヤが静かに回り出した。

 振り返れば、古びた木造の一軒家。
 朝日に照らされた屋根が、ほんのり赤く染まっている。

 一瞬だけ目を留めてから、また前を向いた。

 少し進むと、道は線路沿いへとつながる。
 右手に電車の高架を感じながら、風を切って走る。

 このまっすぐな道、けっこう長いんだよね。

 ところどころに現れる障害物を、ひょいひょいとかわして進む。
 古い建物の影を抜け、工事現場のフェンスを避け、そしてアンダーパスの薄暗いトンネルへ。

 足に力を込めるたび、息がじわりと上がっていく。

 え? なんでこんなに大変そうなのかって?
 なんで電車じゃないのかって?

 さすがに、もうわかるでしょう。

 通学費を少しでも減らすために、本来なら電車で行く学校までの道のりを、自転車で走っている。
 しかも、このおんぼろ自転車で。

 ギーッと、さっきからすごい音を立てる。
 きっと錆びてるせいだろう。新しいのを買うお金なんてないし。

 ……でも、我ながら根性あると思うんだよね。

 距離? 何キロあるかなんて測ったことないけど、かなりの道のりだ。

 夏なんか、汗でびっしょりになる。
 今はまだ春だから、なんとか平気だけど。



 しばらく走ると、景色は少しずつにぎやかさを増して、やがて街中へ入った。

 コンビニの前にたむろする学生たち。
 カフェの窓際に座る、出勤前の会社員たち。
 信号待ちで止まる車の列と、あわただしく行き交う人々。

 ビルのすき間から朝の陽ざしが差し込んで、アスファルトの上に光を落とし、きらきらと反射していた。

 そんな中――
 私には、ちょっとした楽しみがある。

 ふと顔を上げると、ある商業ビルの側面に設置された巨大モニターが目に入った。

 映っているのは、イケメンアイドル。

 爽やかな笑顔でジュースのコマーシャルをしている。
 画面越しにウインクを送られた私は、思わず頬がゆるんだ。

「今日もカッコいい……」

 しばし、ぼーっと見惚れる。
 これ、私の毎朝の日課だ。

 アキラ。

 いまや押しも押されぬ、超売れっ子アイドル。
 三人組ユニット「スターライト」の、不動のセンター。

 一緒に信号待ちをしている女子高生たちが、アキラを見てキャッキャ騒いでいる。

 ふふん、と私は得意げになる。
 うんうん、格好いいよね。でも、もっと特別な理由があった。

 だって――

 私は、アキラの彼女だから。



 芸名は、アキラ。
 「スターライト」の顔ともいえる存在。

 歌も踊りも上手いし、演技だってできる。

 本名は、杉本(すぎもと)あきら。

 とっても純粋で、優しい人。でもちょっとドジで、放っておけないタイプかな。
 そこがまた、憎めない。

 超イケメンで優しくて、私の最高の彼氏なのだ。

 なんでアイドルと付き合ってるのかって?
 話せば、少し長くなるんだけど。



 私とあきらの出会いは。

 今思えば、偶然にしてはできすぎだった。
 あとで本人から「あれはわざとだったんだよ」なんて聞かされたときは、ほんと、開いた口が塞がらなかったな。

 あれは、ちょうど一年前くらいのこと。

 休日で、少し時間を持て余していた私は、気晴らしに街をぶらぶら歩いていた。
 そんなとき。


 ***


「はあ~」

 煌びやかなショーウィンドウを眺めながら、大きなため息をつく。
 ガラスの向こうには、私好みの服がずらり。

「だめ、だめ。そんなお金、私にはないんだから」

 頭をぶんぶん振って欲望を追い払おうとしたとき、店から出てきた女の子と目が合った。

 ……にらまれた?

 「なにこの子?」と言いたげな視線に、たじろぐ。
 隣には、どう見ても彼氏らしきイケメン。

「ねえ、今日はありがとう」
「ああ、いいよ」

 二人は嬉しそうに微笑み合い、女の子は大事そうに紙袋を抱えている。
 彼氏は満足そうに微笑んで、

 そのまま、腕を組んで去っていった。

 ひゅうっと風が通り抜けるような気がした。
 なんだか、むなしい。

 がっくりと肩を落とした。