レディ・クロックの夏休み〜働き者の令嬢は、婚約破棄により「お休み」いたします?!〜

緊張と不安で身体を硬くしながら迎えた、キャンベル家での休暇。
青空広がる爽やかな朝に似合わない、硬い表情で迎えたアナベル。

「お休みだから、こういった服でも良いんじゃない?」

母親に推された衣装に着替えたアナベルは鏡の前で姿を確かめる。白の線が入った、瞳と同じ色の麻生地のワンピースを着ている自分は、雑誌などで見たことのある『ザ、休暇の姿』であった。慣れない様子で鏡の前でパーズを取って確認するアナベルを、イーサンが馬車で迎えに来た。

日頃きっちりとした黒スーツに身を包む彼は、今日はリネンのサマージャケットに白シャツ、スラックスパンツという、比較的ラフな格好であった。

「お休みだからね。のんびりスタイル」

そそう話す彼の顔つきも髪の毛も、不思議といつもより柔らかく感じられる。紳士店に並ぶ目麗しいマネキンのような、普段とはまた違う印象に驚愕したアナベルは、彼の頭から靴の先までまじまじと見てしまった。

(…印象が違って見えるものね)

確かに、今まで友人と遊ぶのが休日であっても、相手と場に相応しい服を選ぶのが普通だ。親しき仲にも礼儀ありと、例えお互いよく知る親しい人であろうと、自然とクラシックな服装に落ち着くものだ。
彼にはそれが似合っていたし、好んでもいた。

しかし考えてみれば今日から2日間は休暇なのだ。それも外に出る訳でなく、屋敷の中。つまり存分にゆったりできる服装が適している訳である。なるほど。これが相応しい格好か、休暇効果か。
改めて自分のワンピースと交互に確認し、アナベルは1人納得した。

家族に見送られ、アナベルとイーサンを乗せた馬車は走り出す。カポカポと揺れる馬車の中で、アナベルは改めてイーサンに宿泊と休暇のお礼を伝えれば、彼は顔をほころばせる。

「こちらが誘ったんだ。アナベルはどーんと大船に乗った気分でいて。明日までクルーズ船に負けないバカンスを堪能してもらおうと思っているから」

海の上でないから氷山が浮かんでいる心配もないし、そもそも沈む心配もない、なんて身振りを加えながら大袈裟に話すイーサンに、アナベルはようやく自然と笑顔を浮かべた。
彼と話している内にネガティブな感情は少しずつ和らいでいく。
1人ではグダグダと悩んでいただろうと、イーサンが迎えに来てくれたことに彼女は心の底から感謝した。


✴︎


1時間半後、キャンベル家の王都屋敷に到着した。

「よく来てくれたわね!アナベル!」

馬車から降りた途端、アナベルは熱烈な抱擁で出迎えられた。

金色の髪と笑顔を輝かせるイーサンの母親、レティシア侯爵夫人だ。
彼女はアナベルが大好きである。8年前の茶話会から、アナベルの実直で献身的な性格や笑顔に、彼女は惚れ込んだ。会えばとびきりの抱擁と、手厚いおもてなしでアナベルを迎え、帰りには手土産をどっさり持たせる。何か怖い思いや手助けできることはないかとアナベルを気にかけ、とことん可愛がっている。
かつて病弱で屋敷から出られなかった息子の未来を憂い、毎日涙に暮れていたと聞いているが、そんな姿を全く想像できないほど元気で笑顔の絶えない女性だ。

アナベルも、レティシアが大好きである。いつでも天真爛漫で、可愛らしい笑顔の、止まるところの知らない想像力と行動力に自然と力を貰える、など様々な理由が浮かび上がるが、素直に「あぁ好きだな」と思い、胸が温かくなるのだ。
先日の夜会では挨拶を交わしただけーー元婚約者はキャンベル家が苦手である。そもそもベルナルド家とキャンベル家はあまり仲が良くない、らしい。貴族社会で密かに流れている噂であるーーで帰ってしまったため、きちんと話をするのは1ヶ月ぶりだ。彼女の夫、つまりイーサンの父親は急に仕事が入ってしまい夕方に帰宅する予定だと、少し残念そうにレティシアは教えてくれた。

すっかり話し込んでいる2人だがまだ玄関ホールにも入っていない。苦笑するイーサンに声をかけられてようやく気づいたアナベルとレティシアは、その可笑しさに笑ってしまう。

「ごめんなさいね!さ、お部屋に案内するわ。ソフィアお願いね」

「はいレティシア様。アナベル様、どうぞこちらへ」

レティシアの侍女、ソフィアの案内で、泊まる部屋へと向かう。その部屋は今日のために用意したと聞き、てっきり客室に泊まるものだと思っていたアナベルは再び緊張で身体を固くしたが、実際に部屋に足を踏み入れた瞬間に魅力されてしまった。
爽やかなライトグリーンと白のコンビネーションで統一された室内は、至る所に植物をデザインしたデザイン。爽やかなムスクも香ってくる。アナベルが忙しなく部屋を見ていると、扉をノックと共に「アナベル、いいかな?」とイーサンの声がした。

「どうぞ」

「失礼。部屋はどうかな?なにか足らなかったりしたら言ってね。すぐに備えるから」

「とても素晴らしい部屋よ。感謝の言葉しか出てこないわ」

イーサンは一層顔を綻ばせた。母とメイドたちと張り切って部屋を整えたと心底嬉しそうに笑っている。

「まだお昼ご飯まで時間があるんだ。良かったら改めて屋敷を案内できればと思っているんだけど、どうかな?」

アナベルは目を輝かせた。今まで何度も屋敷を訪ねているが、来客は大広間か食堂、中庭が主な交流の場所になっている。ゆっくりと他の部屋を見たことがなかったのだ。
頷いたアナベルは、彼に連れられて屋敷を巡っていく。

仕事のやり易さを考え、領地とは別に王都の土地を買い、建てた屋敷。『遊び』の意味を持つ、セカンドハウス・ジュ。キャンベル家侯爵家族と、使用人たちが暮らしているこの屋敷で1番驚くのは、その設備性能の高さだ。
例えば先日夜会が開かれた大広間では、誰もが全く暑苦しさを感じなかった。まだ夏の入りで動けば汗を滲ませる時期にも関わらず、だ。
イーサン曰く、屋敷全体に空気や湿度を適切に調節する設備が導入されている、とのこと。
バーンズ家も他の屋敷と比べれば高い基準を備えているが、キャンベル家には劣る。他にもキッチンには水蒸気調理付きの電気オーブン、洗濯室には自動洗濯機、浴室の床に暖房など。浴室は使用人用とは別に、2つも備えている。
どこも適した最適の設備性能が導入されており、かといって誇張されていない。家主の財力と、技術、そしてつつましさを実現している最先端の建物であった。
そんな屋敷で働く使用人たちも、イキイキと活躍している。彼らが働く姿を見れば、誇りを持っていることがよくわかる。バーンズ家だって負けてはいないが、ここは本当に素敵な場所だとアナベルは心の底から思えるのだ。





昼食の時間を迎え、アナベル、イーサン、レティシアの3人は中庭にある、鳥かごのようなガゼボに集まった。アスファルトシングルの屋根の下は十分大きな影に覆われており、1部屋ほどの広いスペースに風が吹くたびに涼しさを感じた。
料理人たちが料理を運んできた。その1人は、イーサンよりも背が高く、運動選手のようのように体格がいい。
準備を整えた彼らは、イーサンの横に立った。

「改めて紹介するよ。彼らがキャンベル家自慢の料理人たち。そして私の横にいるのが、アイザックだ」

「アイザック・ファウラーと申します。お会いできて光栄です、アナベル様」

爽やかな笑顔を浮かべる背が1番高い男性こそ、キャンベル家の主要料理人であった。

イーサンとケーキ屋で休息を取っていた際のこと。店主が席まで挨拶に来てくれたのだ。彼女は来店について礼を伝えた後、こう続けた。

『ぜひアイザックにもお会いください。この国で最も優れた料理人の1人…そして私の人生で出会った随一の変人です』

「お邪魔する機会が多かったのに、お会いするのは初めてね」

「特に私とはとことん都合が合わなかったものですから…」

夜会や茶話会の厨房は、ひときわ忙しい。全身全霊をかけて料理を作り上げ、ようやくひと段落した時には、会はお開きになっているのが常だ。
料理人の何人かは顔を合わせたことがあるが、タイミングが上手く会った時かパーティーで演出がなされた時だけだった。今並ぶ中では、スパイスと演出料理専門の女性料理人、飲料に特化した料理人はよく夜会でその手腕を振るっているため顔なじみだ。今は片付けのため厨房に残っている最年長者で厨房責任者のジャック、また夢を叶えるためにキャンベル家を辞めたーーここ2年は修行のため諸外国を巡っているーー料理人には、本当に昔からお世話になっている。


だがアイザックとはからっきし、機会がなかった。
それは彼の運が悪いとしか言いようがない。アナベルが個人的にキャンベル家に遊びにきたとしても、彼の休みの日と重なっている、急に外から呼び出しがかかる。またアイザックはキャンベル家の主要料理人として働く一方、己のレストランも開いているため、2人が会うタイミングが今日まで巡り合わなかったのだ。

「あの、噂のレストランね?開店してから人が絶えないと評判は聞いています」

ー店に漂う香りから、すでにその店に魅了される。

週に数度、または特定の期間のみにしか開かれないが、評判は評判を呼び、国中から、さらには大陸中に広がった。数少ない予約席すら取るのも難しく、当日席を狙う人々でメイン通りに長蛇の列ができている人気店だ。

キャンベル家が出資したと聞いていたが、アイザックのレストランだとは知らなかった。人気の理由も、この味に長年虜になっているアナベルーーと同時に、まだまだ己の情報収集の未熟さを痛感させられ、今後のなさねばリストに記載が増えたーーは、店の人気の理由と、彼と会えなかった理由に深く納得した。

すると「ようやく会えたんだね」と低い声が聞こえてきた。
全員が声がした方に顔を向ければ、そこにはキャンベル家侯爵、デービッドがいた。後ろには筆頭執事ナルシスが続いている。

「あら!夕方に帰ってくるんじゃなかったの?」

「せっかくアナベルが来るんだ。大事な要件だけ済ませて切り上げてきたさ」

挨拶しようと立ちあがろうとしたアナベルを、彼はやんわりと制した。

「気楽に行こう。なんだって休日だ」

デービッドが席に着くと、早速料理人たちは彼の分の料理をテーブルに並べる。実に用意周到である。


場が落ち着いたところで、アイザックは昼食について説明を始めた。

「本日は気温も上がりましたので、冷たくも楽しめるものをご用意いたしました」

狭めのテーブルをさらに窮屈にさせないよう、3段皿に食べやすい一口サイズのセイボリーが並んでいる。多種多様な食材を組み合わせ、色んなデザインをしているそれらは、アナベルには宝石のように見えた。

4人全員が揃い、使用人たちとも話を交わす昼食はより賑やかなものになった。
近況や学園のこと、見聞きした面白い話や今貴族たちの間で流行っているもの、こと…。
会話を楽しみながらも、頭の片隅で無理に仕事を切り上げさせてしまったのではないかと不安になっていたが、それを察したイーサンが父親に話を振る。

「ああ、全然大丈夫。いつかはやるんだから、無理に進めなくて良いさ」

それを聞いたアナベルは、今度は苦笑するしかなかった。

デービッド・キャンベル。夫人同様、昔からアナベルを気にかけてくれる、のだが、正直なところ今だに人物像が掴めずにいる不可思議な人だ。息子以上に物腰が柔らかく、その頭の良さは歴代随一と名高い。愛情深く、夫人やイーサン、また使用人たちと穏やかに過ごす姿は普通の人だ。だが穏やかな公爵に似つかわしくない異名も度々耳にする。アナベルが彼を理解するには、まだまだ努力しなければならないぐらいに。
ロベールとはまた違った、特別な人間。
大雑把だが、アナベルはそう結論づけている。

食後のハーブティーを楽しんでいると、イーサンからこの後の予定について話が上がる。

「いろいろ考えているよ。あともし他に興味があったところがあれば教えてほしいな」

突然聞かれ、アナベルは首を少し捻った。すると、目線の先にアイザックがいた。

(そういえば)

アナベルは案内された厨房で、見たことのない設備や食材を思い出した。

「…厨房、を。よかったら見せてくれる?」

アナベルの言葉に、アイザックが目を輝かせた。

「ぜひ!ぜひ、ぜひ!あ、主任に声をかけて参ります!」

イーサンの応えを待たず、頭を下げると早歩きで去るアイザック。その後ろをソフィアが付いて行く。いきなり輝き出したアイザックのテンションに、アナベルは目を丸くした。

「料理となれば突撃していく。それがアイザックだよ」

料理一筋すぎるアイザックの強行に慣れたキャンベル家族は、優雅に茶を啜った。


✴︎


突然の申し出にも関わらず、キャンベル家の厨房責任者であるジャックは快くアナベル、もちろんイーサンも一緒に向かい入れた。

ジャックは、アナベルが子供の時からよく知る料理人だ。出会った頃から少しシワが増えた彼は、料理を作るのが好きだが殊更愛しているのが機械と甘いもの。最新機器が発表されれば必ず確認しに出かける。それが必須と考えれば資料を作り、デービッドにプレゼン。納得すれば機器を導入するというのだから、その信頼の厚さが伺える。
キャンベル家の料理人が、多種多様な料理を自由に作れるのも、機器を上手に取り入れることに長けたジャックのおかげといっても過言ではない。もちろん侯爵家の財力も忘れてはならない。いろんな条件が重なった結果、キャンベル家の料理は常に進化し続けているのだ。


一通り厨房の説明を受けたアナベルたちは、ソフィアが用意してくれた椅子に座り、料理人たちからいろんな話を聞いた。キャンベル家の厨房体制や、食材の買い出し先、夜会での厨房の忙しさ、さらには珍しい食材や香辛料も味見させてもらった。
他の家の厨房事情を知るのは、その家族の生活を覗き込んでいるようで面白い。

カフェの店主からアイザックのことを聞いたと話せば、かつての同僚に『変人』と紹介されたことに眉を落としたアイザックに、ジャックは言った。

「お前は料理だけでなく、スイーツやドリンク、果ては食材も自分で育てるその探究心には頭が下がる。だが、料理に夢中になって他のことは忘れがち、普段の生活スキルはからっきし。アナベル様。こいつの評価を下げたい訳じゃないが、変人と天才は紙一重だとつくづく思いますよ」

周りにいた料理人たちは一斉に頷く。イーサンも、アイザック本人すら苦笑いを浮かべている。
よほど酷いらしい。アナベルは明日屋敷に帰ったら、早速自室を見直すことを決意した。



その後。アナベルはレティシア自慢の植物園や、キャンベル家一族収蔵の絵画や模型を見せてもらったり、夕陽が指すバルコニーでイーサンとボードゲームに興じたりした。
フルコースの夕食も、入浴すら堪能したアナベルは、しっとりツヤツヤのベッドに横になった。するとたちまち1日を思い返され、その楽しさに笑ってしまう。
脳裏で何度も振り返りながら、心地よい眠気に誘われてアナベルはゆっくり眠りについた。