キャンベル家は夏休み中、保養地区のサイドハウス・ノアで過ごす。
社交シーズンの真っ只中であっても、である。
もう昔からの習慣であるため、貴族の中では”当たり前”の常識となっていた。
イーサンは語る。夏休みに向けて諸々新調したいが、自分では選ぶものが同じになりやすい。そこでアナベルにアドバイスを乞いたい、と。
未婚の令嬢が、友人とはいえ異性と街へ出掛けるなど言語道断だ。そもそも婚約者とでさえ街へ買い物などせず、屋敷に行商人を呼ぶのが普通である。
しかし相手は”紳士の中の紳士”と名高く、何より信頼する友人イーサン・キャンベル。どうせ今は気にする相手もなく、やることもないアナベルには願ってもない頼み事であった。
アナベルはイーサンのお願いを快く引き受けた。
街に繰り出した2人は、メイン街へと赴き、書店や装飾店、画材店などを巡っていく。
イーサンが御用達しているのは、アナベルにはめったに足を運ばない店ばかりだ。彼の相談に乗りながら、アナベルはつい夢中になって品を見て回る。そして、一層素敵な物を見つけると、家族へのお土産に買い求めた。
髪を止める飾りは母へ、ハンカチは父へ、可愛らしい文房具は妹たちへ。お菓子や小物、本は使用人たちへ。
最後に入った店でイーサンは双眼鏡を買うと、「欲しいものは全部揃った」と嬉しそうに笑った。
「長く付き合ってもらっちゃったね。驚かせたお詫びもしたいし…よかったらカフェに行かない?この近くにゆっくりできるお店があるんだ」
アナベルは彼に言われ、学園から出てすでに2時間が経っていたことに気がついた。
夢中のあまり体内時計が動かなかったようだ。
時刻はまだ15時前。帰るのはまだ少し早い。せっかく友達と街に出たのだ。よし。
もう少し楽しみたいという欲が湧いたアナベルは、彼の誘いを受けることにした。
✴︎
イーサンに案内されたのは、1ヶ月前にオープンしたばかりのケーキ屋であった。
細い路地を進むと現れる、蔦が這う煉瓦造りの店構え。木製の扉を開ければ、軽快な音楽が聞こえて来た。生菓子や焼き菓子を売るスペースの横にガラスの区切り壁があり、カフェスペースになっており、藤の材質を使ったテーブルや椅子、観葉植物や木材のモチーフが置かれて爽やかな内装だ。店内は白壁が光を反射して輝き、吹き抜けの天井も相まってより広さを感じる。ゆったりとくつろげそうな雰囲気の店内に、アナベルは心を踊らせた。
カフェスペースには先客がいた。少し眠たそうに新聞を読んでいる紳士を、イーサンが認めると、彼は軽く頭を下げた。
紳士はイーサンの父親の唯一の悪友である男爵であった。アナベルもその場でお辞儀をする。2人に気づいた男爵は、控えめに片手を挙げて応えると、再び手元の新聞へと目線を戻した。本来なら直接声をかけて挨拶をすべき場面だが、男爵も休息中なのだ。邪魔をしてはいけないと、2人はそのまま案内された窓側の席に座った。
メニューを開けば、まるで宝の地図。あらゆるスイーツ、セイボリー、ドリンクの名前が並び、手書きのイラストも描かれている。
どれも美味しそうでアナベルは散々迷いながら、季節限定というレモンをつかったチーズケーキと、店限定のブレンドティーのアイスを選んだ。
イーサンは夏の果物を使った、ケークサレとミックスジュースだ。
しばらく談笑していると、注文したお菓子と飲み物が運ばれてきた。
待ちに待った宝物。きめの細やかなチーズムースの上には、大きくカットされたレモンが乗っていた。一口食べると、レモンとチーズの甘酸っぱさが広がり、ムースの下に引かれていた、薄いクッキー生地がアクセントとなっている。あまりのおいしさにうっとりしているアナベルに、イーサンは慈しむように目を細めた。
「路地にあるのによく知っていたわね。内装もお菓子も飲み物も、すべてが最高だわ」
「あとで店主本人にいってあげて。彼女、元はキャンベル家で働いていたパティシエなんだ」
キャンベル家で彼女が手がけたスイーツを挙げていくと、すぐに思い出される。しかしどれも美味しさのレベルがさらに高くなっている。
キャンベル家と交流が深まる中で、使用人たちの多くとは顔馴染みもいるが、キッチンで働く料理人たちとはあまり面識がなかった。彼らは招待客のために、温かい料理を作るのに忙しいからだ。
「今度ぜひ会いたいわ」
そう伝えれば、イーサンは嬉しそうに「もちろんだとも」と請け負った。
「で、どうだった?いい時間潰しになったかな」
ケーキにフォークを差し入れるところであったアナベルは固まってしまう。油が切れるブリキ人形のように、ギギギと顔をイーサンに向ける。
やはりバレていた。イーサンには隠し事はできないようだ。アナベルは数時間の自分の行いを反省した。
「…けど普通黙っておくものじゃないかしら?」
それでも、つい不貞腐れてしまう。知らぬふりも時には必要ではないだろうか。なんて面倒な性格かと思いながら、改めてチーズケーキを切りながら口を尖らせると、イーサンは苦笑いを浮かべる。
「まぁそうしたいだけど、ね」
彼は手元に目線を落とした。エマラルドを思わせるライトグリーンの瞳が再びアナベルを写した時、彼の顔つきは少し緊張を帯びていた。
「ねぇ、アナベル。よかったらなんだけど…。もし時間があるんだら、屋敷に遊びに来ないかい?その、泊まりでさ」
社交シーズンの真っ只中であっても、である。
もう昔からの習慣であるため、貴族の中では”当たり前”の常識となっていた。
イーサンは語る。夏休みに向けて諸々新調したいが、自分では選ぶものが同じになりやすい。そこでアナベルにアドバイスを乞いたい、と。
未婚の令嬢が、友人とはいえ異性と街へ出掛けるなど言語道断だ。そもそも婚約者とでさえ街へ買い物などせず、屋敷に行商人を呼ぶのが普通である。
しかし相手は”紳士の中の紳士”と名高く、何より信頼する友人イーサン・キャンベル。どうせ今は気にする相手もなく、やることもないアナベルには願ってもない頼み事であった。
アナベルはイーサンのお願いを快く引き受けた。
街に繰り出した2人は、メイン街へと赴き、書店や装飾店、画材店などを巡っていく。
イーサンが御用達しているのは、アナベルにはめったに足を運ばない店ばかりだ。彼の相談に乗りながら、アナベルはつい夢中になって品を見て回る。そして、一層素敵な物を見つけると、家族へのお土産に買い求めた。
髪を止める飾りは母へ、ハンカチは父へ、可愛らしい文房具は妹たちへ。お菓子や小物、本は使用人たちへ。
最後に入った店でイーサンは双眼鏡を買うと、「欲しいものは全部揃った」と嬉しそうに笑った。
「長く付き合ってもらっちゃったね。驚かせたお詫びもしたいし…よかったらカフェに行かない?この近くにゆっくりできるお店があるんだ」
アナベルは彼に言われ、学園から出てすでに2時間が経っていたことに気がついた。
夢中のあまり体内時計が動かなかったようだ。
時刻はまだ15時前。帰るのはまだ少し早い。せっかく友達と街に出たのだ。よし。
もう少し楽しみたいという欲が湧いたアナベルは、彼の誘いを受けることにした。
✴︎
イーサンに案内されたのは、1ヶ月前にオープンしたばかりのケーキ屋であった。
細い路地を進むと現れる、蔦が這う煉瓦造りの店構え。木製の扉を開ければ、軽快な音楽が聞こえて来た。生菓子や焼き菓子を売るスペースの横にガラスの区切り壁があり、カフェスペースになっており、藤の材質を使ったテーブルや椅子、観葉植物や木材のモチーフが置かれて爽やかな内装だ。店内は白壁が光を反射して輝き、吹き抜けの天井も相まってより広さを感じる。ゆったりとくつろげそうな雰囲気の店内に、アナベルは心を踊らせた。
カフェスペースには先客がいた。少し眠たそうに新聞を読んでいる紳士を、イーサンが認めると、彼は軽く頭を下げた。
紳士はイーサンの父親の唯一の悪友である男爵であった。アナベルもその場でお辞儀をする。2人に気づいた男爵は、控えめに片手を挙げて応えると、再び手元の新聞へと目線を戻した。本来なら直接声をかけて挨拶をすべき場面だが、男爵も休息中なのだ。邪魔をしてはいけないと、2人はそのまま案内された窓側の席に座った。
メニューを開けば、まるで宝の地図。あらゆるスイーツ、セイボリー、ドリンクの名前が並び、手書きのイラストも描かれている。
どれも美味しそうでアナベルは散々迷いながら、季節限定というレモンをつかったチーズケーキと、店限定のブレンドティーのアイスを選んだ。
イーサンは夏の果物を使った、ケークサレとミックスジュースだ。
しばらく談笑していると、注文したお菓子と飲み物が運ばれてきた。
待ちに待った宝物。きめの細やかなチーズムースの上には、大きくカットされたレモンが乗っていた。一口食べると、レモンとチーズの甘酸っぱさが広がり、ムースの下に引かれていた、薄いクッキー生地がアクセントとなっている。あまりのおいしさにうっとりしているアナベルに、イーサンは慈しむように目を細めた。
「路地にあるのによく知っていたわね。内装もお菓子も飲み物も、すべてが最高だわ」
「あとで店主本人にいってあげて。彼女、元はキャンベル家で働いていたパティシエなんだ」
キャンベル家で彼女が手がけたスイーツを挙げていくと、すぐに思い出される。しかしどれも美味しさのレベルがさらに高くなっている。
キャンベル家と交流が深まる中で、使用人たちの多くとは顔馴染みもいるが、キッチンで働く料理人たちとはあまり面識がなかった。彼らは招待客のために、温かい料理を作るのに忙しいからだ。
「今度ぜひ会いたいわ」
そう伝えれば、イーサンは嬉しそうに「もちろんだとも」と請け負った。
「で、どうだった?いい時間潰しになったかな」
ケーキにフォークを差し入れるところであったアナベルは固まってしまう。油が切れるブリキ人形のように、ギギギと顔をイーサンに向ける。
やはりバレていた。イーサンには隠し事はできないようだ。アナベルは数時間の自分の行いを反省した。
「…けど普通黙っておくものじゃないかしら?」
それでも、つい不貞腐れてしまう。知らぬふりも時には必要ではないだろうか。なんて面倒な性格かと思いながら、改めてチーズケーキを切りながら口を尖らせると、イーサンは苦笑いを浮かべる。
「まぁそうしたいだけど、ね」
彼は手元に目線を落とした。エマラルドを思わせるライトグリーンの瞳が再びアナベルを写した時、彼の顔つきは少し緊張を帯びていた。
「ねぇ、アナベル。よかったらなんだけど…。もし時間があるんだら、屋敷に遊びに来ないかい?その、泊まりでさ」

