3年生の卒業式は、婚約解消を告げられた翌日に行われた。
生徒会の一員であるアナベルは、少し重い足取りで学園に赴いた。
頭がよく回っていない彼女を迎えたのは、イーサンだった。アナベルが門を通り抜けるとすぐに駆け寄ってきたイーサンの表情から、アナベルは彼がすでにロベールとの婚約解消を知っているのだと察した。
((流石ね…。もしかしたら、この間の夜会時点ですでに知っていたのかしら))
ふと浮かんだ考えを、アナベルは首を横に振り払う。流石に卑屈な考えだ。本当に知っていたらならば、彼は真っ先に知らせてくれたに違いない。イーサン・キャンベルとはそういう青年である。
アナベルは、イーサンを一瞥するとその横を通り抜けた。
教員が主体とは言え、一生徒として、生徒会の仲間と共に今まで用意してきた大事な式典だ。お世話になった先輩方の、学園最後の晴れ舞台。アナベルの身に起こった些細な騒動で、曇らせてはいけない。
アナベルが何を言いたいのか理解したイーサンは、黙ったまま彼女の後ろを歩く。
2人は静かに生徒会室へ向かい、そして仲間と会う時にはいつもの『アナベル』と『イーサン』になっていた。
そして普段通り、式典に参加した。
幸いロベールとの婚約解消の情報はまだ公にはなっていなかったため、アナベルを見ても、憐れんだり、不快そうに顔を曇らす卒業生はいなかった。
そして閉会後のパーティーも、無事に終えることができた。
片付けを済ませ、解散となった帰り道。屋敷まで送ると付き添ってくれたイーサンに、キャンベル家の馬車の中で、婚約解消の件を伝えた。
運命の神の手引きによって劇的に引き合わされ、たちまち真実の愛を育んだロベールとミシェル。その愛を前に、身を引いた、物分かりのいい令嬢、その顛末を。
誰1人悪者にならないように考えられた、婚約解消の筋書きだ。
ミシェルの妊娠については、ラッセル家から今は口外しないよう嘆願があった。あえて言う必要もないと、アナベルはイーサンに伝えなかった。
筋書きを話し終えると、車内には沈黙が流れた。
『他に、は?』
((やっぱり))
誰にも公表していない婚約解消のことを知っている時点で、全てを知っていると思っていた。想像通りすぎて、驚きも浮かばない。
ラッセル家との約束は破る気はさらさらないが、彼に嘘をつきたくもなかったアナベルは、彼の手の平を握りしめ、ライトグリーンの瞳を見つめた。
本当ならずっと相談に乗り、心配してくれた彼に誠意を見せるべきところだが、イーサンならば理解してくれる、そんな甘えた感情を押し付ける。
『…そうか。なら君の義理を、私も通す』
イーサンは項垂れると、弱々しくアナベルの手を包み込んだ。
『ありがとうイーサン。…ごめんなさい、いつも迷惑をかけてしまって』
『アナベルが謝ることなんて一切ない。何も。……………ごめん』
顔を下に向けたまま小さな声で呟かれた言葉は、蹄と車輪の音にかき消された。
翌日、卒業したばかりの元生徒会長・アレクサンドルー国の第2王子で、次期国王ーと、元副生徒会長エズメが生徒会室に来た。登校したアナベルを見るや深刻そうな顔を向けた2人に、婚約について話す決意を固めたアナベルは、生徒会の仲間にも婚約解消の話は伝えた。
『ロベール・ベルナルド様と婚約が解消になったの』
決められた筋書き通りに、彼らに話した。
誤算だったのは生徒会長であるニコルが、ロベールとの婚約解消の真の理由を知っていたのだ。
『なにが婚約解消だ。一方的な破棄じゃないか!だが気に入らないのはアナベルだ!なぜ怒らないッ!!!』
彼女が王立騎士団団長の娘であることを、アナベルは失念していた。同じ城に勤めているミシェルの父、ラッセル宰相の動向は筒抜けだったのだろう。ニコルを宥めようとしたが、アナベルを可愛がっていたエズメ、アナベルを慕う後輩たちも憤り、騒ぎは大きくなった。
アレクサンドルの一喝で場は静まり返り、なんとか落ち着きを取り戻した。
その後は作業を進めながら、ニコルとエズメにより恋愛講座が開かれたのだった。
✴︎
驚きの勢いで、アナベルはありありと数日前の出来事が思い出された。
勢いよく声がした後ろを振り向けば、アナベルを驚かせた声の主、イーサンが目を丸くしている。
「あなたって人はもう…!」
「ごめんよ。驚かす気はなかったんだ」
ソファの後ろで、眉尻を下げて謝るイーサンはまるで子犬のようだ。
あまり思わず怒ってしまったが、大人気ない反応をしてしまったと反省したアナベルは、話を買えるように咳払いをする。
「強く言いすぎたわ。こちらこそごめんなさい。気にしないで」
「ありがとう。向かいに座ってもいいかな」
どうぞ、とアナベルがソファに手を向けると、対面に座ったイーサンは机に積み上がった本の山をしげしげと眺めた。
「すごい量だ。今読んでいるのは…珍しいね、昨年流行ってた恋愛小説だ。私も読んだよ」
「今まで読めてなかったから。ようやく最終巻まで読み終えたわ」
あの場面が面白かった、ここの心情が分からなかった、その箇所の伏線は…。
感想を語り合っていると、ふいにイーサンの顔が緩んだ。
「よかった。元気そうで安心したよ」
彼が言っているのは、アナベルの体調のことだ。
休みが分からず知恵熱を出したアナベルの元に、イーサンからお見舞いの品がアナベルの元に届いた。いろんな果物や野菜が沢山入ったバスケットの中に入っていたメモには、それらの食べ方と、短いメッセージが書かれていた。
ーなによりも、しっかり寝て、食べること。
元気になった君と会える日を、心待ちにしている。
イーサン・キャンベル
アナベルは空いた口が塞がらなかった。
なぜならばバスケットが届いたのは9時のこと。彼女が熱を出したと判明したのは7時近く。その日は生徒会の集まりも無い日であり、アナベルが体調を崩しているなど一体どこから情報を手に入れたのか。今すぐにでも方法を教え に貰いにキャンベル家に突撃したいが、彼の言うことは尤もだ。
今はまず、体調の回復が最優先であると、アナベルはアドバイス通りしっかり食べ、眠った。するとたちまち体調は回復したのだった。
今、目の前に、求めていた情報を知る友人がいる。
アナベルの心に、カエルを前にチロリと舌を出す蛇が現れた。
「すこぶる元気よ。あの時は果物や野菜、なによりもアドバイスをありがとう。……イーサンには今度また色々と学ばせてもらいわ」
「アナベルの役に立つのなら、なんでも」
「また貴方はそういうのだから…」
昔からアナベルには大袈裟な表現をするイーサンに、蛇はたちまち退散し、アナベルは困ったようにはにかんだ。
(そういえば)
彼女は友人がどういった要件で生徒会室にやってきたのか、その理由を聞いていなかったことを思い出した。
「それで何の用事できたの?ニコルなら、いないわよ」
アナベルが尋ねると、イーサンは目を細めた。
「ちょっとね。アナベルこそ、生徒会に何しに?」
珍しく曖昧に返答された上、逆に質問が返って来てしまいアナベルは口ごもる。暇つぶしに学園に来ているとは言いにくく「忘れ物ついでに生徒会で本を読んでいた」と濁した返答しかできなかった。
(けど、分かっていそう)
ささやかだが秘密を共有しており、彼を信頼してきた。あまり他人に見せない部分を見せてきた自覚はある。今更ながら嘘をつかず白状すれば良かったと後悔が押し寄せるも、休み方が分からないなど彼が相手でも話せなかった。
イーサンがじっと見つめてくるのが居た堪れず、アナベルは本に目を落とす。彼だってきちんと答えてくれなかったのだ。アナベルはしらを切り通して、本を読み続けようとした時、イーサンが口を開いた。
「実はアナベルに頼み事があってきたんだ」
「え?」
勢いよく顔を上げたアナベルに、イーサンは話を続けた。
「もしよかったら、買い物に付き合ってくれないかな?」
生徒会の一員であるアナベルは、少し重い足取りで学園に赴いた。
頭がよく回っていない彼女を迎えたのは、イーサンだった。アナベルが門を通り抜けるとすぐに駆け寄ってきたイーサンの表情から、アナベルは彼がすでにロベールとの婚約解消を知っているのだと察した。
((流石ね…。もしかしたら、この間の夜会時点ですでに知っていたのかしら))
ふと浮かんだ考えを、アナベルは首を横に振り払う。流石に卑屈な考えだ。本当に知っていたらならば、彼は真っ先に知らせてくれたに違いない。イーサン・キャンベルとはそういう青年である。
アナベルは、イーサンを一瞥するとその横を通り抜けた。
教員が主体とは言え、一生徒として、生徒会の仲間と共に今まで用意してきた大事な式典だ。お世話になった先輩方の、学園最後の晴れ舞台。アナベルの身に起こった些細な騒動で、曇らせてはいけない。
アナベルが何を言いたいのか理解したイーサンは、黙ったまま彼女の後ろを歩く。
2人は静かに生徒会室へ向かい、そして仲間と会う時にはいつもの『アナベル』と『イーサン』になっていた。
そして普段通り、式典に参加した。
幸いロベールとの婚約解消の情報はまだ公にはなっていなかったため、アナベルを見ても、憐れんだり、不快そうに顔を曇らす卒業生はいなかった。
そして閉会後のパーティーも、無事に終えることができた。
片付けを済ませ、解散となった帰り道。屋敷まで送ると付き添ってくれたイーサンに、キャンベル家の馬車の中で、婚約解消の件を伝えた。
運命の神の手引きによって劇的に引き合わされ、たちまち真実の愛を育んだロベールとミシェル。その愛を前に、身を引いた、物分かりのいい令嬢、その顛末を。
誰1人悪者にならないように考えられた、婚約解消の筋書きだ。
ミシェルの妊娠については、ラッセル家から今は口外しないよう嘆願があった。あえて言う必要もないと、アナベルはイーサンに伝えなかった。
筋書きを話し終えると、車内には沈黙が流れた。
『他に、は?』
((やっぱり))
誰にも公表していない婚約解消のことを知っている時点で、全てを知っていると思っていた。想像通りすぎて、驚きも浮かばない。
ラッセル家との約束は破る気はさらさらないが、彼に嘘をつきたくもなかったアナベルは、彼の手の平を握りしめ、ライトグリーンの瞳を見つめた。
本当ならずっと相談に乗り、心配してくれた彼に誠意を見せるべきところだが、イーサンならば理解してくれる、そんな甘えた感情を押し付ける。
『…そうか。なら君の義理を、私も通す』
イーサンは項垂れると、弱々しくアナベルの手を包み込んだ。
『ありがとうイーサン。…ごめんなさい、いつも迷惑をかけてしまって』
『アナベルが謝ることなんて一切ない。何も。……………ごめん』
顔を下に向けたまま小さな声で呟かれた言葉は、蹄と車輪の音にかき消された。
翌日、卒業したばかりの元生徒会長・アレクサンドルー国の第2王子で、次期国王ーと、元副生徒会長エズメが生徒会室に来た。登校したアナベルを見るや深刻そうな顔を向けた2人に、婚約について話す決意を固めたアナベルは、生徒会の仲間にも婚約解消の話は伝えた。
『ロベール・ベルナルド様と婚約が解消になったの』
決められた筋書き通りに、彼らに話した。
誤算だったのは生徒会長であるニコルが、ロベールとの婚約解消の真の理由を知っていたのだ。
『なにが婚約解消だ。一方的な破棄じゃないか!だが気に入らないのはアナベルだ!なぜ怒らないッ!!!』
彼女が王立騎士団団長の娘であることを、アナベルは失念していた。同じ城に勤めているミシェルの父、ラッセル宰相の動向は筒抜けだったのだろう。ニコルを宥めようとしたが、アナベルを可愛がっていたエズメ、アナベルを慕う後輩たちも憤り、騒ぎは大きくなった。
アレクサンドルの一喝で場は静まり返り、なんとか落ち着きを取り戻した。
その後は作業を進めながら、ニコルとエズメにより恋愛講座が開かれたのだった。
✴︎
驚きの勢いで、アナベルはありありと数日前の出来事が思い出された。
勢いよく声がした後ろを振り向けば、アナベルを驚かせた声の主、イーサンが目を丸くしている。
「あなたって人はもう…!」
「ごめんよ。驚かす気はなかったんだ」
ソファの後ろで、眉尻を下げて謝るイーサンはまるで子犬のようだ。
あまり思わず怒ってしまったが、大人気ない反応をしてしまったと反省したアナベルは、話を買えるように咳払いをする。
「強く言いすぎたわ。こちらこそごめんなさい。気にしないで」
「ありがとう。向かいに座ってもいいかな」
どうぞ、とアナベルがソファに手を向けると、対面に座ったイーサンは机に積み上がった本の山をしげしげと眺めた。
「すごい量だ。今読んでいるのは…珍しいね、昨年流行ってた恋愛小説だ。私も読んだよ」
「今まで読めてなかったから。ようやく最終巻まで読み終えたわ」
あの場面が面白かった、ここの心情が分からなかった、その箇所の伏線は…。
感想を語り合っていると、ふいにイーサンの顔が緩んだ。
「よかった。元気そうで安心したよ」
彼が言っているのは、アナベルの体調のことだ。
休みが分からず知恵熱を出したアナベルの元に、イーサンからお見舞いの品がアナベルの元に届いた。いろんな果物や野菜が沢山入ったバスケットの中に入っていたメモには、それらの食べ方と、短いメッセージが書かれていた。
ーなによりも、しっかり寝て、食べること。
元気になった君と会える日を、心待ちにしている。
イーサン・キャンベル
アナベルは空いた口が塞がらなかった。
なぜならばバスケットが届いたのは9時のこと。彼女が熱を出したと判明したのは7時近く。その日は生徒会の集まりも無い日であり、アナベルが体調を崩しているなど一体どこから情報を手に入れたのか。今すぐにでも方法を教え に貰いにキャンベル家に突撃したいが、彼の言うことは尤もだ。
今はまず、体調の回復が最優先であると、アナベルはアドバイス通りしっかり食べ、眠った。するとたちまち体調は回復したのだった。
今、目の前に、求めていた情報を知る友人がいる。
アナベルの心に、カエルを前にチロリと舌を出す蛇が現れた。
「すこぶる元気よ。あの時は果物や野菜、なによりもアドバイスをありがとう。……イーサンには今度また色々と学ばせてもらいわ」
「アナベルの役に立つのなら、なんでも」
「また貴方はそういうのだから…」
昔からアナベルには大袈裟な表現をするイーサンに、蛇はたちまち退散し、アナベルは困ったようにはにかんだ。
(そういえば)
彼女は友人がどういった要件で生徒会室にやってきたのか、その理由を聞いていなかったことを思い出した。
「それで何の用事できたの?ニコルなら、いないわよ」
アナベルが尋ねると、イーサンは目を細めた。
「ちょっとね。アナベルこそ、生徒会に何しに?」
珍しく曖昧に返答された上、逆に質問が返って来てしまいアナベルは口ごもる。暇つぶしに学園に来ているとは言いにくく「忘れ物ついでに生徒会で本を読んでいた」と濁した返答しかできなかった。
(けど、分かっていそう)
ささやかだが秘密を共有しており、彼を信頼してきた。あまり他人に見せない部分を見せてきた自覚はある。今更ながら嘘をつかず白状すれば良かったと後悔が押し寄せるも、休み方が分からないなど彼が相手でも話せなかった。
イーサンがじっと見つめてくるのが居た堪れず、アナベルは本に目を落とす。彼だってきちんと答えてくれなかったのだ。アナベルはしらを切り通して、本を読み続けようとした時、イーサンが口を開いた。
「実はアナベルに頼み事があってきたんだ」
「え?」
勢いよく顔を上げたアナベルに、イーサンは話を続けた。
「もしよかったら、買い物に付き合ってくれないかな?」

