レディ・クロックの夏休み〜働き者の令嬢は、婚約破棄により「お休み」いたします?!〜

 お菓子だけでなく温かな食事も並べば、細かな模様のテーブルの上は一層豪華になった。
 陽が落ち真っ暗になった中庭に、蝋燭の火が灯り、ゆらめく。淡い光がいくつも灯ったバルコニーは幻想的である。
 イーサンとアナベルが夏休みの思い出に花を咲かせていると、外泊していたキャンベル侯爵夫妻が帰宅した。
 夫妻たちも会に参加し、出かけ先の出来事話やイーサンとアナベルがそれぞれどう過ごしていたか。使用人たちも話の輪に加わり、たっぷりと話し込んだ夕闇会は宵闇会へとなった。
 就寝準備を整えたアナベルは、ノートに様々なことを綴っていた。
 自分や幸せのカケラを集めるためにも、文字に書き出す。客観視できる方が、アナベルには向いていた。とにかく自分が好ましい物を書いていると筆が乗り、夏の思い出や今日の出来事、これからの目標、イーサンへの気持ちまで綴っていた。

「…よし」

 四日間悲観的な言葉しか纏めていなかったノートに、前向きな言葉も書かれると気持ちが持ち上がるのが分かった。いかに自分が単純な性格をしているのかと苦笑しながら、アナベルはノートを閉じ、ベッドへ横になる。
 肺から大きな息が吐き出された。問題に一区切りつけたものの、新しい壁が現れた。努力よりも叱られるよりも乗り越えるのが難しい壁だが、向き合い方を知った今は、心持ちに余裕がある。
 緊張が緩んだ彼女は眠気に襲われ……。たちまち夢の世界に飛び立った。

 ポーラが起こしに来るまで、久しぶりに深い眠りについた。
 元気な声で起こされたアナベルは、大きく伸びをする。指先まで空気が行き渡る感覚に心地よさを感じた。
 窓から見える空は、丸い棉が浮かんでいるような夏空であった。雲の影が所々に落ちている。今日も暑そうだ。
 今朝は四日ぶりに、イーサンやキャンベル侯爵夫妻との朝食だ。
 メイドたちに手伝って貰い、服を着替え鏡台の前に座る。ポーラが髪を梳かす。

「ねぇポーラ。今日は髪を高く結ってくれる?」

 上に引っ張られる感覚に、顔も自然と前を向くはずだ。少しでも前を向きたい。アナベルのそんな気持ちが現れた要望であった。

「ようございますねぇ。ご希望はございますか?」

 ポーラは動きを止め、アクセサリー箱を鏡台に置いた。少し時間をかけて選んだのは、あの緑色の宝石が付いたブローチだ。ポーラは豪快に笑うと機嫌良く鼻歌を歌い始めた。丁寧にブラシをかけながら、髪を結っていく。最後にブローチで飾れば、あっという間に可愛らしいポニーテールが結われた。左右の髪がふんわりまとめられ、ひと束はくるくると巻かれたようになっている。巻かれた左右の束は高い位置で結われている所と合流している。ブローチによって気品の良さも感じさせる。

「お似合いですよ本当に。我ながら流石の出来栄え」

「本当に素敵。ありがとうポーラ」

 柔らかく笑うアナベルに、老メイドは目を細める。昨日イーサンとの話し合いを通してアナベルの中で少し考えが変わったようだ。思いっきり喧嘩になるかと想像したが、遠くから見る限り2人はどこまでも冷静であった。掴み合うことも、イーサンが頬を打たれることもなかった。2人の間で何を話したかは誰も聞いていない。それでも思い詰めていた表情が消え、アナベルは軽やかな面持ちで今朝を迎えた。
 イーサンときちんと話ができたのだと伺える。
 いつも真剣に物事に取り組むアナベルも素敵だが、やはり無邪気に笑って駆け回っていてほしいと思っているのはポーラの秘密である。ようやくアナベルと張り合いができるのではないか。澄ました笑顔の下で期待しているのだ。

「イーサンたちの元に向かいましょう」

 アナベルは堂々と立ち上がり、食堂へ向かう。
 屋敷中に良い香りが空腹でお腹がなりそうなのを必死で耐えながら廊下を進む。

「おはようアナベル」

「おはようイーサン」

 食堂に先に席に着いていたのはイーサンであった。イーサンの挨拶に、アナベルも笑顔で返す。夫妻はまだ来ていないと言う。今朝の朝食は何かと話していると、レティシアとデービッドがやって来た。

「おはよう!アナベル、イーサン」

「おはよう2人とも。待たせたね」

 四人は席に着く。料理人たちが料理を運んできた。さあ今朝の料理はなんだろう。

「お食事のところ、失礼いたします」

 すると筆頭執事であるナルシスが食堂に駆けてきた。硬い表情の彼は手の中にあったものをデービッドに渡す。
 それは手紙だ。ただし普通の手紙ではなく、金色と赤の蝋で封されている。2色の封蝋を使用するのは、王族のみ。
 食堂の雰囲気は一変する。デービッドは早速封を切り、中身を確かめると顔を顰める。

「呼び出しだ。レティシアとイーサンも」

 通常当主であるデービッドのみが呼ばれる。家族3人が呼ばれる事は滅多にないことだと、イーサンはアナベルに説明した。タイミングが悪いと憤るレティシア。顔を顰めたまま手紙を無視しようとしたデービッドだったが、すでに迎えの馬車まで来ていると報告を受け、彼らは渋々と重たい腰を上げて外出の準備に取り掛かった。

「アナベル。悪いがしばらく屋敷にいてくれるかい?」

 準備を終え、豪華な馬車に乗る前。つまらなそうな表情でデービッドはアナベルに伝える。
 王からの要件は、実に曖昧で、急ぎがあるのかすら把握できなかった。

「せめて要件が何かわかるまで、サイドハウス・ノアで過ごして欲しい」

「わかりました」

「いってらっしゃいませ」

 走り去っていった馬車を見送る。
 残ったアナベル。改めて朝食を摂ることにするも、もの寂しい雰囲気だ。隣でアイザックたちがひどく肩を落としている。

「王は何のご用でしょうか」

「どうせ碌な話ではありませんよ」

 デービッドが表情のない顔でため息をつき、彼のサポートに回る使用人たちも疲労で顔色が悪くなる王からの勅命。初代から悩まされているという。そんな。キャンベル家は王から信頼されているのでは。
 すると使用人たちは一斉に否定する。首や手を横に振る。

「現王はキャンベル侯爵家に良い顔をしないと聞いていますからねぇ。他の貴族を頼っては結局解決できなかった複雑難解な要件ばかり解決を求められるとか」

 いずれ役目を継ぐイーサンを支えていけるか不安になり、アナベルは眉を顰めた。すると使用人たちから、アナベルが率先して解決しても問題ないと言われた。とにかく問題を解決すれば良く、案件に相応しい家族の誰かが当たっていると言う。前回は先先代当主ー領地で暮らすイーサンの曽祖父ーが受け持ち、レティシアが解決した事案もあると説明される。

「もう少しすれば、必ずご夫妻か執事長からお話がありますよ」

「それじゃあ、皆んなで朝ごはんとしましょうかね」

 デービッドから許可は得ていると、ポーラの発言に、アナベルたちは下がっていた気分を持ち上げた。

……。

(ん?)

 アナベルは振り返る。周囲を見渡しても、自分たち以外の姿はない。

「どうかされましたか?」

「うぅん」

 何か聞こえた、ような気がしたのだが。空耳だったのだろうか。アナベルは何も気にせず、屋敷の中へと戻る。

 食堂で食べるのも味気ないと、場所を中庭に移すことになった。しっかり焼かれた分厚いトースト。輝かしい黄色のスクランブルエッグに、ハムやカリカリに焼かれたベーコン。新鮮な野菜のサラダに、砕かれたナッツが沢山ふりかかっている。旨味たっぷりの玉ねぎスープに、やさしい甘味の果物のジュース。皿やカトラリーを運ぶ。

 なーん。

(あら)

 動物の鳴き声が聞こた。周囲を見渡しても姿が見えない。勘違いかと思ったがふたたび、にゃーと聞こえる。迷い子だろうか。

「アナベル様?いかがされましたか?」

 うろうろと辺りを見渡すアナベルに、スーニーは声を掛ける。動物の鳴き声がすると言う彼女の言葉に、獣人であるメイドは耳を澄まし、鼻をひくつかせる。何かがいる音も匂いもない。

「気配はしませんね…」

「そうよね。やっぱり気のせいかしら」

 ガッ、ボワッ。
 突然、アナベルの頭部に衝撃が走った。髪飾りに使用していたブローチが足元に落ちている。

「え、なに?」

 なあぁぁぁぁーーーーん!!!!!!!!!!!!
 鳴き声がアナベルの脳を揺さぶった。音はアナベルの意思を奪い、操作する。なぁなぁと、甘い声がアナベルを意のままに操る。彼女は鳴き声の方へと歩き始める。

「アナベルさま?アナベルさま!アナベルさま!誰か、だれか!!!」

 突然動き出し、何も言わなくなったアナベルを止めるべく、スーニーは持っていた荷物を放りアナベルの元に駆け出した。その腕を掴もうとした。
 すると、アナベルの姿が消えた。

「? ?! アナベルさま、ヤダにおいが変わって……どこ、どこですか!」

「どうした!」

「アナベルさまが消えました!」

 スーニーの荒い声がする。騒ぎを聞きつけ、使用人たちが集まってくる。私はここ。ここにいるわ!
 声を出したいのに、止まりたいのに、足が止まらない!
 意志と反し、鳴き声の方へとアナベルは進んでしまう。

(嫌、いや、いや! どうなっているの?!)

 アナベルすぐ横を、集まる使用人たちが通り過ぎる。不安と緊張で心が押しつぶされそうだ。
 抵抗できないアナベルは門を開け、外に出た。少し歩いた先にある馬車に乗り込んだ。
 アナベルを乗せた馬車の扉は、無慈悲に自動で閉まる。そして静かに動き出した。

✴︎

 どれほど時間が経ったのだろうか。
 アナベルを乗せた馬車は止まった。馬が低く嘶く。カポカポと足音が遠のいていくと、あたりは耳が痛くなるほど静かになった。

「アナベル様。お降りください」

 扉が開かれ、男の声が下車を促すも、アナベルは動こうとしなかった。
 このまま得体の知れない狭い馬車の中にいるのも嫌だが、拉致犯について行くのも心底嫌であったからだ。
 席の端に座り微動だにしない彼女を見て、男はどうすべきか考えあぐねているようであった。馬車の外からボソボソと話し声が聞こえるも、アナベルはじっと動かない。
 カツン。カツン。
 細い棒が大地を叩くような音も聞こえてきた。その音は徐々に近づいてくると、ぴたりと話し声がやんだ。

「良い歳になって面倒な態度を取るんじゃない」

 年老いていながら、力強く感じる声に、アナベルは目を見開いた。聞き覚えどころではない。彼女はゆっくりと、顔を扉に向ける。
 陽を背中に浴び、件の人物には影が落ちている。最後に会ったのは5年以上も前で、記憶では杖はついていなかった。顔はよく見えないが、その声も、歳の割にはしっかりと立つ姿も、間違えようがない。

「おじいさま」

 現れたのはアナベルの祖父、ヘンリー・バーンズであった。