レディ・クロックの夏休み〜働き者の令嬢は、婚約破棄により「お休み」いたします?!〜

 恨めしい。
 彼女が苦しんでいる時に限って、その場にいない自分が恨めしい。
 なんて役立たずか。歯がゆい、なんて単語は生ぬるい。

 完全に、アナベルにとって衝撃的な出来事が起こってしまった。

 サーカスが幕を閉じ、外に出たアナベルとイーサンは、席を紹介してくれた団員を見つけた。すると彼に感謝を伝えると、いたく感激され、特別にバックヤードを見せてもらった。サーカス団員たちは、仕事の後だというのに、快く舞台裏を見せてくれた。キラキラと目を輝かせる子供のような反応を見せる若者たちに、一団はとても嬉しかったようで、鍵の開け方やマジックなどのテクニックを教えてくれた。
『ねぇ、イーサン。ビジュー様ってどんな方?』
『ビジュー? お洒落と話好きな子だよ。一人でガンガン話していく。裏表がなく、嫌は嫌だし、好きは好き。真ん中はないな。ハッキリとモノを言う』
 イーサンは彼女の豪快さを思い出し、思わず整った細い眉を寄せかけ、必死に耐える。良い子ではあるのだ。良い子では。だが…いや。会う前に変な印象を与えるのはいけないと、今度は喉まで出かかった言葉も飲み込んだ。
 するとアナベルは目を伏せ、小さな声で「仲良くなれるかしら」と不安をこぼした。珍しさにイーサンは目を丸くする。レティシアの親友の娘であることに、緊張でもしているのだろうか。
 イーサンはアナベルの手に、細い己の手を重ね、しっかりと答える。
『なれるよ。彼女はかなり色々強いけど、アナベルとは馬が合う。絶対に』
 イーサンにとっては疲れる相手だが、昔から二人は仲良くなれると考えていた。さっぱりした心意気は、アナベルの友人でもあるニコルと通ずるものがある。
 ビジューの家族は王都を滅多に訪れないため、機会に恵まれなかった。この夏に引き合わせることができることを、イーサンはとても嬉しく思っていた。
『そうだと、いいわ』
 澄んだ空色が曇る。やけに影が刺す横顔が、イーサンには印象に残った。
 サイドハウス・ノアに帰ってから、レティシアに習った技を披露していた。
楽しそうに話す姿には憂いた表情はなかったが、どうにも気になる。
(どうしたのだろう)
 何か掴みたくとも、掴めない。結局イーサンは追求できず、夕食後しばらく過ごした後は、明日も早いからと別れた。
 アナベルを見送り、代わりに顔を覗かせた父親。親に恋愛相談をするのは子供らしいかと思いつつ、黒い髪が顔にかかるのをそのままに、イーサンは素直に悩みを吐露した。
「アナベルが今何に悩んでいるのかすっかり分からず。聞いた方がいいのでしょうか」
「これはわからない。私もいまだに悩むからな。だがアナベルについてよく知るのはイーサンだ。お前が無理だと思うなら無理だ」
 ぐうと子息らしからぬ、カエルが潰れる寸前の声がイーサンの口から漏れた。彼は歯がゆさ、後悔が胸を軋ませる。
 デービッドはそんな息子の肩に、手を置いた。
「2人なら乗り越えられる。これは信じているのではなく事実だ」
 父親の言葉に、イーサンは微妙な面持ちで頷くこともできなかった。
 昔からよく信じてくれたが、今回は不安が大きい。幾ら勉強しようと、人の心には答えなどないのだ。
 表情の晴れない息子に、デービッドは話を続ける。
「不安を増やしたくないが、言っておかないといけない。ヘンリー・バーンズと連絡がつかない」
 アナベルの祖父、ヘンリー。バーンズ家を持ち直した人物。イーサンも1度も会ったことがない。アナベルも久しく会っていない老人。
 婚約してからデービッドは、しつこく彼を探している。キャンベル家の人脈を使っても、未だ尻尾をつかませないその存在に、何かあるというのか。
「……バーンズ家の家訓、その条件に私でも問題はないはずですが」
 彼が掲げている家訓は何度もアナベルの口から聞いたこともあり、記憶に焼きついている。
『バーンズ家の栄誉のため、復興のため、発展のため』
「その言葉に何か違和感を覚えないか?」
「え?」
 デービッドは星が瞬く窓へと目を向けた。
「この世界で情報を漏らさないでいる方法は、孤独でいることだ。誰とも関わらない老人の動きは我々の情報網でも掴みにくい」
「祖父君が何か企んでいると?」
 父の肩越しに見える輝く夜空の闇は、己の中に広がる不安を表しているようであった。
「何も語らぬ像の中など、誰も知る余地はない。察することはできるだけ。その深さや大きさは中を見なければ分からない」
「……用心、します」
「使用人たちにも徹底させる。些細なことでも良い。何かあればきちんと伝えなさい」
 そう言ってデービッドは部屋を出た。イーサンはベッドへと身体を投げる。
 杞憂であればいい。この夏は、楽しむためにある。
(何かあるのか?)
 ザワザワ、ざわざわ。
 心が不安定に揺れる。イーサンは瞼を下ろした。