レディ・クロックの夏休み〜働き者の令嬢は、婚約破棄により「お休み」いたします?!〜

『イーサンと仕事場見学においで』
 イーサンの父デービッドから手紙が届いたため、若者たちははのんびりと王都へ戻り、彼が経営する会社に赴いた。
 馬車が会社に着けば、キャンベル家筆頭執事兼デービッドの秘書等を務めるナルシスが出迎えた。彼と会うのは王都の屋敷に泊まって以来。元気そうな姿に、二人は胸をなでおろす。
 二人が気づいた従業員たちが集まり、次々に祝いの言葉をかけて行く。
「坊ちゃん! アナベル嬢も! この度はおめでとうございます」「いやぁ驚きましたよ」「まさかまさかで」「今度またご相談に乗っていただけますか」「でしたら、こちらで企画を立ち上げましょう。面白い話がありましてね…」「アナベル様、これからもよろしくお願いいたします」「イーサン様! 初恋ですって?! 良かったですね!」
 デービッドが、真面目に学ぶアナベルのためになるだろうとーーベルナルド侯爵の眉間のシワが深まらないほどにーーアナベルを会社へと招いていた。そのため働く従業員のほとんどはアナベルとも顔見知りである。
 彼らに驚きの中にも多くの喜びの言葉を掛け、集まる人々が落ち着いた時、アナベルに声をかける年配の男性が現れた。
「お久しぶりですアナベル様」
「パーキングさん。お久しぶりです」
 彼はこの会社で機械のメンテナンスを行う従業員、パーキングである。会社に勤めて長く、幼少期から付き合いのある1人である。
「ご家族皆様、お元気ですか?」
「そのようです。暑さに身体を壊すことなく過ごしていると、手紙では」
 夏休みに入り、家族とは手紙のやりとりで把握している。筆まめな両親からはもちろん、字の練習もかねて7歳と5歳の妹たちからも届き、手紙を保管する箱はすでにいっぱいだ。
「それはようございました。最近暑つさが増してますからね。…ところでヘンリー様は最近……」
 アナベルと家族たちの日常に顔を綻ばせていたパーキングは、声を顰め神妙な顔つきになる。
 ヘンリー様、とは。アナベルの祖父の名だ。
 ヘンリー・バーンズ。バーンズ家を復興させた立役者。アナベルが暖かい屋敷とご飯を食べられるのも彼の苦闘と躍進のおかげである。 たった一人で借金を返し、差し押さえられていた屋敷と土地を取り戻した。その後も事業を立ち上げ、躍進を遂げ……。アナベルの父チャーリーが産まれる頃には、すっかり他の貴族と変わらない生活を送れるまで力を尽くした。
 しかし彼を詳しく知る者はいない。屋敷にほとんどおらず、外にいる方が多い。彼からの連絡も家族の誕生日に贈り物が届くだけ。どこからか噂を聞き、緊急で手紙が届く以外滅多に会えない。何をしているのかも、どこにいるのかも不明だ。末の妹が生まれてから、一度顔を合わせただけで会っていない。
 パーキングはそんなアナベルの祖父と関わりがあった。
 十年前。彼はかつて町工場の経営者だったが、ある事業で失敗した負債を抱えてしまった。クライアントも流通もすべて失い、残ったのは使い道のなくなった工場と、日々利子で増えていく借金。家族を養い、従業員たちへ給料を支払わなければと"保険金"を当てに自死寸前まで追い詰められていた。
 遺書をしたため、首を括る直前。目の前には男がいた。
 それがヘンリーであった。
『尊い死後も搾取され続けるか。無様に生きながらえ、搾取され続けながらも抵抗するか。選ぶんだな』
 老人の言葉に、命が惜しくなったパーキング。どうせ死んでも地獄に落ちるなら、生きて地獄にいるのも変わらない。
 ヘンリーの案に乗ることにした。
 まずプライドを捨てて、工場と土地を売った。従業員に最後の給料を出し、手元に残った僅かな金で貸家へ引っ越し、新天地で仕事に精を出す。それはヘンリーが用意してくれた職場で、デービッドの会社の下請けで経理の仕事に就いた。
 借金はヘンリーが一切を肩代わりし、時間がかかっても彼に返済することになった。
 利子と返済期限がなかったために、家族総出で働いて返した。時々様子を見に来る、ヘンリーの助言と激昂、援助ーーこの援助は彼の好意だと返済には換算されなかったーーを受け、国の制度も活用し、必死に金をかき集めて5年かかり全て返済。きちんとヘンリーのサインと印鑑が押された正式な返済書類が届き、パーキングの手元にある。
 彼の幼かった子供たちも成長し、遅い入学になったが経済や経営を学べる学校に通っている。
『ヘンリー様の助けがなければ、私はこの世にいないばかりか家族もどうなっていたか。彼のおかげです』
 下請けでの仕事ぶりが評価され、十数年前からこの会社で働いている。
 幼少期にアナベルが訪れた際、アナベルがヘンリーの孫だと分かると、彼は涙ながらに聞かせてくれた。チャーリーとも会い、祖父の活躍を聞いて家族全員で目を丸くしたものだ。
 バーンズ家最大の謎、ヘンリー。
 アナベルとイーサンとの婚約について報告しようと、チャーリーが必死に探しているが未だ連絡は取れないと手紙に書かれていた。アナベルが首を横に振ると、パーキングは神妙な顔つきで「そう……ですか」と呟いた。
「久しぶりだねアナベル」
 イーサンとナルシスを連れてデービッドが現れた。パーキングは深く頭を下げると、姿勢を正した。
「……お時間ですよね。呼び止めてしまい申し訳ありません」
「久しぶりにお会いできてよかったです。それではまた。ご家族にもよろしくお伝えください」
 立ち去る直前。強い声音で名前を呼ばれ、アナベルは再びパーキングと向かい合う。
「その、ご婚約、おめでとうございます。私ども一同、大変嬉しく思っております。どうか幸せをお掴みください。それではまた」
「ありがとうございます。それでは、また」
アナベルはもう1度頭を下げ、イーサンたちと共に廊下を歩いてゆく。イーサンと立ち並ぶ姿をパーキングは不安の色が滲む瞳で見つめていた。

✴︎

「さて、アナベル、イーサン。屋敷から抜け出して来てもらったのは2人にお願いがあったからなんだ」
 最新機器を取り入れたと、会社から少し離れた場所にある工場を覗き、現状のキャンベル家の事業を教えてもらったアナベル。そこでもまた、従業員たちから次々と祝いの言葉を贈られた。
 応接室に案内され、てっきり勉強会でも開かれるのだと思っていたが、デービッドは午後から休みを取っていると言う。
 では、なぜ呼ばれたのだろう。仕事場見学は? まだまだ足りないぞ?
 2人で顔を見合わせて疑問符を浮かべていると、いつになく真剣な眼差しと声音でアナベルとイーサンに本題を告げた。
「一緒にレティシアの誕生日プレゼント選んでもらえないかな?」