保養地区中央広場にある劇場にて、夏季限定で公演されている劇は、国内外から人が押し寄せるほど人気を博している。
演出家や衣装デザイナー、俳優は全て名を馳せている実力者ばかり。細部に至るまで神が宿った出来栄えは、辛口の評論家たちを軒並み唸らせていると新聞で取り上げられていた。
物語は、夏にしか実を付けない果実をめぐるイザコザに巻き込まれた若い精霊が繰り広げる奮闘喜劇。
その脚本を務めたのが、西方の国で長年児童書を手がけ、アナベルが子供のときから大好きな作家である。イーサンと仲良くなったきっかけを作ったのも彼の著書であった。
出身、年齢、容姿など詳細不詳の作者が紡ぐ物語は、火の海や雲の谷など現実世界でもありえないような世界で生きる癖の強いキャラクターたちと、少し皮肉めいた物言いが特徴だ。時々驚くほど過激なセリフがでるが、彼らが抱く真っ直ぐな心意気にいつのまにか魅了されてしまう。何度も繰り返し読み、妹たちにも幾度も読み聞かせた。愛読書は少し古びているが、大切に本棚に仕舞われている。
舞台の話を聞いた時は飛び跳ねるほど嬉しく、公演を、首を長くして待っていた。しかし公演前から大々的に広告を打ち、夏季限定の物珍しさから券の入手は困難を極めた。すでに来月分の券も売り切れたと聞いていたため、正直諦めていた。
その券が、今目の前に。
「けど良いの? 折角2枚あるならレティシア様と行かれた方が……」
「母さんもアナベルに楽しんでほしいって言ってたよ。なにより一緒に観れるのを楽しみにしてたんだ」
あまりにも貴重すぎる券を前に、自分が観に行っては申し訳なく感じてきてしまったアナベル。
2人の会話の中に自分の名前が聞こえたレティシアが現れた。券を前に自信なさげなアナベルの表情から、状況を察した未来の姑は「劇は2人で行きなさい」とハッキリと告げた。
「イーサンはアナベルと一緒に楽しみたいのよ。現に券を手に入れた時すっごく嬉しそうだったんだから。こう言う時は甘えちゃって……次のおねだりに繋げちゃいなさい。それに大好きな作家さんじゃない。私も貴女が楽しんでくれる方が良いわ。気持ちはしっかり受け取ったから、ぞんっぶんに観てきなさい!」
感想を楽しみにしているとレティシアに背中を押されたアナベルは、笑顔を取り戻した。「貴女は気遣いが過ぎるわよー」とレティシアに頬をむみむみと揉まれながらも、嬉しさの笑みが漏れている。
温室で植物の様子を見てくる。レティシアが立ち去り、アナベルは改めて礼を伝えた。
「ありがとうイーサン」
「素直に言えばちょっとヒヤっとした」
「だってすっごく貴重なのよ?! もう来月分すら入手困難だって聞いていたから、諦めてたの」
「……話してくれただろう? 観たいって。私も興味あったからさ」
そう言われ、夏休み前のキャンベル家でのお泊まりがもう何年も前のように、アナベルは思えた。確かにお昼ご飯を食べていた時に、劇の話はしたが『観てみたい』と呟いた程度だ。すでに諦めていたけれど、本心は滲み出ていたのだろう。彼は探し出してくれた。
「……わざわざありがとう」
「まぁ私だけの力じゃ手に入らなかったけどね」
入手困難な券を手に入れられたのは偶然、かつ友人のおかげだと彼は話す。カフェで相席した紳士と劇の話になり、裏路地の金券屋で1枚だけ販売していたと教えて貰った。まだ知られていない穴場の店で、確かに、さらに定価で券は売られていた。
また貿易業を営んでいる友人が券を手に入れてくれたと、彼は嬉しそうに語る。入手経路が違う2枚だったが、同じ日付、それも特等席隣同士であったのだ。奇跡というほかない。
「縁に恵まれた。本当にありがたいよ」
昔からイーサンは不思議な縁を結ぶ。彼に導かれた先で事態が好転したことがままある。イーサンの優れた観察眼と穏やかな性格ゆえだと考えているが、本人はまぐれだと言い張っている。ともあれ今回もイーサンと、彼の友人たちによって奇跡が起きた。
「ご友人には、私からもお礼をしたいわ」
「彼が戻って来たら、ぜひ会ってほしいな。向こうからも”会いたい”って速達が届いてるから」
アナベルは元気よく頷くと、再び券に目を落とし笑顔を咲かす。"カフェの紳士"に礼を伝えられないのは残念だが、存分に楽しませてもらおう。ゾワゾワと産毛が立ち、興奮が鎮まらない。何度も何度も券を撫でる。
軽い足取りと、緩みきった笑顔で日中を過ごし、夕方2人は観劇へ赴いた。
馬車の中、窓の外をじっと眺め劇場への到着を今か今かと待ち望んでいるアナベルは幼女のようだ。久しぶりに心の底から喜んでいる姿に、イーサンは友人と名の知らぬ紳士に感謝した。
✴︎
築100年を越す劇場は分厚い石壁と彫刻で荘厳であった。入るのも苦労するほど、多くの人で賑わっている。
噂通りの人気ぶり。浮かれきったアナベルは、忙しなく辺りを見渡していると、人混みの中からひそひそと話す声が聞こえてきた。アナベルに聞こえる絶妙な声の大きさ。
浮気……妊娠……捨てられ……寝取り……乗り換え……。
ちらりと声の先に目を向ければ、2人の淑女がこちらを見ながら話をしている。まったく。アナベルは心の中でため息をついた。
噂好きもいい加減にしてほしい。なにより気になるのが話の内容。どうやら婚約解消の言い分が変わって来ているようだ。とにかく今はやめて欲しいが、気にしてもしょうがない。
と、途端。声はパタリと聞こえなくなった。彼女たちは顔を青ざめさせ、固まっている。目線の先、アナベルの後ろを振り返るとイーサンが睨みを利かせていた。いつもの優しげな表情は影が差したように暗く、目つきは厳しく捉えている。アナベルが彼の手を握ると、いつもの柔らかな顔付きに戻った。
「楽しい気持ちに水を差したね。ごめん」
「貴方が謝ることじゃないわ。そんな顔もするのね」
長く付き合いの中でもイーサンが凄む表情は初めだ。柔らかく輝くライトグリーンの瞳が怪しく光った様は、直視されればぞくりと背筋が固まっただろう。睨まれた彼女たちはお気の毒様だ。
「すこし父さんに似てるって言われる」
「デービッド様に?」
「私もよく知らないんだ。聞いた話だと怒ると凄みが増して末恐ろしいらしい。想像つかないよね」
アナベルは頷いた。イーサン以上に穏やかな人だ。レティシア夫人といつも笑い合っているし、何が問題が起こっても冷静沈着。彼が怒る姿など考えられない。想像するのも難しい。
「凄みなら……ソフィアが1番かな。アイザックが震え上がるほどだから相当だよ?」
「ソフィアが?もっと想像つかない…」
アナベルはジャックが以前『普段の生活スキルはからっきし』と話していたのを思い出した。まだ使用人たちの部屋を見たことがないため、酷さはわからない。イーサンに聞くと、彼は苦笑いを浮かべた。
アイザックは料理以外のことは、ほとんど興味がない。料理に関連することになれば意欲的だが、それ以外、特に自分のことになると途端に意識の外になる。
長い付き合いでアイザックの性格を知っていても、扉が閉まらなくなる程部屋が荒れ果てるのは看過できず、ソフィアが激怒しアイザックは半泣きしながら部屋の大掃除をするのがキャンベル家の日常となっている。アイザックがキャンベル家に勤めて20年近くたった今でも、アナベルが夏休み一緒に過ごし始めてからますます料理ばかりに集中しがちで、ソフィアの圧がピシピシと増しているのを一同察している。ジャックも注意をしているのだが…。あと少しで、真夏にも関わらず屋敷が凍てつくに違いない。
話せば長くなるため、イーサンは端的に「そのうち見れるよ。アイザックがまた料理に夢中で他のこと疎かになりつつあるから…」と伝えるにとどめた。
すると突然、彼は笑い出した。
「キャンベル家もある意味、毎日が喜劇みたいなものだ」
「なにそれ」
たまらずアナベルも笑ってしまう。だが、あれだけ癖の強い人たちが集まっているのだ。喜劇と言われると少し納得できる。
「さ、席へ向かおう」
観覧席は2階の中央席。ボックスになっている特等席だ。劇を真正面から観れる機会は滅多にない。なんて素晴らしい体験か。思わずため息が漏れる。こんなに良い席を、それも2人分手に入れられるなんて。正に夏の奇跡。イーサンたちに感謝しかない。
席に座れば、いよいよ諦めていた夢が叶うのだという実感が湧いてくる。
高鳴る胸は今にもはち切れそうで、むず痒い身体を何とか落ち着かせる。
「アナベル、良かったらこれを」
イーサンに手渡せたのはオペラスコープであった。見覚えのあるそれは、夏休み前に誘われて王都の店を巡った時に、彼が買っていた物の1つ。彼の手にもう1つ握られていたため、アナベルは言葉に甘え借りることにした。
ブザーが鳴る。
劇場の明かりが消え、幕が降りた舞台にスポットライトが差す。そこには深々とお辞儀をしている男がいた。
さっと顔を上げた彼は、声を会場に響き渡らせる。
「これは夢。幕が降りれば、記憶の彼方へ仕舞われる程度の出来事でございます。しかし、しかしながら。生まれて十数年しか生きていない精霊にとっては、大事件でございました」
彼の手の動きと共に、幕が上がった。
ホールに響き渡る歌声。
感情を表す大胆な演技。
豪華絢爛な衣装。
躍動的で、幻想的な舞台装飾。
そして、心を湧き立たせる物語。
アナベルとイーサンは瞬きを忘れ、劇に魅入る。
✴︎
正に夢のようなひと時。3時間近い劇は、夥しい拍手喝采によって締め括られた。
想像を遥かに超えた出来栄えに、アナベルとイーサンは帰りの馬車の中や屋敷に戻ってからも、劇の話は尽きなかった。語っても、語っても盛り上がる一方だ。
ふと時計を見れば、3時半を過ぎていた。
1時間もすれば太陽が顔を覗かせる。その前に寝ようと話を切り上げ、慌てて自室に戻りベッドに潜り込む。
それでも、観た光景は脳裏に何度も反芻されて。
結局、2人が寝ついたのは太陽が顔を出してからだった。
演出家や衣装デザイナー、俳優は全て名を馳せている実力者ばかり。細部に至るまで神が宿った出来栄えは、辛口の評論家たちを軒並み唸らせていると新聞で取り上げられていた。
物語は、夏にしか実を付けない果実をめぐるイザコザに巻き込まれた若い精霊が繰り広げる奮闘喜劇。
その脚本を務めたのが、西方の国で長年児童書を手がけ、アナベルが子供のときから大好きな作家である。イーサンと仲良くなったきっかけを作ったのも彼の著書であった。
出身、年齢、容姿など詳細不詳の作者が紡ぐ物語は、火の海や雲の谷など現実世界でもありえないような世界で生きる癖の強いキャラクターたちと、少し皮肉めいた物言いが特徴だ。時々驚くほど過激なセリフがでるが、彼らが抱く真っ直ぐな心意気にいつのまにか魅了されてしまう。何度も繰り返し読み、妹たちにも幾度も読み聞かせた。愛読書は少し古びているが、大切に本棚に仕舞われている。
舞台の話を聞いた時は飛び跳ねるほど嬉しく、公演を、首を長くして待っていた。しかし公演前から大々的に広告を打ち、夏季限定の物珍しさから券の入手は困難を極めた。すでに来月分の券も売り切れたと聞いていたため、正直諦めていた。
その券が、今目の前に。
「けど良いの? 折角2枚あるならレティシア様と行かれた方が……」
「母さんもアナベルに楽しんでほしいって言ってたよ。なにより一緒に観れるのを楽しみにしてたんだ」
あまりにも貴重すぎる券を前に、自分が観に行っては申し訳なく感じてきてしまったアナベル。
2人の会話の中に自分の名前が聞こえたレティシアが現れた。券を前に自信なさげなアナベルの表情から、状況を察した未来の姑は「劇は2人で行きなさい」とハッキリと告げた。
「イーサンはアナベルと一緒に楽しみたいのよ。現に券を手に入れた時すっごく嬉しそうだったんだから。こう言う時は甘えちゃって……次のおねだりに繋げちゃいなさい。それに大好きな作家さんじゃない。私も貴女が楽しんでくれる方が良いわ。気持ちはしっかり受け取ったから、ぞんっぶんに観てきなさい!」
感想を楽しみにしているとレティシアに背中を押されたアナベルは、笑顔を取り戻した。「貴女は気遣いが過ぎるわよー」とレティシアに頬をむみむみと揉まれながらも、嬉しさの笑みが漏れている。
温室で植物の様子を見てくる。レティシアが立ち去り、アナベルは改めて礼を伝えた。
「ありがとうイーサン」
「素直に言えばちょっとヒヤっとした」
「だってすっごく貴重なのよ?! もう来月分すら入手困難だって聞いていたから、諦めてたの」
「……話してくれただろう? 観たいって。私も興味あったからさ」
そう言われ、夏休み前のキャンベル家でのお泊まりがもう何年も前のように、アナベルは思えた。確かにお昼ご飯を食べていた時に、劇の話はしたが『観てみたい』と呟いた程度だ。すでに諦めていたけれど、本心は滲み出ていたのだろう。彼は探し出してくれた。
「……わざわざありがとう」
「まぁ私だけの力じゃ手に入らなかったけどね」
入手困難な券を手に入れられたのは偶然、かつ友人のおかげだと彼は話す。カフェで相席した紳士と劇の話になり、裏路地の金券屋で1枚だけ販売していたと教えて貰った。まだ知られていない穴場の店で、確かに、さらに定価で券は売られていた。
また貿易業を営んでいる友人が券を手に入れてくれたと、彼は嬉しそうに語る。入手経路が違う2枚だったが、同じ日付、それも特等席隣同士であったのだ。奇跡というほかない。
「縁に恵まれた。本当にありがたいよ」
昔からイーサンは不思議な縁を結ぶ。彼に導かれた先で事態が好転したことがままある。イーサンの優れた観察眼と穏やかな性格ゆえだと考えているが、本人はまぐれだと言い張っている。ともあれ今回もイーサンと、彼の友人たちによって奇跡が起きた。
「ご友人には、私からもお礼をしたいわ」
「彼が戻って来たら、ぜひ会ってほしいな。向こうからも”会いたい”って速達が届いてるから」
アナベルは元気よく頷くと、再び券に目を落とし笑顔を咲かす。"カフェの紳士"に礼を伝えられないのは残念だが、存分に楽しませてもらおう。ゾワゾワと産毛が立ち、興奮が鎮まらない。何度も何度も券を撫でる。
軽い足取りと、緩みきった笑顔で日中を過ごし、夕方2人は観劇へ赴いた。
馬車の中、窓の外をじっと眺め劇場への到着を今か今かと待ち望んでいるアナベルは幼女のようだ。久しぶりに心の底から喜んでいる姿に、イーサンは友人と名の知らぬ紳士に感謝した。
✴︎
築100年を越す劇場は分厚い石壁と彫刻で荘厳であった。入るのも苦労するほど、多くの人で賑わっている。
噂通りの人気ぶり。浮かれきったアナベルは、忙しなく辺りを見渡していると、人混みの中からひそひそと話す声が聞こえてきた。アナベルに聞こえる絶妙な声の大きさ。
浮気……妊娠……捨てられ……寝取り……乗り換え……。
ちらりと声の先に目を向ければ、2人の淑女がこちらを見ながら話をしている。まったく。アナベルは心の中でため息をついた。
噂好きもいい加減にしてほしい。なにより気になるのが話の内容。どうやら婚約解消の言い分が変わって来ているようだ。とにかく今はやめて欲しいが、気にしてもしょうがない。
と、途端。声はパタリと聞こえなくなった。彼女たちは顔を青ざめさせ、固まっている。目線の先、アナベルの後ろを振り返るとイーサンが睨みを利かせていた。いつもの優しげな表情は影が差したように暗く、目つきは厳しく捉えている。アナベルが彼の手を握ると、いつもの柔らかな顔付きに戻った。
「楽しい気持ちに水を差したね。ごめん」
「貴方が謝ることじゃないわ。そんな顔もするのね」
長く付き合いの中でもイーサンが凄む表情は初めだ。柔らかく輝くライトグリーンの瞳が怪しく光った様は、直視されればぞくりと背筋が固まっただろう。睨まれた彼女たちはお気の毒様だ。
「すこし父さんに似てるって言われる」
「デービッド様に?」
「私もよく知らないんだ。聞いた話だと怒ると凄みが増して末恐ろしいらしい。想像つかないよね」
アナベルは頷いた。イーサン以上に穏やかな人だ。レティシア夫人といつも笑い合っているし、何が問題が起こっても冷静沈着。彼が怒る姿など考えられない。想像するのも難しい。
「凄みなら……ソフィアが1番かな。アイザックが震え上がるほどだから相当だよ?」
「ソフィアが?もっと想像つかない…」
アナベルはジャックが以前『普段の生活スキルはからっきし』と話していたのを思い出した。まだ使用人たちの部屋を見たことがないため、酷さはわからない。イーサンに聞くと、彼は苦笑いを浮かべた。
アイザックは料理以外のことは、ほとんど興味がない。料理に関連することになれば意欲的だが、それ以外、特に自分のことになると途端に意識の外になる。
長い付き合いでアイザックの性格を知っていても、扉が閉まらなくなる程部屋が荒れ果てるのは看過できず、ソフィアが激怒しアイザックは半泣きしながら部屋の大掃除をするのがキャンベル家の日常となっている。アイザックがキャンベル家に勤めて20年近くたった今でも、アナベルが夏休み一緒に過ごし始めてからますます料理ばかりに集中しがちで、ソフィアの圧がピシピシと増しているのを一同察している。ジャックも注意をしているのだが…。あと少しで、真夏にも関わらず屋敷が凍てつくに違いない。
話せば長くなるため、イーサンは端的に「そのうち見れるよ。アイザックがまた料理に夢中で他のこと疎かになりつつあるから…」と伝えるにとどめた。
すると突然、彼は笑い出した。
「キャンベル家もある意味、毎日が喜劇みたいなものだ」
「なにそれ」
たまらずアナベルも笑ってしまう。だが、あれだけ癖の強い人たちが集まっているのだ。喜劇と言われると少し納得できる。
「さ、席へ向かおう」
観覧席は2階の中央席。ボックスになっている特等席だ。劇を真正面から観れる機会は滅多にない。なんて素晴らしい体験か。思わずため息が漏れる。こんなに良い席を、それも2人分手に入れられるなんて。正に夏の奇跡。イーサンたちに感謝しかない。
席に座れば、いよいよ諦めていた夢が叶うのだという実感が湧いてくる。
高鳴る胸は今にもはち切れそうで、むず痒い身体を何とか落ち着かせる。
「アナベル、良かったらこれを」
イーサンに手渡せたのはオペラスコープであった。見覚えのあるそれは、夏休み前に誘われて王都の店を巡った時に、彼が買っていた物の1つ。彼の手にもう1つ握られていたため、アナベルは言葉に甘え借りることにした。
ブザーが鳴る。
劇場の明かりが消え、幕が降りた舞台にスポットライトが差す。そこには深々とお辞儀をしている男がいた。
さっと顔を上げた彼は、声を会場に響き渡らせる。
「これは夢。幕が降りれば、記憶の彼方へ仕舞われる程度の出来事でございます。しかし、しかしながら。生まれて十数年しか生きていない精霊にとっては、大事件でございました」
彼の手の動きと共に、幕が上がった。
ホールに響き渡る歌声。
感情を表す大胆な演技。
豪華絢爛な衣装。
躍動的で、幻想的な舞台装飾。
そして、心を湧き立たせる物語。
アナベルとイーサンは瞬きを忘れ、劇に魅入る。
✴︎
正に夢のようなひと時。3時間近い劇は、夥しい拍手喝采によって締め括られた。
想像を遥かに超えた出来栄えに、アナベルとイーサンは帰りの馬車の中や屋敷に戻ってからも、劇の話は尽きなかった。語っても、語っても盛り上がる一方だ。
ふと時計を見れば、3時半を過ぎていた。
1時間もすれば太陽が顔を覗かせる。その前に寝ようと話を切り上げ、慌てて自室に戻りベッドに潜り込む。
それでも、観た光景は脳裏に何度も反芻されて。
結局、2人が寝ついたのは太陽が顔を出してからだった。

