3日後の夜に再び集まれば、執念深いポーラが珍しく白旗を上げた。
「悩み始めてますねぇ。意識も反らせませんし……かえってハキハキしちゃってますわ」
「始めている?」
呆れの滲むポーラの言葉に、イーサンは細く整った眉を顰めた。
兎にも角にもアナベルの状況を把握することにした一昨日のこと。アナベルがキャンベル家使用人の仕事に興味を持っているのは周知の事実だったため、ポーラは一芝居打つことにした。あえて腰を痛める振りをすれば、想案の定アナベルはポーラを心配した。
そして仕事を手伝うと言い出した。メイドたちの仕事を手伝う中で、彼女は実力を発揮。教えて貰いながらバキバキと、与えられた仕事をこなしていき、屋敷中を闊歩。
アイザックたちの料理がなければ、1日食事も摂らない勢いであった。
また昨日参加した教会へのボランティアーー数年前に教会で祖父らが粗相をしでかし、その反省とお詫びを兼ねキャンベル家の必須行事になったーーでも、子どもたちに勉強を教えながら、掃除や昼食準備、配膳など率先して活動していた。
「圧倒的働き」「よく気がついてくれる」「彼女は神からの使者か?」などと言わしめるほど。
全力で一緒に遊ぶため、子どもたちにもたちまち人気者になっていた。子どもたちにねだられ、夏休み中にもう1度だけでもボランティアに来ると約束していた。
「根っこは変わりませんね。動いている方がイキイキしているのは」
「まぁ屋敷でじっとしているより、遊びにも出かけた方がいいことが改めて分かっただけでも良かったか」
満足そうに頬を緩める彼女を見てイーサンも嬉しかったが、これは完全に休みではなくなっている。仕事だ、義務だ。このままでは夏休みは遂行できなくなる危機感に、予定は決めていないが、イーサンはとりあえず明日外出することに決めた。
「ま、がむしゃらに前だけ向いてたら自分すらも振り切りますがね。それに疲れていたら思考は鈍ります」
「…となると、ゆっくり休んでもらうことも必要な訳だ」
早速矛盾が出た。これは慎重に見極めないといけない。
ここ3日、アナベルは遊んでいる時と同じぐらい真剣であった。むしろ慣れている仕事の方が楽なようでもあった。
「ポーラ、ソフィア。悩み始めたってどう言うこと?」
「どうにも。おひいさまは恋愛や男女の仲についてや、当主像について聞いて回っているようですが自由な発言に、方向が定まらないようです」
使用人たちの理想の女当主。直接ではなく、遠回しに聞いて回っているとポーラは話す。
なるほど、当主像か。イーサンは舌を巻いた。やはりアナベルの方がずっと具体的に将来を考えている。遊ぶよりも先に話し合うべきだったか。だがそれでは益々責務ばかりに意識を向けてしまう。
「イーサン、悩むこと自体は悪くないことよ?」
悩みを立ち塞がる壁と比喩すれば、どう乗り越えるか考える時間は否が応でも自分と向き合う羽目になる。一般的には悪いものだと言われるが、自分を見直す良い機会でもある。何より面白いのは、それも余裕が無いと生まれてこないのだ。
「環境や過ごし方が変わって、彼女の中で隙間が出きたんじゃないかしら」
外からの意見を取り込める、隙間。彼女の空きに、丁度夜会での会話が引っかかった。解答を求めようとするも、想定外な意見が多く戸惑い始めている。そこに手を差し伸べたりすれば、それこそ本人の意思がなくなる危険がある。
「今は見守ることが大切、か」
「2人が培ってきた信頼があるもの。アナベルは貴方には悩みを打ち明けてきたのでしょう?今はそっと見守るのが1番じゃないかしら」
思い詰めたりしたら引き留めるとして、が前提ではあるが。
レ ティシアはイーサンに、引き続きアナベルをどう楽しませるか、に注力した方がいいとアドバイスを送る。あともう少ししたら、イーサンは渾身のイベント用意している。アナベルは絶っ対に喜ぶに違いない。2人で頭抱え始めたら、それこそ夏休みが台無しだ。
夏休みはまだまだ長い。残り1ヶ月以上、2人でクヨクヨしては勿体ない。どこかで立ち止まる時があるまでは存分に楽しむべきだ。立ち止まった時は、止まった時。今度はサイドハウス・ノアで存分にゆっくりすれば良い。
レティシアにとっても、アナベルには自分を大切にすることを思い出して欲しい。息子の片想い相手だけではなく、大好きな賢く可愛しい娘だ。自分勝手ができない人生であろうと、この先彼女が無双していく姿を至近距離で見ていたいのだ。
安心して悩めるためにも、まずは周囲が慌てずにいることも必要だと解く。イーサンも重々承知しているはずだが、相手は長年の想い人。やはり気持ちが焦るのだろう。
「見守るにしても、今後の遊びの方向性は決めたいな。……休み方を身につけてもらう、なら良いのかな」
「あぁ、それなら良いかもしれませんねぇ」
アナベルは覚えたら実践する性格だ。
とはいっても、正しい休み方など教えて欲しいぐらいだ。イーサンは頭を悩ませ、思いついたのは家庭教師の1人であるヨガの先生に、呼吸法などを教えてもらう事であった。
「それなら疲れさせないと実践できませんね。さらに疲労が溜まるイベントとなれば…」
「…あ!そうよ、アレを予約してたのよ!」
元気よくレティシアが立ち上がった。勢いでクッションが転げ落ちる。つかさずソフィアが床につく前に受け止め、元の位置に戻した。
「ここ数日の予定は空いてるのよね?なら明日から1週間はもらうわよ!」
ソフィアに保養地区の最新の地図を、ポーラには最新スポットを求めたレティシア。
「任せて!お休みなさい!」
深夜であるにもかかわらず2人のメイドと部屋から出ていった。
部屋に取り残されたジャックとアイザックはお互いの顔を見やる。夜も遅い。朝の準備もある2人も、退出することした。
「イーサン様。沈静効果のある茶葉やハーブなどを取り寄せます。気負わないようにお過ごしください」
「そうですよ。折角一緒になれるんです。同じ時間を共有することも大切ですよ」
「…ありがとう」
優しい言葉が胸に沁みる。
2人も使用人部屋に戻り、灯りを消せば静けさは深まった。
イーサンは瞼を閉じる。立ったまま息を深く吐き、吸う。アナベルは『イーサンから学ぶことが多い』と言ってくれるが、アナベルから学ぶ機会の方が多い。この深呼吸法も、より多く空気を吸うには最適だと教えてもらった。深呼吸を数度繰り返せば、気持ちも大分整理される。
「よし。遊ぶぞイーサン・キャンベル」
アナベルに遊んでもらうと決めたのだ。正直不安はあるものの、母親たちが言う通り。悩みすぎて動けなくなるのは得策ではない。
「明日はアスレチックに出掛けよう」
屋敷から近い場所にアスレチックパークがある。樹木の上から景色を眺めたり、樹から樹を渡ったり、ハイキングもできる。自然を感じ、複雑な森の中を全身を使い動けば自然に身体は疲れるはずだ。もしかしたら森林に住む動物、精霊種や妖精とも会えるかもしれない。
遊ぶ場所が定まった。昼間元気に動く為にも早く寝なければ。寝具に横になる。月の白い光が差し込み、真っ白なカーテンのように揺らいでいる。
(アナベルは夢の中かな)
そうだと良い。今夜は楽しい夢を見ていますように。
しっとりとしたシーツに包まれて、うつらうつら。ゆらり、ゆらり。月光のゆらめきに導かれ、イーサンは眠りについた。
その頃のアナベルはと言うと…。ぐっすり夢の中にいた。本当は恋愛指南書を読もうとしたが、ふかふかなベッドの魅惑に勝てなかったのだ。本は開かれたまま身体の横にある。
すやすやと、くうくうと。
一瞬、眉間に皺がよる。緩く微笑み、険しい顔つきは消えていく。
静かに流れる夏の夜。
ただ屋敷の一角の明かりだけは、まだ消えそうになかった。
「悩み始めてますねぇ。意識も反らせませんし……かえってハキハキしちゃってますわ」
「始めている?」
呆れの滲むポーラの言葉に、イーサンは細く整った眉を顰めた。
兎にも角にもアナベルの状況を把握することにした一昨日のこと。アナベルがキャンベル家使用人の仕事に興味を持っているのは周知の事実だったため、ポーラは一芝居打つことにした。あえて腰を痛める振りをすれば、想案の定アナベルはポーラを心配した。
そして仕事を手伝うと言い出した。メイドたちの仕事を手伝う中で、彼女は実力を発揮。教えて貰いながらバキバキと、与えられた仕事をこなしていき、屋敷中を闊歩。
アイザックたちの料理がなければ、1日食事も摂らない勢いであった。
また昨日参加した教会へのボランティアーー数年前に教会で祖父らが粗相をしでかし、その反省とお詫びを兼ねキャンベル家の必須行事になったーーでも、子どもたちに勉強を教えながら、掃除や昼食準備、配膳など率先して活動していた。
「圧倒的働き」「よく気がついてくれる」「彼女は神からの使者か?」などと言わしめるほど。
全力で一緒に遊ぶため、子どもたちにもたちまち人気者になっていた。子どもたちにねだられ、夏休み中にもう1度だけでもボランティアに来ると約束していた。
「根っこは変わりませんね。動いている方がイキイキしているのは」
「まぁ屋敷でじっとしているより、遊びにも出かけた方がいいことが改めて分かっただけでも良かったか」
満足そうに頬を緩める彼女を見てイーサンも嬉しかったが、これは完全に休みではなくなっている。仕事だ、義務だ。このままでは夏休みは遂行できなくなる危機感に、予定は決めていないが、イーサンはとりあえず明日外出することに決めた。
「ま、がむしゃらに前だけ向いてたら自分すらも振り切りますがね。それに疲れていたら思考は鈍ります」
「…となると、ゆっくり休んでもらうことも必要な訳だ」
早速矛盾が出た。これは慎重に見極めないといけない。
ここ3日、アナベルは遊んでいる時と同じぐらい真剣であった。むしろ慣れている仕事の方が楽なようでもあった。
「ポーラ、ソフィア。悩み始めたってどう言うこと?」
「どうにも。おひいさまは恋愛や男女の仲についてや、当主像について聞いて回っているようですが自由な発言に、方向が定まらないようです」
使用人たちの理想の女当主。直接ではなく、遠回しに聞いて回っているとポーラは話す。
なるほど、当主像か。イーサンは舌を巻いた。やはりアナベルの方がずっと具体的に将来を考えている。遊ぶよりも先に話し合うべきだったか。だがそれでは益々責務ばかりに意識を向けてしまう。
「イーサン、悩むこと自体は悪くないことよ?」
悩みを立ち塞がる壁と比喩すれば、どう乗り越えるか考える時間は否が応でも自分と向き合う羽目になる。一般的には悪いものだと言われるが、自分を見直す良い機会でもある。何より面白いのは、それも余裕が無いと生まれてこないのだ。
「環境や過ごし方が変わって、彼女の中で隙間が出きたんじゃないかしら」
外からの意見を取り込める、隙間。彼女の空きに、丁度夜会での会話が引っかかった。解答を求めようとするも、想定外な意見が多く戸惑い始めている。そこに手を差し伸べたりすれば、それこそ本人の意思がなくなる危険がある。
「今は見守ることが大切、か」
「2人が培ってきた信頼があるもの。アナベルは貴方には悩みを打ち明けてきたのでしょう?今はそっと見守るのが1番じゃないかしら」
思い詰めたりしたら引き留めるとして、が前提ではあるが。
レ ティシアはイーサンに、引き続きアナベルをどう楽しませるか、に注力した方がいいとアドバイスを送る。あともう少ししたら、イーサンは渾身のイベント用意している。アナベルは絶っ対に喜ぶに違いない。2人で頭抱え始めたら、それこそ夏休みが台無しだ。
夏休みはまだまだ長い。残り1ヶ月以上、2人でクヨクヨしては勿体ない。どこかで立ち止まる時があるまでは存分に楽しむべきだ。立ち止まった時は、止まった時。今度はサイドハウス・ノアで存分にゆっくりすれば良い。
レティシアにとっても、アナベルには自分を大切にすることを思い出して欲しい。息子の片想い相手だけではなく、大好きな賢く可愛しい娘だ。自分勝手ができない人生であろうと、この先彼女が無双していく姿を至近距離で見ていたいのだ。
安心して悩めるためにも、まずは周囲が慌てずにいることも必要だと解く。イーサンも重々承知しているはずだが、相手は長年の想い人。やはり気持ちが焦るのだろう。
「見守るにしても、今後の遊びの方向性は決めたいな。……休み方を身につけてもらう、なら良いのかな」
「あぁ、それなら良いかもしれませんねぇ」
アナベルは覚えたら実践する性格だ。
とはいっても、正しい休み方など教えて欲しいぐらいだ。イーサンは頭を悩ませ、思いついたのは家庭教師の1人であるヨガの先生に、呼吸法などを教えてもらう事であった。
「それなら疲れさせないと実践できませんね。さらに疲労が溜まるイベントとなれば…」
「…あ!そうよ、アレを予約してたのよ!」
元気よくレティシアが立ち上がった。勢いでクッションが転げ落ちる。つかさずソフィアが床につく前に受け止め、元の位置に戻した。
「ここ数日の予定は空いてるのよね?なら明日から1週間はもらうわよ!」
ソフィアに保養地区の最新の地図を、ポーラには最新スポットを求めたレティシア。
「任せて!お休みなさい!」
深夜であるにもかかわらず2人のメイドと部屋から出ていった。
部屋に取り残されたジャックとアイザックはお互いの顔を見やる。夜も遅い。朝の準備もある2人も、退出することした。
「イーサン様。沈静効果のある茶葉やハーブなどを取り寄せます。気負わないようにお過ごしください」
「そうですよ。折角一緒になれるんです。同じ時間を共有することも大切ですよ」
「…ありがとう」
優しい言葉が胸に沁みる。
2人も使用人部屋に戻り、灯りを消せば静けさは深まった。
イーサンは瞼を閉じる。立ったまま息を深く吐き、吸う。アナベルは『イーサンから学ぶことが多い』と言ってくれるが、アナベルから学ぶ機会の方が多い。この深呼吸法も、より多く空気を吸うには最適だと教えてもらった。深呼吸を数度繰り返せば、気持ちも大分整理される。
「よし。遊ぶぞイーサン・キャンベル」
アナベルに遊んでもらうと決めたのだ。正直不安はあるものの、母親たちが言う通り。悩みすぎて動けなくなるのは得策ではない。
「明日はアスレチックに出掛けよう」
屋敷から近い場所にアスレチックパークがある。樹木の上から景色を眺めたり、樹から樹を渡ったり、ハイキングもできる。自然を感じ、複雑な森の中を全身を使い動けば自然に身体は疲れるはずだ。もしかしたら森林に住む動物、精霊種や妖精とも会えるかもしれない。
遊ぶ場所が定まった。昼間元気に動く為にも早く寝なければ。寝具に横になる。月の白い光が差し込み、真っ白なカーテンのように揺らいでいる。
(アナベルは夢の中かな)
そうだと良い。今夜は楽しい夢を見ていますように。
しっとりとしたシーツに包まれて、うつらうつら。ゆらり、ゆらり。月光のゆらめきに導かれ、イーサンは眠りについた。
その頃のアナベルはと言うと…。ぐっすり夢の中にいた。本当は恋愛指南書を読もうとしたが、ふかふかなベッドの魅惑に勝てなかったのだ。本は開かれたまま身体の横にある。
すやすやと、くうくうと。
一瞬、眉間に皺がよる。緩く微笑み、険しい顔つきは消えていく。
静かに流れる夏の夜。
ただ屋敷の一角の明かりだけは、まだ消えそうになかった。

