この夏、あるカップルの話があらゆる所で話題になっていた。
それは真実の愛で結ばれたロベールとミシェルの婚約。
ではなく。
アナベルとイーサンの婚約について。特に社交界では、イーサンに対する話題の方が多かった。
「イーサン・キャンベルが婚約?」
「それも彼から申し込んだんだと」
「ずっと想いを寄せていたのだって」
「彼も血の通った人だったのか!」
イーサンはアナベルに友人以上の距離にならないよう接して来たが、他の令嬢に対しても同じであった。彼の清廉潔白な態度は変わらない誰にも平等だ。そろそろ18歳を迎えるにも関わらず、婚約者も恋人もつくらず、1人で過ごしていたから、そもそもそういった欲が無いのだと思われていた。その思い込みは、侯爵家子息の独り身の彼に、誰も婚約話を持っていくことすら考えなかった程に。
だからこそ突然現れた婚約者に、多くの者が腰を抜かした。
それも相手は、あのアナベル・バーンズ。
2人が友人同士であり両家が仲が良い事は周知されていたが、婚約の公表加え、イーサンがアナベルに想いを寄せていたことが判明してから騒ぎは増した。
ぜひ本人から話を聞きたい。噂に飽きた彼らの欲。だが相変わらず、イーサン・キャンベルは夏の社交界に出てこない。
ようやく2人と、彼らの家族が現れたのは、保養地区の領主が開いた夜会であった。
「ヤァ、久しぶりだね。イーサン・キャンベル、アナベル・バーンズ」
長い尻尾を揺らす度に鱗がシャンデリアの光を受け、テラリと輝く。保養地区を治めているのは竜類、土と帝の翼族だ。建国前から湖畔一帯を縄張りにしてきた一族の末裔で、爵位は伯爵だが、実際の権力は公爵に及ぶ。竜類、とくに上位種は真名を暴かれるのを嫌っており、誰も彼の名を知らないために「領主様」と呼んでいる。
キャンベル家とは保養地区に土地を探している際お世話になった縁から交流が続いている。アナベルはベルナルド侯爵の付き添いで会う機会があり、顔見知りであった。
「ご無沙汰しております。今夜はお招きいただきありがとうございます」
「アァ今夜2人に会えなかったらどうしようかと心配していたよ…皆興味津々でね。フフフ。今夜は覚悟した方がいい」
イーサンと領主はにこやかに挨拶を交わす。領主はギョロリとした大きな瞳をアナベルをを映した。
「それにしてもアナベル。…今夜は息を呑むほど一段と美しいねェ」
イーサンの隣に立つ女性。
紺色のマーメイドドレスに身を包み、茶髪と緑の宝石が輝き、美しさに磨きがかかった彼女は、ベルナルド侯爵に付き添い気難しい顔つきで仕事に挑む令嬢から、ガラリと印象が変わっていたからだ。
「ありがとうございます」
髪を彩る緑の宝石と紺色のマーメイドドレスを身に纏ったアナベル。美しさが自慢の女神たちを嫉妬させそうなほど美しい姿である。
数時間前に話を戻そう。
サイドハウス・ノアは忙しなく、アナベルとイーサンが婚約後初めて参加する舞踏会に、不備があってはいけないと使用人たちが念入りに確認や準備の再確認を行っていた。イーサンの父デービッドと、アナベルの父チャーリーもこの日はサイドハウス・ノアに来た。手紙でやりとりしているが修了式ぶりに会った父親。夏の暑さに負けず元気そうな姿に、母親や妹たち、使用人たちも元気だと聞きアナベルは嬉しくなった。以前よりも明るくなった娘に、チャーリーは思わず涙ぐむ。
17時。身支度が始まる。今夜のドレスは深い青色のマーメイドライン。普段なら絶対に選ばないタイプだが『新しい試みもいいじゃない。とても似合っているよ』とイーサンからの後押しがあった衣装だ。ドレスの下部分はたっぷりのドレープに、全体に小さな宝石が施されている。月光に反射する海原のようなデザインがアナベルはとても気に入っている。
髪は銀のヘアピンとブローチを駆使してまとめ高く結いあげ、ヒールは低いものにして高さのバランスを整える。
『これが…私…?』
アナベルは鏡に映る自分の姿を凝視する。まるで別人だ。皆が言うように人魚姫のようだと思わないが、印象の変化が凄まじい。すこし視野を広げ、挑戦すればすぐに新しい自分に出会えるのだと痛感する。
『よくお似合いですよ。アナベル様』
『ありがとう。みんなのおかげだわ』
まるで人魚姫のような美しさに、身支度の準備を手伝っていたメイドたちは感嘆の声を漏らした。
準備を整え、書斎へ。すでに準備を終えたデービッドにチャーリー、イーサンが待っていた。レティシアの姿はまだない。
イーサンはアナベルを見るや、驚いたように固まった。みるみる頬を赤く染め、目元を緩ませていく。
『綺麗だよアナベル。すごく似合ってる。いつもだけど…今夜も一段と』
『あ、ありがとう…』
釣られてアナベルも顔を赤く染めた。嬉しさよりも照れ臭さが勝る。
ふわりと笑むイーサンは真っ黒な燕尾服に、白いシャツとネクタイ。彼の正装姿に"友達のイーサン"に会った感覚を抱くも、身につけている装飾品はアナベルの瞳と同じスカイブルーの宝石と、お揃いの銀の装飾がさりげなく取り入れられている。2人が並べば恋人同士だと誰もが確信するに違いない。
((……あぁ慣れない))
こそばゆさに耐えるために、ひっそり頬の裏を噛む。
そんな2人の様子を、父親たちは見守っていた。チャーリーは妻・アーニーに想いを馳せる。キャンベル家との婚約について連日茶話会に呼ばれており、疲れが溜まってきていたため今夜は1人でやって来たが、数週間前にくらべ明るくなった娘の姿を見ればさぞ喜んだだろう、と。
『…アーニーにも見せたかった』
『あとで写真を撮っておこう。記念になる。それに今夜で最後というわけじゃない。すぐ機会はあるよ』
少し後悔を滲ませ呟くチャーリーに、デービッドは優しく言葉をかけた。
すぐにレティシアーアナベルの姿にすごく興奮し、帰ってから撮影会をしようとソフィアに指示を出していた。もちろん彼女の優秀な侍女は撮影機材の準備も済んでいるーも揃い、まずはアナベルとイーサンの写真撮影。
5人はサイドハウス・ノアを出発した。南エリアにある湖畔に領主家はある。会場に到着するや否や、アナベルとイーサンは領主に声をかけられたのだ。
彼は目ざとくイーサンのカフスに付けられた空色の宝石を見つけると、くるりと2人の周りを歩く。アナベルの背後で「アラァ!」と聞こえていた。
「ウンウン。仲が良いようだね。インヤァ君が婚約とは」
鋭い爪を華やかに飾った大きな手が、ポンポンとイーサンの肩を優しく叩く。クルクルと喉を鳴らす。
「それにしてもベルナルド侯爵家からキャンベル侯爵家なんて。バーンズ家の縁は豪華だね」
話の矛先はアナベルに向かった。彼は三日月のように目を歪ませている。
「本当に。縁にも恵まれているなんて、ありがたい限りです」
「アナベル嬢なら嫁ぎ先は数多だろうけど。…もっといい条件がいたなら、彼でなくともいいのかな?」
三日月は新月へと変わる。真っ白な牙が真っ赤な肌から覗き、領主はひどく愉快そうだ。
「ご領主。お戯れも過ぎればお身体に触りますよ」
イーサンの言葉に肩をすくめるも、領主は笑顔を崩さない。
アナベルは思わず笑みが漏れる。昔からわざと人を困らせる発言をする彼に、ベルナルド侯爵の眉間が深くなるのを何度も見て来た。厄介な相手ではあるが、手に戯れ付く猫の様だとつくづく思う。嘘を言う必要もないため、アナベルは素直に本心を告げる。
「ご存知の通り、誰であろうと私のすべき事は変わりません」
「ホォ!」
「ですが正直なところ…安心して隣で過ごせる彼といられるのは嬉しく思っております」
アナベルの告白に、男性2人は固まった。1人は頬を赤く染め、1人はバツの悪そうな表情に変わる。
「アーゥン。なんだ君たちって結構…イヤやめよう。失礼なことを言って申し訳ない」
領主は頭を下げた。サワリと毛が揺れる。
領主が素直に謝るとは滅多にないことだ。「気にならさらないでください」と伝えると、彼は一度咳払いをする。給仕係を呼び、飲み物が入ったグラスをアナベルとイーサンに手渡すと、高く掲げた。
「新しい未来と夏に乾杯。サァ後が続いてる。パーティーを楽しみながら彼らの欲を満たしてあげて」
アナベルは久しぶりに多くの人と話をした。1組終われば、すぐに次の話し相手が現れる。興味を持ってくてる間に印象を強くしたいとアナベルは意気込み、たっぷり4時間。
ようやく区切りが付いた2人は休憩を取るため隣部屋に移った。給仕係から飲み物を受け取り、用意されていたソファに座れば同時に息を吐いた。
「いやぁ想像以上」
「本当ね…」
話しすぎて、水分が奪われた口からは乾いた声しか出てこない。
ロベールとミシェルの”真実の愛”に関心がいくと思っていたが、アナベルとイーサンの婚約は特別興味を持たれていた。今夜まさか参加者全員とーこれからまだまだ増える。それはもう人数が控えているー話すことになるとは考えてもいなかった。一体何が彼らの好奇心をくすぐっているのだろうか。
ともあれ話しすぎて喉がカラカラだ。2人はグラスを交わすと喉を潤した。
ハーブの入った淡い炭酸の飲み物は、喉を十分に潤した。パチパチと口の中で弾け、意識をさっぱりさせる。グラスを空けると、つかさず新しい飲み物はどうかと給仕係が運んで来てくれた。よほど水分を欲している顔をしているのだろう。
「本番はこんな感じなんだ…。知らない世界がまだまだある。こういうところがまだ坊ちゃんなんだな」
「別物よ。全く別物。イーサン、今夜を基準にしてはいけないわ…」
普通は夏の初めにキャンベル家が開いた様なパーティーになる。今夜の熱は異常だと断言する。
控えめに腹が鳴る。何か口に入れたいがあまりにも人目が多い。間食は諦めるしかないだろう。イーサンも目の前に並ぶ料理を見つめおり、同じことを考えているようだ。
「アナベル」と鈴のような声で名を呼ばれた。聞き覚えのある声に顔を向ければ、そこには友人であるエロイーズがいた。修了式の日にイーサンとの婚約についてアナベルを取り囲んだ令嬢の1人だ。
傍には彼女の婚約者がおり、アナベルとイーサンは立ち上がった。
「ご機嫌よう。貴女も来ていたのね」
「ご機嫌よう!えぇ!彼の家とご領主様がお仕事で交流があるからそのご縁で。イーサン様もお久しぶりです」
「お久しぶりです。エロイーズ嬢」
挨拶を交わすと、イーサンは両親の様子を見て来ると自身が座っていた場所をエロイーズに譲る。エロイーズの婚約者も「じゃあ後で」と立ち去った。2人はソファに座る。
「改めて、この度はおめでとう!どこも2人の話で持ちきりよ」
エロイーズが夜会についたのはつい先ほど。屋敷入り口からすでにアナベルとイーサンについて話をしていた者がおり、キャンベル家夫妻にバーンズ伯爵がいたため今夜会場にいるのだとエロイーズはアナベルを探したのだと話す。
「そしたら素敵な装いでときめいてしまったわ。髪飾りの宝石が特に!すごく似合ってるわ」
宝物を褒められアナベルは嬉しくなる。
「ありがとう。とても気に入っているの。嬉しいわ」
宝石に触れながらアナベルは微笑む。
その表情に、エロイーズはますます喜びが膨らむ。アナベルがイーサンと共に学園を去った後、学園中で2人の仲について考察で賑わった。結局答えは出ず、夕方家に帰って来た父親に『アナベルとイーサンの婚約がつい先ほど発表された』と報告を受け、学園でアナベルが狼狽えていたのは本当に知らなかったのだと判明し、混乱させてしまったことに申し訳無く思っていたのだ。もしかしたら、無理に関係を結ばせてしまったかも知れない。実際会って見て、2人が関係が変わっても仲が良さそうにしていたためエロイーズは安堵した。
「ねぇねぇアナベル。夏休み中何をしていたのか聞きたいわ!まずは…イーサン様と学園を出た後どうしたの?」
「そうね。あの後…」
イーサンに告白された話。婚約を結び、サイドハウス・ノアにやって来たこと。街への買い物や動物園、屋敷で過ごした時間。スイーツ巡り、イーサンの友人たち、ギャラリーへ行ったことやバーベキューのこと…。たった1週間と3日しか経っていない。たったの10日だと思えない毎日の濃密さ。ロベールとの婚約解消に傷ついておらず、夏休みを遊び楽しんでいるのだと改めて認識する。
「正直…ベルナルド家のどなたとは会うかもと身構えていたのだけど」
今夜のパーティーにベルナルド家もラッセル家の姿も見えなかった。公務以外で付き合いはあまりない家柄同士だが、国の重要人物でもあるここの領主に、呼ばれていないはずはないが。
「ベルナルド家は存じ得ないけど、ラッセル家は…最近どんな会にも参加していないらしいの。その…彼女を気遣って」
「そうなの?体調が悪いということかしら。……心配だわ」
エロイーズはキョトンと固まると、みるみる優しい顔になった。
「元からお身体が弱かった方だから。今はお休みを優先しているとのことよ。お元気だと聞いてるわ」
「なら良いのだけど。子どもを産むのはすごく大変なことなのだし…きちんとご自身の体調を優先してほしいわ」
王都ではアナベルのような言葉をかける人は少ない。
ロベールとミシェルの婚約発表後、令嬢や子息たちが彼らと距離を取っている。婚約者がいながら他の令嬢に手を出したロベールを軽蔑し、婚約者がいる男と付き合ったミシェルを警戒して。常日頃からとても親しくしている、または崇高している者しか会いに行かないとエロイーズは聞いている。
アナベルの噂もあらゆる内容が流れているが、日頃からベルナルド家に付き添い真面目に取り組んでいた姿を目撃している者が多く、彼女の境遇を憂い、気遣う声が圧倒的だ。
エロイーズはそのことには触れなかった。いつかは嫌でも耳に入る。下世話な話をして、華やかで楽しい雰囲気を壊してしまうのは得策ではない。
今のアナベルは、以前よりも魅力が増している。それは一体なぜか。彼女の美しい髪に輝く宝石が理由の1つを物語っている。
「私ね、イーサン様が不思議でならなかったの」
突然話題が変わり、アナベルはじっと友人の話に耳を傾ける。
「誰にも礼儀正しく、謙虚で、爽やか。ずっとお相手もいられなかったし、遊んでいる噂もない。あまりにも潔白しすぎて…正直、本当に人なのか疑っていたわ」
エロイーズは己の言葉に、恥ずかしそうに笑う。アナベルも少し理解できる部分もあり、少し口端を上げて理解を示す。
「けどねあの日、アナベルへのイーサン様を見て、ようやく分かったわ。あぁ、この時のためだったんだって。本当に、本当にアナベルを愛していらしているのねって」
「愛…」
エロイーズはアナベルの手を取る。つるりとした手袋の感覚が優しく手を包み込む。
「まだ色々悩むこともあるかもしれないけど…2人なら大丈夫よ!」
「エロイーズ…」
慈しみの眼差しはまるで母親のようで、王都で妹たちと過ごす母親を思い出した。
「夏休みが明けたら、私とも遊びましょうね。この夏1日でももらったら皆様に悪いもの」
「えぇぜひ。絶対に遊びましょう」
イーサンとエロイーズの婚約者が2人の元に戻る。エロイーズは立ち上がった。
「お話しする時間をありがとうアナベル。良い夏休みを」
「こちらこそ。貴女も良い夏休みを」
大広間に戻るエロイーズと婚約者。仲むずまじい2人の後ろ姿をアナベルとイーサンは見送った。
「イーサンありがとう」
「ん?あぁちょうど父さんたちの様子も気になってたから」
息子と、何より義理の娘になる令嬢について熱く語る母親。
娘を褒められ嬉しくなり、普段よりも雄弁になっている義理の父。イーサンを見つけると嬉しそうに駆け寄り、いつも素晴らしい青年だと語り始めた。
そんな2人を見守る父。
婚約を結ばなければ見ることのない構図であるが、微笑ましくもありイーサンはくすぐったい気持ちになった。
「それもそうだけど。その…エロイーズと話してて気がついたのよ。あの日から1週間なのよ?」
「…そうかまだ1週間なんだ」
「おかげで…毎日すごく楽しい。ありがとう」
「…アナベルが受けてくれなかったら、毎日は変わってないよ。こちらこそありがとう。ねぇアナベル」
すっと顔が寄り、少し低い声が耳元で囁かれる。ふわりとハーブの香水が鼻腔をくすぐる。
「部屋の端にすこしスペースがあってさ。そこでならご飯食べられそうなんだけど、どう?」
「頂くわ」
即答すれば「そうこなくっちゃ!」と見つけたスペースをアナベルに教え、イーサンは食事を取りに向かった。
「不思議な味だね。アイザックなら…いやスーニーの方が詳しいかもしれないな」
「このデザートはジャックが好きそう」
農薬を使わない野菜や、脂の乗った肉。シンプルながら濃密で複雑な味わいだ。
竜種の味付けなのか、精霊との混血であるメイドのスーニーならば幻獣種の味付けに精通しているだろう。たが、「そんなことございませんよ!」と満面な笑顔と、濁流が如く説明する主要料理人の顔が浮かぶのも事実である。
次々に彼らが頭の中に浮かび上がってパンクしそうな勢いに、ソフィアが全員引きずって想像から姿を消した。どうやら彼らはアナベルの脳裏に、深く刻まれたようだ。
「帰ったらジャックたちに少しつまむものを頼もうか。流石に足らないし」
「…夜食…お腹…体型」
「安心して。彼らはそこを見越して用意してるから」
もう夜食が確定してる発言だ。指摘すればあどけなく笑う。2人で交わされる穏やかな時間。1ヶ月前まで当たり前だった、懐かしい感覚だ。まるで時が戻った感覚。だが紛れもなくアナベルとイーサンは婚約者になった。彼の胸元で光を反射する、空色の宝石が何よりの証拠。
エロイーズとの会話が思い返される。
(大丈夫、か)
アナベルは拳を握る。
(大丈夫にしないと)
「はい!お疲れ様〜」
午前1時。好意的に受け入れられていた両家の婚約。交わされる会話も食事も楽しめた夜会であった。馬車の中、5人は疲労でくたくたになりながらも充実感で満たされていた。
「チャーリー今夜は泊まっていきなさい。さすがに遅い。中央には早朝戻ろう」
「部屋を用意していますからね。少しでも休んでいってくださいな」
「ご配慮ありがとうございます」
ふぅと息をついたチャーリー。仕事がそんなに忙しいのか。伺うように顔を傾げるアナベルに、彼女の父親は「忙しさの佳境は超えたよ」と笑って見せた。
「明日でだいぶ落ち着くんだ。それにアーニーたちに写真を早く見せたいんだ」
サイドハウス・ノアで現像している写真を心待ちにしている。今夜の様子も伝えてあげたいと嬉しそうに話す父親にアナベルは頬を緩ませた。
ガタガタ。ゴトゴト。
月光を浴びる街を馬車はゆっくり走っていった。
深夜3時。
寝衣姿のアナベルは自室でブローチを見つめていた。
イーサンを想起させるアイテム。2人が婚約者になった証といえる代物だ。たかが1週間。されど1週間。夏休みを楽しみすぎて忘れていた。いや、目的をすげ替えた。イーサンの夏を楽しんで欲しいと言われるまま、アナベルは乗ってしまった。後悔が滲む。
家のために、なにより"イーサンの求めているものに少しでも応えたい"を叶えないと。アナベルがサイドハウス・ノアに来た意味が無い。
友人として接して来たイーサンを恋人…男性として。イーサンを想う、恋仲になるように。
「そうなるようにしないと」
「彼の気持ちに、答えなければ」
「アナベル・バーンズ。あなたが成すことよ」
とはいっても恋についてなど未知の世界。明日はまず情報収集から。今日も一日、屋敷で過ごすことになった。丁度良い機会だ。
6時半に目覚ましを用意する。勝手に起きるとは思うが、最近目が覚める時間が遅くなってしまっている。起きたら図書室から借りてきた恋愛指南書を読む。まずは知識を得てから行動しよう。
「よし!」
意気込むアナベル。アナベルはブローチを仕舞うと、ベッドに寝そべり固く、固く目を閉じた。
✴︎
「おや、アナベルさま。眠たそうですね」
「……ちょっとね」
「睡眠不足は美容の大敵です。もしかしてゆっくり眠れませんでしたか?」
「寝具を変えましょうか。こちらが用意した物ですから、お身体に合わないのかも知れません」
「それは大丈夫よ。本当に快適なベッドだわ。毎日ぐっすり過ぎて起きたくないぐらい…ありがとう」
「1日寝て過ごしたらいかがです?パジャマパーティーみたいに。楽しいですよ!」
「そんな魅惑的なこと言わないでちょうだい…」
「アーイタタタタァ」
「ポーラ?どうしたの?」
「いやぁ、なんだか腰が…」
それは真実の愛で結ばれたロベールとミシェルの婚約。
ではなく。
アナベルとイーサンの婚約について。特に社交界では、イーサンに対する話題の方が多かった。
「イーサン・キャンベルが婚約?」
「それも彼から申し込んだんだと」
「ずっと想いを寄せていたのだって」
「彼も血の通った人だったのか!」
イーサンはアナベルに友人以上の距離にならないよう接して来たが、他の令嬢に対しても同じであった。彼の清廉潔白な態度は変わらない誰にも平等だ。そろそろ18歳を迎えるにも関わらず、婚約者も恋人もつくらず、1人で過ごしていたから、そもそもそういった欲が無いのだと思われていた。その思い込みは、侯爵家子息の独り身の彼に、誰も婚約話を持っていくことすら考えなかった程に。
だからこそ突然現れた婚約者に、多くの者が腰を抜かした。
それも相手は、あのアナベル・バーンズ。
2人が友人同士であり両家が仲が良い事は周知されていたが、婚約の公表加え、イーサンがアナベルに想いを寄せていたことが判明してから騒ぎは増した。
ぜひ本人から話を聞きたい。噂に飽きた彼らの欲。だが相変わらず、イーサン・キャンベルは夏の社交界に出てこない。
ようやく2人と、彼らの家族が現れたのは、保養地区の領主が開いた夜会であった。
「ヤァ、久しぶりだね。イーサン・キャンベル、アナベル・バーンズ」
長い尻尾を揺らす度に鱗がシャンデリアの光を受け、テラリと輝く。保養地区を治めているのは竜類、土と帝の翼族だ。建国前から湖畔一帯を縄張りにしてきた一族の末裔で、爵位は伯爵だが、実際の権力は公爵に及ぶ。竜類、とくに上位種は真名を暴かれるのを嫌っており、誰も彼の名を知らないために「領主様」と呼んでいる。
キャンベル家とは保養地区に土地を探している際お世話になった縁から交流が続いている。アナベルはベルナルド侯爵の付き添いで会う機会があり、顔見知りであった。
「ご無沙汰しております。今夜はお招きいただきありがとうございます」
「アァ今夜2人に会えなかったらどうしようかと心配していたよ…皆興味津々でね。フフフ。今夜は覚悟した方がいい」
イーサンと領主はにこやかに挨拶を交わす。領主はギョロリとした大きな瞳をアナベルをを映した。
「それにしてもアナベル。…今夜は息を呑むほど一段と美しいねェ」
イーサンの隣に立つ女性。
紺色のマーメイドドレスに身を包み、茶髪と緑の宝石が輝き、美しさに磨きがかかった彼女は、ベルナルド侯爵に付き添い気難しい顔つきで仕事に挑む令嬢から、ガラリと印象が変わっていたからだ。
「ありがとうございます」
髪を彩る緑の宝石と紺色のマーメイドドレスを身に纏ったアナベル。美しさが自慢の女神たちを嫉妬させそうなほど美しい姿である。
数時間前に話を戻そう。
サイドハウス・ノアは忙しなく、アナベルとイーサンが婚約後初めて参加する舞踏会に、不備があってはいけないと使用人たちが念入りに確認や準備の再確認を行っていた。イーサンの父デービッドと、アナベルの父チャーリーもこの日はサイドハウス・ノアに来た。手紙でやりとりしているが修了式ぶりに会った父親。夏の暑さに負けず元気そうな姿に、母親や妹たち、使用人たちも元気だと聞きアナベルは嬉しくなった。以前よりも明るくなった娘に、チャーリーは思わず涙ぐむ。
17時。身支度が始まる。今夜のドレスは深い青色のマーメイドライン。普段なら絶対に選ばないタイプだが『新しい試みもいいじゃない。とても似合っているよ』とイーサンからの後押しがあった衣装だ。ドレスの下部分はたっぷりのドレープに、全体に小さな宝石が施されている。月光に反射する海原のようなデザインがアナベルはとても気に入っている。
髪は銀のヘアピンとブローチを駆使してまとめ高く結いあげ、ヒールは低いものにして高さのバランスを整える。
『これが…私…?』
アナベルは鏡に映る自分の姿を凝視する。まるで別人だ。皆が言うように人魚姫のようだと思わないが、印象の変化が凄まじい。すこし視野を広げ、挑戦すればすぐに新しい自分に出会えるのだと痛感する。
『よくお似合いですよ。アナベル様』
『ありがとう。みんなのおかげだわ』
まるで人魚姫のような美しさに、身支度の準備を手伝っていたメイドたちは感嘆の声を漏らした。
準備を整え、書斎へ。すでに準備を終えたデービッドにチャーリー、イーサンが待っていた。レティシアの姿はまだない。
イーサンはアナベルを見るや、驚いたように固まった。みるみる頬を赤く染め、目元を緩ませていく。
『綺麗だよアナベル。すごく似合ってる。いつもだけど…今夜も一段と』
『あ、ありがとう…』
釣られてアナベルも顔を赤く染めた。嬉しさよりも照れ臭さが勝る。
ふわりと笑むイーサンは真っ黒な燕尾服に、白いシャツとネクタイ。彼の正装姿に"友達のイーサン"に会った感覚を抱くも、身につけている装飾品はアナベルの瞳と同じスカイブルーの宝石と、お揃いの銀の装飾がさりげなく取り入れられている。2人が並べば恋人同士だと誰もが確信するに違いない。
((……あぁ慣れない))
こそばゆさに耐えるために、ひっそり頬の裏を噛む。
そんな2人の様子を、父親たちは見守っていた。チャーリーは妻・アーニーに想いを馳せる。キャンベル家との婚約について連日茶話会に呼ばれており、疲れが溜まってきていたため今夜は1人でやって来たが、数週間前にくらべ明るくなった娘の姿を見ればさぞ喜んだだろう、と。
『…アーニーにも見せたかった』
『あとで写真を撮っておこう。記念になる。それに今夜で最後というわけじゃない。すぐ機会はあるよ』
少し後悔を滲ませ呟くチャーリーに、デービッドは優しく言葉をかけた。
すぐにレティシアーアナベルの姿にすごく興奮し、帰ってから撮影会をしようとソフィアに指示を出していた。もちろん彼女の優秀な侍女は撮影機材の準備も済んでいるーも揃い、まずはアナベルとイーサンの写真撮影。
5人はサイドハウス・ノアを出発した。南エリアにある湖畔に領主家はある。会場に到着するや否や、アナベルとイーサンは領主に声をかけられたのだ。
彼は目ざとくイーサンのカフスに付けられた空色の宝石を見つけると、くるりと2人の周りを歩く。アナベルの背後で「アラァ!」と聞こえていた。
「ウンウン。仲が良いようだね。インヤァ君が婚約とは」
鋭い爪を華やかに飾った大きな手が、ポンポンとイーサンの肩を優しく叩く。クルクルと喉を鳴らす。
「それにしてもベルナルド侯爵家からキャンベル侯爵家なんて。バーンズ家の縁は豪華だね」
話の矛先はアナベルに向かった。彼は三日月のように目を歪ませている。
「本当に。縁にも恵まれているなんて、ありがたい限りです」
「アナベル嬢なら嫁ぎ先は数多だろうけど。…もっといい条件がいたなら、彼でなくともいいのかな?」
三日月は新月へと変わる。真っ白な牙が真っ赤な肌から覗き、領主はひどく愉快そうだ。
「ご領主。お戯れも過ぎればお身体に触りますよ」
イーサンの言葉に肩をすくめるも、領主は笑顔を崩さない。
アナベルは思わず笑みが漏れる。昔からわざと人を困らせる発言をする彼に、ベルナルド侯爵の眉間が深くなるのを何度も見て来た。厄介な相手ではあるが、手に戯れ付く猫の様だとつくづく思う。嘘を言う必要もないため、アナベルは素直に本心を告げる。
「ご存知の通り、誰であろうと私のすべき事は変わりません」
「ホォ!」
「ですが正直なところ…安心して隣で過ごせる彼といられるのは嬉しく思っております」
アナベルの告白に、男性2人は固まった。1人は頬を赤く染め、1人はバツの悪そうな表情に変わる。
「アーゥン。なんだ君たちって結構…イヤやめよう。失礼なことを言って申し訳ない」
領主は頭を下げた。サワリと毛が揺れる。
領主が素直に謝るとは滅多にないことだ。「気にならさらないでください」と伝えると、彼は一度咳払いをする。給仕係を呼び、飲み物が入ったグラスをアナベルとイーサンに手渡すと、高く掲げた。
「新しい未来と夏に乾杯。サァ後が続いてる。パーティーを楽しみながら彼らの欲を満たしてあげて」
アナベルは久しぶりに多くの人と話をした。1組終われば、すぐに次の話し相手が現れる。興味を持ってくてる間に印象を強くしたいとアナベルは意気込み、たっぷり4時間。
ようやく区切りが付いた2人は休憩を取るため隣部屋に移った。給仕係から飲み物を受け取り、用意されていたソファに座れば同時に息を吐いた。
「いやぁ想像以上」
「本当ね…」
話しすぎて、水分が奪われた口からは乾いた声しか出てこない。
ロベールとミシェルの”真実の愛”に関心がいくと思っていたが、アナベルとイーサンの婚約は特別興味を持たれていた。今夜まさか参加者全員とーこれからまだまだ増える。それはもう人数が控えているー話すことになるとは考えてもいなかった。一体何が彼らの好奇心をくすぐっているのだろうか。
ともあれ話しすぎて喉がカラカラだ。2人はグラスを交わすと喉を潤した。
ハーブの入った淡い炭酸の飲み物は、喉を十分に潤した。パチパチと口の中で弾け、意識をさっぱりさせる。グラスを空けると、つかさず新しい飲み物はどうかと給仕係が運んで来てくれた。よほど水分を欲している顔をしているのだろう。
「本番はこんな感じなんだ…。知らない世界がまだまだある。こういうところがまだ坊ちゃんなんだな」
「別物よ。全く別物。イーサン、今夜を基準にしてはいけないわ…」
普通は夏の初めにキャンベル家が開いた様なパーティーになる。今夜の熱は異常だと断言する。
控えめに腹が鳴る。何か口に入れたいがあまりにも人目が多い。間食は諦めるしかないだろう。イーサンも目の前に並ぶ料理を見つめおり、同じことを考えているようだ。
「アナベル」と鈴のような声で名を呼ばれた。聞き覚えのある声に顔を向ければ、そこには友人であるエロイーズがいた。修了式の日にイーサンとの婚約についてアナベルを取り囲んだ令嬢の1人だ。
傍には彼女の婚約者がおり、アナベルとイーサンは立ち上がった。
「ご機嫌よう。貴女も来ていたのね」
「ご機嫌よう!えぇ!彼の家とご領主様がお仕事で交流があるからそのご縁で。イーサン様もお久しぶりです」
「お久しぶりです。エロイーズ嬢」
挨拶を交わすと、イーサンは両親の様子を見て来ると自身が座っていた場所をエロイーズに譲る。エロイーズの婚約者も「じゃあ後で」と立ち去った。2人はソファに座る。
「改めて、この度はおめでとう!どこも2人の話で持ちきりよ」
エロイーズが夜会についたのはつい先ほど。屋敷入り口からすでにアナベルとイーサンについて話をしていた者がおり、キャンベル家夫妻にバーンズ伯爵がいたため今夜会場にいるのだとエロイーズはアナベルを探したのだと話す。
「そしたら素敵な装いでときめいてしまったわ。髪飾りの宝石が特に!すごく似合ってるわ」
宝物を褒められアナベルは嬉しくなる。
「ありがとう。とても気に入っているの。嬉しいわ」
宝石に触れながらアナベルは微笑む。
その表情に、エロイーズはますます喜びが膨らむ。アナベルがイーサンと共に学園を去った後、学園中で2人の仲について考察で賑わった。結局答えは出ず、夕方家に帰って来た父親に『アナベルとイーサンの婚約がつい先ほど発表された』と報告を受け、学園でアナベルが狼狽えていたのは本当に知らなかったのだと判明し、混乱させてしまったことに申し訳無く思っていたのだ。もしかしたら、無理に関係を結ばせてしまったかも知れない。実際会って見て、2人が関係が変わっても仲が良さそうにしていたためエロイーズは安堵した。
「ねぇねぇアナベル。夏休み中何をしていたのか聞きたいわ!まずは…イーサン様と学園を出た後どうしたの?」
「そうね。あの後…」
イーサンに告白された話。婚約を結び、サイドハウス・ノアにやって来たこと。街への買い物や動物園、屋敷で過ごした時間。スイーツ巡り、イーサンの友人たち、ギャラリーへ行ったことやバーベキューのこと…。たった1週間と3日しか経っていない。たったの10日だと思えない毎日の濃密さ。ロベールとの婚約解消に傷ついておらず、夏休みを遊び楽しんでいるのだと改めて認識する。
「正直…ベルナルド家のどなたとは会うかもと身構えていたのだけど」
今夜のパーティーにベルナルド家もラッセル家の姿も見えなかった。公務以外で付き合いはあまりない家柄同士だが、国の重要人物でもあるここの領主に、呼ばれていないはずはないが。
「ベルナルド家は存じ得ないけど、ラッセル家は…最近どんな会にも参加していないらしいの。その…彼女を気遣って」
「そうなの?体調が悪いということかしら。……心配だわ」
エロイーズはキョトンと固まると、みるみる優しい顔になった。
「元からお身体が弱かった方だから。今はお休みを優先しているとのことよ。お元気だと聞いてるわ」
「なら良いのだけど。子どもを産むのはすごく大変なことなのだし…きちんとご自身の体調を優先してほしいわ」
王都ではアナベルのような言葉をかける人は少ない。
ロベールとミシェルの婚約発表後、令嬢や子息たちが彼らと距離を取っている。婚約者がいながら他の令嬢に手を出したロベールを軽蔑し、婚約者がいる男と付き合ったミシェルを警戒して。常日頃からとても親しくしている、または崇高している者しか会いに行かないとエロイーズは聞いている。
アナベルの噂もあらゆる内容が流れているが、日頃からベルナルド家に付き添い真面目に取り組んでいた姿を目撃している者が多く、彼女の境遇を憂い、気遣う声が圧倒的だ。
エロイーズはそのことには触れなかった。いつかは嫌でも耳に入る。下世話な話をして、華やかで楽しい雰囲気を壊してしまうのは得策ではない。
今のアナベルは、以前よりも魅力が増している。それは一体なぜか。彼女の美しい髪に輝く宝石が理由の1つを物語っている。
「私ね、イーサン様が不思議でならなかったの」
突然話題が変わり、アナベルはじっと友人の話に耳を傾ける。
「誰にも礼儀正しく、謙虚で、爽やか。ずっとお相手もいられなかったし、遊んでいる噂もない。あまりにも潔白しすぎて…正直、本当に人なのか疑っていたわ」
エロイーズは己の言葉に、恥ずかしそうに笑う。アナベルも少し理解できる部分もあり、少し口端を上げて理解を示す。
「けどねあの日、アナベルへのイーサン様を見て、ようやく分かったわ。あぁ、この時のためだったんだって。本当に、本当にアナベルを愛していらしているのねって」
「愛…」
エロイーズはアナベルの手を取る。つるりとした手袋の感覚が優しく手を包み込む。
「まだ色々悩むこともあるかもしれないけど…2人なら大丈夫よ!」
「エロイーズ…」
慈しみの眼差しはまるで母親のようで、王都で妹たちと過ごす母親を思い出した。
「夏休みが明けたら、私とも遊びましょうね。この夏1日でももらったら皆様に悪いもの」
「えぇぜひ。絶対に遊びましょう」
イーサンとエロイーズの婚約者が2人の元に戻る。エロイーズは立ち上がった。
「お話しする時間をありがとうアナベル。良い夏休みを」
「こちらこそ。貴女も良い夏休みを」
大広間に戻るエロイーズと婚約者。仲むずまじい2人の後ろ姿をアナベルとイーサンは見送った。
「イーサンありがとう」
「ん?あぁちょうど父さんたちの様子も気になってたから」
息子と、何より義理の娘になる令嬢について熱く語る母親。
娘を褒められ嬉しくなり、普段よりも雄弁になっている義理の父。イーサンを見つけると嬉しそうに駆け寄り、いつも素晴らしい青年だと語り始めた。
そんな2人を見守る父。
婚約を結ばなければ見ることのない構図であるが、微笑ましくもありイーサンはくすぐったい気持ちになった。
「それもそうだけど。その…エロイーズと話してて気がついたのよ。あの日から1週間なのよ?」
「…そうかまだ1週間なんだ」
「おかげで…毎日すごく楽しい。ありがとう」
「…アナベルが受けてくれなかったら、毎日は変わってないよ。こちらこそありがとう。ねぇアナベル」
すっと顔が寄り、少し低い声が耳元で囁かれる。ふわりとハーブの香水が鼻腔をくすぐる。
「部屋の端にすこしスペースがあってさ。そこでならご飯食べられそうなんだけど、どう?」
「頂くわ」
即答すれば「そうこなくっちゃ!」と見つけたスペースをアナベルに教え、イーサンは食事を取りに向かった。
「不思議な味だね。アイザックなら…いやスーニーの方が詳しいかもしれないな」
「このデザートはジャックが好きそう」
農薬を使わない野菜や、脂の乗った肉。シンプルながら濃密で複雑な味わいだ。
竜種の味付けなのか、精霊との混血であるメイドのスーニーならば幻獣種の味付けに精通しているだろう。たが、「そんなことございませんよ!」と満面な笑顔と、濁流が如く説明する主要料理人の顔が浮かぶのも事実である。
次々に彼らが頭の中に浮かび上がってパンクしそうな勢いに、ソフィアが全員引きずって想像から姿を消した。どうやら彼らはアナベルの脳裏に、深く刻まれたようだ。
「帰ったらジャックたちに少しつまむものを頼もうか。流石に足らないし」
「…夜食…お腹…体型」
「安心して。彼らはそこを見越して用意してるから」
もう夜食が確定してる発言だ。指摘すればあどけなく笑う。2人で交わされる穏やかな時間。1ヶ月前まで当たり前だった、懐かしい感覚だ。まるで時が戻った感覚。だが紛れもなくアナベルとイーサンは婚約者になった。彼の胸元で光を反射する、空色の宝石が何よりの証拠。
エロイーズとの会話が思い返される。
(大丈夫、か)
アナベルは拳を握る。
(大丈夫にしないと)
「はい!お疲れ様〜」
午前1時。好意的に受け入れられていた両家の婚約。交わされる会話も食事も楽しめた夜会であった。馬車の中、5人は疲労でくたくたになりながらも充実感で満たされていた。
「チャーリー今夜は泊まっていきなさい。さすがに遅い。中央には早朝戻ろう」
「部屋を用意していますからね。少しでも休んでいってくださいな」
「ご配慮ありがとうございます」
ふぅと息をついたチャーリー。仕事がそんなに忙しいのか。伺うように顔を傾げるアナベルに、彼女の父親は「忙しさの佳境は超えたよ」と笑って見せた。
「明日でだいぶ落ち着くんだ。それにアーニーたちに写真を早く見せたいんだ」
サイドハウス・ノアで現像している写真を心待ちにしている。今夜の様子も伝えてあげたいと嬉しそうに話す父親にアナベルは頬を緩ませた。
ガタガタ。ゴトゴト。
月光を浴びる街を馬車はゆっくり走っていった。
深夜3時。
寝衣姿のアナベルは自室でブローチを見つめていた。
イーサンを想起させるアイテム。2人が婚約者になった証といえる代物だ。たかが1週間。されど1週間。夏休みを楽しみすぎて忘れていた。いや、目的をすげ替えた。イーサンの夏を楽しんで欲しいと言われるまま、アナベルは乗ってしまった。後悔が滲む。
家のために、なにより"イーサンの求めているものに少しでも応えたい"を叶えないと。アナベルがサイドハウス・ノアに来た意味が無い。
友人として接して来たイーサンを恋人…男性として。イーサンを想う、恋仲になるように。
「そうなるようにしないと」
「彼の気持ちに、答えなければ」
「アナベル・バーンズ。あなたが成すことよ」
とはいっても恋についてなど未知の世界。明日はまず情報収集から。今日も一日、屋敷で過ごすことになった。丁度良い機会だ。
6時半に目覚ましを用意する。勝手に起きるとは思うが、最近目が覚める時間が遅くなってしまっている。起きたら図書室から借りてきた恋愛指南書を読む。まずは知識を得てから行動しよう。
「よし!」
意気込むアナベル。アナベルはブローチを仕舞うと、ベッドに寝そべり固く、固く目を閉じた。
✴︎
「おや、アナベルさま。眠たそうですね」
「……ちょっとね」
「睡眠不足は美容の大敵です。もしかしてゆっくり眠れませんでしたか?」
「寝具を変えましょうか。こちらが用意した物ですから、お身体に合わないのかも知れません」
「それは大丈夫よ。本当に快適なベッドだわ。毎日ぐっすり過ぎて起きたくないぐらい…ありがとう」
「1日寝て過ごしたらいかがです?パジャマパーティーみたいに。楽しいですよ!」
「そんな魅惑的なこと言わないでちょうだい…」
「アーイタタタタァ」
「ポーラ?どうしたの?」
「いやぁ、なんだか腰が…」

