ジリジリ。じゅうじゅう。パチパチ。
目の前で食材が、じゅうじゅうと焼けていく。炎の熱で周囲が揺らめく様は夏らしい。面白いものだ。
顔に熱気を浴びながらも、アナベルは目を輝かせながらじっとグリルを見つめる。アナベルh付き合いで鉄板焼きのレストランに行ったことはあるが、野外で荒々しく食材を焼いていく食事は馴染みがない。
「アナベル様、お飲み物をどうぞ」
料理人の1人であるヴィハーンが、アナベルに冷たい飲み物を渡す。夏のフルーツがたっぷり使われた冷たいジュースはとてもジューシーで甘く、美味しい。身体の火照りも冷ましていく。
彼女が片手に持つ皿には、焼かれたばかりのアツアツの肉や野菜。アナベルは明日の体重を気にしながらも、食べ飲むことを止められずにいた。
『アナベル様と仲を深めたい!』
使用人たちからの強い要望で開催されることになったバーベキュー。
本番を迎えた夏の暑さに倒れないよう、庭に影が落ち始める17時から開かれた催しは、賑やかな声で溢れていた。
アナベルにとっても、長年優しく接してくれる彼らと今一度深く知り合う機会を嬉しく思っていた。
夕方と言える時間だが、外はまだむわりと熱気が滞留し、座っていても汗が浮かぶ。日は傾きつつもその輝きは強く、ジリジリと肌を焼く。
夜の訪れはまだ遠い。
バーベキューとは炭火や薪を使い、肉や野菜、魚介類などを焼いあり、燻したりして食べるのだが、その食材を焼くのは主に料理人たち。今やキャンベル家の代名詞的存在の彼ら。大陸中から集まった、個性あふれる面々で、もちろん彼らの得意料理は様々。日々お互いに刺激を与え合い切磋琢磨しながら、質の高い食事を提供している。全7人の料理人のうち、サイドハウス・ノアに来ているのは4人。ジャックにアイザック、タチアナ、ヴィハーンだ。
ジャックとアイザックは料理全般。タチアナはスパイスと演出料理が、ヴィハーンは飲料系が得意な料理人だ。
時に他の使用人と交代しながら、厚みのある肉やジューシーな野菜、新鮮な魚介類を次々焼いていく。
「動物園に行かれたなら、あらゆるお肉をご用意したかったのですが…」
アイザックが恨めしそうに同僚たちに目を向ける。
「当たり前!」
「ま、今回じゃないわな」
「アナベル様、今は美味しい食材の数々をお召し上がりください」
強く強く止められ、大きな身体が小さく見えるほど気落ちしていくアイザック。最初の言葉からの文脈に違和感を覚えたが、イーサンから動物園でのアイザックの話のくだりを聞いていたため、すぐに納得した。
「あらゆる…?イーサンは食べたことある?」
「もちろん。癖は強かった。個人的にはワニ肉は美味しく食べたよ。硬かったけど」
「イーサン様。今なら魔物であろうと美味しく食べていただける腕前になりました!」
「アイザック、奇怪なものを食べさせないように。イーサン様もあまりアイザックを乗せないでくださいませ」
皆に冷たいタオルを配るソフィアが、企みの前に立ちはだかる。
はーい、と受け取りながら素直に返事をするイーサン。アイザックも冷たいタオルを首に巻きながら、いかに魔物肉が一般的な食材かを熱く語りはじめた。
そんな熱を流すのが、冷静沈着なソフィアだ。13歳の時からレティシアの侍女を務める、文武両道の優秀な彼女は、ポーラが第一線を退いた後は王都の屋敷でメイド長を務めながら、レティシアの右腕として活躍している。
料理のことになると独走し始めるアイザックを戒めるのもソフィアだと、レティシアが誇らしげに話していた。
肉の柔らかさと旨味を堪能していると、突然頭に何かが置かれた。確かめてみれば、大きな百合でできた花冠が乗っていた。
「ふふ。驚いた?」
振り返ると、庭師の1人であるデイジーがニコリと笑っていた。
キャンベル家の庭師は一家が担っている。領地も含め、3つの屋敷を巡回しながら手入れをしている。この夏、サイドハウス・ノアの手入れを担当はデイジーと、弟のオリヴァーが担当する。
オリヴァーは花のネックレスをイーサンの首にかけていた。レティシアも首元が華やかな花で飾られている。
「ありがとう。すごく美しいわ」
「花が咲いたから作る、とデイジーが聞かなくて」
「だってアナベル様は好きでしょ?私の花冠」
デイジーと初めて出会ったのは、キャンベル家との付き合いが始まって2年目のこと。5つ上の彼女に作ってもらった花冠は枯らして捨てるのが勿体無いほど可愛らしく、ドライフラワーにして今も大切に飾っている。この冠もドライフラワーにしたいと伝えれば、デイジーは満足そうに頷いた。
彼女たちと花壇や植栽の話をしていると、いつの間にか皿には焼肉の山ができていた。
「ほらほら、もっとお食べなさいな」
犯人はポーラだ。彼女はトングを握り、若者の皿に次々と食材を盛りながら、人一倍パクパクと食べ進めている。70歳でこれだけ食べて元気ならば、相当長生きするに違いない。
「ポーラ待って。こんなに食べきれないわ。それに最近食べすぎてるし…」
「何言ってるんです。食べられる内が花ですよ。はい!あんたたちも!」
「無理。そんなに食べれない」
さらに肉を盛ろうと詰め寄るポーラと、距離を取るデイジーとオリヴァー。その近くではグリルを挟み、まだソフィアとアイザックが火花を散らしている。バチバチと音がするのは薪の音か、彼らの闘争心か。
「アナベルさま!でしたら今度は屋敷で運動会でもやりましょう」
「いえいえ水泳はいかがですか?夏にもぴったりです。もちろん私めがとことんお教えいたします」
「肝試し…いい汗だせます。オススメです」
「アナベルさま気になさることありません。がっつりまんまるになれば全て解決します」
メイドであるスーニー、ジュリエット、ナナが次々とアイデアを出す。返答に困っていると、「まずはゲームで体を動かしましょう」とクゥポに手を引かれた。
メイドたちやイーサン、レティシアと共にゲームに興じる。球を投げ、木の棒を倒し、彫られた数を足してポイントを競うゲームだ。大変盛り上がり、中でもレイモンドが一度で木の棒を全て倒した時には、わっと歓声が上がる。
汗が流れていく。暑いが、かえって気持ちがいい。
「まぁ汗まみれ。新しい入浴剤が届きましたから早速使いましょう。今日のようにたっぷり汗をかいた日に入るお風呂も最高ですよ」
「アナベル様、今度馬たちに乗ってやってください」
風呂係のヨンジャ、馬番のローガン。
そして、マーニー、フィン、クー、ホン、ソウツ、アツミ、ボタン、ダニエル…。
「相変わらずの記憶力だ」
使用人の名前を誦じると、イーサンは感嘆を漏らした。コツを掴めば誰でもすぐにできるため、アナベルは「大したことではない」と答えるが、彼は首を振る。
「アナベルは他の家の人の名前も覚えているだろう?場合によっては会社の人間まで」
「流石に全員じゃないわよ」
「会ってないなら、でしょ?他の家の使用人の名前まで覚える人は少ないよ」
アナベルは背もたれに身体を預けた。使用人も職場の人たちも家族や友達ではないが、一緒に過ごしている人の事は名前だけでも覚えておきたいのがアナベルの信条だ。ベルナルド侯爵からは『無駄なことに頭を使うな』と散々小言を受けたが、こればかりは無視を決め込んできた。
「…やっぱり変?」
「とんでもない!素敵な心情だ。なにより彼らが1番喜んでる」
彼が見つめる先には、バーベキューを楽しんでいる使用人の姿。彼らは思い思いに過ごし、2人の視線に気が付くと満面の笑顔を向けた。とても優しく、温かい笑みだ。
「……なんだか貴方と仲良くなった日を思い出すわね」
「最初に来てくれたガーデンパーティのことかい?」
「そう」
10歳前後の子どもたちが集まったパーティーは本当に賑やかであった。7年経っても忘れない。初めてキャンベル家の屋敷に出向く緊張。親しみやすい侯爵家の家族に使用人たち。多種多様な植物が生き生きと育つ中庭。甘美な食事。
なにより、イーサンと出会ったパーティーだ。
✴︎
今から7年前。アナベルがまだ少女だった頃。
母親と初めて訪れた、キャンベル侯爵家。
明るく気さくな侯爵夫人に、笑顔の絶えない使用人たち。子供が喜びそうな沢山の遊具と草花で彩られた中庭。そして美味しそうな匂いを漂わせている料理。
子供が楽しく過ごせるように準備されたパーティーに、幼いアナベルはドキドキと胸を高鳴らせた。
パーティーは同世代の子供が集まり和気藹々としており、親同士も子どもの話で盛り上がっている。
だが、肝心のイーサン・キャンベルの姿が見当たらない。パーティーの始め、レティシアが挨拶をした際には隣にいたらしいが、アナベルが立っている場所からは姿がよく見えなかった。
彼を探していたアナベルがテーブルのそばを歩いていた時、偶然グラスが傾むいた。パシャンと中身がかかり、ドレスが汚れてしまった。
実はこの出来事、ワインがこぼれたのはテーブル近くにいた伯爵夫人の手が当たったからであった。わざとではなく偶然だったのだが、不運にもグラスが傾く先にはレティシアがいた。伯爵家が侯爵家の服を汚しては謝罪や弁償やら面倒なことになる。レティシアが気にしない性格であっても、ドレスを汚す原因を作った伯爵夫人は今後肩身が狭い思いをする。アナベルは咄嗟に彼女を庇ったのだ。
彼女は絶対にそう語らないが、それが事実である。
服が汚れたままパーティーには参加できない。母親と帰ろうとした。すると、レティシアに引き留められた。
『濡れたままでは風邪を引くかもしれないわ。代わりの服があるから、せめて着替えてちょうだい』
グラス1杯分。風邪を引くほど濡れたわけではなかったが、些細なことでも体調を崩してしまう我が子を育てるレティシアにとって、子供を濡れたまま帰らせることは容認できなかったのだ。
用意された服に着替えると、ポーラがドレスを持っていってしまった。
『シミが残るといけませんからね。少々お待ちください』
アナベルはそのまま書斎で待つことになってしまった。落ち着かないまま大人しく座って待っていると、ドアがノックされた。返事をしないわけにもいかないため『はい』と答えると、本を抱えた少年が部屋に入って来た。
艶やかな真っ黒な髪に、宝石のようなライトグリーンの瞳が印象的な、綺麗な男の子だ。
『こ、こんにちは』
『…こんにちは?』
丁寧に頭を下げた少年は自らを、イーサン・キャンベルだと名乗った。突然現れた探し人に、アナベルは慌てて立ち上がる。
『はじめましてイーサン様。アナベル・バーンズと申します。お呼びいただいたにも関わらず、ご面倒をかけてしまいごめんなさい』
『そんな!気にしないで、ください。むしろ1人で待たせてしまってごめんなさい。その…ドレスは今乾かしてて、まだ少し時間がかかるみたいで。1人で待つのも退屈かと、本でもどうですか?』
わざわざ侯爵家の子息が自分のために本を持ってきてくれた事実に、アナベルはますます身を縮めた。イーサンは本の中から1冊、アナベルに差し出した。
『すごく面白い本なんです。アナベル…様も気に入ってくれるといいんだけど』
『わ、私のことは呼び捨てで構いません!放っておいていただいても…『オリバーの冒険』?』
イーサンが抱えている本。その題名を見たアナベルはたちまち目を輝かせた。なぜならその本は、アナベルが大好きな作家の、なにより大好きな一作だからだ。
『貴方も好きなのですか?私もです!』
『どのシーンに感動した?』『あのセリフが好きだ』と話しているうちに話はどんどん広がっていき、2人はすっかり打ち解けた。
その後、メイドたちの卓越した洗濯技術と、ポーラの魔術によりシミはすっかり取れ、新品同様に戻った。再びパーティーに戻ることができたアナベルは、イーサンや他の子どもたちと遊びながら、合間を見計らいこっそり1人で食事を楽しむ。
そこで、ひょこりと顔を覗かせていたイーサンと目があった。両親にも秘密にしていた、隠れての食事。先程楽しく話していたとはいえ、よく知らぬ子息に見つかり思考は止まった。
アナベルが動かずにいると、彼は静かに近寄り、パンを一つ取ると大きな口で食べた。
『おいしい。これ食べた?他にも美味しい料理たくさんあるんだ。…誰にも言わないよ。君の大切な時間だもん。けど、よかったら一緒にいてもいいかな?君とならもっと美味しい食事になる』
驚きで思考が止まったアナベルは、無言で頷くことしかできなかった。
最初の2人だけの食事は言葉が少なく、緊張感の漂う時間であったが、彼が柔らかに目元を細める笑顔は、両親から向けられるような温かなものだった。
「…あの時は、どうだったの?」
「どうって?」
「その…わたしのこと」
言葉を濁すと、察したイーサンはすこし目を伏せて笑う。
「うん。好きだよ。昔から…」
「あの時から…?!」
どのタイミングだろうか。あのパーティー以前にイーサンと会った覚えはない。そうなると、見当たらなかっただけで、彼は会場にいたのだろう。
いつから?どこを好きになったの?
聞けばいいのに、なぜか言葉が出てこない。想像以上に、彼の想いは深いらしい。確かめるなら今なのに。
「冷静に聞くと、まぁ怖いですがね」
片手に肉串を、山盛りの肉や野菜の乗った皿をもう片手に持つポーラが2人の元に。彼女の言葉にイーサンの肩が少し跳ねる。
「えっ」
「子ども時代から一途と聞けば聞こえはいいですけどもね。『ずっと横にいた友人が実は欲を抱いていた…!』なぁんて1冊本が書けますよ」
「あのアナベル、怖がらせる気は…………いや怖い、か」
恋愛に限った話ではないが、何かに夢中になっている時、周りからは酷く恐ろしく見れる時がある。こうなったら、冷静にならない方が身の為と、ここで断言する。
「いや、あの、別に…」
過去を振り返るイーサンに、アナベルが口ごもっていると、困っている雰囲気を察してメイドたちが集まってきた。
「アナベルさま、こわいならこわいとおっしゃった方がいいですよ?」
「ま、我々も共犯ですけど」
「そうですかぁ?私は素敵なことだと思いますよ」
「…1つの愛を貫き通す。なかなかできることじゃないです」
「違うわ。その…まだ驚いてしまうのよ。それにイーサンだし、怖いとかは…」
アナベルは慌てて否定する。
彼と過ごしていて嫌悪感を抱いたことはない。今までイーサンの態度は他の友人たちと変わらなかった。2人っきりになっても距離を詰められることも、彼から触れられたこともない。スキンシップや言葉の駆け引きが男女の仲を深める秘訣だと聞いていたし、ロベールやミシェルの様子からそれが常識だと思っていたため、イーサンから告白された時は常識の1つが壊された瞬間だった。
関係が変わっても、ネガティブな感情が生まれてこないのは、それまでの彼の人柄を知っているからだと自信を持って断言できる。
「前提条件が違いますがね。イーサン様はしっかり学ばれましたから。それはそれとして。信頼されているのは結構ですが、イーサン様はここから更に努力しないと」
若い2人は言葉に詰まる。イーサンが急に柔らかな笑みやを向けると、アナベルは強く意識してしまい、ぎこちなくなってしまっているのが側から見ていても丸わかりだ。
肉を頬張りながら唸るイーサン。
アナベルはどうフォローを入れるか右往左往していると、元気な声に名前を呼ばれた。
「アナベルー!イーサン!みんなー!」
夜の訪れも関係ないとばかりに、輝きを放ちそうな元気なレティシアがグリルの前で手招きをしている。アイザックがウキウキと顔を綻ばせ、囲う使用人たちがどよめいている。どうやら何か起こったらしい。
彼女たちの元へ向かえば、グリルの上にいい匂いを漂わせている…なんだ?肉の塊だが、実に肉の色をしていない、異様な何かがある。
「さぁ召し上がれ!」
アイザックが秘密裏に仕込んでいた謎肉とデザートが振る舞われ、最後は手持ち花火を行い、19時半近くにバーベキューはお開きとなった。
皆で取り掛かれば、後片付けはすぐに終わった。
いつも以上に丁寧に髪や肌の手入れを施され、さっぱりと汗を流したアナベル。新しい入浴剤はジャスミンの香りで、ベッドに入っても少し甘みがある優しい香りに身を包まれる。
天井を見上げながら、アナベルは再びイーサンと出会ったガーデンパーティーについて思い返していた。
些細なきっかけで人は結ばれるし、別れもするものだなとアナベルはしみじみする。
本をきっかけに仲良くなった子どもたち。友達になった2人は、今や婚約者に。数年後は夫婦になり、いつかは子供ができるかもしれない。
(イーサンが…夫。子ども…)
いつものように過ごす自分の姿。隣には笑顔の絶えないイーサンがいて、頼りになる使用人たち。尊敬する侯爵夫妻。彼はアナベルに、そして生まれてくる子供にも惜しみない愛を捧げるのだろう。
簡単に思い浮かぶ。
何ら変わらない、穏やかで楽しい日々。
今のまま、イーサンを信頼している自分。
(けどそれって…どうなのかしら)
少年だったイーサンは、背丈は随分と伸びてアナベルを越している。子供の頃よりも身体つきは逞しくなったし、健康的になった。顔つきは凛々しくなった。備えている知識量、身につけた技術。それを活かす応用力だって日々磨きがかかっている。
誰からも信頼が厚い青年へと成長したのだ。
アナベルだって背は伸び、昔に比べればできることも知識も増えた。少しずつだが自分だって成長している。
変わるのだ、全て。
なのに未来の自分の在り方はどうか。今のままではないのか。
胸が燻るが、答えが見えないアナベルはただ目を瞑り、眠るのだった。
目の前で食材が、じゅうじゅうと焼けていく。炎の熱で周囲が揺らめく様は夏らしい。面白いものだ。
顔に熱気を浴びながらも、アナベルは目を輝かせながらじっとグリルを見つめる。アナベルh付き合いで鉄板焼きのレストランに行ったことはあるが、野外で荒々しく食材を焼いていく食事は馴染みがない。
「アナベル様、お飲み物をどうぞ」
料理人の1人であるヴィハーンが、アナベルに冷たい飲み物を渡す。夏のフルーツがたっぷり使われた冷たいジュースはとてもジューシーで甘く、美味しい。身体の火照りも冷ましていく。
彼女が片手に持つ皿には、焼かれたばかりのアツアツの肉や野菜。アナベルは明日の体重を気にしながらも、食べ飲むことを止められずにいた。
『アナベル様と仲を深めたい!』
使用人たちからの強い要望で開催されることになったバーベキュー。
本番を迎えた夏の暑さに倒れないよう、庭に影が落ち始める17時から開かれた催しは、賑やかな声で溢れていた。
アナベルにとっても、長年優しく接してくれる彼らと今一度深く知り合う機会を嬉しく思っていた。
夕方と言える時間だが、外はまだむわりと熱気が滞留し、座っていても汗が浮かぶ。日は傾きつつもその輝きは強く、ジリジリと肌を焼く。
夜の訪れはまだ遠い。
バーベキューとは炭火や薪を使い、肉や野菜、魚介類などを焼いあり、燻したりして食べるのだが、その食材を焼くのは主に料理人たち。今やキャンベル家の代名詞的存在の彼ら。大陸中から集まった、個性あふれる面々で、もちろん彼らの得意料理は様々。日々お互いに刺激を与え合い切磋琢磨しながら、質の高い食事を提供している。全7人の料理人のうち、サイドハウス・ノアに来ているのは4人。ジャックにアイザック、タチアナ、ヴィハーンだ。
ジャックとアイザックは料理全般。タチアナはスパイスと演出料理が、ヴィハーンは飲料系が得意な料理人だ。
時に他の使用人と交代しながら、厚みのある肉やジューシーな野菜、新鮮な魚介類を次々焼いていく。
「動物園に行かれたなら、あらゆるお肉をご用意したかったのですが…」
アイザックが恨めしそうに同僚たちに目を向ける。
「当たり前!」
「ま、今回じゃないわな」
「アナベル様、今は美味しい食材の数々をお召し上がりください」
強く強く止められ、大きな身体が小さく見えるほど気落ちしていくアイザック。最初の言葉からの文脈に違和感を覚えたが、イーサンから動物園でのアイザックの話のくだりを聞いていたため、すぐに納得した。
「あらゆる…?イーサンは食べたことある?」
「もちろん。癖は強かった。個人的にはワニ肉は美味しく食べたよ。硬かったけど」
「イーサン様。今なら魔物であろうと美味しく食べていただける腕前になりました!」
「アイザック、奇怪なものを食べさせないように。イーサン様もあまりアイザックを乗せないでくださいませ」
皆に冷たいタオルを配るソフィアが、企みの前に立ちはだかる。
はーい、と受け取りながら素直に返事をするイーサン。アイザックも冷たいタオルを首に巻きながら、いかに魔物肉が一般的な食材かを熱く語りはじめた。
そんな熱を流すのが、冷静沈着なソフィアだ。13歳の時からレティシアの侍女を務める、文武両道の優秀な彼女は、ポーラが第一線を退いた後は王都の屋敷でメイド長を務めながら、レティシアの右腕として活躍している。
料理のことになると独走し始めるアイザックを戒めるのもソフィアだと、レティシアが誇らしげに話していた。
肉の柔らかさと旨味を堪能していると、突然頭に何かが置かれた。確かめてみれば、大きな百合でできた花冠が乗っていた。
「ふふ。驚いた?」
振り返ると、庭師の1人であるデイジーがニコリと笑っていた。
キャンベル家の庭師は一家が担っている。領地も含め、3つの屋敷を巡回しながら手入れをしている。この夏、サイドハウス・ノアの手入れを担当はデイジーと、弟のオリヴァーが担当する。
オリヴァーは花のネックレスをイーサンの首にかけていた。レティシアも首元が華やかな花で飾られている。
「ありがとう。すごく美しいわ」
「花が咲いたから作る、とデイジーが聞かなくて」
「だってアナベル様は好きでしょ?私の花冠」
デイジーと初めて出会ったのは、キャンベル家との付き合いが始まって2年目のこと。5つ上の彼女に作ってもらった花冠は枯らして捨てるのが勿体無いほど可愛らしく、ドライフラワーにして今も大切に飾っている。この冠もドライフラワーにしたいと伝えれば、デイジーは満足そうに頷いた。
彼女たちと花壇や植栽の話をしていると、いつの間にか皿には焼肉の山ができていた。
「ほらほら、もっとお食べなさいな」
犯人はポーラだ。彼女はトングを握り、若者の皿に次々と食材を盛りながら、人一倍パクパクと食べ進めている。70歳でこれだけ食べて元気ならば、相当長生きするに違いない。
「ポーラ待って。こんなに食べきれないわ。それに最近食べすぎてるし…」
「何言ってるんです。食べられる内が花ですよ。はい!あんたたちも!」
「無理。そんなに食べれない」
さらに肉を盛ろうと詰め寄るポーラと、距離を取るデイジーとオリヴァー。その近くではグリルを挟み、まだソフィアとアイザックが火花を散らしている。バチバチと音がするのは薪の音か、彼らの闘争心か。
「アナベルさま!でしたら今度は屋敷で運動会でもやりましょう」
「いえいえ水泳はいかがですか?夏にもぴったりです。もちろん私めがとことんお教えいたします」
「肝試し…いい汗だせます。オススメです」
「アナベルさま気になさることありません。がっつりまんまるになれば全て解決します」
メイドであるスーニー、ジュリエット、ナナが次々とアイデアを出す。返答に困っていると、「まずはゲームで体を動かしましょう」とクゥポに手を引かれた。
メイドたちやイーサン、レティシアと共にゲームに興じる。球を投げ、木の棒を倒し、彫られた数を足してポイントを競うゲームだ。大変盛り上がり、中でもレイモンドが一度で木の棒を全て倒した時には、わっと歓声が上がる。
汗が流れていく。暑いが、かえって気持ちがいい。
「まぁ汗まみれ。新しい入浴剤が届きましたから早速使いましょう。今日のようにたっぷり汗をかいた日に入るお風呂も最高ですよ」
「アナベル様、今度馬たちに乗ってやってください」
風呂係のヨンジャ、馬番のローガン。
そして、マーニー、フィン、クー、ホン、ソウツ、アツミ、ボタン、ダニエル…。
「相変わらずの記憶力だ」
使用人の名前を誦じると、イーサンは感嘆を漏らした。コツを掴めば誰でもすぐにできるため、アナベルは「大したことではない」と答えるが、彼は首を振る。
「アナベルは他の家の人の名前も覚えているだろう?場合によっては会社の人間まで」
「流石に全員じゃないわよ」
「会ってないなら、でしょ?他の家の使用人の名前まで覚える人は少ないよ」
アナベルは背もたれに身体を預けた。使用人も職場の人たちも家族や友達ではないが、一緒に過ごしている人の事は名前だけでも覚えておきたいのがアナベルの信条だ。ベルナルド侯爵からは『無駄なことに頭を使うな』と散々小言を受けたが、こればかりは無視を決め込んできた。
「…やっぱり変?」
「とんでもない!素敵な心情だ。なにより彼らが1番喜んでる」
彼が見つめる先には、バーベキューを楽しんでいる使用人の姿。彼らは思い思いに過ごし、2人の視線に気が付くと満面の笑顔を向けた。とても優しく、温かい笑みだ。
「……なんだか貴方と仲良くなった日を思い出すわね」
「最初に来てくれたガーデンパーティのことかい?」
「そう」
10歳前後の子どもたちが集まったパーティーは本当に賑やかであった。7年経っても忘れない。初めてキャンベル家の屋敷に出向く緊張。親しみやすい侯爵家の家族に使用人たち。多種多様な植物が生き生きと育つ中庭。甘美な食事。
なにより、イーサンと出会ったパーティーだ。
✴︎
今から7年前。アナベルがまだ少女だった頃。
母親と初めて訪れた、キャンベル侯爵家。
明るく気さくな侯爵夫人に、笑顔の絶えない使用人たち。子供が喜びそうな沢山の遊具と草花で彩られた中庭。そして美味しそうな匂いを漂わせている料理。
子供が楽しく過ごせるように準備されたパーティーに、幼いアナベルはドキドキと胸を高鳴らせた。
パーティーは同世代の子供が集まり和気藹々としており、親同士も子どもの話で盛り上がっている。
だが、肝心のイーサン・キャンベルの姿が見当たらない。パーティーの始め、レティシアが挨拶をした際には隣にいたらしいが、アナベルが立っている場所からは姿がよく見えなかった。
彼を探していたアナベルがテーブルのそばを歩いていた時、偶然グラスが傾むいた。パシャンと中身がかかり、ドレスが汚れてしまった。
実はこの出来事、ワインがこぼれたのはテーブル近くにいた伯爵夫人の手が当たったからであった。わざとではなく偶然だったのだが、不運にもグラスが傾く先にはレティシアがいた。伯爵家が侯爵家の服を汚しては謝罪や弁償やら面倒なことになる。レティシアが気にしない性格であっても、ドレスを汚す原因を作った伯爵夫人は今後肩身が狭い思いをする。アナベルは咄嗟に彼女を庇ったのだ。
彼女は絶対にそう語らないが、それが事実である。
服が汚れたままパーティーには参加できない。母親と帰ろうとした。すると、レティシアに引き留められた。
『濡れたままでは風邪を引くかもしれないわ。代わりの服があるから、せめて着替えてちょうだい』
グラス1杯分。風邪を引くほど濡れたわけではなかったが、些細なことでも体調を崩してしまう我が子を育てるレティシアにとって、子供を濡れたまま帰らせることは容認できなかったのだ。
用意された服に着替えると、ポーラがドレスを持っていってしまった。
『シミが残るといけませんからね。少々お待ちください』
アナベルはそのまま書斎で待つことになってしまった。落ち着かないまま大人しく座って待っていると、ドアがノックされた。返事をしないわけにもいかないため『はい』と答えると、本を抱えた少年が部屋に入って来た。
艶やかな真っ黒な髪に、宝石のようなライトグリーンの瞳が印象的な、綺麗な男の子だ。
『こ、こんにちは』
『…こんにちは?』
丁寧に頭を下げた少年は自らを、イーサン・キャンベルだと名乗った。突然現れた探し人に、アナベルは慌てて立ち上がる。
『はじめましてイーサン様。アナベル・バーンズと申します。お呼びいただいたにも関わらず、ご面倒をかけてしまいごめんなさい』
『そんな!気にしないで、ください。むしろ1人で待たせてしまってごめんなさい。その…ドレスは今乾かしてて、まだ少し時間がかかるみたいで。1人で待つのも退屈かと、本でもどうですか?』
わざわざ侯爵家の子息が自分のために本を持ってきてくれた事実に、アナベルはますます身を縮めた。イーサンは本の中から1冊、アナベルに差し出した。
『すごく面白い本なんです。アナベル…様も気に入ってくれるといいんだけど』
『わ、私のことは呼び捨てで構いません!放っておいていただいても…『オリバーの冒険』?』
イーサンが抱えている本。その題名を見たアナベルはたちまち目を輝かせた。なぜならその本は、アナベルが大好きな作家の、なにより大好きな一作だからだ。
『貴方も好きなのですか?私もです!』
『どのシーンに感動した?』『あのセリフが好きだ』と話しているうちに話はどんどん広がっていき、2人はすっかり打ち解けた。
その後、メイドたちの卓越した洗濯技術と、ポーラの魔術によりシミはすっかり取れ、新品同様に戻った。再びパーティーに戻ることができたアナベルは、イーサンや他の子どもたちと遊びながら、合間を見計らいこっそり1人で食事を楽しむ。
そこで、ひょこりと顔を覗かせていたイーサンと目があった。両親にも秘密にしていた、隠れての食事。先程楽しく話していたとはいえ、よく知らぬ子息に見つかり思考は止まった。
アナベルが動かずにいると、彼は静かに近寄り、パンを一つ取ると大きな口で食べた。
『おいしい。これ食べた?他にも美味しい料理たくさんあるんだ。…誰にも言わないよ。君の大切な時間だもん。けど、よかったら一緒にいてもいいかな?君とならもっと美味しい食事になる』
驚きで思考が止まったアナベルは、無言で頷くことしかできなかった。
最初の2人だけの食事は言葉が少なく、緊張感の漂う時間であったが、彼が柔らかに目元を細める笑顔は、両親から向けられるような温かなものだった。
「…あの時は、どうだったの?」
「どうって?」
「その…わたしのこと」
言葉を濁すと、察したイーサンはすこし目を伏せて笑う。
「うん。好きだよ。昔から…」
「あの時から…?!」
どのタイミングだろうか。あのパーティー以前にイーサンと会った覚えはない。そうなると、見当たらなかっただけで、彼は会場にいたのだろう。
いつから?どこを好きになったの?
聞けばいいのに、なぜか言葉が出てこない。想像以上に、彼の想いは深いらしい。確かめるなら今なのに。
「冷静に聞くと、まぁ怖いですがね」
片手に肉串を、山盛りの肉や野菜の乗った皿をもう片手に持つポーラが2人の元に。彼女の言葉にイーサンの肩が少し跳ねる。
「えっ」
「子ども時代から一途と聞けば聞こえはいいですけどもね。『ずっと横にいた友人が実は欲を抱いていた…!』なぁんて1冊本が書けますよ」
「あのアナベル、怖がらせる気は…………いや怖い、か」
恋愛に限った話ではないが、何かに夢中になっている時、周りからは酷く恐ろしく見れる時がある。こうなったら、冷静にならない方が身の為と、ここで断言する。
「いや、あの、別に…」
過去を振り返るイーサンに、アナベルが口ごもっていると、困っている雰囲気を察してメイドたちが集まってきた。
「アナベルさま、こわいならこわいとおっしゃった方がいいですよ?」
「ま、我々も共犯ですけど」
「そうですかぁ?私は素敵なことだと思いますよ」
「…1つの愛を貫き通す。なかなかできることじゃないです」
「違うわ。その…まだ驚いてしまうのよ。それにイーサンだし、怖いとかは…」
アナベルは慌てて否定する。
彼と過ごしていて嫌悪感を抱いたことはない。今までイーサンの態度は他の友人たちと変わらなかった。2人っきりになっても距離を詰められることも、彼から触れられたこともない。スキンシップや言葉の駆け引きが男女の仲を深める秘訣だと聞いていたし、ロベールやミシェルの様子からそれが常識だと思っていたため、イーサンから告白された時は常識の1つが壊された瞬間だった。
関係が変わっても、ネガティブな感情が生まれてこないのは、それまでの彼の人柄を知っているからだと自信を持って断言できる。
「前提条件が違いますがね。イーサン様はしっかり学ばれましたから。それはそれとして。信頼されているのは結構ですが、イーサン様はここから更に努力しないと」
若い2人は言葉に詰まる。イーサンが急に柔らかな笑みやを向けると、アナベルは強く意識してしまい、ぎこちなくなってしまっているのが側から見ていても丸わかりだ。
肉を頬張りながら唸るイーサン。
アナベルはどうフォローを入れるか右往左往していると、元気な声に名前を呼ばれた。
「アナベルー!イーサン!みんなー!」
夜の訪れも関係ないとばかりに、輝きを放ちそうな元気なレティシアがグリルの前で手招きをしている。アイザックがウキウキと顔を綻ばせ、囲う使用人たちがどよめいている。どうやら何か起こったらしい。
彼女たちの元へ向かえば、グリルの上にいい匂いを漂わせている…なんだ?肉の塊だが、実に肉の色をしていない、異様な何かがある。
「さぁ召し上がれ!」
アイザックが秘密裏に仕込んでいた謎肉とデザートが振る舞われ、最後は手持ち花火を行い、19時半近くにバーベキューはお開きとなった。
皆で取り掛かれば、後片付けはすぐに終わった。
いつも以上に丁寧に髪や肌の手入れを施され、さっぱりと汗を流したアナベル。新しい入浴剤はジャスミンの香りで、ベッドに入っても少し甘みがある優しい香りに身を包まれる。
天井を見上げながら、アナベルは再びイーサンと出会ったガーデンパーティーについて思い返していた。
些細なきっかけで人は結ばれるし、別れもするものだなとアナベルはしみじみする。
本をきっかけに仲良くなった子どもたち。友達になった2人は、今や婚約者に。数年後は夫婦になり、いつかは子供ができるかもしれない。
(イーサンが…夫。子ども…)
いつものように過ごす自分の姿。隣には笑顔の絶えないイーサンがいて、頼りになる使用人たち。尊敬する侯爵夫妻。彼はアナベルに、そして生まれてくる子供にも惜しみない愛を捧げるのだろう。
簡単に思い浮かぶ。
何ら変わらない、穏やかで楽しい日々。
今のまま、イーサンを信頼している自分。
(けどそれって…どうなのかしら)
少年だったイーサンは、背丈は随分と伸びてアナベルを越している。子供の頃よりも身体つきは逞しくなったし、健康的になった。顔つきは凛々しくなった。備えている知識量、身につけた技術。それを活かす応用力だって日々磨きがかかっている。
誰からも信頼が厚い青年へと成長したのだ。
アナベルだって背は伸び、昔に比べればできることも知識も増えた。少しずつだが自分だって成長している。
変わるのだ、全て。
なのに未来の自分の在り方はどうか。今のままではないのか。
胸が燻るが、答えが見えないアナベルはただ目を瞑り、眠るのだった。

