光り輝く大きなシャンデリア。
心を弾ませる賑やかな音楽、美しく飾られた舞踏室。
目を潤し、舌を喜ばせる豪華絢爛な食事。
着飾った招待客、一糸乱れぬ使用人たちの動き。
そして、会場を抜け出し、他の令嬢と逢引きをする姿の見えない婚約者。
なんてことはない。いつもの光景だ。
✴︎
「乾杯」
主催者の掛け声とともに、静かに流れていた音楽は、音符が弾むテンポのよい旋律に変わる。
夏の訪れを喜ぶ夜会が、今年も幕を開けた。
南に住まう聖霊鳥が長い眠りから目覚めると、ふわりとあくびを溢す。熱が伴うそれが、大陸中にごぉっと吹きぬければ、夏が来た合図。
生命が最も活発となり、魔力が溢れるこの季節は、古くから祝う祭りが多く開かれる。
いたずら好きな妖精も、気まぐれな精霊も、気が荒い獣も。この季節は己のみなぎる活力を自然と共に喜び明かす。
人の営みも例に漏れず、夏は社交界のメインシーズンになった。
今夜はキャンベル侯爵家で『夏の訪れを祝う会』が開かれた。
着飾った招待客が陽気な音楽のリズムに乗って、踊りや食事に興じている。他にも談笑したり、恋の駆け引きに熱を注いだりしている。夜会の楽しみ方は人それぞれだ。
天上で光り輝くシャンデリアが、あらゆるものを照らして夜の暗闇を打ち消す。
屋敷の外も人間の騒ぎに感化されたのか、風も踊り、草木もざわめいている。
人々が熱に浮かれている中、1人壁に背をあずけ、静かにたたずむ令嬢がいる。
艶やかな茶髪をきっちり編み込み、リボンで乱れなくまとめ上げている。夏を楽しむ妖精の姿を刺繍であしらわれた、爽やかな水色のAラインのドレスがとてもよく似合っている。
彼女がアナベル・バーンズ伯爵令嬢である。
アナベルは、婚約者であるロベール・ベルナルドと夜会に訪れていた。1時間前までは婚約者と共に、他の招待客へ挨拶に回っていたが、『用がある』と彼が離れたっきり。
1人ぼっちで会場を眺めていた。
なぜ相手がいないのか質問されると面倒であるため、彼女は気配を消しているのだ。
アナベルはひっそりため息をつく。
婚約者は今、最愛の恋人であるミシェル・ラッセルの元にいる、はずだ。
確信はないが、会場についたばかり、遠くからミシェルの波立つ美しい金髪が目に入った。ミシェルの家族は会場にいるが、本人は見当たらないことから、ロベールと会場を抜け出しているに違いない。
ミシェルが愛される一方で、アナベルは長くロベールからは邪険に扱われ、蔑ろにされてきた。ここ2年は公式な催し以外、一緒に過ごす時間はない。
そのことに苦しんだ時期もあったが、諦めてしまえば悩むことも、悲しむこともなくなった。
1人の方が楽だと思えるほど。しかし。
(お腹が…空いた)
時間が経てば、腹は空くものだ。
夜会に訪れ2時間過ぎた今、アナベルという存在はすっかりパーティーに馴染み、溶け込んでいる。誰も、たった一人でいる彼女がそこにいる事に気付いていない。
時は満ちた。
ただ立つだけにも飽きてきたアナベルは、思い描いた通りに巡ってきた機会に、今夜1番の目的を果たすために行動に移すことにした。
彼女はまず、目的地の場所を確認する。
次に会場内の人々をじっくり観察し、そこまでの道筋を立てる。目処を立て終われば少しずつ壁から離れ、人と人の合間を滑らかに、静かに移動する。その様子はまるでオルゴールの歯車の上で滑るように踊る人形のようだ。
誰もアナベルが横を通ったことすら気づかせない足運びは、目的を達成させる彼女の本気が伺える。
アナベルがたどり着いたのは、会場の端に用意された豪華絢爛な食事が並ぶ長テーブルである。テーブルの周りには、埃が被らないように、ついたてや目隠しのベールで囲われている。
姿を隠せ、食事を取れる場所に身を落ち着かせると、アナベルは美しい空色の瞳を一層輝かせた。
(なんて素晴らしいのかしら)
長く、純白のクロスの上には、多種多様な料理がいっぱいに並んでいる。
美しい茶色のオニオンスープに、季節野菜のポタージュは優しくも色鮮やかだ。肉や魚介類、ハーブなどをコンソメゼリーで固めた花形のアスピック。鶏肉を薄く広げ、珍味を詰めて円筒状にし、冷やし固めたガランティーヌ。仔羊のカツレツや甘いジャガイモに特殊なスパイスを効かせたクロケットなどの揚げ物類。色んなものが挟まれたサンドイッチに、バターの香りがそそるパン類。目に眩しいフルーツのゼリーやババロア、ガトーやマカロン、砂糖菓子などなどなどなど…。前菜からデザート、飲み物まで。
どれも一口で食べやすいように工夫された食事の数々にアナベルは心の中で、歓喜する。
今から十数年前のことらしいが、とある貴族が、田舎の食堂で働いていた男を主任料理人として迎え入れた。「それほど食にこだわりがあるのだな」と周囲は笑ったが、招かれた茶会や晩餐会で出された料理は、舌が肥えた上流階級者たちを驚かした。
その家は他国からも一目置かれる働きや功績があり、絶対的権力を持つ国王ですら過度な栄誉を与えては己の立場がなくなると無理難題を振るほど大きな存在であった。
『このままうかうかしていれば、さらに差をつけられる』
『我が家も早速取り入れなければ』
貴族たちはこぞって腕の良いシェフを雇い入れ始めた。
高額な給金で雇われるため、料理人たちも奮って己の技を磨き、魅せ方の研究に没頭した。
結果的にこの国の食文化は多様化し、その質は年々高まりつつある。
広がる世界に合わせて、当然そのマナーも変わってきているが、女性はあまり人前で食事を摂らない習慣は残ったままである。パーティーは知見を広げ、見知らぬ人との出会える重要な催しであると深く理解しているが、アナベルにとって昔から神経をすり減らすストレスの場だ。
唯一の息抜きである食事だけは、アナベルにとって絶対に欠かせない大事な時間である。
よって彼女は自分の楽しみを叶えるために、長い年月をかけて誰にも見つからないよう訓練に励み、技を習得した。実にアナベルの一貫した努力を怠らない質と、真面目さを裏付ける行動である。
長く留まらないよう、アナベルは念願の食事時間でも常に15分を期限としている。モタモタしていたらあっという間に過ぎてしまうため、早速彼女はアラカルトを皿に乗せていく。1番に食べようと目をつけていた、トマトとチーズのブルスケッタを手に取り一口。
(あぁ…)
溢れ出る喜びは抑えきれずアナベルは体を震わせる。
適度な薄さと焼き加減のハード系のバゲットに、よく熟れたトマトとチーズがよく合う。チーズは臭みは薄く、旨味の強い種類のものであるため、麦の香りにも、トマトの甘みを引き立てる。
単純な一品でありながらも、暑さや盛り付けの量など非常に計算して作られており、食べる度にとびきりの多幸感に包まれ、その美しさに快感を感じてしまうほど。キャンベル家で作られる料理は他と比べて頭2つ抜けている。
この瞬間を迎える度、アナベルは切実に”始まりの家”に感謝を伝えたいと強く願う。名を馳せているという、田舎の料理人を屋敷に迎えて国の料理の質を上げたとある貴族の名を、アナベルは知らない。なぜなら、彼らの手柄をよく思わない者たちによって巧妙に秘匿されてしまったからだ。いつか彼らに直接お礼を伝えたいと、アナベルはしっかり噛み締める。
次、次、次…。
短い時間を無駄にしてはいけない。素早く、それでも1つずつ堪能する。
すると、「ご機嫌よう」とアナベルの後ろから男性の声がした。
アナベルの動きが石のように一瞬固まる。
食べることを止め、ゆっくり振り返れば、柱からぬっと現れる影、だと思わせる青年がいた。姿を現したのは、ライトグリーンの瞳を細めながら爽やかに笑う青年貴族であった。陶器のように白い肌と、後ろに撫でつけている漆黒の髪。すらりと高い背に細身の体躯はまるで柱時計のよう。
「…ご機嫌よう」
アナベルも青年に笑顔を向ける。しばし笑い合う両者。
「もう、驚かせないでよ」
先に表情を崩したのはアナベルであった。現れた子息に声を顰めて文句を言うと、彼から他人行儀な表情は消え、頬を少し紅く染めたやわらかな笑顔になった。

