付き合い始めると、ただの同期のままでは知ることができなかった広瀬君がいた。
恋人になった彼は、自分の好意を伝えることをためらわない。
幼いころから海外で暮らしていたことを差し引いたとしても、その愛情表現は驚くほどストレートだ。
告白された翌日、私はさっそくその一面を目の当たりにすることになった。
いつもの電車に乗ろうとして駅に行くと、改札の前で彼が待っていたのだ。
「亜矢と一緒にいられる時間がたくさん欲しいからね」
さすがに一緒に会社に入るのは噂になりそうで断ったけれど――もちろん彼は残念がったが――その日から、私たちは毎朝同じ電車で通勤することになった。
しかも、手つなぎで。
人目は気になったものの、私に”いいこと”がなかったわけではない。
広瀬君は電車に入るとすぐにワイシャツの袖口のボタンを外すのが常だった。一回、二回と丁寧に折られた袖から、見惚れる前腕が現れる。
もう、通勤電車で腕まくり男子を見つけては目で追うこともなくなった。
毎朝目の前に専属の眼福がいるのだから。
そんな日々が続いたある日のこと。
「混んでるね。どこかでイベントでもあるのかなあ」
いつもより密度の濃い車内では、つり革にすら手が届かなかった。立っている人は互いの体で支え合うようにして揺れている。
「亜矢、転んだら危ないから、俺のここ、使って」
言って示されたのは、腕まくりであらわになった前腕だ。
(え……腕に?)
思わず、彼の顔を見返す。あまりにも無防備に差し出された腕に、胸がどくんと鳴った。
(いいのかな?)
頬が緩みそうになるのをこらえながら、指先を伸ばし、まくった袖からのぞく腕を掴む。
ほどよく張った筋肉の感触が手のひらに伝わった。男性らしい力強さがあるのに、しなやかさもあって、見ているだけでも好きだった前腕は、触れるともっと格好良かった。
それだけじゃない。広瀬君の体温がじんわりと感じられて、彼の穏やかな人柄も手のひらに伝わってくるようだった。
この腕が支えてくれる。今も、そして、これからも。
そう思うと、胸の奥が温かく満たされた。
電車が駅に滑り込んでドアがひらくと、人の波がさらに車内へ押し寄せてきた。
「わわっ」
腕を支えにしていた手が離れる。不意に背中を押され、広瀬君の胸へ倒れ込んでしまった。鼻先が彼のシャツに触れて、身動きがとれない。
「ご、ごめん……」
「いいよ。息、できる?」
「うん、大丈夫」
答えながら顔を上げる。思いがけず近くにあった彼の顔に、心臓が跳ねた。恋愛経験の乏しい私には、男性と至近距離で向き合う機会なんて、ほぼないに等しいのだ。
(広瀬君って、こんなに顔が整ってたんだ)
そういえば、職場の後輩たちがイケメンだと騒いでいた気がする。腕まくり姿がイケてることに異論はないけれど、私にとって「顔」は評価の対象外だった。見惚れるのは、いつでも、袖口のボタンを外して巻き上げる仕草と、そこから見える腕だったから。
見上げた視線が広瀬君のそれと絡まった。
「亜矢」
小さく名前を呼ばれる。
次の瞬間、額に柔らかな感触が落ちる。
(え……?)
一瞬遅れて、それが彼の唇だと気が付いた。
「……っ!」
息をのむ間もなく、今度は両手が私の腰に回る。
軽く引き寄せられて、互いの体が重なった。
「好きだよ、亜矢。大好き」
長身をかがめた広瀬君が耳元でささやく。
火がついたみたいに頬が熱くなる。慌てて両手で顔をあおぐと、広瀬君は肩を震わせて笑いをこらえている。
「もう……笑わないでよ」
「こんなかわいい亜矢を見られるなら、俺、毎日満員電車でもいいかも」
彼は甘い言葉を何でもないように口にするから、困ってしまう。
私は、返事ひとつ、まともにできないのに――
恋人になった彼は、自分の好意を伝えることをためらわない。
幼いころから海外で暮らしていたことを差し引いたとしても、その愛情表現は驚くほどストレートだ。
告白された翌日、私はさっそくその一面を目の当たりにすることになった。
いつもの電車に乗ろうとして駅に行くと、改札の前で彼が待っていたのだ。
「亜矢と一緒にいられる時間がたくさん欲しいからね」
さすがに一緒に会社に入るのは噂になりそうで断ったけれど――もちろん彼は残念がったが――その日から、私たちは毎朝同じ電車で通勤することになった。
しかも、手つなぎで。
人目は気になったものの、私に”いいこと”がなかったわけではない。
広瀬君は電車に入るとすぐにワイシャツの袖口のボタンを外すのが常だった。一回、二回と丁寧に折られた袖から、見惚れる前腕が現れる。
もう、通勤電車で腕まくり男子を見つけては目で追うこともなくなった。
毎朝目の前に専属の眼福がいるのだから。
そんな日々が続いたある日のこと。
「混んでるね。どこかでイベントでもあるのかなあ」
いつもより密度の濃い車内では、つり革にすら手が届かなかった。立っている人は互いの体で支え合うようにして揺れている。
「亜矢、転んだら危ないから、俺のここ、使って」
言って示されたのは、腕まくりであらわになった前腕だ。
(え……腕に?)
思わず、彼の顔を見返す。あまりにも無防備に差し出された腕に、胸がどくんと鳴った。
(いいのかな?)
頬が緩みそうになるのをこらえながら、指先を伸ばし、まくった袖からのぞく腕を掴む。
ほどよく張った筋肉の感触が手のひらに伝わった。男性らしい力強さがあるのに、しなやかさもあって、見ているだけでも好きだった前腕は、触れるともっと格好良かった。
それだけじゃない。広瀬君の体温がじんわりと感じられて、彼の穏やかな人柄も手のひらに伝わってくるようだった。
この腕が支えてくれる。今も、そして、これからも。
そう思うと、胸の奥が温かく満たされた。
電車が駅に滑り込んでドアがひらくと、人の波がさらに車内へ押し寄せてきた。
「わわっ」
腕を支えにしていた手が離れる。不意に背中を押され、広瀬君の胸へ倒れ込んでしまった。鼻先が彼のシャツに触れて、身動きがとれない。
「ご、ごめん……」
「いいよ。息、できる?」
「うん、大丈夫」
答えながら顔を上げる。思いがけず近くにあった彼の顔に、心臓が跳ねた。恋愛経験の乏しい私には、男性と至近距離で向き合う機会なんて、ほぼないに等しいのだ。
(広瀬君って、こんなに顔が整ってたんだ)
そういえば、職場の後輩たちがイケメンだと騒いでいた気がする。腕まくり姿がイケてることに異論はないけれど、私にとって「顔」は評価の対象外だった。見惚れるのは、いつでも、袖口のボタンを外して巻き上げる仕草と、そこから見える腕だったから。
見上げた視線が広瀬君のそれと絡まった。
「亜矢」
小さく名前を呼ばれる。
次の瞬間、額に柔らかな感触が落ちる。
(え……?)
一瞬遅れて、それが彼の唇だと気が付いた。
「……っ!」
息をのむ間もなく、今度は両手が私の腰に回る。
軽く引き寄せられて、互いの体が重なった。
「好きだよ、亜矢。大好き」
長身をかがめた広瀬君が耳元でささやく。
火がついたみたいに頬が熱くなる。慌てて両手で顔をあおぐと、広瀬君は肩を震わせて笑いをこらえている。
「もう……笑わないでよ」
「こんなかわいい亜矢を見られるなら、俺、毎日満員電車でもいいかも」
彼は甘い言葉を何でもないように口にするから、困ってしまう。
私は、返事ひとつ、まともにできないのに――


