次の日、相変わらず俺は誰とも関わらず過ごした。
航希とすれ違っても挨拶を交わすこともなく。
だけど、俺を遠巻きに見る瞳は優しくて、それだけで安心できた。
そうして今日も1日が終わろうとした時。
「湊士、ちょっと手伝ってくんね?」
帰りのホームルームが終わって早々に、俺は深に声をかけられた。
それを当然のように梨仁と氷翠も見ていた。
俺はホッとして、深に返事をした。
「ああ、いいよ。どこいくの?」
「総合学習室。資料持ってくるから、ちょっと待ってて」
「わかった」
俺は頷くと、深は教室を出て行った。
それから数秒経って梨仁と氷翠が近づいてくる。
「今日は一緒に帰れなさそうだね」
「待ってるか?」
ふたりが心配そうに俺を見てくれる。
けれど、俺は首を横に振った。
「いや、大丈夫。ひとりで帰るから、ふたりは先に帰ってていいよ」
「んーわかった。じゃ、気をつけて帰れよ。また明日なー」
「じゃあね、湊士」
「うん。また明日」
俺は梨仁と氷翠に挨拶を告げた。
それからさらにしばらく経ち、深が戻ってきた。
手にはどっさにとプリントを持っている。
あーこれ、プリントまとめるやつだ。
そりゃ俺に頼むよな、とひとりで心の中で納得した。
「じゃ、移動するか」
「ああ」
教室にはもう誰もいなくて、もう帰ったのだろう。
今週は部活がないから。
それからふたりで総合学習室に移動する。
そして深がプリントを机の上に置く。
少し暑く感じて、俺は窓を開けることにした。
窓に近寄って鍵を開ける。
その時ふと俺の前に影が落ちた。
俺は手を止める。
「なんだよ、深」
くるりと体を反転させると、なぜか深は深く唇を重ねてきた。
「っ…!?」
いくら付き合っているとはいえ偽だし、キスをしてきたことなんてなかったのに。
俺はどうにか抵抗して、深の体を引き離す。
けれど、深はすぐに俺の腕をつかんで取り押さえた。
ヤクザだからなのか、俺の力じゃ敵わない。
「おい、どういうつもりだよ深っ…!!」
「え?だって湊士、契約違反したよね?」
「は?契約…違反…?」
その意味がわからず、俺は途切れ途切れにそう言った。
深は今までにないくらい怖い、無表情で俺を見た。
「昨日、航希といたよね?他の男に関わるなって言ったよな?あのふたりは許してたけど、航希は契約違反だろ」
「っ…!」
バレ…てた。
気づかれてないって思ってたけど、最初からバレてたんだ。
俺は怖くなってうつむいた。
なにを言われるんだろう、なにをされるんだろう。
不安と恐怖が襲ってきて、動けなかった。
すると、深は俺の顎をクイッと持ちあげた。
それから妖艶な笑みを浮かべて言った。
「もう、俺のものになる時間だ」
「はっ?っ…!!!」
その瞬間、ビリビリとした痛みが体を襲った。
少し視線を落とせば、いつの間にか出したスタンガンが俺に触れていた。
その痛みに耐えきれず、俺はそのまま深に体を預けるように気を失った。
***
俺は目を覚ました。
あかりはついているのに、辺りは薄暗い。
見たこともない部屋だった。
「どこだ…ここ…」
そう声をあげた瞬間、目の前のドアが開かれた。
まだ目の前がグラグラ揺れて、その人物の姿をとらえられない。
「起きた?ごめん、湊士にはちょっと強かったね」
けれど、その声で目の前に立っているのが誰かわかった。
これは深の声だ。
俺はどうにかふらつく体を持ち上げようとした。
けれど、カチャカチャと音が鳴って、腕も足も動かせない。
すると深が少し楽しそうな声色で言った。
「ああ、逃げないように鎖で繋いだんだ。そんな姿もかわいいよ、湊士」
俺はようやく視界がクリアになってきて、深をキッと睨む。
深はクスッと笑って俺に近づいてきた。
さっきスタンガンを使われたこともあって、体が無意識にこわばる。
けれど、深は俺の頭を優しく撫でるだけだった。
それから楽しそうに言う。
「俺ね、この日をずっと待ってたよ。湊士が俺のものになる日を、ね」
「…どういうことだよ」
「ふっ、俺ね。湊士のこと好きなんだ」
「………は?」
俺は少し遅れて声を漏らした。
こいつ、なに言ってんだ。
俺を好き?どういうこと?
理解が追いついていないことに気がついてか、深がゆっくりと説明してくれる。
「湊士のことを知った時からずーっと好きだったんだ。航希なんかに渡したくなくって。それでゲームなんてものを提案した。だって俺の勝ちは確定してたし。だってずっと好きだったんだもん。ずっとずっとずーっとね。好きだった。愛してるんだ。でも湊士は気がつかなかった。だから、それに気がつかなければ俺が負けることはないんだ。今までバレなかったんだから、バレるわけないじゃないか。だから勝てるって思ってたよ。こうやって気長に待とうって思ってた。だけど…」
スッと深の表情が変わった。
心の奥を見透かしてくるような、まっすぐで恐ろしい目。
「ダメだ。だって、湊士は他の男を見てる。そんなの耐えられない。しかも相手はあの東歌航希…!!あいつに取られるなんてあっちゃいけない。あいつは地獄に落とさないといけないんだから」
ニヤッと口角を大きくあげた。
まるでおもちゃを見つけた子どものように無邪気だけど、そんなにかわいいものではない。
どす黒さがにじみ出ている。
「湊士は俺のものにならなきゃいけない。だから、もう俺のものにするよ」
「はっ…どうやってするんだよ」
怖がっていては相手の思うツボだと思い、俺はそう言い放った。
しかし。
「ん?それはね…航希を殺すんだよ。そうすればあいつは死んで地獄に落ちて、俺は湊士を手に入れられる!最高のシナリオだろ?」
背筋がゾッとして、凍りついた気がした。
狂ってる、こいつは確実に狂ってる。
「もう航希は呼んであるから大丈夫。だから、それまで話そうよ。航希の過去を…ね」
「っ…は、話さない…!」
「は?なんで?」
また、スッと表情が戻った。
なんで、と聞かれただけなのに、その言葉に殺意がのせられているようで怖かった。
だけどこれは航希のためだから。
だから、絶対怯まない…!!
「航希の口から聞く…!航希は…今は話せないって言ってた。それって話したくないってことだ。だったら、俺は航希の意思を尊重する!!」
すると、しばらくの間静寂が訪れた。
しかしそれは本当に一瞬で、深は不気味に笑った。
「くっ、くくく…。そうか、そうか。……なら、余計話してやらないとなぁ」
「なっ…どうして…!」
「どうしてもこうしてもないだろ。あいつはお前に嫌われたくなくて隠してんだよ。だから、お前が知ったらふたりの仲は引き裂かれる。俺にとっちゃ最高だよ」
そうだ、こいつは航希に復讐をしたいって言ってたんだ。
逆効果に決まっているのに、言い返してしまった。
そう考えているうちに、深は俺の両肩を強くつかんで話し始めた。
「俺があいつの恋人を奪った。そして、その恋人を地獄に落としたんだよ」
そうして、深は俺の意思を無視して話し出した。
***
その頃、航希は自宅に帰りいつものように学校の宿題に取り掛かっていた。
しかしいつもと違うのは、部屋の外で聞こえるバタバタという足音。
抗争を仕掛けてきたなら俺にも言いにくるはずだ。
けれど、なにも言われていないということはたいしたことはないのか?
不思議に思った俺は、総帥…母さんに聞くことにした。
そうして部屋を出た時、こっちに向かって歩いてくる母さんの姿が見えた。
「…母さん?」
「ああ、航希。今から貴方に伝えに行こうと思っていたのよ」
伝えに…ってことは抗争か?
もしかしたら風坂組かもしれない。
「これを」
予想外にも、母さんは俺に手紙を渡してきた。
俺は不思議に思いながらも手紙を受け取り、それを開いた。
『拝啓親愛なる東歌航希へ
今日でお前を地獄に落とそうと思う。
湊士が俺のものになる瞬間をお前に見せてやるよ。
お前のスマホに居場所を送った。
必ずひとりで来い。
風坂組若頭風坂深』
それを見た瞬間、頭に血がのぼったのがわかった。
どす黒いものがドロドロと胸から溢れ出したような気がした。
湊士が深のものになる?
考えただけで嫉妬で狂いそうだった。
「行くの?」
「当たり前だ。母さんは来るなよ。お前らもだ」
俺は周りにいる奴ら全員を睨んだ。
すると少し怯んだものの、やはり止めてくる者はいた。
「し、しかし若…!!」
「うるさい。口答えは許さない」
もう一度殺意を込めた目で見ると、そいつはビクッと体を震わせて黙った。
そうして俺が母さんの隣を通った時。
「湊士さんをよろしく。巻き込んでごめんなさい…って言っておいて」
「…ああ」
俺は部屋に戻ってスマホを取るなり、急いで部屋を出た。
玄関まで早足で向かい、靴を履いて玄関の扉を開ける。
すると、そこには御影が立っていた。
「総帥は湊士様を大層気に入っておられました。必ず、湊士様を助けてさしあげてください。……若、貴方は東歌組であることに苦労してきたでしょうが、今は東歌組でよかったと思えるのではないでしょうか」
俺は眉をひそめた。
「どういうことだ、それは」
「貴方が東歌組若頭でなければ、湊士様がこのように巻き込まれることはなかったでしょう。しかし、それによって生まれる幸福はきっと存在します。総帥がそうであったように。…ですから、気負うことはないのです。貴方は東歌組若頭である前に、ひとりの人間なのです。欲に忠実になってもいいのです。ひとりの人間として、湊士様と接してはいかがでしょう」
その言葉は、胸に響くものだった。
俺には東歌組若頭という重荷があって、中学校では避けられ、高校ではそれを隠すようになった。
それが当たり前なのだと思った。
ヤクザなんて誰しも関わりたくないだろう。
けれど今思えば、湊士は違った。
ヤクザだからと言って線引きをしなかった。
そうか、湊士の前では俺は“ひとりの人間”としていることができたんだ。
だから湊士にぬくもりを感じたし、ただそばにいるだけで傷が癒えるような気がした。
「ありがとう、御影。行ってくる」
「はい。いってらっしゃいませ、航希様」
俺は走り出した。
湊士は誰にも渡したくない。
俺のこの執着質なところも、湊士は認めてくれた。
さらに俺のものにしたくなった。
そういえば、父さんもそうだと言っていた。
母さんを離したくなくて、そうやって執着ばかりしていたって。
俺のこの思考は父親譲りなのかもしれない。
でも俺はこの執着質が嫌いだ。
俺は走りながら今から約3年前の出来事を思い出した。
当時俺には舞園松(まいぞのしょう)という名の彼氏がいた。
繁華街での抗争をおさめにいった時、偶然にも松に見られてしまったのだ。
それが出会いだった。
松は複雑な家庭で育った奴だった。
財閥本家の当主であった父親は毒殺、母親はそれで気が狂って自殺したという話だった。
それから親戚に引き取られたが、散々な目に遭いよく抜け出して繁華街に来ていたのだと話してくれた。
そして、俺たちはよく繁華街で会うようになった。
すれ違うたびに会話をし、共に行動をしていた。
そのうちに俺は松に惹かれた。
松も俺と同じゲイだった。
だから初めて告白をして、それは無事に成功した。
恋人になって、俺は幸せの頂点にいた。
だけど、そんなのはすぐに崩壊した。
当時から俺は風坂組に恨まれ命を狙われる身であった。
松はそれを知ってて付き合ってくれていたが、そうして警戒してくれていても一般人では対処はできまい。
それがわかっていたはずなのに、俺は油断していたんだと思う。
もしくは、愛に溺れていた。
ある日を境に、抗争が激化した。
それをきっかけに俺と松は距離を取るハメになった。
その時に深が松に近づき、松を口説き落ちしていたとか。
つまり、浮気されていた。
松は一度好きになるとどっぷりハマるタイプで、深のいうことをなんでも聞いていた。
だから、俺に復讐するという深の作戦にハメられて、松は俺を殺めそうになってしまった。
実際に殺そうと思ったわけじゃない、ただ間接的に殺そうとしていたのだ、俺を。
だから、俺は松を許せた。
けれど、松は自分を許せなかった。
それ以来距離を置こうと言われ、そして疎遠になった。
俺はたしかに自分が狂っていくのを感じた。
好きで好きでしょうがない松と離れることはできなかった。
結局、俺が我慢できなかった。
閉じ込めて一生出られないようにして、その瞳に俺以外映してほしくなくなって。
繁華街で再開したとき、あのドロドロとした感情が溢れて。
俺はもう止まれなかった。
松を無理やり連れ込み、そして喰ってしまった。
つまり。
——松とセックスをした。
こうすれば引き留められるとでも思ったのだろうか。
こうすれば松が俺の元に戻ってくるとでも思ったのだろうか。
どうして、どうして、どうして、どうして。
ああ、もう、なにも考えたくない。
それから松は俺の前から姿を消した。
これが全部深の仕組んだことだと知った時には、もう遅いと気づかされた。
だけど、もう特別傷ついたりしなかった。
心が完全に砕かれ、修復不可能なほどになってしまっていた。
それからは好きにもなれない女と一緒にいるようになった。
この顔だ、自分がモテているのはわかっていたから。
そうやって狂っていった。
けれどその時、湊士に出会った。
初めて会うのに、泣き顔がかわいく見えてつい声をかけた。
また執着質が出てきたような気がした。
でも、不思議と気持ち悪くはなかった。
ただホッとした。
そして湊士が俺を“推し”と言っているのを知って、それがピタッとハマッた気がした。
そう、これは恋愛感情ではない。
ただの推しだと考えれば、それだけで心が軽くなった。
それからいろいろあって、また深に壊されようとしてる。
でも、今回は絶対思い通りにはさせない。
俺が湊士を守るんだ。
***
「っていうことがあったわけ。あーちなみに、松の父親を殺したのは俺の親父だったんだよ。それで情報収集が楽でね。手間のかからないちょうどいい奴だったんだよね」
ふざけた奴だと思った。
関係ない松くんを巻き込んで、地獄に叩き落としておいてなにも感じないのだろうか。
だったら、こいつは根っからのクソ野郎だ。
それに、航希にそんな過去があったなんて。
昨日航希は自分のことを話してくれた。
少し申し訳なさそうに言ったのは、この過去があったからなのかもしれない。
でも、俺がもし航希と同じ状況だったら、少し違うかもしれないけれど完全に狂ってしまっていたと思う。
実際、元カノに浮気されたことがトドメでこんなふうにひねくれてしまったんだから。
そう考えると、やはり航希と自分は似ているところが多いと感じた。
「松のことは別に好きでもなかったからどうでもよかったけど…。湊士のことは本当に好きだから安心してよ」
「安心…?なにを?」
俺はジトッと疑うような視線で深を見た。
なんなんだよ、安心って。
「松は俺に執着してきて正直ウザくてさ」
そう言いながら、懐からナイフを取り出してそれをクルクルと回し始めた。
俺は刺されるのだろうかと警戒した。
「めんどーだったから、近づけないようにした。あいつにヤクザの世界ってものを見せてやったんだよ」
ゴクッと俺は息を呑んだ。
向けられた刃が、今にも刺さってしまいそうだと思ったから。
松くんも、同じように向けられたのだろうか。
「腕と足を切り刻んでやったんだよ。あ、大丈夫。死なないようにはしたから」
「っ…!!」
俺は絶句した。
どうして、それで笑っていられるのだろう。
この男は狂気そのものなのかもしれない。
向けられた刃が、血で染まったような気がした。
怖くて、怖くて、息ができなくて、苦しくて、助けてほしくて、思わず。
「航…希……」
小さく呟いた。
その時、ドンッと強い衝撃と共にドアが破壊された。
「遅くなった、ごめん湊士」
届かないと思った声が、届いたのだろうか。
航希が助けに来てくれた。
そして、深がのろのろと立ち上がって、今度は航希に刃を向けた。
「やーと来た。もうちょっと遅くてもよかったよ?」
「はっ、なに言ってんだか。あんな手紙届けられて、すぐに来ない方がおかしいだろ」
「…ま、それもそうか」
深はそう言って肩をすくめた。
それから深が俺の後ろにまわり込み、無理やり立たせた。
ガチャンッと激しい音が鳴って、鎖が食い込んで痛い。
「い、痛っ…」
「おい深!!」
「おーと、それ以上近づくなよ?これで湊士のこと切り刻んじゃうかもー」
あせっている航希の姿を見て、深はケラケラと笑う。
そして合図を送った時、横のドアから男たちがゾロゾロ出てきた。
深の仲間だろうか。
「ご丁寧にひとりで来てくれてありがとー。ということで。おい、お前ら、そいつボコボコにしろ。生捕りにはしろよ」
「うっす、若」
そうして、男たちは航希に殴りかかった。
その姿を見て、思わず助けに走りたくなった。
だけど、深がそうはさせてくれない。
左手に握られたナイフが、俺の喉元で止められている。
「湊士、動いちゃダメだよ。痛い思いしたくなかったらね」
俺は航希に守られることしかできないのか。
そう思ったら、無力感が俺を襲った。
「湊士!!すぐ行く!!」
そう言ってくれるのは嬉しい。
だけど、なにもできないのは辛い。
でもここで動いたら深は容赦なくナイフで俺を切るだろうから、動くことは絶対にできない。
そのまま航希を見守ることしかできなかった。
航希が運動神経がいいのは知っていたが、ここまでしなやかに動くのは初めて見た。
不覚にも、かっこいいと思ってしまった。
「おい、全員片付けたぞ。いい加減湊士を離せよ」
低く恐ろしい声。
殺気立っているのがすぐにわかった。
さすがの深も息を呑んだようだった。
しかし、その緊張を吐き出すようにため息をついて、いつもの調子で言った。
「はぁ…やっぱりザコじゃ相手にならないよね。ま、いいや。だって航希はそれ以上近づけないもんね?」
「チッ…!」
航希は深を睨みつけて舌打ちをした。
その姿を見て深は、ニヤリと笑った。
それから楽しそうにナイフをギリギリのところまで近づけながら言った。
「そういえば航希、君に言ってないことがあったね」
「言ってないこと…?なんだよ」
「ふっ、松のことだよ」
その名前を聞いて、航希はピクッと反応した。
深はペラペラと話しだす。
「松は俺の所有物だった」
「所有…物?」
「ああ、そうだ。あいつは繁華街で売られてて、俺の親父が買ったんだよ。それは親父の仕業。んで、その時からあいつに調教してたのは俺。なんで松は簡単に俺と浮気したと思う?」
今度は深がナイフを航希に向けて言った。
ああ、そうか、と理解した。
こいつはやっぱり根っから狂ってる。
「もうあいつは俺に堕ちてたからだよ…!!!ずーっとそうやって俺のために生きさせてた、航希に復讐するためにな!!気づかなかったろ!?あ〜あ〜かわいそうなやつ。最初から騙されてて。………んで、今回も騙された。お前らはしょせん俺の所有物なんだよ」
航希は下唇を強く噛んだ。
俺も怒りが湧いてきた。
こいつは航希に復讐するためだけに松くんを利用した。
それになんの罪悪感も抱いていないんだ。
「ふざけんな…!!」
気がついたら、俺は声をあげていた。
もう我慢の限界だと思った。
「なにが所有物だ!!俺らは物じゃねぇ!!誰がお前の思惑通りに動くかよ!お前はなにもできないかわいそうな奴なんだよ!!結局全部自分の思い通りにいかないからって、駄々こねて航希あたってるだけなんだろ?いい加減にしろよ」
「違う!!うるさい、うるさい、うるさい…!お前に…なにがわかるんだよ!!」
——あ、まずい。
ふとそう思った。
航希に向けられていたはずの刃は俺に向き、もう刺されるような勢いだった。
怖くてキュッと目をつぶった。
その時。
「深、感情的になりすぎたな。お前の負けだよ」
ふと背後に立っていたはずの深の気配が消えた。
ドンッと鈍い音が鳴り、そして部屋には静寂が訪れた。
俺はゆっくり、恐る恐る目をあける。
航希は深を取り押さえていて、深は気絶させられていた。
そして、航希は俺を見て微笑んだ。
「もう大丈夫だ。ごめんな」
その言葉に足から崩れ落ち、俺は床に座り込んだ。
こんなにもあっさりと終わるものなのか。
さっきまで言い争っていたことが嘘のようだ。
そして、航希が俺に繋がれた鎖をゆっくりと取ってくれる。
その鎖から解き放たれた時、一気に、ブワッと気持ちが押し寄せてきて俺は涙を流した。
「こ、航希…俺…こ、こわかっ…」
航希は俺を抱きしめた。
壊れかけの宝物を触るように、優しく、暖かく。
そのぬくもりを強く感じた時、俺はいっそう涙を流した。
「う、うぅ……俺、ほんと、怖くって…。航希が死んじゃったらどうしようって…!」
「うん。大丈夫、もう大丈夫だよ」
ぽんぽんと背中を撫でられ、涙がとめどなく溢れてくる。
その奥に、深が倒れている。
俺は鼻をすすりながら深を見て言った。
「深も、かわいそうな奴だったのかな。お父さんを殺されて、悲しさを受け止めきれなくて。それをどこかにぶつけたくて、自分がおかしくならないようにって航希にあたってたのかも。そう思うと、深は被害者なのかもね」
「そう…かもな」
航希はなんだかやりきれないって感じだった。
ずっと命を狙ってきてた奴が、実は被害者だったなんて複雑だろう。
その時、ふと父さんの言葉を思い出した。
「俺の両親さ、離婚してるんだよね。母さんが不倫してたのに、父さんのせいにされて。ハメられて、それで賠償金も父さんが払わされた」
「それは…」
「うん。俺もひどいなって思ったよ。だから、そんなふうに騙されて人生不幸になるなら、誰のことも好きにならないって決めてた」
そうだ、それで俺は誰も好きにならないって誓ったんだ。
でも、今は違う。
今は——。
「でも、父さんは母さんを恨まなかったんだ」
グイッと俺は航希を離して、航希の瞳を真っ直ぐに見た。
「父さんは誰かを恨んだり憎んだりするほど不幸なことはないって言ってたんだ。だから、母さんのことを恨んだりしないって。それに、それでも戻って来ることを期待しちゃうくらい好きだったんだって。だから恨むなんてできないなって、笑って言ってくれた」
そう、俺はそんな父さんが好きだった。
その言葉が胸に響いて、結局俺は水愛先輩のことも恨まずただただトラウマが生まれてしまったんだった。
「ごめん…航希の過去全部知っちゃった。………あのね、梨仁も言ってたんだ。しくて笑ったり、苦しくて泣いたり、嫉妬で怒ったり。全部ひっくるめて恋するってことだと思うって。俺もそれに納得した。いいんだ、間違えたって傷ついたって。だから、航希にあたって砕けてもいいって思えた」
うん、今なら言える。
しっかり目を見て、航希の全部が——。
「好きだよ、どうしようもなく。航希が好き。どうやっても嫌いになれないし、友達にだって戻れない。ごめん、ごめん…本当に…好き…なんだ。大好き。ずっとそばにいたい。航希が幸せになれるなら、隣が俺じゃなくていいなんて嘘だ。嘘なんだ…!好き、好き、す——」
涙が溢れている俺に、優しく唇を重ねた。
ほんの一瞬、軽いキスのはずなのに、ふわふわする。
「俺も」
航希の言葉に、耳を疑った。
「俺も湊士が好き。俺だって、もう絶対手放したくないってくらい好きだ。でも、湊士といるとまた傷つけそうだった。松にやってしまったように、湊士にも同じことをしてしまうんじゃないかって…」
初めて、だったと思う。
航希がこんなに真っ直ぐに言葉を発したのも、涙を見せたことも。
でも、そんな姿も愛おしくて。
重症だなと思った。
「大丈夫。俺が傷つかない。むしろ…壊してほしい、航希で。全部ぐちゃぐちゃにして、壊して、航希のものにしてほしい」
その言葉に、理性を失ったかのように今度は荒く唇が重なった。
息もできないくらいに何度も何度も。
でも、そこには優しさがあって。
「好き、愛してる。これからも俺のせいで狙われるってこと、あると思う。だけど、それでも…俺と付き合ってくれる?」
「ふふっ、もちろん。俺は航希を、ひとりの人間として好きになったよ。だから、全部大好き」
航希は御影に言われたことを思い出していた。
“ひとりの人間として生きていい”。
それを航希に与えたのは、紛れもなく湊士だった。
「ありがとう、湊士」
ふたりは再び、どちらからでもなく唇を重ねた。
***
「航希…!」
ふたりとも落ち着きを取り戻した時、ドンッと音を立ててドアが開かれた。
入ってきたのはたくさんの男たちと古都さんだった。
古都さんは俺たちを見るなり駆け寄ってきて、航希と俺を抱きしめた。
そして、涙声で言った。
「よかった…よかった…!」
「古都さん…!?どうしてここに…」
航希以外は来ないように指示していたんじゃいの?
そう疑問に思っていると、航希があっさりと言った。
「盗聴器。ずっとオンにして音声流してたから、終わったタイミングで来てもらった」
「そう…だったんだ」
準備がいいなぁなんて少し呑気に考えた。
すると古都さんが安心しきった顔でふふっと笑った。
「まさか、その後に湊士さんが告白するなんて、思っても見なかったけどね」
「えっ!?」
俺の顔はみるみる赤くなっている。
そこまで聞かれてたなんて、恥ずかしすぎる…!!
航希も忘れていたのか、耳を赤くして口元を隠していた。
「よかったじゃない、航希」
ふと、古都さんがそんなことを言った。
「湊士さんのこと、好きだったんでしょう?恋人になれるって素敵ねぇ」
「ちょ、母さん」
航希は恥ずかしがって古都さんを止めていた。
日常が戻ってきた、そんな気がした。
「湊士さん、航希、幸せになってね。私は男同士だとか気にしないし。それに、航希が幸せならそれでいいわ。後継のことだって考えなくていい。貴方は、東歌組っていう重荷を背負う必要はないのよ。だから、もっと遠くに羽ばたいて。湊士さんも、航希のことをよろしくね」
「古都さん…もちろんです」
航希と目が合った。
安心しているような、ホッとしているような目。
そして、俺は航希に笑いかけた。
***
その後、俺がまたさらわれては困るからと、航希が家まで送ってくれた。
もう補導時間なのに、なんてちょっと不良感を味わいながら?
家の前まで来て、俺は航希を見つめた。
「じゃあ、ありがとう航希。遅いのに送ってもらっちゃってごめんね」
「いや、全然いいよ。むしろ湊士と長い時間一緒にいれて嬉しかった」
俺はクスッと笑った。
もう、さらっとそんなことを言ってのけるんだから。
それから俺は航希に笑いかける。
「じゃあ、またあし——」
「湊士?」
また明日、と言おうとして俺の言葉をさえぎられた。
俺の視界には航希の後ろにもうひとり、人影があった。
「とう…さん?」
なかなか帰ってこない父さんが、こんなタイミングで帰ってくるなんて。
でも、これってよく考えたらチャンス?
「湊士、外に出ていたのか?さあはやく中に入って。風邪をひくよ。あと、えっと…君は…」
「初めまして、東歌航希といいます。湊士の…」
「父さん…!」
俺は航希の言葉をさえぎるようにして言った。
紹介したい。
父さんはきっと理解してくれる。
「あの、航希…実は…俺の恋人…です」
そう言うと、父さんの目が大きく見開かれた。
信じられない、とでも言うように。
「湊士の…恋人…」
これはどっちの反応なんだろう。
驚いているだけなのか、それとも男同士なんてと思っているのか。
「とりあえず、東歌くんも家に入りなさい。話を聞きたいから」
「は、はい。お邪魔します…」
これはダメ…だったのか。
認めてもらえなかった。
また暗闇のどん底に落とされた気分だった。
俺は父さんに続いて家に入る。
航希が心配してかキュッと手を握ってくれる。
その手は震えていた。
俺はそれに気がついて強く手を握り返し、俺たちは一緒にリビングに足を踏み入れた。
その時、突然ふわりと抱きしめられた。
「とう…さん…?」
電気もつけないまま抱きしめられ、わけもわからず頭がいっぱいだった。
それから父さんは俺に言った。
「よかった、よかった…!湊士に恋人ができて、父さんは嬉しいよ」
「え…み、認めてくれないんじゃ…」
そう言うと、父さんは少し距離をとって笑顔で言った。
「認めないとか、あるわけがないじゃないか。湊士が幸せならそれでいいよ。さあ、座って。お茶とお菓子を出そう。ふたりの出会いとか聞かせてくれ」
俺と航希は言葉を失った。
あの反応からして、絶対に怒っているかなにかだと思っていたのに。
それと同時にホッとして、俺と航希は一緒にため息をついた。
パチッとあかりがつき、俺たちは見つめあった。
それからふはっとふたりで吹き出した。
おかしかった、なにもかも。
あんなに切羽詰まって深と戦った後、こんなに和やかな日常にすぐに戻ったことがかもしれない。
でも、とにかく幸せで、楽しいって心から思った。
この幸せがずっと、ずっと続きますようにと。
もし続かなくても、何度だって乗り越えて、また幸せをつかみ取るから。
この日は日付が変わるまで話をして、結局航希は俺の家に泊まって、次の日の学校は休むのだった。
航希とすれ違っても挨拶を交わすこともなく。
だけど、俺を遠巻きに見る瞳は優しくて、それだけで安心できた。
そうして今日も1日が終わろうとした時。
「湊士、ちょっと手伝ってくんね?」
帰りのホームルームが終わって早々に、俺は深に声をかけられた。
それを当然のように梨仁と氷翠も見ていた。
俺はホッとして、深に返事をした。
「ああ、いいよ。どこいくの?」
「総合学習室。資料持ってくるから、ちょっと待ってて」
「わかった」
俺は頷くと、深は教室を出て行った。
それから数秒経って梨仁と氷翠が近づいてくる。
「今日は一緒に帰れなさそうだね」
「待ってるか?」
ふたりが心配そうに俺を見てくれる。
けれど、俺は首を横に振った。
「いや、大丈夫。ひとりで帰るから、ふたりは先に帰ってていいよ」
「んーわかった。じゃ、気をつけて帰れよ。また明日なー」
「じゃあね、湊士」
「うん。また明日」
俺は梨仁と氷翠に挨拶を告げた。
それからさらにしばらく経ち、深が戻ってきた。
手にはどっさにとプリントを持っている。
あーこれ、プリントまとめるやつだ。
そりゃ俺に頼むよな、とひとりで心の中で納得した。
「じゃ、移動するか」
「ああ」
教室にはもう誰もいなくて、もう帰ったのだろう。
今週は部活がないから。
それからふたりで総合学習室に移動する。
そして深がプリントを机の上に置く。
少し暑く感じて、俺は窓を開けることにした。
窓に近寄って鍵を開ける。
その時ふと俺の前に影が落ちた。
俺は手を止める。
「なんだよ、深」
くるりと体を反転させると、なぜか深は深く唇を重ねてきた。
「っ…!?」
いくら付き合っているとはいえ偽だし、キスをしてきたことなんてなかったのに。
俺はどうにか抵抗して、深の体を引き離す。
けれど、深はすぐに俺の腕をつかんで取り押さえた。
ヤクザだからなのか、俺の力じゃ敵わない。
「おい、どういうつもりだよ深っ…!!」
「え?だって湊士、契約違反したよね?」
「は?契約…違反…?」
その意味がわからず、俺は途切れ途切れにそう言った。
深は今までにないくらい怖い、無表情で俺を見た。
「昨日、航希といたよね?他の男に関わるなって言ったよな?あのふたりは許してたけど、航希は契約違反だろ」
「っ…!」
バレ…てた。
気づかれてないって思ってたけど、最初からバレてたんだ。
俺は怖くなってうつむいた。
なにを言われるんだろう、なにをされるんだろう。
不安と恐怖が襲ってきて、動けなかった。
すると、深は俺の顎をクイッと持ちあげた。
それから妖艶な笑みを浮かべて言った。
「もう、俺のものになる時間だ」
「はっ?っ…!!!」
その瞬間、ビリビリとした痛みが体を襲った。
少し視線を落とせば、いつの間にか出したスタンガンが俺に触れていた。
その痛みに耐えきれず、俺はそのまま深に体を預けるように気を失った。
***
俺は目を覚ました。
あかりはついているのに、辺りは薄暗い。
見たこともない部屋だった。
「どこだ…ここ…」
そう声をあげた瞬間、目の前のドアが開かれた。
まだ目の前がグラグラ揺れて、その人物の姿をとらえられない。
「起きた?ごめん、湊士にはちょっと強かったね」
けれど、その声で目の前に立っているのが誰かわかった。
これは深の声だ。
俺はどうにかふらつく体を持ち上げようとした。
けれど、カチャカチャと音が鳴って、腕も足も動かせない。
すると深が少し楽しそうな声色で言った。
「ああ、逃げないように鎖で繋いだんだ。そんな姿もかわいいよ、湊士」
俺はようやく視界がクリアになってきて、深をキッと睨む。
深はクスッと笑って俺に近づいてきた。
さっきスタンガンを使われたこともあって、体が無意識にこわばる。
けれど、深は俺の頭を優しく撫でるだけだった。
それから楽しそうに言う。
「俺ね、この日をずっと待ってたよ。湊士が俺のものになる日を、ね」
「…どういうことだよ」
「ふっ、俺ね。湊士のこと好きなんだ」
「………は?」
俺は少し遅れて声を漏らした。
こいつ、なに言ってんだ。
俺を好き?どういうこと?
理解が追いついていないことに気がついてか、深がゆっくりと説明してくれる。
「湊士のことを知った時からずーっと好きだったんだ。航希なんかに渡したくなくって。それでゲームなんてものを提案した。だって俺の勝ちは確定してたし。だってずっと好きだったんだもん。ずっとずっとずーっとね。好きだった。愛してるんだ。でも湊士は気がつかなかった。だから、それに気がつかなければ俺が負けることはないんだ。今までバレなかったんだから、バレるわけないじゃないか。だから勝てるって思ってたよ。こうやって気長に待とうって思ってた。だけど…」
スッと深の表情が変わった。
心の奥を見透かしてくるような、まっすぐで恐ろしい目。
「ダメだ。だって、湊士は他の男を見てる。そんなの耐えられない。しかも相手はあの東歌航希…!!あいつに取られるなんてあっちゃいけない。あいつは地獄に落とさないといけないんだから」
ニヤッと口角を大きくあげた。
まるでおもちゃを見つけた子どものように無邪気だけど、そんなにかわいいものではない。
どす黒さがにじみ出ている。
「湊士は俺のものにならなきゃいけない。だから、もう俺のものにするよ」
「はっ…どうやってするんだよ」
怖がっていては相手の思うツボだと思い、俺はそう言い放った。
しかし。
「ん?それはね…航希を殺すんだよ。そうすればあいつは死んで地獄に落ちて、俺は湊士を手に入れられる!最高のシナリオだろ?」
背筋がゾッとして、凍りついた気がした。
狂ってる、こいつは確実に狂ってる。
「もう航希は呼んであるから大丈夫。だから、それまで話そうよ。航希の過去を…ね」
「っ…は、話さない…!」
「は?なんで?」
また、スッと表情が戻った。
なんで、と聞かれただけなのに、その言葉に殺意がのせられているようで怖かった。
だけどこれは航希のためだから。
だから、絶対怯まない…!!
「航希の口から聞く…!航希は…今は話せないって言ってた。それって話したくないってことだ。だったら、俺は航希の意思を尊重する!!」
すると、しばらくの間静寂が訪れた。
しかしそれは本当に一瞬で、深は不気味に笑った。
「くっ、くくく…。そうか、そうか。……なら、余計話してやらないとなぁ」
「なっ…どうして…!」
「どうしてもこうしてもないだろ。あいつはお前に嫌われたくなくて隠してんだよ。だから、お前が知ったらふたりの仲は引き裂かれる。俺にとっちゃ最高だよ」
そうだ、こいつは航希に復讐をしたいって言ってたんだ。
逆効果に決まっているのに、言い返してしまった。
そう考えているうちに、深は俺の両肩を強くつかんで話し始めた。
「俺があいつの恋人を奪った。そして、その恋人を地獄に落としたんだよ」
そうして、深は俺の意思を無視して話し出した。
***
その頃、航希は自宅に帰りいつものように学校の宿題に取り掛かっていた。
しかしいつもと違うのは、部屋の外で聞こえるバタバタという足音。
抗争を仕掛けてきたなら俺にも言いにくるはずだ。
けれど、なにも言われていないということはたいしたことはないのか?
不思議に思った俺は、総帥…母さんに聞くことにした。
そうして部屋を出た時、こっちに向かって歩いてくる母さんの姿が見えた。
「…母さん?」
「ああ、航希。今から貴方に伝えに行こうと思っていたのよ」
伝えに…ってことは抗争か?
もしかしたら風坂組かもしれない。
「これを」
予想外にも、母さんは俺に手紙を渡してきた。
俺は不思議に思いながらも手紙を受け取り、それを開いた。
『拝啓親愛なる東歌航希へ
今日でお前を地獄に落とそうと思う。
湊士が俺のものになる瞬間をお前に見せてやるよ。
お前のスマホに居場所を送った。
必ずひとりで来い。
風坂組若頭風坂深』
それを見た瞬間、頭に血がのぼったのがわかった。
どす黒いものがドロドロと胸から溢れ出したような気がした。
湊士が深のものになる?
考えただけで嫉妬で狂いそうだった。
「行くの?」
「当たり前だ。母さんは来るなよ。お前らもだ」
俺は周りにいる奴ら全員を睨んだ。
すると少し怯んだものの、やはり止めてくる者はいた。
「し、しかし若…!!」
「うるさい。口答えは許さない」
もう一度殺意を込めた目で見ると、そいつはビクッと体を震わせて黙った。
そうして俺が母さんの隣を通った時。
「湊士さんをよろしく。巻き込んでごめんなさい…って言っておいて」
「…ああ」
俺は部屋に戻ってスマホを取るなり、急いで部屋を出た。
玄関まで早足で向かい、靴を履いて玄関の扉を開ける。
すると、そこには御影が立っていた。
「総帥は湊士様を大層気に入っておられました。必ず、湊士様を助けてさしあげてください。……若、貴方は東歌組であることに苦労してきたでしょうが、今は東歌組でよかったと思えるのではないでしょうか」
俺は眉をひそめた。
「どういうことだ、それは」
「貴方が東歌組若頭でなければ、湊士様がこのように巻き込まれることはなかったでしょう。しかし、それによって生まれる幸福はきっと存在します。総帥がそうであったように。…ですから、気負うことはないのです。貴方は東歌組若頭である前に、ひとりの人間なのです。欲に忠実になってもいいのです。ひとりの人間として、湊士様と接してはいかがでしょう」
その言葉は、胸に響くものだった。
俺には東歌組若頭という重荷があって、中学校では避けられ、高校ではそれを隠すようになった。
それが当たり前なのだと思った。
ヤクザなんて誰しも関わりたくないだろう。
けれど今思えば、湊士は違った。
ヤクザだからと言って線引きをしなかった。
そうか、湊士の前では俺は“ひとりの人間”としていることができたんだ。
だから湊士にぬくもりを感じたし、ただそばにいるだけで傷が癒えるような気がした。
「ありがとう、御影。行ってくる」
「はい。いってらっしゃいませ、航希様」
俺は走り出した。
湊士は誰にも渡したくない。
俺のこの執着質なところも、湊士は認めてくれた。
さらに俺のものにしたくなった。
そういえば、父さんもそうだと言っていた。
母さんを離したくなくて、そうやって執着ばかりしていたって。
俺のこの思考は父親譲りなのかもしれない。
でも俺はこの執着質が嫌いだ。
俺は走りながら今から約3年前の出来事を思い出した。
当時俺には舞園松(まいぞのしょう)という名の彼氏がいた。
繁華街での抗争をおさめにいった時、偶然にも松に見られてしまったのだ。
それが出会いだった。
松は複雑な家庭で育った奴だった。
財閥本家の当主であった父親は毒殺、母親はそれで気が狂って自殺したという話だった。
それから親戚に引き取られたが、散々な目に遭いよく抜け出して繁華街に来ていたのだと話してくれた。
そして、俺たちはよく繁華街で会うようになった。
すれ違うたびに会話をし、共に行動をしていた。
そのうちに俺は松に惹かれた。
松も俺と同じゲイだった。
だから初めて告白をして、それは無事に成功した。
恋人になって、俺は幸せの頂点にいた。
だけど、そんなのはすぐに崩壊した。
当時から俺は風坂組に恨まれ命を狙われる身であった。
松はそれを知ってて付き合ってくれていたが、そうして警戒してくれていても一般人では対処はできまい。
それがわかっていたはずなのに、俺は油断していたんだと思う。
もしくは、愛に溺れていた。
ある日を境に、抗争が激化した。
それをきっかけに俺と松は距離を取るハメになった。
その時に深が松に近づき、松を口説き落ちしていたとか。
つまり、浮気されていた。
松は一度好きになるとどっぷりハマるタイプで、深のいうことをなんでも聞いていた。
だから、俺に復讐するという深の作戦にハメられて、松は俺を殺めそうになってしまった。
実際に殺そうと思ったわけじゃない、ただ間接的に殺そうとしていたのだ、俺を。
だから、俺は松を許せた。
けれど、松は自分を許せなかった。
それ以来距離を置こうと言われ、そして疎遠になった。
俺はたしかに自分が狂っていくのを感じた。
好きで好きでしょうがない松と離れることはできなかった。
結局、俺が我慢できなかった。
閉じ込めて一生出られないようにして、その瞳に俺以外映してほしくなくなって。
繁華街で再開したとき、あのドロドロとした感情が溢れて。
俺はもう止まれなかった。
松を無理やり連れ込み、そして喰ってしまった。
つまり。
——松とセックスをした。
こうすれば引き留められるとでも思ったのだろうか。
こうすれば松が俺の元に戻ってくるとでも思ったのだろうか。
どうして、どうして、どうして、どうして。
ああ、もう、なにも考えたくない。
それから松は俺の前から姿を消した。
これが全部深の仕組んだことだと知った時には、もう遅いと気づかされた。
だけど、もう特別傷ついたりしなかった。
心が完全に砕かれ、修復不可能なほどになってしまっていた。
それからは好きにもなれない女と一緒にいるようになった。
この顔だ、自分がモテているのはわかっていたから。
そうやって狂っていった。
けれどその時、湊士に出会った。
初めて会うのに、泣き顔がかわいく見えてつい声をかけた。
また執着質が出てきたような気がした。
でも、不思議と気持ち悪くはなかった。
ただホッとした。
そして湊士が俺を“推し”と言っているのを知って、それがピタッとハマッた気がした。
そう、これは恋愛感情ではない。
ただの推しだと考えれば、それだけで心が軽くなった。
それからいろいろあって、また深に壊されようとしてる。
でも、今回は絶対思い通りにはさせない。
俺が湊士を守るんだ。
***
「っていうことがあったわけ。あーちなみに、松の父親を殺したのは俺の親父だったんだよ。それで情報収集が楽でね。手間のかからないちょうどいい奴だったんだよね」
ふざけた奴だと思った。
関係ない松くんを巻き込んで、地獄に叩き落としておいてなにも感じないのだろうか。
だったら、こいつは根っからのクソ野郎だ。
それに、航希にそんな過去があったなんて。
昨日航希は自分のことを話してくれた。
少し申し訳なさそうに言ったのは、この過去があったからなのかもしれない。
でも、俺がもし航希と同じ状況だったら、少し違うかもしれないけれど完全に狂ってしまっていたと思う。
実際、元カノに浮気されたことがトドメでこんなふうにひねくれてしまったんだから。
そう考えると、やはり航希と自分は似ているところが多いと感じた。
「松のことは別に好きでもなかったからどうでもよかったけど…。湊士のことは本当に好きだから安心してよ」
「安心…?なにを?」
俺はジトッと疑うような視線で深を見た。
なんなんだよ、安心って。
「松は俺に執着してきて正直ウザくてさ」
そう言いながら、懐からナイフを取り出してそれをクルクルと回し始めた。
俺は刺されるのだろうかと警戒した。
「めんどーだったから、近づけないようにした。あいつにヤクザの世界ってものを見せてやったんだよ」
ゴクッと俺は息を呑んだ。
向けられた刃が、今にも刺さってしまいそうだと思ったから。
松くんも、同じように向けられたのだろうか。
「腕と足を切り刻んでやったんだよ。あ、大丈夫。死なないようにはしたから」
「っ…!!」
俺は絶句した。
どうして、それで笑っていられるのだろう。
この男は狂気そのものなのかもしれない。
向けられた刃が、血で染まったような気がした。
怖くて、怖くて、息ができなくて、苦しくて、助けてほしくて、思わず。
「航…希……」
小さく呟いた。
その時、ドンッと強い衝撃と共にドアが破壊された。
「遅くなった、ごめん湊士」
届かないと思った声が、届いたのだろうか。
航希が助けに来てくれた。
そして、深がのろのろと立ち上がって、今度は航希に刃を向けた。
「やーと来た。もうちょっと遅くてもよかったよ?」
「はっ、なに言ってんだか。あんな手紙届けられて、すぐに来ない方がおかしいだろ」
「…ま、それもそうか」
深はそう言って肩をすくめた。
それから深が俺の後ろにまわり込み、無理やり立たせた。
ガチャンッと激しい音が鳴って、鎖が食い込んで痛い。
「い、痛っ…」
「おい深!!」
「おーと、それ以上近づくなよ?これで湊士のこと切り刻んじゃうかもー」
あせっている航希の姿を見て、深はケラケラと笑う。
そして合図を送った時、横のドアから男たちがゾロゾロ出てきた。
深の仲間だろうか。
「ご丁寧にひとりで来てくれてありがとー。ということで。おい、お前ら、そいつボコボコにしろ。生捕りにはしろよ」
「うっす、若」
そうして、男たちは航希に殴りかかった。
その姿を見て、思わず助けに走りたくなった。
だけど、深がそうはさせてくれない。
左手に握られたナイフが、俺の喉元で止められている。
「湊士、動いちゃダメだよ。痛い思いしたくなかったらね」
俺は航希に守られることしかできないのか。
そう思ったら、無力感が俺を襲った。
「湊士!!すぐ行く!!」
そう言ってくれるのは嬉しい。
だけど、なにもできないのは辛い。
でもここで動いたら深は容赦なくナイフで俺を切るだろうから、動くことは絶対にできない。
そのまま航希を見守ることしかできなかった。
航希が運動神経がいいのは知っていたが、ここまでしなやかに動くのは初めて見た。
不覚にも、かっこいいと思ってしまった。
「おい、全員片付けたぞ。いい加減湊士を離せよ」
低く恐ろしい声。
殺気立っているのがすぐにわかった。
さすがの深も息を呑んだようだった。
しかし、その緊張を吐き出すようにため息をついて、いつもの調子で言った。
「はぁ…やっぱりザコじゃ相手にならないよね。ま、いいや。だって航希はそれ以上近づけないもんね?」
「チッ…!」
航希は深を睨みつけて舌打ちをした。
その姿を見て深は、ニヤリと笑った。
それから楽しそうにナイフをギリギリのところまで近づけながら言った。
「そういえば航希、君に言ってないことがあったね」
「言ってないこと…?なんだよ」
「ふっ、松のことだよ」
その名前を聞いて、航希はピクッと反応した。
深はペラペラと話しだす。
「松は俺の所有物だった」
「所有…物?」
「ああ、そうだ。あいつは繁華街で売られてて、俺の親父が買ったんだよ。それは親父の仕業。んで、その時からあいつに調教してたのは俺。なんで松は簡単に俺と浮気したと思う?」
今度は深がナイフを航希に向けて言った。
ああ、そうか、と理解した。
こいつはやっぱり根っから狂ってる。
「もうあいつは俺に堕ちてたからだよ…!!!ずーっとそうやって俺のために生きさせてた、航希に復讐するためにな!!気づかなかったろ!?あ〜あ〜かわいそうなやつ。最初から騙されてて。………んで、今回も騙された。お前らはしょせん俺の所有物なんだよ」
航希は下唇を強く噛んだ。
俺も怒りが湧いてきた。
こいつは航希に復讐するためだけに松くんを利用した。
それになんの罪悪感も抱いていないんだ。
「ふざけんな…!!」
気がついたら、俺は声をあげていた。
もう我慢の限界だと思った。
「なにが所有物だ!!俺らは物じゃねぇ!!誰がお前の思惑通りに動くかよ!お前はなにもできないかわいそうな奴なんだよ!!結局全部自分の思い通りにいかないからって、駄々こねて航希あたってるだけなんだろ?いい加減にしろよ」
「違う!!うるさい、うるさい、うるさい…!お前に…なにがわかるんだよ!!」
——あ、まずい。
ふとそう思った。
航希に向けられていたはずの刃は俺に向き、もう刺されるような勢いだった。
怖くてキュッと目をつぶった。
その時。
「深、感情的になりすぎたな。お前の負けだよ」
ふと背後に立っていたはずの深の気配が消えた。
ドンッと鈍い音が鳴り、そして部屋には静寂が訪れた。
俺はゆっくり、恐る恐る目をあける。
航希は深を取り押さえていて、深は気絶させられていた。
そして、航希は俺を見て微笑んだ。
「もう大丈夫だ。ごめんな」
その言葉に足から崩れ落ち、俺は床に座り込んだ。
こんなにもあっさりと終わるものなのか。
さっきまで言い争っていたことが嘘のようだ。
そして、航希が俺に繋がれた鎖をゆっくりと取ってくれる。
その鎖から解き放たれた時、一気に、ブワッと気持ちが押し寄せてきて俺は涙を流した。
「こ、航希…俺…こ、こわかっ…」
航希は俺を抱きしめた。
壊れかけの宝物を触るように、優しく、暖かく。
そのぬくもりを強く感じた時、俺はいっそう涙を流した。
「う、うぅ……俺、ほんと、怖くって…。航希が死んじゃったらどうしようって…!」
「うん。大丈夫、もう大丈夫だよ」
ぽんぽんと背中を撫でられ、涙がとめどなく溢れてくる。
その奥に、深が倒れている。
俺は鼻をすすりながら深を見て言った。
「深も、かわいそうな奴だったのかな。お父さんを殺されて、悲しさを受け止めきれなくて。それをどこかにぶつけたくて、自分がおかしくならないようにって航希にあたってたのかも。そう思うと、深は被害者なのかもね」
「そう…かもな」
航希はなんだかやりきれないって感じだった。
ずっと命を狙ってきてた奴が、実は被害者だったなんて複雑だろう。
その時、ふと父さんの言葉を思い出した。
「俺の両親さ、離婚してるんだよね。母さんが不倫してたのに、父さんのせいにされて。ハメられて、それで賠償金も父さんが払わされた」
「それは…」
「うん。俺もひどいなって思ったよ。だから、そんなふうに騙されて人生不幸になるなら、誰のことも好きにならないって決めてた」
そうだ、それで俺は誰も好きにならないって誓ったんだ。
でも、今は違う。
今は——。
「でも、父さんは母さんを恨まなかったんだ」
グイッと俺は航希を離して、航希の瞳を真っ直ぐに見た。
「父さんは誰かを恨んだり憎んだりするほど不幸なことはないって言ってたんだ。だから、母さんのことを恨んだりしないって。それに、それでも戻って来ることを期待しちゃうくらい好きだったんだって。だから恨むなんてできないなって、笑って言ってくれた」
そう、俺はそんな父さんが好きだった。
その言葉が胸に響いて、結局俺は水愛先輩のことも恨まずただただトラウマが生まれてしまったんだった。
「ごめん…航希の過去全部知っちゃった。………あのね、梨仁も言ってたんだ。しくて笑ったり、苦しくて泣いたり、嫉妬で怒ったり。全部ひっくるめて恋するってことだと思うって。俺もそれに納得した。いいんだ、間違えたって傷ついたって。だから、航希にあたって砕けてもいいって思えた」
うん、今なら言える。
しっかり目を見て、航希の全部が——。
「好きだよ、どうしようもなく。航希が好き。どうやっても嫌いになれないし、友達にだって戻れない。ごめん、ごめん…本当に…好き…なんだ。大好き。ずっとそばにいたい。航希が幸せになれるなら、隣が俺じゃなくていいなんて嘘だ。嘘なんだ…!好き、好き、す——」
涙が溢れている俺に、優しく唇を重ねた。
ほんの一瞬、軽いキスのはずなのに、ふわふわする。
「俺も」
航希の言葉に、耳を疑った。
「俺も湊士が好き。俺だって、もう絶対手放したくないってくらい好きだ。でも、湊士といるとまた傷つけそうだった。松にやってしまったように、湊士にも同じことをしてしまうんじゃないかって…」
初めて、だったと思う。
航希がこんなに真っ直ぐに言葉を発したのも、涙を見せたことも。
でも、そんな姿も愛おしくて。
重症だなと思った。
「大丈夫。俺が傷つかない。むしろ…壊してほしい、航希で。全部ぐちゃぐちゃにして、壊して、航希のものにしてほしい」
その言葉に、理性を失ったかのように今度は荒く唇が重なった。
息もできないくらいに何度も何度も。
でも、そこには優しさがあって。
「好き、愛してる。これからも俺のせいで狙われるってこと、あると思う。だけど、それでも…俺と付き合ってくれる?」
「ふふっ、もちろん。俺は航希を、ひとりの人間として好きになったよ。だから、全部大好き」
航希は御影に言われたことを思い出していた。
“ひとりの人間として生きていい”。
それを航希に与えたのは、紛れもなく湊士だった。
「ありがとう、湊士」
ふたりは再び、どちらからでもなく唇を重ねた。
***
「航希…!」
ふたりとも落ち着きを取り戻した時、ドンッと音を立ててドアが開かれた。
入ってきたのはたくさんの男たちと古都さんだった。
古都さんは俺たちを見るなり駆け寄ってきて、航希と俺を抱きしめた。
そして、涙声で言った。
「よかった…よかった…!」
「古都さん…!?どうしてここに…」
航希以外は来ないように指示していたんじゃいの?
そう疑問に思っていると、航希があっさりと言った。
「盗聴器。ずっとオンにして音声流してたから、終わったタイミングで来てもらった」
「そう…だったんだ」
準備がいいなぁなんて少し呑気に考えた。
すると古都さんが安心しきった顔でふふっと笑った。
「まさか、その後に湊士さんが告白するなんて、思っても見なかったけどね」
「えっ!?」
俺の顔はみるみる赤くなっている。
そこまで聞かれてたなんて、恥ずかしすぎる…!!
航希も忘れていたのか、耳を赤くして口元を隠していた。
「よかったじゃない、航希」
ふと、古都さんがそんなことを言った。
「湊士さんのこと、好きだったんでしょう?恋人になれるって素敵ねぇ」
「ちょ、母さん」
航希は恥ずかしがって古都さんを止めていた。
日常が戻ってきた、そんな気がした。
「湊士さん、航希、幸せになってね。私は男同士だとか気にしないし。それに、航希が幸せならそれでいいわ。後継のことだって考えなくていい。貴方は、東歌組っていう重荷を背負う必要はないのよ。だから、もっと遠くに羽ばたいて。湊士さんも、航希のことをよろしくね」
「古都さん…もちろんです」
航希と目が合った。
安心しているような、ホッとしているような目。
そして、俺は航希に笑いかけた。
***
その後、俺がまたさらわれては困るからと、航希が家まで送ってくれた。
もう補導時間なのに、なんてちょっと不良感を味わいながら?
家の前まで来て、俺は航希を見つめた。
「じゃあ、ありがとう航希。遅いのに送ってもらっちゃってごめんね」
「いや、全然いいよ。むしろ湊士と長い時間一緒にいれて嬉しかった」
俺はクスッと笑った。
もう、さらっとそんなことを言ってのけるんだから。
それから俺は航希に笑いかける。
「じゃあ、またあし——」
「湊士?」
また明日、と言おうとして俺の言葉をさえぎられた。
俺の視界には航希の後ろにもうひとり、人影があった。
「とう…さん?」
なかなか帰ってこない父さんが、こんなタイミングで帰ってくるなんて。
でも、これってよく考えたらチャンス?
「湊士、外に出ていたのか?さあはやく中に入って。風邪をひくよ。あと、えっと…君は…」
「初めまして、東歌航希といいます。湊士の…」
「父さん…!」
俺は航希の言葉をさえぎるようにして言った。
紹介したい。
父さんはきっと理解してくれる。
「あの、航希…実は…俺の恋人…です」
そう言うと、父さんの目が大きく見開かれた。
信じられない、とでも言うように。
「湊士の…恋人…」
これはどっちの反応なんだろう。
驚いているだけなのか、それとも男同士なんてと思っているのか。
「とりあえず、東歌くんも家に入りなさい。話を聞きたいから」
「は、はい。お邪魔します…」
これはダメ…だったのか。
認めてもらえなかった。
また暗闇のどん底に落とされた気分だった。
俺は父さんに続いて家に入る。
航希が心配してかキュッと手を握ってくれる。
その手は震えていた。
俺はそれに気がついて強く手を握り返し、俺たちは一緒にリビングに足を踏み入れた。
その時、突然ふわりと抱きしめられた。
「とう…さん…?」
電気もつけないまま抱きしめられ、わけもわからず頭がいっぱいだった。
それから父さんは俺に言った。
「よかった、よかった…!湊士に恋人ができて、父さんは嬉しいよ」
「え…み、認めてくれないんじゃ…」
そう言うと、父さんは少し距離をとって笑顔で言った。
「認めないとか、あるわけがないじゃないか。湊士が幸せならそれでいいよ。さあ、座って。お茶とお菓子を出そう。ふたりの出会いとか聞かせてくれ」
俺と航希は言葉を失った。
あの反応からして、絶対に怒っているかなにかだと思っていたのに。
それと同時にホッとして、俺と航希は一緒にため息をついた。
パチッとあかりがつき、俺たちは見つめあった。
それからふはっとふたりで吹き出した。
おかしかった、なにもかも。
あんなに切羽詰まって深と戦った後、こんなに和やかな日常にすぐに戻ったことがかもしれない。
でも、とにかく幸せで、楽しいって心から思った。
この幸せがずっと、ずっと続きますようにと。
もし続かなくても、何度だって乗り越えて、また幸せをつかみ取るから。
この日は日付が変わるまで話をして、結局航希は俺の家に泊まって、次の日の学校は休むのだった。



