托恋 〜鳥ノ神は女中娘を翼に匿す〜

 厨様が旦那様の元から戻られたのは、もう夕餉の後片付けが終わってからのことだった。

 少し疲れたその様子に、席を手で示してから、まだ燃えている火鉢でお湯を沸かす。
 こういう時にすぐ蛇口から水が出せるから、お屋敷の台所は便利だ。

「すまない、片付けを任せてしまった」
「いえ、湯ノ様や人形様に鈴様と衣ノ様と、あとバードさんと犬様と猿様が手伝ってくださったので早く済みました」
「鈴と衣ノはともかく、犬と猿が?」
「バードさんが引っ張ってきてくれて」
「なるほど」

 厨様好みの、少し熱めのお茶が入った湯呑みを二つ持って、私も席に着く。

 フゥフゥ冷ましながらちびちび飲む私と違い、厨様はクッと熱々の湯呑みを煽り、溜め息を吐いた。

「雲州に行くよう、旦那様から命じられた。悪いが、今年はお前と過ごせそうにない」
「仕方ないですよ。他に料理を作れる方がいないんですから……」

 白兎とのやり取りを思い出してみる。

 バードさんの翼から逃れ、再び机の上に戻った白兎は、震えながら頭を下げていた。

『今一度お願い申し上げます。厨殿、どうか今年の神無月は雲州大社にて、我々に力を貸してください。でないと、神々に食事を提供できなくなってしまう』
『今年?じゃあ今まではどうしてたんですか?』
『アタクシの知る限りではこの白兎のような、大社に仕える沢山の兎が掃除や調理、接客やらをしてくれたンですがね……ハハァなるほど、今年は何かやらかしがあったとみた』

 バードさんに笑顔で凄まれ、白兎は「ヒィイ」と縮こまる。

『鳥殿の仰るとおりでございます。実は今年からは調理を担当していた古株の兎組から、若手の兎組に任せてみようかという方針になりましてね。しかしなんとその若手が全員、大怪我をして調理ができなくなっている状態なのです』
『怪我だと?』
『は、はい。エーその、同じ兎として誠にお恥ずかしいのですが……どうやら神無月の大仕事に向けた『根性入れ』にと先日、海で鮫に喧嘩を売ったようで』

 予想だにしていなかった怪我の原因に、私は唇をキュッと結び、厨様は右手で額を押さえた。なんならあのバードさんですら、わかりやすく苦笑している。

『一応、回復しつつはあるのですが繊細な包丁捌きなどは無理な状態です。はい』
『なら例年通り、古株の連中に任せればいいだろう』
『それが古株は今、さらなる調理の研鑽を積むために、と全員が外国へ修行に行っているのです。行き先は確かパリィだかトルコだとか。外国では国ノ神様の力を持ってしても、すぐに呼び戻すことが困難になっておりまして——』

 それから結局、理由を聞いても渋る厨様に困り果てた白兎が、旦那様に説得を頼んで今に至る。

 確かに仕方がないが、他の神々と違い全く乗り気じゃない様子の厨様を見ていると、なんだか気の毒に感じる。
 できれば私もお手伝いに行きたいが、旦那様ですら入れない神々の社に、ただの女中である私はもっと入れてもらえないだろう。
 まぁ一応、社での調理は兎達が手伝ってくれるそうなので手が足りないなんてことは無さそうだが。

(本当に何も無いのかな、私にできること。厨様には毎日沢山、お世話になっているのに……)

 悶々とした気持ちでお茶を啜っていると、厨様が何かを思いついたように宙を見つめて「そういえば」と呟いた。

「一つ、お前に頼みがある」
「なんでしょう」
「大したことじゃない。ただ、雲州から戻った時に献立を考えるのが面倒でな。その時までにお前が食べたい物を、何か考えておいてくれ」
「食べたい物……それは、『なんでも』いいんですか?」
「ああ『なんでも』だ。使う食材も、糸目をつけなくていい」
「じゃ、じゃあっ!」

 興奮から、思わず立ち上がってしまう。口の端から垂れそうになった涎を、なんとか啜り上げた。
 指折り数えながら、今頭に浮かんだ好物達をあげてゆく。

「ええと……五目ご飯にタコめしに、栗ご飯に芋ご飯に松茸ご飯にあと、鯛めしにしらすご飯にひつまぶしに藺牟田すす……」
「全部米ばかりじゃないか」
「あっすみません」
「いや、いい。いいよ、それで行こう」

 そう言って、厨様は少し笑った。

 ◇

 まだ日も登り切っていない早朝。雲州に向かうため、四脚門の前には旦那様と神々が集まっていた。

 お見送りに来た私に、気づいた湯ノ様が「おーい」と声をかけてきた。
 何か忘れ物か、それとも頼み事かと、慌てて駆け寄る。

「どうされましたか?」
「どうって、ただ気づいたから普通に呼んだだけだよ。行く前に挨拶しときたかったからね」
「そうでしたか。忘れ物じゃなくて、良かったです」
「相変わらずの気にしいだねぇ。まぁそう言うことだから、あたしも人形ちゃんも厨ちゃんもいなくて寂しーだろうけど、その分羽根を伸ばすつもりでゆっくりしなよ。少々怠けたって、誰も怒りゃしないんだから」
「えっでもこの後すぐに、大浴場の掃除に移る予定なのですが」
「大浴場を一人で!?前々から思ってたんだけどあんたひょっとして、仕事が無いと死んじゃうとかそういう気質なのかい?」
「仕事は確かに好きですよ。綺麗にすることも好きです」
「ひぇ〜、まぁそりゃ確かに大浴場の掃除はあたし的にも大助かりだけどさ……一人でって。そんなに汚くないでしょーが」

 湯ノ様は信じられないものを見る目で、私を見てくる。
 確かに大浴場は湯ノ様によって綺麗に管理されているが、やっぱり細かい汚れがあるにはある場所だ。
 石鹸の残りカス一つ、見当たらないほど磨き上げる……これが私にとって毎年この期間の始めにやる大仕事だった。

「本当に、ほどほどにね。あっそうだそうだ、あんたを見つけたら厨ちゃんと人形ちゃんに報告しろって言われてたんだった。おーい厨ちゃーん……」

 程なくして集まってきた厨様と人形様を交え、談笑すること暫く。「皆の者、出発するぞ」と刀様の号令がかかった。
 わしゃわしゃと、私の頭を撫でて門に向かう厨様。
 背中をポンっと叩いて、笑顔で軽く目配せをくれた湯ノ様。
 人形様は暫く億劫そうに私の腕を掴んでいたけれど、「お土産をよろしくお願いします」とお願いすれば一瞬した後、頷いて門へと向かった。

 毎年思うことだが、美しい神々が並んでどんどん門の外へと出て行く眺めは壮観だ。
 雲州への行き方は神々によって違うらしいので、皆様がどうやって移動するのか門の外まで見に行きたい気持ちはあるけれど、出られない身なのだからそこは我慢しないといけない。

「お嬢さん」

 最後に出て行く『縄ノ神』様を見送っていると、背後からバードさんの声がした。
 そういえば集団の中にいなかったなと、驚きつつ振り返る。

「あら、皆様もう行っちゃいますよ」
「大丈夫です、連中よりもアタクシの方がずぅっと速いので。それよりも——」

 そこでバードさんはニヤッと笑って

「これから暫く、よろしくお願いしますよ」

 と優雅にお辞儀をしてから、今度こそ一番最後に門から出て行った。

「これから……?」

 ◇

 大浴場は大きい。
 とにかく大きい。

 具体的に言うと、屋敷に今顕現している神々がいっぺんに入っても、まだ余裕があるのではないかと言えるほど大きい。
 湯を抜いた浴槽を見下ろし、襷掛けの紐が緩んでいないか確認する。

 うん、大丈夫そうだ。
 簪もちゃんと髪におさまっている。

 昨日から貯めておいた灰汁と米の研ぎ汁が入った桶を、浴槽に豪快にぶちまけ、長柄のブラシを持って飛び降りた。

「キェエエエエァッ!」

 奇声を発しながら隅から隅まで、浴槽の中をひたすら擦る。

 鏡や窓を拭いたり、蛇口の間を糸で掃除したりする時は何故か黙ってしまうけれど、やっぱりこういう広い場所を掃除する時には声を出した方が気持ちがいい。

 一昨年に「白米万歳!麦飯万歳!ぼたもち万歳!」と叫んでいるのを、厨様に見られた時以降は自重していたが、流石に今は誰もいないから構わないだろう。

 この調子で、今日は露天風呂まで済ませてしまいたい。

「ブィーンパッパー!そこのけそこのけ!フォードが通る!」

 ◇

 机の上に浮かび上がってきたのは、菜っ葉が一束、サバの干物が一枚入った皿、米が半合分入った茶碗。
 以上が、今日私に使うことを許された夕餉の食材だった。

 屋敷で使われる食材は基本的に厨様が注文することになっているのだけれど、どうやら私一人しかいないからと旦那様が食費をケチったらしい。
 魚があるだけマシではあるが、厨様のお料理に慣れたせいか、どうしても量が少なく感じてしまう。

 昼餉にと厨様が作り置いてくれた豚大根や、椎茸のすまし汁、胡瓜とタコの酢の物がもう懐かしい。全部食べずに残しておくべきだっただろうか。

(いやそれだとお腹が減って、掃除を終わらせられなかっただろうなぁ)

 考えても仕方がないので、調理に移る。
 幸いにも屋敷の厨には昔ながらのへっついや火鉢の他に、最新のガスコンロが何台もあるおかげで、一人分の調理はそこまで苦じゃない。

 その内の二台に油と干物の入った揚げ焼き鍋と、水を入れた小鍋に火をかける。
 米はガスかまどで炊くことにした。
 食材をケチられても、高級な油や調味料、乾物は沢山あるからありがたい。
 小鍋の方で鰹出汁を取りつつ、菜っ葉を適当な大きさに刻んで半分は小鍋へ、もう半分は少量の酒・水・胡麻と一緒に揚げ焼き鍋に入れる。

 なんて適当な調理なんだろう。
 神様にお出しする時なら絶対にしない。

 でも自分への料理なら手間暇をかけるよりも、寧ろこれくらい雑な方が美味しく感じる気がする。

(干物が鍋にくっつかなくて良かった。小鍋の方はもう味噌を溶くだけだし、菜飯はもう混ぜずに一緒に盛ってしまえ)

 焼き上がった干物は平皿に、味噌汁をお椀に、炊いたご飯と炒めた菜っ葉は全てお茶碗に——

「結構な夕餉……だ!」

 なんだ、自炊、ちゃんとできるんじゃないの。
 これも毎日、厨様が料理を教えてくれたおかげである。

 さぁ早く冷めないうちにと、使った調理器具やガスコンロ周りの洗浄や清掃を済ませて席に着く。

「いただきま——

「ア、失礼!ただいま帰りましたよ」

 ——ああああああ!?」

 先ずは米からと箸をつけた瞬間、勝手口の戸がバンッと開いた。
 どこからどう見ても、バードさんである。

「ど、えっ?……ど、どうして!忘れ物ですか!?」
「オーホホそンなまさか、犬公じゃないンですから。ただお嬢さんに会いたくて飛んで帰ってきただけですよ。ホラ、言ったでしょう?『これから暫く、よろしくお願いしますよ』と」
「確かに……!」
「ま、そうは言っても夜明けまでには、また向こうに戻らないと行けないンですがね」

 驚きで口を開けたまま固まる私をよそに、バードさんは担いでいた紫色のちりめん風呂敷から、重箱を二段取り出した。

「丁度いい、実はアタクシもまだ夕餉を食べていなかったンです。ご一緒しても構わないでしょう?」
「あ、はい。もちろん」
「ヒャアアア嬉しい!ところでお嬢さん、なかなか良い物を食べてらっしゃいますね〜卑しいようですがもし宜しければ、アタクシの弁当と交換していただけませんかね」
「これとですか!?そ、そんな、適当に作った物を」
「いやいやいや!寧ろこういうお料理こそ、今のアタクシが欲している物なンですよ。雲州のお料理は確かに贅を尽くした物ばかりではありますが、ずうっと食べているとどうも、ね。量も多いですから、アタクシを太らせて最終日のご馳走にするンじゃないかと、疑っている次第で」
「見た限りでは、太ったようには見えませんが」
「まぁまぁまぁ、とりあえず中をご覧ください……ア、そーれ」

 バードさんが翼で器用に、パカッと重箱の蓋を開ける。
 するとどうしたことか、箱の中から真っ白な煙が立ち上ってきたではないか。
 咄嗟に、浦島太郎のお話しを思い出して片手で煙を払う。それに合わせて煙はどんどん晴れてゆき、ついに重箱の料理が姿を現した。

「お、おお」

 感動のあまり口から飛び出したのは、そんな言葉にもならない鳴き声だった。
 さもありなん。
 だって上の段には伊勢海老の刺身にローストビイフに、鰹のたたきに蒲鉾に、柚子釜に入った紅白なますに人参とほうれん草と蒟蒻の白和が。
 下の段には天丼に鮑の田作りに、分厚いだし巻き卵に海老の旨煮に、イカと里芋の白だし煮に蓮根と鯛の真蒸と、隙間なく詰まっていた。
 まさに豪華絢爛、極楽浄土。盆と正月と桃の節句がいっぺんに来たような、見事な弁当である。

「美味しそう、ですね……いや違う!見ただけでわかる!このお弁当は絶対に美味しい!」
「気に入っていただけたようで何より。じゃ、アタクシのことは気にせず、遠慮なく食べてくださいね。残してしまっては厨ノ神に悪いですから」

 そう言って、バードさんはさっきまで私が座っていた席に着いた。慌て私も風呂敷に入っていたお箸を片手に、反対側の席に着く。

「ンでは、いただきます!」
「いただきます」

 まず最初は、天丼に箸をつけてみる。

 美味い。

 口に入れた瞬間、思わず笑ってしまった。

 甘辛いタレと、海老や椎茸等の素材の旨みがご飯に合いすぎている。タレのかかっていない部分はとってもサクサクだ。
 ローストビイフは信じられないほど柔らかく、普段から牛肉を食べ慣れてない私でも食べやすい……合間に紅白なますをつまむと、口の中が爽やかになるし、白だし煮はいつ食べても優しい味がする。

「美味しい……美味しい……」
「珍しい食材が沢山あると、厨ノ神が張り切って作っていましたからね」
「もう私、今後一生は自分で作った食事に満足できなくなりました」
「ンフフフフ、それは大変。ですが明日も明後日も、また何か持って来ますよ——あ、でも最終日の、十七日の夜だけはごめンなさい。どうしても抜け出せそうにありませン」
「そんな、謝らないでください。今日帰って来てくださっただけでも、嬉しいです」

 箸が進むのと同じくらい、会話も弾む。
 バードさんは私が作った料理を『非常に美味しいです!』と、褒めちぎって残さず食べてくれた。

 なら明日は、もっと手間暇かけて作ってみよう。

 ◇

「本当に、廊下で良いんですか?お疲れなら、部屋で休まれた方が……」
「良いンです良いンです。お嬢さんのお顔を見ながら眠れるのなら、アタクシ廊下でも地面でも池でも、何処でも良いンですから」
 
 廊下に敷かれた布団に、
バードさんは気持ち良さそうに顔を埋めた。風呂に入って口紅が取れたおかげか、いつもよりか少し若く見える。見慣れないその姿に、何故か胸が高鳴った。
 
「お嬢さんのお部屋は、アタクシが入ると一気に狭くなってしまいますからね。ああそれとも、九月の時みたいにアタクシの羽根に埋もれたいと言うのなら、喜んでお部屋に上がらせてもらいますが」
「灯、消しますねー」
「はぁいお願いします」
 
 翼を広げ、意地悪そうな顔で見られると余計に胸がうるさくなった。
 気取られないよう、なるべく淡々とした声を出したけれど、バレていないだろうか。
 様子を伺おうにも、まだ暗闇に慣れていない瞳では、バードさんらしい影の塊しか認識できない。
 
「……お嬢さん、まだ起きてます?」
「あ、はい。起きてますよ」
「なら、お願いを。アタクシは日の出よりも速く起きてまた雲州に戻りますが、お見送りなンて考えずにゆっくり寝ていてくださいね。なるべく静かーに出て行きますから」
「……でもお見送り、したいです……一人だと寂しいから」
「なぁに、また明日も同じ時間に伺いますよ。今日よりももっと、豪華な弁当を持って来ますから、お腹を空かせて待っていてくださいね」
「はい……」
 
 バードさんの声を聞いていると、なんだかとって瞼が重くなってきた。
 
 ふしぎだ……
 
 
「お嬢さん、お嬢さん」
 
「……」



 
「……寝たのなら、アタクシの夢を見なさい。そうすれば『知らないフリ』も許してあげますから——」