きみと描く青い未来。

 病室に通うようになってから、時間の感覚が少し変わった。

 朝が長くて、夜が短い。

 何かをしている時間より、何もできない時間のほうが重く感じる。



 病院の廊下は相変わらず静かだった。

 でも前より、その静けさに慣れてしまっている自分がいた。

 ドアの前で止まる。

 軽くノックする。

「どうぞ」

 結衣の声。

 その声だけで、少しだけ肩の力が抜ける。

 中に入ると、七瀬結衣はベッドの上に座っていた。

 前より少しだけ姿勢がしっかりしている気がする。

「今日も来たんだ」

 いつもの言い方。

「おう」

 俺も同じように返す。

 少しだけ沈黙。

 でももう、その沈黙は怖くない。

 俺は持ってきたものを机の上に置く。

 スケッチブック。

 結衣が少しだけ目を動かす。

「それ」

「続き」

 彼女は小さく息を吐く。

「ちゃんとやってるんだ」

「まあな」

 ページを開く。

 そこには、形になりかけている線がある。

 もう“ただの線”ではない。

 何かを描こうとしている線だった。

 結衣はそれをじっと見る。

「ねえ」

「なに」

「これ、一緒に描いたら?」

 一瞬、時間が止まる。

「一緒に?」

「うん」

 その言葉は、軽いようで重かった。

「俺と?」

「うん」

 結衣は少しだけ視線を落とす。

「いいじゃん、それ」

 小さな声。

 その瞬間、病室の空気が少しだけ変わった気がした。

 俺は鉛筆を取り出す。

 スケッチブックを机に広げる。

 結衣はベッドから少しだけ身を乗り出す。

「そこ、ちょっと違う」

「どこ」

「そこ」

 彼女の指が、紙の上を軽くなぞる。

 ほんのわずかな修正。

 でもそれだけで、線の意味が変わる気がした。

「お前、意外と細かいな」

「そう?」

 結衣は少しだけ笑う。

 その笑いは、前より少しだけ自然だった。

 鉛筆の音が、病室に落ちる。

 ――サラ、サラ。

 美術室と同じ音なのに、全然違う場所に感じる。

 時間が少しだけゆっくり流れる。

「なあ」

 俺は言う。

「これ、何にするつもりなんだ?」

 結衣は少しだけ考える。

「分かんない」

「またそれかよ」

 少しだけ笑ってしまう。

「でも」

 結衣は続ける。

「こういうの、残るでしょ」

 その言葉が、少しだけ胸に引っかかる。

 “残る”

 その単語が、今までと違う意味を持って聞こえた。

 俺はスケッチブックを見る。

 まだ途中の線。

 でも確かに、誰かと一緒に作られた線になっている。

「これさ」

 俺は言う。

「完成させような」

 結衣は少しだけ間を置く。

「うん」

 その返事は、静かだった。

 でも今までで一番“約束”に近かった。

 窓の外で、光が少しだけ傾く。

 結衣がぽつりと言う。

「悠人」

「ん?」

「こういうの、ちょっといいね」

 その言葉に、理由はなかった。

 でも、それで十分だった。

 病室を出る前。

 結衣がもう一度言う。

「また来て」

 俺はうなずく。

「来る」

 それだけでいい気がした。

 廊下に出る。

 さっきより、外の光が強く見える。

 でもそれは明るさじゃなくて、“距離”だった。

 俺は気づいてしまう。

 これはまだ希望かもしれない。

 でも同時に、“終わりに向かっている途中”でもある。

 それでも。

 描くことだけは、まだ続いている。