きみと描く青い未来。

 その日、教室に七瀬結衣はいなかった。

 最初は、ただの遅刻だと思った。

 それくらいのことは今までにもあった。

 でも、昼になっても現れなかった。



 窓際の席だけが、ぽっかりと空いていた。

 いつもそこにあった“気配”が、丸ごと抜け落ちている。

 それが思った以上に、教室を静かにしていた。

 昼休み。

 俺は無意識のまま、美術室へ向かっていた。

 理由は分からない。

 でも足は迷わなかった。

 ドアの前。

 少しだけ開いている隙間。

 ――サラ、サラ。

 いつもの音は、今日はしなかった。

 中に入る。

 窓際の席には、誰もいない。

 イーゼルだけがそこに残っている。

 キャンバスは途中のまま止まっていた。

 何も描かれていないわけじゃない。

 でも完成にもなっていない。

 どこにも行けないままの線が、途中で止まっている。

 その瞬間、嫌な予感だけが遅れて来た。

「七瀬は?」

 近くの美術部員らしき先輩に聞く。

 少しだけ間。

「今日は来てないね」

 それだけだった。

 理由は続かない。

 ただ事実だけが置かれる。

 俺はそのまま、教室に戻った。

 でも戻った気がしなかった。

 午後の授業。

 黒板の文字が頭に入らない。

 時計の針だけがやけに遅い。

 何度も窓の外を見る。

 でも結衣は来ない。

 放課後。

 気づけばまた美術室の前に立っていた。

 ドアは、今日は少し重く感じた。

 中に入る。

 空気が違う。

 窓際の席は、やっぱり空のままだった。

 イーゼルの前に立つ。

 キャンバスを見る。

 途中で止まったままの絵。

 それは昨日までよりも、ずっと“未完成”に見えた。

 そこに結衣はいないのに、まだそこにいる気がした。

「……何してんの」

 背後から声がした。

 振り返ると、美術部の別の生徒だった。

「七瀬、今日来てないの?」

「ああ……うん」

 少しだけ間。

「体調悪いって聞いたけど」

 その言葉だけが、やけに重く落ちた。

 体調。

 その二文字が、急に現実の形を持つ。

「どこが?」

 思わず聞く。

「さあ……詳しくは知らないけど」

 曖昧な返事。

 それ以上は誰も知らない。

 知っていても言わないのかもしれない。

 俺はその場を離れた。

 帰り道。

 空はまだ明るいのに、どこか薄い。

 いつもと同じ景色なのに、どこかだけが違う。

 気づいてしまう。

 “いない”という事実は、思っていたよりずっと重い。

 そしてもう一つ。

 いなくても、まだあの場所にいる気がしてしまうことの方が、もっと重かった。

 その夜。

 スマホを何度も見た。

 連絡先はある。

 でも、何を送ればいいのか分からない。

 「大丈夫か?」

 その一言が、ひどく軽く見える。

 結局、何も送れなかった。

 ただ画面だけが暗くなる。

 翌日も、結衣は来なかった。

 その次の日も。

 空いている席は、もう“空いている”というより“そこに何かがあった痕跡”になっていた。

 俺は気づいてしまう。

 これはただの欠席じゃない。

 でも、それ以上のことを知るには、まだ何かが足りない。

 そしてその“足りなさ”が、いちばん怖かった。