君に届け


家族を失い、家を失い、大親友の優子まで失った私は、完全に『空っぽ』になっていた。

避難所の体育館の隅で、私はただの肉体の塊としてそこに座っていた。
悲しいという感情さえ、もう残っていない。
心の中には、津波がすべてを喰らい尽くしたあとの、真っ黒で冷たい泥水だけがたまっている。

体に備わっているはずの、ありとあらゆる欲求が消え失せていた。
周りの人が「食べなきゃダメだよ」と差し出してくれた冷え切ったおにぎりは、喉を絶対に通りそうにない。
一口かじってみても、まるで砂を噛んでいるようで、吐き気がして飲み込めなかった。

お腹が空くという感覚も、喉が渇くという感覚も、全部あの波に喰われて消えてしまったみたいだった。

(どうして、私の心臓はまだ動いてるんだろう。なんで、あの日優子の手を離して、山へ走っちゃったんだろう)

生きている意味が、どこを探しても見つからなかった。

そんな私の前に、翔吾くんがやってきたのは、震災から一週間が経った夜のことだった。

「……相原」

声をかけられても、私は顔を上げることさえしなかった。
今の私は、誰の言葉も受け付けない、ただの空っぽ人形だから。
だけど、翔吾くんは私の隣にゆっくりと腰を下ろすと、震える声で言ったんだ。

「俺さ、おじいちゃんとおばあちゃん、ダメだった」

その言葉に、私の肩がピクリと跳ねた。
ゆっくりと顔を上げると、真っ暗な体育館のわずかな光の中で、翔吾くんがボロボロと涙を流していた。
いつもお人好しで、正義感が強くて、避難所でもみんなのために笑顔で動いていた彼の、それが本当の姿だった。

「神原くんも……一緒、なんだね……」

カサカサに乾いた、自分でもびっくりするほど細い声が、私の口からこぼれた。
一番近くにいた大好きな人も、私と同じように大切な家族を奪われて、ボロボロになりながら耐えていたんだ。

「みんな、いなくなっちゃった。街も、家族も、優子も……全部あの波に喰われちゃった。私、優子に『先に行って、生きて』って言われて、手を振り払われたの。でもね、一人で生き残ったって、何の意味もないよ……!」

私は翔吾くんの服の袖を必死に掴んで、声を上げて泣きじゃくった。
過呼吸になりそうなほど、胸が激しく上下して上手く息が吸えない。
そんな私を、翔吾くんは大きな手で包み込むように、
「大丈夫、大丈夫だから……」
と、優しく何度も背中を撫でてくれた。
トントン、と規則正しく背中をさすってくれる彼の温もりが、パニックになっていた私の呼吸を少しずつ落ち着かせていく。

私が少し落ち着いたのを見届けてから、翔吾くんは私の目をまっすぐに見つめ返した。
彼の瞳には、涙の奥に、消えない強い意志が宿っていた。

「生きる理由なら、俺が、一緒に探す」
「え……?」
「相原が自分のために生きられないなら、亡くなった人たちのために生きようよ。お父さんやお母さん、長谷川さんが、相原に見てほしかったこれからの景色を、相原の目で見るんだよ。彼らが生活したかった明日を、俺たちが代わりに生きるんだ」

翔吾くんは、私の冷たい手を、あの日の優子とは逆に、今度は絶対に離さないというように強く、強く握りしめた。
背中を撫でてくれていた手の温かさと、握りしめられた手の熱さが、感覚を失っていた私の肌に、じんわりと痛いくらいに伝わってくる。

「俺も家族を失って、一時は全部諦めようとした。でも、生き残った俺たちには、あいつらの分まで生きる義務があると思うんだ。相原が一人で歩けないなら、俺が手を引く。俺の半分を相原にあげるから。だから……お願いだから、生きることを諦めないでくれ」

――亡くなった人たちの分まで、生きる。

翔吾くんのまっすぐで温かい言葉が、私の胸に響く。
救われそうになった。
彼の優しさに、縋り付きたくなった。

けれど、次の瞬間。

私の心の中に、一気に冷たい風が吹き抜けた。