初恋リスタート!

「……ちょっと!起きなさい!初日から遅刻する気!?」

鼓膜を突き破らんばかりの、甲高い怒鳴り声。
私は勢いよく跳ね起きた。心臓がバクバクと激しく鐘を打っている。

「は、はいっ!? 申し訳ありません、すぐ対応します!」

仕事の電話対応のようなセリフが条件反射で口から飛び出す。額にはべっとりと冷や汗がにじんでいた。
はぁはぁと荒い息を吐きながら、私は周囲を見回した。

(……え?ここ、どこ……?)

東京のワンルームマンションではない。
広さは六畳ほど。目の前にあるのは、くすんだピンク色の学習机。その上には真新しい、だけどどこかデザインが古いキャラクターもののペン立てと、ノートが並んでいる。壁には高校生になる前に処分したはずの、大好きなアイドルのポスター。

「嘘……実家……?なんで?」

パニックになりながら、自分の布団を見下ろす。そこにあったのは私の小さな手だった。
24歳の、デスクワークとネイルケアで少しは大人っぽくなったはずの手ではない。短くて少し丸っこくて、お世辞にも洗練されているとは言えない、子供の手。

「え、ちょっと待って、何これ……!?」

カサカサと鳴る衣服の擦れる音。自分の身体を見下ろすと、ネイビーのセーラー服を着ていた。サイズが少し大きくて肩が余っている。

私はベッドから這い出るようにして、壁に掛けられた姿見の前に駆け込んだ。

鏡の中にいたのは、短い黒髪を不器用にピンで止めた垢抜けない、オドオドとした目つきの少女だった。

「これ……私……!?中学生の時の……私!?」

自分の頬を思い切りつねる。痛い。涙が出るほど痛い。夢じゃない。
デスクの上にあるカレンダーへ這うように近づき、日付を確認する。

【201X年 4月12日】

私の脳内にある過去のデータベースが、瞬時にその日付の意味を弾き出した。
中学校の入学式が終わった、翌週の月曜日。
つまり本格的な「中学校生活」がスタートする、まさにその日の朝だった。

「嘘でしょ……。タイムスリップ、したの……?」

頭が割れるように痛い。混乱と恐怖で、過呼吸になりそうだった。
午前二時にベッドに入って、ガラスが割れるような音がして、それから……。

あり得ない。科学的にも現実的にも、こんなことが起こるはずがない。私は社会人二年目の大人だ。こんなラノベみたいな展開を素直に受け入れられるわけが――。

「ちょっと!何ボサッとしてるの!早くご飯食べて行きなさい!」

ガチャリとドアを開けて顔を出したのは、今よりずっと若くて白髪の混じっていない母親だった。
その姿を見た瞬間、私の脳の半分を占めていた社会人の冷静さが急激に覚醒した。

(……待って。お母さんが若い。部屋の匂いも、実家のあの頃の匂いだ。カレンダーも私の身体も、全部が『あの頃』を指してる)

これは夢でも幻覚でもない。
理由は分からない。どうしてこんな現象が起きたのかは全く不明だけど、私は確実に、十年前の「中学一年生の春」に戻ってきている。

中身は24歳の私のままで。
私は鏡の中の自分をもう一度見つめた。
かつての私は、この日小学校からの「嫌われ者」というレッテルを引きずったまま、怯え俯き、クラスメイトの視線から逃げるようにして教室の隅に座った。

「どうせ私なんて、またみんなに嫌われるんだ」

そうやって自分で高い壁を作り、周囲のひそひそ話に勝手に傷つき心を閉ざした。その卑屈な態度が、結果として「暗くて気気持ち悪い奴」という周囲の認識を決定づけ、三年間クラス全員から無視されるという最悪の未来を招いたのだ。

だけど。
今の私の中身は理不尽なクレーマーにも笑顔で頭を下げ、気難しい上司の懐に入り込み、コミュ力を武器に戦ってきた社会人だ。

挨拶の重要性も第一印象の作り方も、相手を不快にさせない話し方も、すべて経験として身体に染みついている。

(変えられる……!)

胸の奥で、カチリと何かのスイッチが入る音がした。
小学校から高校までずっと私を縛り付け、苦しめ続けたあの「嫌われ者」の運命を、大人のスキルを使えば今度こそ書き換えることができる。

もう移動教室で一人ぼっちで泣くことも、机の押し付け合いに傷つくこともない。普通に友達を作って普通の、いやそれ以上に楽しい中学校生活を送ることだってできるはずだ。

そして――何よりも。

(内山先生)

心臓が、今度は恐怖ではなく圧倒的な歓喜と期待で跳ね上がった。
内山先生に、もう一度会える。
あの頃、遠くから見つめることしかできなかった理科室の、白衣の神様。

話しかけるなんて大それたこと、当時の私には天地がひっくり返っても不可能だった。だけど今の私には、大人の語彙力と懐に飛び込む図々しさと、何より「あの人に近づきたい」という十数年越しの想いがある。

卒業までの三年間、一度も話せなかったあの過去を。
10年越しの、届かなかった「はじめまして」を。

今度こそ私のこの声で、先生に届けることができるんだ。

「……よし」

私はぶかぶかのセーラー服の襟を、グッと力強く正した。
鏡の中の少女の目は、さっきまでのオドオドとした頼りなさは消え、二十二歳の私の強い意志と好奇心に満ちた大人の目へと変わっていた。

「行ってきます!」

私はバッグを掴むと十年前の、だけど今度はキラキラと輝いて見える通学路へと、勢いよく駆け出していった。