仔猫のパティスリー

まのスプーンが震えていることに気付いて、音を立てないようにそれを置いた。
 本当に、告白する学生なんているんだ。
 いや、あの人はモテるし。
 好きなんです、って。
 橘のこと、なんにも知らないくせに。
 や、あたしも知ってるわけじゃないけど。
 ううん。そうじゃなくて。
 彼は、なんて答えるの?

「悪いけど、学生と個人的な関係は困るんだよ。君ならもっと素敵な男性が見つかるさ」
 その学生を口説いているのはどこのどいつだ。なんだかすごく腹が立ってきた。やっぱりこの男は人の気持ちを散々弄ぶようなヤツなんだ。なんであたしがこの男の為にこんな気持ちにならなければならないんだろう。
「でもっ…三年の藤崎さんと、付き合ってるって噂で聞きました」
 突然出された自分の名前に、びくりと肩が震える。けれど橘の声は至って涼やかだった。
「ああ、彼女はすごく成績優秀でね。ゼミ生でもあるからいろいろ手伝いを頼んでいるだけだよ。生徒と個人的な関係にはならないと言っただろう。じゃあ僕はこの後用事があるから――――」
 あたしたちの関係を、橘が否定した。橘が、否定した。
 橘は半ば強引にその学生を閉め出すと、大きく溜息をつきながら戻ってくる。
「すまなかったね、気分を害したかな」
「いいえ、別に。個人的な関係があるわけでもないですし」
 明らかに棘のある言葉に、橘は苦笑しながらあたしの隣に座った。
「あの場はそう言うしかないだろう?」
 やっぱり怒っているじゃないかと橘はあたしの肩を抱き寄せた。そんな大胆な仕草に、怒っているはずなのに頬が緩みそうになる。
「付き合っていないと先に言い出したのは君の方だったしね?」
 これでも傷ついたんだ、と耳元で甘く囁かれて、腰のあたりがぞくっと震える。
「が、学生とは個人的な関係にならないって……」
 香水の、スカルプチャーの香りに官能的な痺れが下腹部に下りる。
「君は特別だよ。いい加減、認めたらどうだい?」
 抱き寄せた橘の力はそう強いものではなくて、押し返そうとすればそれも可能なはずだった。でも、それが出来ない。
「何を」
 あたしは引き込まれそうな瞳から逃れるように、目をそらす。触れ合う半身が熱い。
「僕らが相思相愛の恋人同士だということ」
 ちゅっと小さく音を立てて、額に橘の唇が触れた。
「また、自惚れたことを――――」
 続けてその唇は頬へと落ちて、あたしはそれを甘んじて受け入れる。
「素直じゃない君も可愛いよ」
 唇への口付けを予感して、あたしはまぶたを下した。あたしより少しだけ冷たい唇が触れて、あたしは心の片隅でたがの外れる音を聞いた気がする。
 ああ、この人とキスしたかった。
 最後にこの唇に触れたのは、あたしの部屋でしたのが最後だ。この唇が欲しかった。
 夏期休暇が近い為登校している学生は少なく、空調の音だけが乾いた音を響かせている。
 触れるだけのキスが角度を変えて繰り返され、欲しがるあたしをなだめるように彼はあたしの唇をついばんだ。
「この後、予定は?」
 名残惜しく唇を離して、彼がゆったりと尋ねた。あたしは熱に浮かされたように、ただ首を振るしか出来ない。
「見せたいものがあるんだ。一緒にきてくれるかい?」